>>850
マカール老人から主人公アルカージイへ
「…人間がすべてのことにわたって、これは罪だ、あれは罪じゃないと、なにもかも知るのは難しいことだ。そこには人間の知恵のおよばない秘密があるのだよ。…」
と『未成年』にあることを紹介してもらった。(ぼく自身は読んだことない)この言葉がまず思い浮かんだ。じっさいに人間の諸問題はすべて複合していて、とうてい人智で測れないものがある。

> なるんじゃなく、生まれついてゲイなんだよ

これについても疑問だ。それもひとつの説じゃないのか?たしかに生得的な側面もあるでしょう。しかし後天的というか環境要因というか、いろいろだと。

> だとしたら、それは「完璧で全き善の神が生み出している」他はない、キリスト教だとそうなる
きみがこの「神義論」とたとえとして「同性愛」を持ちだして、ほんとうに語りたいところはなんなのか、ぼくにはわかってないと思う。
キリスト教徒でないし、聞きかじりだが、旧約は『罰する神」で新約聖書は『許す』だと読んだことがある。
それで整合性がとれてないか? 歴代の論者はどう言ってるの? 

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ぼく自身の考えなら、
同性愛どころか、殺人すら「許される」
この『許される」というのは、ここはドストスレだからキリスト教用語に仮託して書いてるだけで、ほんとはちがう。
それも
戦争や緊急避難の殺人が許されるのでなく、宅間守みたいのも許される。
いっさいがっさい許される。
いかにいわんや同性愛など、ほっとけばなおると思ってる。
人間が許すのではない。
キリストの神が許すのでもない。
人間の生命をつきつめれば、とうぜん そのように帰結されるだろう。
ゾシマは
「神の小鳥、しあわせの小鳥 ... 全ての人に対して罪がある」と述べた。
(第六編 ロシヤの僧侶 に詳細な解説あり、往いて見よ)