小林秀雄 その十
https://www.shinchosha.co.jp/book/352791/
杉本圭司 『小林秀雄 最後の音楽会』 | 新潮社
書評 「私はあなたに感謝する」矢部達哉
(やべ・たつや 東京都交響楽団ソロ・コンサートマスター)
波 2019年10月号より 16:39
小林秀雄「ゴッホの人生」
8.4万 回視聴5 年前
11:50
小林秀雄「個性と戦う」
7.2万 回視聴5 年前
8:02
小林秀雄「信じることと知ること」
6.6万 回視聴5 年前
5:37
小林秀雄「科学する心」
4.7万 回視聴7 年前
45:55
小林秀雄 - 講演
4.1万 回視聴2 年前
19:40
小林秀雄「人生の意味と価値」
2万 回視聴2 年前
42:34
小林秀雄「信じることと知ること」
1.3万 回視聴2 年前 小林秀雄著『近代絵画』
画という芸術の秘密
評者:石川淳 「週刊読書人」1958(昭和33)年5月12日号
石川 淳(作家)
https://dokushojin.com/article.html?i=6575 水道橋駅からダイブした人か
よく川に落ちなかったよね 三浦雅士の主張で小林秀雄に続く系譜は吉本隆明のほうじゃなくて
澁澤龍彦ではないか、というのがあるな。
気質的に似てるんじゃないかという話。 >>90
どちらにも系譜などあるとも思えないが、表現の方法は吉本が受け継いだ。
本当は受け継いだというのはきれいごとで、吉本は小林の言い回しの猿真似をした。 小林秀雄氏頌 三島由紀夫
近代日本文学史において、はじめて、「芸術としての批評」を定立した人。
批評を、真に自分の言葉、自分の文体、自分の肉感を以て創造した人。
もっとも繊細な事柄をもっとも雄々しく語り、もっとも強烈な行為をもっとも微妙に描いた人。
美を少しも信用しない美の最高の目きき。獲物のおののきを知悉した狩人。
あらゆるばかげた近代的先入観から自由である結果、近代精神の最奥の暗所へ、ずかずかと素足で踏み込むことのできた人物。
行為の精髄を言葉に、言葉の精髄を行動に転化できる接点に立ちつづけた人。
認識における魔的なものと、感覚における無垢なものとを兼ねそなえた人。
知性の向う側に肉感を発見し、肉感の向う側に精神を発見するX光線。
遅疑のない世界、後悔のない世界、もっとも感じ易く、しかも感じ易さから生ずるあらゆる病気を免れた世界。
一個の野蛮人としての知性。
一人の大常識人としての天才。 小林秀雄の作品中に「女の書いた小説は作り込み(?)が甘いところがある、だがそれがいい」みたいなことを書いた一節があった記憶なのですが、どの作品かわかれば教えてください 高見沢潤子『兄 小林秀雄との対話―人生について』講談社1968→講談社現代新書1970→講談社文芸文庫2011
高見沢潤子『兄 小林秀雄』新潮社1985
この二冊を同じ本だと長い間勘違いしていたけど別々の本だった。
講談社の方は元々1968年に単行本として出てて小林秀雄本人がまた生きていたけど、新潮社の本は、小林死後二年後に出た本。
不覚だった、題名似てるから気づかなかった。
『対話』は読んだけど、独特の魅力があって何回でも読める。
新潮社の方も読んでみたい。
あと今気づいたけど
高見沢潤子『兄 小林秀雄』新潮社と
福田逸『父・福田恆存』文藝春秋
の二冊どっちも読んでないし持ってないけど表紙がジョルジュ・ルオー。
小林のルオー好きは知ってるけど福田もそうなのだろうか。福田のルオー論あれば読んでみたい。 小林秀雄は福田恆存のことを
「痩せた、鳥みたいな人でね、
いい人相をしている。良心をもった鳥のような感じだ」ってべた褒めしてたよ。 今月末は『ゴッホの手紙』
来月末は『近代絵画』が復刊 波 2020年8月号
【今月の新潮文庫】
小林秀雄『批評家失格―新編初期論考集―』
池田雅延/小林秀雄山脈に登ろう
