明治24年8月3日 夏目金之助より正岡常規へ

鴎外の作ほめ候とて図らずも大兄の怒りを惹き申訳も無之、これも小子嗜好の下等なる故と只管慚愧致をり候。
元来同人の作は僅かに二短篇を見たるまでにて、全体を窺ふ事かたく候得ども、当世の文人中にては先づ一角ある者と存をり候ひし。
試みに彼が作を評し候はんに結構を泰西に得、思想をその学問に得、行文は漢文に胚胎して和俗を混淆したる者と存候。

嫂の死を報告しながら、子規の「一丈余の長文」の手紙の返事としている。
子規の手紙は失われているので、どう怒りを惹いたのかはわからない。
漱石の?外評は、型どおりの批評という感じは否めないが、適切だと思う。