こんだけ、どんなセックスでも相手を見つけるのが難しくない状態となった
現代においてさえ、恋愛小説の「なんでこんなに好きになっちゃうんだろう」
「こんな自分に、愛したり愛されたりする資格や権利などあるのかしら」
みたいな完全自己都合堂々巡りのグダグダが、いまだに愛され続けるのは、
やっぱり恋がヒトにとって謎であり続けているということに他ならないの
ではないでしょうか。現実の人間というのは生活にくたびれ果てていて、
ほかの人の恋愛というのはどれも愚かで計算づくで卑小で邪淫に堕した
くだらないものに考えがちです。でも自分の色恋だけはそうではない。
どんな無茶をしても自分だけは人でなしではないと思ってるし、ふられて
くやしいのは真に深い深い絶望であり誠に同情すべき一大苦悩であると
たれもが手放しで思い込みます。
恋愛小説というのは、そうしたひとりよがりの盛り上がり、人にはカッコ
悪くて言えない、愛されたいというわがままを、思いきりおおらかに
解放してくれる太っ腹な世界です。どんなツッコミが入っても、「だって
しようがないじゃん、ほれちゃったんだもの」と開き直れる純粋な世界。
20世紀、ジョゼフハンセンにデイブブランドステッターというお爺ちゃんの
ホモ私立探偵ものシリーズの名作がありましたが、あれなんかも立派な
恋愛小説ですね。昭和歌謡なみに一途に「好き、それがこの世で一番大事」
を謳いあげているって点では。