https://www.shinchosha.co.jp/book/100712/#b_review Seyn フォレスト YouTube篇 9 三浦春馬さんの死から考える
https://youtu.be/dvW4fx53MBA
若手俳優三浦春馬さんの死について、小林秀雄、ハイデッガー、吉本隆明の視点から考える。 Seyn フォレスト YouTube篇 9 三浦春馬さんの死から考える
https://youtu.be/dvW4fx53MBA
若手俳優三浦春馬さんの死について、小林秀雄、ハイデッガー、吉本隆明の視点から考える。 同じ港区立白金小学校卒の大先輩だわ
やはり同じ慶應義塾の先輩であり2007年にお亡くなりになった池田晶子さんを通じ知った
斎藤環という売名行為を繰り返す精神科医に小林秀雄賞を与えた選考委員には腹が立つ
池田晶子賞の選考にも同様の事が言える
日本文学大賞者と哲学の巫女の貴名を汚すな アマゾンにて ランボオ詩集 (岩波文庫) で検索したら
10番目にこんなの出てきた
あまりにもシュールというか素っ頓狂+イミフなんで記念に
貼っておく
ドスケベ専用柔らかリア儿ずっぽり 電動 ㊚㊛兼用 スマホ操作
二点せ一め一 あℎまの機 シ才フキング Kパ夕ーン
ˈvīˌbrād0r
ブランド: CL 馬鹿と馬鹿同士惹かれ合うものでもあるのか?福田も小林も馬鹿だが
小林が読まれ続けてることを福田は強調するがそんなの理解してるやつが多いというのとは違うだろ
小林のどーだの哲学を知れたところでなあ。ほとんどの読者は読めてない
小林が読まれ続けてる理由はただひとつ保守派が引用するからだろ(笑) 小林秀雄は若いころマルクス礼賛を書いてるね。
転向派の一人だろうな。
後ろめたかったせいか、処世術や古典に逃げて行った。
福田和也はただの保守好きジャーナリストだから、小林秀雄ですら手に余ってる。 ランボオの誤訳者として有名な小林君か
師匠あるいは辞書が悪かったのかしらないが
ありえない間違いを何か所もやらかしてて
日本語もそうとうに怪しい、というか
日本語をちゃんと理解してたらそんな間違いを
犯すはずかないというのがあるしね
なのに「日本を代表する最高の知性」みたいなことに
なってるんだからこの世は真っ暗闇だな
もし存命なら「死ね」というところなのだが
とうに物故して残念ながらそれは叶わない
とはいえこんなイカサマ野郎がいなくなって個人的には
清々したといえよう
とにかくこいつのひどさを手っ取り早く知るためにランボオを
ホンヤクじゃなしに原文にあたってみることをおすすめする さらにいえば古文の読解力は小西さん(小西甚一)のほうが
あるんじゃないのかね 日野啓三のことはこれぐらいにして、たまたま今、読みかけの時代小説『花と火の帝』を編んだ作家にやはり物故した隆慶一郎がいる。浦田編集委員は隆慶一郎も採りあげている。
60歳で作家デビューし、『吉原御免状』『影武者徳川家康』などのヒット作を次々とものして、わずか6年で逝った時代物の人気作家である。
シナリオ作家としても一流だったのは知られているし、作品の核にフランス文学への深い造詣があったということも同様に知られている。それに歴史家の故網野善彦の研究を取り入れての作品世界だったことも。しかし、何故60歳でのデビューだったのかは知られていない(賞を逸したが、デビュー作『吉原御免状』が直木賞候補だった)。
デビューして早々、既に巨匠の風格をかもしていたとして知られる隆という作家の秘密だ。
小林秀雄だった。
小林秀雄は隆慶一郎の師匠でもあった。隆にとっては「おっそろしく、怖い怖い師匠だった」とのこと。「先生の眼が恐ろしかった。しかられるのがこわかった」
隆に拠る小林秀雄の人物像はこうだ。「それはもう、恐ろしかった。あれは論争なんてものじゃない。大の男がオイオイと泣くまで攻め続ける。はては殴り倒すんだ。あの中村光夫(文芸評論家)さんだって殴られていた」
