わたしは他人の意見などいっさい信じない。

亀山訳がどうたらとか、バカげた話しであるとさえおもう。一訳者の為に、その本質的価値が揺らぐような
軟弱なものではない。カラマーゾフは。

ドストエフスキー以外の、評論家の意見を信じれば(自分で解釈に苦しむ箇所など)、「その評論家の宗教観人間観」を取り入れたことになる。

大事なのは「自分がどう受け取ったか」だ。どう「生きたか」だ。.... そうだ、カラマーゾフを読むものは、ことごとくカラマーゾフのごとく生きなければならん。