自信がないからスルーしてたが、一日もレスがないとは…酒が入っているので至らないところは寛容な心でご容赦ください。
 カラマーゾフに絡めてヨブ記と、ヨブ記を解説した本をいくつかつまんだだけの人間の意見としていうと、ヨブ記は聖書中の書物としてはかなり特異です。
 なにしろ、神が悪魔に人を差し出し、悪魔が人を試みるという理不尽きわまる筋書きなのだから、聖書のなかにこんな記述があるだけでも、予備知識のない人にとっても興味をそそられるでしょう。
 その部分はゲーテのファウストに、なんだろうな、まあ、きれいにオマージュされていますが、
 それと、4人の論者が次々とあらわれてヨブと意見を戦わせる、その対決を通して神のつくりたまいし世界、ひいては神を見通している構図の妙、
 その二つの点がヨブ記の大きな特徴です。
 私にはヨブ記が表現の点で優れているとは思えないですね。その点では少なくとも詩編とは比べるべくもないでしょう。
 カラマーゾフにおいては、後編の裁判の場面はヨブと論者たちとの対決を容易に想起させますし、大審問官にも、拙い言葉で説明するのは避けますが少なからずヨブ記の影響があります。
 単純にイヴァンとヨブを重ね合わせるだけでもいろんな想像ができるのではないでしょうか。

 私としては、ヨブ記の神のつくりたまいし世界を見据える特殊な構図が頭のなかに離れず、
 部屋のなかを歩きまわりながら小説の構想を練るドストエフスキー、という絵がしっくりくるので、
 ヨブ記の影響といっても実際はそんなところかもしれないと思ってますね。だからといって、ヨブ記の影響というのを軽く考えるわけではないですが。