若くして小林秀雄の知遇を得てしまい、「小説を書いて、この恐ろしい師匠に叱られる度胸があるはずはなかった」と東大仏文の先輩だった中村真一郎の言葉を浦田編集員は紹介している。
中村のこの言葉の意味はよく理解できる。小林に罵倒されたら、以後書けなくなるのは知遇を得ていれば、いやでも分かる。
小説は書きたかったが、シナリオ作家として畏敬する小林秀雄の呪縛のなかで生きてきたということだ。『吉原御免状』が連載されたのは、小林が亡くなった翌年のことだった。 どいつもこいつも買いかぶりすぎなんだよ
それかそいつらが無知無学だったんだろうな 編集者の仕事にも慣れ、いやがうえにも意欲が高まった頃、隆さんはある新人に書かせた単行本の原稿を小林先生の部屋に持参し、これを出したいのですがと許可を求めた。先生は、応接のソファに移り、さっそく読み始めた。しかし、遅い。
四〇〇字詰原稿用紙の最初の一枚から二枚目までに十五分から二十分かかった。二枚目、三枚目も同じだった。四枚目の途中で二枚目にもどり、いきなりその一カ所に人差し指を当てて言った、「この点は、どうして打ってるんだ」、
隆さんは答えた、「読みやすくするためでしょう」、すると先生は、四枚目の一カ所を同じようにさして言った、「ではこの点は、どうしてここに打ってるんだ」、隆さんは、「そこも同じだと思います」、先生の語調が変った、
「なんだと? もういっぺん言ってみな」、「読みやすくするためだと思います」、その刹那、雷が耳をつんざいた、「馬っ鹿野郎、てめえなんざ今すぐやめちまえ!」。
わけがわからず呆然とする隆さんに、先生は畳みかけた、――こいつは頭が悪い、それがわからないか。頭のいい悪いはものを考える持続力だ、こいつの思考は持続してない、ぷつぷつぷつぷつ切れている。ここにこの点を打つなら、この点はここでないといけない。
それが見ぬけないお前はこいつより頭が悪い、お前に本は出せない! それからざっと二時間、隆さんはいかに頭が悪いかを言われ続け、完膚なきまで叱られ続けた。
いやあ、怖かったといったらなかったよ、と隆さんは最後には笑ったが、その怖さは私にもわかった、一度だけだが約一時間、私も先生に叱られ続けたことがあったからだ。
小林先生は、こういうふうに文章を読むんだよ、こんな読み方を目の前でされてごらんよ、おいそれとは書けなくなる、小説を書きたいとは早くから思っていた、だけど先生に読まれると思うと書けなかった、先生が生きていた間は書けなかった、と隆さんは一息に言った。 批評家が学者より賢いふりするのってほんとみてて痛々しい
小林は好き勝手に自分の感じたことを書きなぐってるだけ
その人のこと何も調べずに書く。本居宣長は子安と並んで研究としては最低ランク 簡単に言うと主観に基づく読解に過ぎない
さらに簡単に言うと独断と偏見だ
それ故に断定的であり、最終的には相手の人格否定まがいの罵倒に走る
基本的に強気で断定的なもの言いをする奴が勝つ世界だ
それゆえ知性や品性があると逆に不利になる
論争で相手から急所を突かれても「そうかね?」「俺はそうは思わんよ」
で逃げるか一方的に「××は○○だ(俺はそう信じる)」
で押し通せばすむわけだ
世間ではこういう狷介固陋な人間は嫌われるわけだけど
小心者揃いの文藝の世界だと逆に持ち上げられる
でもまあ、センター試験問題や国語教科書にまで採用されるのはどうかな
まあ、小林に限った話では無く
こういう独断に基づく批評ばかりだけどね 三浦春馬さんの死から考える
https://youtu.be/dvW4fx53MBA
小林秀雄、ハイデッガー、吉本隆明を参照しなから
人間の生涯を考える >>115
小林はただの知の強欲爺さんだったけど、批評家が学者より賢くないというのは当たらないな。
学者というのは、自分の専門領域に特化した思考しかできなくなる人間のこと。
