救済者的な宗教とは(キリスト教)を指していたんだね
キリスト教はメシア信仰だもんね。でも、救いや善や地上の不幸や苦悩を説明し、それに耐え、
明るさと希望を失わないようにする
そういった点は仏教もまったく同じで、したがってゾシマの説教の内容など、いろいろの宗教的
エピソードなども、ほとんど完全に鎌倉時代の日蓮の教えによって750年前から説明されている。
こんにちの創価学会で日々展開される活動の中にこそ、
現代のアレクセイやゾシマやはたまたミーチャやイヴァンも存在しているであろう。
>知覚経験を合理的に積み重ねていって神を認識すること
などできるはずがない。
信仰とは文字通り「信じる」ことです。最初も中も最後のどん詰まりも、信じること。
それができないのが凡夫です。ああでもない、こうでもない。なんか策があるはずだと。しかし、
策など無いのだ。あるのは南無妙法蓮華経だけだ。
ぼくのこのカラダは南無妙法蓮華経でできている。この宇宙の全原子も然り。カラマーゾフも一行残らず
南無妙法蓮華経の解説書である。
聖書世界とはカラマーゾフという物語中のもうひとつの物語ではないか?と
そしてそれは、ぼくの信仰の中に、間接的に影響を与える。法華経信仰のなかに包摂されたキリスト教信仰という
ものがたりではないかと?