大江健三郎や中上健次って近代文学でどれ位凄いの? [無断転載禁止]©2ch.net
古いか否かは文学にとって本質的ではない
大江も中上も人間を描くこと、方法にも自覚的であったことが共通している
まぎれもなく第一級の作家だよ >>239
評論家になればいいとかずいぶん的外れな反論で草、だいぶズレてんなww そんなに後藤がいいなら、後藤のスレ立てて一人で褒めてればいいだろ 古井由吉の評価がこの2人より低いよね。
死んだ時もあまり取り上げられなかったし。 今だと大江が死んでも
そんなには取り上げられないような気がする
せいぜい一週間ぐらいで雑誌も1回ぐらいで 古井は死後発覚した山崎ナオコーラの件で大幅に格を落とした印象が。 ググったら若いころケツ触られたって話か
画像もググったらこんなブスよく触ったなと思った あんな怪電波みたいな文章垂れ流すやつに自制心なんかないだろ
まともな理性もってりゃ、もっとまともな文章書くよ 古井もコーラ自身もおとしめる嫌な現実が伝わっただけ。 大江健三郎はシリアスな内容をギャグ漫画として書いてるような感じが不思議 >>257
大江はユーモアとグロテスクが好きだからな >>5
ほんとそれ
批評家バブル終焉と共に消え去る程度の存在 「まったく読まれてない」からどうなの?としか思わない。え?まだ中上すら読んでないの?って感じ はっきりいって中上と大江読むぐらいなら、ゲーテの小作品読んだ方がはるかに有意義だと思うよ
中上と大江の全作品読んだ感想ですw ゲーテの全作品を読んだが、感動したものは一つもなかった
大江と中上には幾つも感動させられたな
人それぞれだ >>264
ゲーテ読んだことないけど、やっぱすごい? 「おれ別に若くねえし」とか思うよな。偏見かも知れないけど😂 スゴイよ~~
大江健三郎の仰せ
「現に東海村の原子力発電所からの電流は、いま市民の生活の場所に流れてきています。
それはたしかに新しいエネルギー源を発見したことの結果にちがいない。
それは人間の生命の新しい威力をあらわすでしょう」
「核開発は必要だということについてぼくはまったく賛成です。
このエネルギー源を人類の生命の新しい要素にくわえることについて反対したいとは決して思わない」 最新の文學界だっけ、松浦が古井と大江だけは新作出たら必ず読んでいたけどもうそんな作家がいなくなってしまったと書いていたのは 松浦はすばるだかに中上との思い出を書き、最近彼の全集を読み直し、
『地の果て 至上の時』をフォークナーの『アブサロム、アブサロム!』
のようだと評価していたな >>272
フォクーナーをありがたがっているのは大学の英文学教室の中だけだとか
ポール・セローの本を読んだらアメリカの作家についても忌憚のない批評がなされていたな 大学の講師が「駅で大江健三郎を見かけたことがあるが、ひとりで笑いながら手紙を破っていた。怖かった」と言っていた
誰からの手紙だったのだろうか 【冒頭無料】安藤礼二×菊間晴子 司会=横山宏介「君は大江健三郎を知っているか──国民的作家の『ヤバさ』をめぐって」 @harukok_21 #ゲンロン240216
https://www.youtube.com/live/I6tY285yT20?si=4_RZb7uso_33N1eD >>272
松浦って古井が死んだときもブランショに近いとか言ってたね
(対談相手の堀江敏幸には「そうですか?」とやんわりかわされていた)
作家を作家でたとえるねえ
お笑い芸人でも食リポで「食べ物を食べ物でたとえるな」みたいに馬鹿にするけど、それで自分より優れているかもしれない作家たちを俯瞰で(上から)評価したことになって、ヘタしたらスノッブな読者に感心までされるんだからいいご身分だよね 同ジャンル内での◯◯は△△のようだ、というような言い回しには、双方に対して深い理解やリスペクトを示すこともなく、それを指摘する自分の視点を押し出すということしかない
このポジショニングの取り方って日本の文芸批評のなかで作り上げられた害悪の一つだね
自分を大きく見せかけたい人の小手先の技術
いまだにSNSでも溢れかえっている
表象文化論的には似ているというところからだけでいくらでも饒舌に語りうるんでしょうけども 中上も大江も、蓮実や渡辺や柄谷などポストモダン系の批評家に
持ち上げられていただけ。今や文庫本も続々と廃刊になりつつある。
だって面白くないもんね。 今を生きるヒントみたいなものはほとんどないかもね
違う世界の閉じられた空間のお話のように聞こえるものが多い
それでいて読んで格別に面白いということもない
近代文学なんかはそうでもないんだけどな
小説の方法ってやつは所詮時代の産物で耐久性が低いんだろうね 大江にも中上にも今も読むに耐えうる傑作はわずかながらにあるとは思うけどね >>283
大江は岩波の短編集が結局最後まで残るかもしれない
万延元年のフットボールは厳しいかな
文章があれこれ言われるけど、物語に面白さがあれば文章なんて奇怪であるのは一種のブランドになる
しかし物語がテーマにしろ古い
学生運動時代の問題意識だから、共同体がどうのっていう話は今は誰にも響かないんじゃいのか 名作扱いされている個人的な体験や枯木灘、千年の愉楽あたりは文句なしにいいんじゃないの
逆張りする必要なし
80年代以降の大江は自己言及が多すぎてファンじゃないと読みきれないが、この先はファンになるまでの入口が見つけにくくなってくるだろう
人生の親戚、取り替え子あたりはギリいけるか?キルプの軍団もまあアリ? 今でも結果は出ていると思う。
大江や中上は文庫本でもあまり読まれていない。
太宰や三島が相変わらず人気で読まれ続けているのにね。
三島の後はやっぱり村上春樹になるだろうな。
大江健三郎はノーベル文学賞獲ったのに、あまり読まれていない。
単純に考えて、面白くないもんね。 仲俣暁生 @solar1964
ハン•ガン『別れを告げない』の書評を書き終えてあらためて思ったけど、
これは百倍よくできた『羊をめぐる冒険』だな。村上春樹さんには悪いけど、歴史への踏み込みが遥かに深い。
『羊』が書かれた時代、韓国はまだ軍政下だったから、むしろ『ねじまき鳥』と比較すべきかもしれないが。