学者が賢いというのはとんだ思い違いだよ。 知の強欲爺さんねえ
ならなんであんな糞訳出して平気でいられるのかね 鹿島茂がどーだの人小林秀雄って評論書いてるな
他人を出汁に自分を語る
晩年は断片的な書き方しかしないのもニーチェとかのパクリでしかない
近代的な知識人が最終的にたどり着くスタイルでしかない
ブランショとかもそうだし 小林秀雄は何が良いのかさっぱり分からん
何処から読めばいいのよ その坂口安吾との対談で面白いのは、他の舎弟みたいなお追従しかしないやつらとの対談では気持ちよくさせてもらってる小林が
安吾が小林の痛いところを突いてくるんで何いってやがる!って切れだしたところ
あれを読んで、ああこの人は何かを分かってる気になってるだけで自分の美意識の殻に閉じこもってるだけなんだって冷めたね
そして安吾のことを好きになったよw >>129
安吾は徹底した合理主義。
日本人には理解はできても同調ができない。
安吾はそんな日本人(日本の風土)を軽蔑していた。 小林はカミュのシーシュポスの神話を安岡との対談で「結論がある思想はつまらない」とばっさり切り捨ててるんだが、そして小林は答えのでないことをやり続けたと思ってるんだろうけど(宣長の最初のほうの折口への質問から検討がつく)
あの対談で自分を否定されたら切れるんだから人間ってのは思想と実存は別物ってことだ。思想では偉そうなことをいった小林も人間的にはゴミだったというのが俺の結論だ >>130
「死と同時に忘れられた人」って小林秀雄のことだぞ?
安吾は死後10年ぐらいは忘れられてたが、
70年代に大復活。
角川文庫でピーク時には15冊ぐらい出てた。
こういうパターンはレアケースなんだよ。
死後忘れられたらおしまいがほとんど。 まあ小林は忘れられたとまでは思わないけど、
もう生前のような影響力は無くなったよね。
全国を講演で回ってた頃は大スターだったね。
何か大物の政治家が死んでしまった、
子分もいなくなりました、みたいな感じ。 新刊『小林秀雄の眼 』2021/2/20江藤 淳
の中の江藤淳西尾幹二対談は新潮1993年5月号の「没後10年 小林秀雄特集」からのもの。
全体的に面白いけど、特に江藤が、批評家として小林より正宗白鳥を評価してるところ、評価の仕方が興味深い。
自分は江藤淳の本は『小林秀雄』『成熟と喪失』しか読んでないので、この江藤の判断が江藤批評において
どういうことなのかは全然わからないけど。白鳥について熱く語る江藤淳という印象が残る対談。
あと手元にないから間違っているかもしれないけど、坪内祐三(選)による白鳥講談社文芸文庫解説で
坪内がこれからは白鳥みたいな書き手になりたいとか確か書いてて、正宗白鳥は年をとると魅力を感じてくる批評家
なんじゃないかなあとも思った。福田和也が白鳥について書いていたら読みたい。
江藤「それから僕はひょっとすると明治以来、一番偉い批評家は、小林秀雄も偉いけれども、正宗白鳥じゃないかと思うぐらいなんです。」
「僕は、小林さんに教えられて、やっとこのごろ白鳥のすごさがわかってきた。」
p86-186「特集没後10年 小林秀雄」新潮1993年5月号
p86-100江藤 淳 , 西尾 幹二「批評という行為 」
p102-105サイデンステッカ- E.G. [著] , 安西 徹雄 [訳]「小林秀雄と東山文化 」
p106-109池上 俊一「小林秀雄と現代歴史学」
p110-186島 弘之「悪を許す神を赦せるか--小林秀雄とドストエフスキイ」 いまの時代、たとえ文芸批評であろうとも、読者を爆笑させるくらいの笑を含んでいないと説得力がない。
鹿島茂のドーダ理論で斬る小林は面白い。
海外でもイーグルトンの種々の批評は爆笑を含んでいるな。 最近、整髪料なんかつけてないのに、前髪が立つ。
考えすぎ??? 今の若い人は小林秀雄なんか読むのかな?
