カミュの異邦人を読んで白痴のムイシュキンをなぜか思い出して、なぜか考えると共通点があった
世界は嘘をつかないと生きていけないということ
嘘っていうと聞こえが悪くなるけど、厳密に言えば、フリをするとかお世辞をいうとか、とりつくろうと言ってもいいし、ようは世間に合わせることが必要
よくよく考えるとみんなで勝手に余計な世間を作って、わざわざ生きることを難しくして満足してはいないか
白痴の主人公も異邦人の主人公もそれができなかった為に、一方は死刑に一方は発狂するしかなかった
ドストエフスキーは白痴を美しい人に仕立て上げた
世間を生きれる人と嘘がつけない人、果たしてほんとうの白痴(異常)はどちらなんだろうね?
ドストエフスキーのすごい皮肉というか風刺を感じる