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【ばふりばふり】蓮實重彦 X+2【120度】 [無断転載禁止]©2ch.net
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0323吾輩は名無しである2018/02/25(日) 23:38:18.37ID:XsMQrIvG
   大江健三郎と山口昌男

柄谷 さっき蓮實さんが言ったことでつけ加えたいのは、戦後のインテリは大体労働運動というものを
    バックにしてたわけです。六〇年代の三池闘争が最後ですよね。六〇年以降は高度成長とともに
    組合運動の再編成があった。つまり労働組合は経済機構のなかに組みこまれたわけです。
    インテリの運動は労働運動と関係なくあるはかないということが、
    六〇年代の半ばまでに確立したと思う。
    左翼運動というものを何かの具体的な達成や利害と結びつけなくなったわけです。
    だからいわば祝祭的になっていく。あるいは神話的な上部構造のみが注目される。
    経済的構造だとか貧困問題とかは考えられなくなっていく。

三浦 そうでしょうね。だけど、六〇年代でも、ぼくはその頃高校生だったけど、
    それでもなお、一九四五年とか、五〇年とか、あるいは六〇年というところまでの、
    敗戦、労働運動、反戦闘争、安保闘争っていうのは、祝祭に見えてたわけです。
    そういうふうなのが革命であり祝祭であり云々と。で、六〇年代というのは
    それが全部だめになっていく過程です。
    完全に一種のブルジョワ化というか、高度成長になっていって、
    吉本さんの『言語にとって美とはなにか』の言葉で言えば、全部解体していった、と。
    それがシラケたというかね。

浅田 逆に、そうだからこそ、祝祭としての文化革命といったことが
    仰々しく唱えられたとも言えるわけでしょう。

三浦 そう。それでさっきのタイムラグがあるんだというような話をぼくは面白いと思ったわけです。

浅田 実際、全共闘世代の当事者というわけではないけれど、津村喬みたいな人は、
    山口昌男風の祝祭論とか、そこから孫引きされたようなある種の構造論とかを
    言っていたわけじゃない?
    高山宏なんかも『道化の民俗学』のコピーをバリケードのなかでむさぼり読んだなんて
    嬉しそうに書いているくらいだし。

三浦 そういうことになるね。
0324吾輩は名無しである2018/02/25(日) 23:38:39.54ID:XsMQrIvG
柄谷 だからそれで言うと、大江健三郎の『万延元年のフットボール』は、一九六〇年の安保闘争を
    百年前の一八六〇年、すなわち万延元年の一揆とひっかけたわけでしょう。
    これが六七年に書かれた。
    むろんもっと前から構想されたと思うんですけど。それはすでに安保闘争を、
    労働運動とか経済的な下部構造とかっていうそんなレペルじやないところでとらえようとしている。
    だからぼくはその後の全共闘運動よりも、大江健三郎の想像力のほうが優位にあると思う。
    文学は勝つという感じがする(笑)。

蓮實 それは六八年五月がそれを予感させたゴダール一人に負けてるってのと同じだと思う。

三浦 それはそうかもしれない。大江健三郎の想像力に関して言えば、『万延元年のフットボール』には
    「スーパーマーケットの天皇」っていうのが出てくる。山口さんのなかには
    「スーパーマーケットの天皇」は入ってこないんじやないかなってところがある。

浅田 だから意地悪い見方をすると、大江健三郎がもう山口理論の可能性の中心を出すとともに
    ディコンストラクトさえしてしまっていて、それを単純化して理論化すると山口理論になる。

三浦 というか、大江さんと山口さんは合致するというのが、ぼくの解釈だった。
    それで特集を組もうと思ったんだけど、だれもわかってくれなかった。

柄谷 それは当人たちもわかっていない(笑)。

三浦 大江さんも山口さんも、当時はそういう気にはならなかった。

柄谷 それはそういうものでしょう。
0325吾輩は名無しである2018/02/25(日) 23:38:59.36ID:XsMQrIvG
浅田 大江健三郎はその後で山口昌男から学んだと思いこんでしまったわけだから、
    この誤解たるやすごいよね(笑)。

三浦 そこに逆説があるわけだ。本来、山口さんのほうがそれを言っていいくらいの話だったわけでね。

蓮實 それは大江健三郎は山口昌男の文章が読めたけど、山口さんには
    大江さんの文章が読めなかったということです。

柄谷 「文学の優位」を証明したんじゃないですかね。

三浦 しかし、民俗学とか文化人類学とかは、ほとんど文学の変種だとぼくは思うけどね。

蓮實 違います。文化人類学は「文化」的な科学であって断じて「芸術」だりえない。
    この違いは決定的なんです。そして、大江健三郎は徹底して「野蛮」であったがゆえに、
    あるいは「愚鈍」と呼んでもいいけど、ときには「文化」的な寄り道をしながらも文学に固執し、
    意識することなく可能性の中心を射ぬいていたのだ。
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