最近は入試問題にも出ないんでしょ
>>127
「人間の建設」 勝手に読んで楽しむのはいいけど
論理の繋がってない文章を試験に出して
出題者はどういうつもりだったのか >>141
いまでも大宰は通るが、小林と三島は通らない。
三島は電子化拒否も先細り感を強めている。 >>142
小林秀雄に論理はないよ。
あるのは事象に対する感性と、それを断定する強引さだけ。 それまでの宗教や地域などでできている村コミュニティから、
お金を使い科学的知識をもった移動する個人たちへの支配へと変わることで、
そのコミュニティ的しわ寄せとして精神分裂病(統合失調症)が出てきたのだと思う。
小林秀雄の文章というのは、そういう人に読ませるか、もしくはそういう人をつくるものだ。
小林秀雄の三島由紀夫追悼文のラスト、確か、AがBであり、CがD、のように書かれていたが、
これは、AがDであり、CがB、と変えると、正しく読めた。原著が手元に無いので、こうしか書けないが。
またどこかに、山の稜線に感じ入る、というようなことも書かれていたと思うが、
ふつうに考えると、その稜線の連なりを見ていても、玄月のようなもので、
ただ、言語化できないような、思考が癖になるような感じだろう。
小林秀雄の文章は、簡単に言うと、よく分からない。
結局、あのたくさんならべられた知識(言葉?)と、逆説という言葉で惑わして、
トップで独占している知識を、一般市民に教えなくしているのだ。 それ、小林秀雄の作品は悪文だってことだけを言うためにかつて刊行した本と同じこと言ってるな。
あんなに物分かりのいい評論なかなかないのに。 その本がなんなのか、わからないけど、
小林秀雄の文章は、悪文っていうよりも、
読者をいたずらに考えさせるだけじゃないかな。
下手な文章というより、意味がわからない。
たいして小林の文章を読んだわけじゃないけど、
きちんと書けてると思う「無常という事」も、
なにかあれで読者に鎌倉時代か日本史かの、
新しい解釈をして欲しいと考えたんじゃないかな。
単純に日本史は、天皇の支配の歴史ってことで言えるのを、
ずっとトップは隠してるんだと思うよ。 >>146
吉本隆明はそっくりそのまま小林秀雄の文体。
同じ文体でも対象と視野角が違えば、論理的な文章になる。
気が向いたら、読んでみて。 小谷野敦は「日本人のための世界史入門」でこう指摘してる
「小林秀雄は、文藝時評を始めた時「アシルと亀の子」という題をつけたが、
アシルはアキレウスのフランス語読みである。
普通はアキレスとするところを、わざわざ一般人に分かりにくいフランス語を使ったのは、小林のこけおどしである。
吉本隆明も『マチウ書試論』で、普通は「マタイ伝」として知られるキリスト伝を
フランス語で「マチウ書」と言ったり、イエス・キリストを「ジェジェ」と
フランス語で読んだりしてこけおどしをしている。 米原万里は座談会 昭和文学史で
「レトリックに過ぎない文章があまりにも多いのに驚いた、というより呆れました。」
「これを批評として受け入れた日本人が不思議です。」
「最初から自分は「神様」だと思っていたのかしら(笑)。
神様には説明責任がないですからね。
何かを言えば、みんなが、ああごもっとも、仰せのとおりとひれ伏してくれますから。」
と手厳しい
井上ひさしは同じ本で、
「小林秀雄はパッと言いきっちゃうのですから、深みはなくても読者はスカッとする」
「実は小林秀雄は批評家ではないんです。詩人でもない、小説家でもない。
何かわけのわからないものを書く表現者なんです。」
と言ってる
しかし、何だかんだで座談会で100ページ以上も小林秀雄について語ってる 新潮は文庫で小林秀雄の新作出すぐらいだから
今でも売れてるだろ。
江藤淳 福田恆存 山本七平 吉本隆明 丸山眞男とかよりは読まれてるイメージかな。 哲学版参照。血統の話。種を年下女性に漏らした。該当者多い。文学板にも。 >>150
米原さんと井上さんは何か文学史に残る作品書いたんでしょうかねwww?
