たとえ 相手 が お前 の 接吻 にも 心 を 動かさ れ ず、 お前 を 嘲笑 し ながら 立ち去ろ う とも、 そんな こと に 迷
わさ れ ては なら ぬ。 それ は つまり、 まだ その 時期 が 来 ない という こと なので あっ て、 来る べき とき には
かならず 来る はず だ からで ある。 だが、 来 なかろ う と、 それ は おなじ こと だ、 その 人 で なく とも、 ほか
の 人 が その 人 の かわり に それ に 気づい て、 なやみ、 自分 で 自分 を 非難 も しよ う し、 責め も する だろ う、
そう すれ ば 真理 も 実現 する わけ だ。

この こと を 信じる が よい、 疑う こと なく 信じる が よい、このなかに古 聖 の希望も 信仰 も、ことごとく蔵せら
れている からである。
           略

もしも 人 の 悪業 に 憤慨 と 耐え られ ぬ ほどの 悲しみ を おぼえ、 悪人 ども に 復讐 し たい くらいに 心 の 乱れ
を おぼえ た なら ば、 なに よりも その 気持ち を 恐れ なけれ ば なら ぬ。 すぐさま 出かけ て 行っ て、 あたかも
他人 の 悪業 の 責任 は 自分 に ある かの よう に、 自分 が 負う べき 苦しみ を さがし 求める が よい。 その 苦しみ
を わが身 に 引き受け て 耐え しのべ ば、 自分 の 怒り も 和らい で、 自分 も 悪い の だ という こと を 悟る だろ う。
その わけ は、 自分 は 唯一 の 罪 の ない 人間 として 悪人 ども に 道 を 照らし て やる こと も でき た はず なのに、
照らし てやら なかっ た からで ある。 もしも 照らし

           略
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日常生活において、キリスト教徒が、これに近い精神で生活しようとしてるとしても、現実の国家単位では、

他民族に対して差別と残虐行為を堂々と主張している以上、キリスト教の本質は、欺瞞と虚偽であると確認できる。

否、むしろ日本民衆の大半が「それを見抜いているがゆえに」我が国は決してキリスト国とならなかったと言えまいか?