>>92
> ここの場面でもし、もし、ゾシマが腐敗せずにアリョーシャが望む奇跡が行われていた物語だったらどうだろうか、腐敗せずに神秘が行われて、アリョーシャが修道院から出て行かなかったとしたら

不可思議に感じる部分がある。なぜ、アリョーシャは「ゾシマの遺骸が腐敗」したことで「困惑と懐疑と悲嘆」に

落ちたのか? 僕らなら「その死」により混迷に陥るはずでないのか?

> 正しいものや行為が報われなくて、その反対が成功しうる混沌のこの世界の秩序を受け入れたアリョーシャは、そのことで世界を憎悪しなかったアリョーシャは、自らの主導者の死をどう見たのかな
> 圧倒的な「なくなる」という死の存在を

「こうした瞬間」の章から、あの美しいカラマーゾフ中 最美の箇所、すなわち「星と花と戦士」のラストまで
読みながら考えていきたい