>>543
> 死は誰にでも等しいしそのためにあらゆる運動は均等に見えるかもしれない
> 目的地とは死であって、王も奴隷もまぬがれない
死の平等性の側面は確かだ。

> 階段で登ろうと快適なエレベーターで登ろうと目的地は一緒だ
人生がどうゆう過程を通って完結するか。それが同じはずがない。なぜなら、死の向こう側には永遠の生命があるからだ。

> でもどう生きたか、どう在り続けようかと願ったことは無意味なんだろうか
「どう生きたか」行動が大切であるとよくいう。ぼくにはむしろ「どう在り続けようかと願ったこと」のほうが大切に感じられてきた。その願い その祈り その一念 が、来世の福徳を決めるのではないか?

> 過ぎ去ってしまったものは何もなかったのと同義というのは本当なんだろうか
> 瞬間の感情みたいな外観のないものは無価値なのだろうか
そんなはずがない。自分がいちばんわかってるはずだ!過ぎ去った美しい思い出は永遠である。
瞬間の感情、美しく尊い感情こそ、この宇宙と等価なのだ。