まさか、クソエッセーとかクソエンタメとかじゃwwww 小林秀雄は正直俺もわかりにくい感じだった。
俺の読解力の問題かもしれんが。
考えるヒントは割と面白かった。
1巻だけ読んだ。 浅田彰 七〇年代にはまだ小林秀雄が批評界の神様と見なされていたけれど、ぼくは大嫌いでした。「Xへの手紙」(三ニ年)のなかの、「女は俺の成熟する場所だった」という有名な一文を読んで、こんな恥ずかしいことを書くやつがいるのかと驚いた記憶があります。
要するに、共通の女をダシにして自分と中原中也の関係を語るというホモソーシャルな話でしょう。だからぼくは小林秀雄的なものを嫌い、その延長線上で吉本隆明や江藤淳を嫌っていた。だいたい、吉本なんて読んでもさっぱりわからないし・・・・・・ その線で行くと
近世の文芸の大半とか
漱石とか浅田には徹底的に叩いてほしいけど
そこには突っ込まないか 浅田って、ただ女にモテなかっただけじゃないの?
三島と同じ匂いがする。 > 論理的に考え抜いた末には、信仰しか残らぬ。
文学みたいな「浅い」ことしかやってないから、こんな青臭い考えを持つに至るんだよ
数学や物理学のような「本物」の学問をやろうな >>163
学問とは答えのない道を手探りで歩むこと。
答えのある数学や物理は、学問ではなく技術。 >>164
うわ
やっぱ文学なんかやってる奴って気持ち悪いな
(文学やりたいけど崩れて2chしかやること無い人なのかも知れないけど) >>165
真実から目を背けてはいけない。
学問とは、価値観の分析と新たな価値観の追及。
答えのあるものは学問にならない。 小林と浅田が対談してたら怒鳴り合いになってたかな? >>167
中上が入ってくれば、二人と怒鳴りあいを止めて慌てて逃げ出すだろう。 >>166
2chで受験コンプ発散する生活は楽しいか? 長谷川泰子は、グレタ・ガルボに似た面長美人というから、現代でいえば、綾瀬はるかみたいな顔かと思ったら全然違ってたでござる >>172
それだと、小林は文章を書くのが苦手、とも読めるな。
まず、日本語をきちんと書く訓練から始めれば、小林の文章を理解するのは簡単。 【 告知 】 浜崎洋介『小林秀雄の「人生」論』新刊記念イベント:危機の時代に小林秀雄を読む―日本近代150年目の批評
215 回視聴2021/12/16
https://www.youtube.com/watch?v=VYvAaaEoPfs でも結局高校の国語で小林秀雄に鍛えられたという人は多いんじゃないかな。
浅田彰だって食わず嫌いで批判しているわけではないんでしょ? >>174
浜崎のその本、読んだけどなかなか良かった
これと山崎行太郎『小林秀雄とベルクソン』は小林秀雄の批評を理解するうえでオススメ
(ちなみに水谷真人『批評と文芸批評と』は上の山崎の小林秀雄論を真っ向から批判しており、
山崎と水谷の2冊を読み比べてみることによっても得られるものは大きいだろう) 小林秀雄「真贋」についてお尋ねします。彼が買った呉須赤絵の皿は結局、本物なのでしょうか?
@青山ニ郎に偽物と断定される。
A壺中居の主人が小僧にその皿を見せて「これイケないんだから見とけ」と言う。
Bまもなく佐々木茂策(作家)が購入。
C"青山が、どうしてあのときあんな間違いをしたか、いまだにわからない。"
@Aは偽物を示し、BCは本物であることを示しているように思います。 (記号を書き直し)
小林秀雄「真贋」についてお尋ねします。彼が買った呉須赤絵の皿は結局、本物なのでしょうか?
(1)青山ニ郎に偽物と断定される。
(2)壺中居の主人が小僧にその皿を見せて「これイケないんだから見とけ」と言う。
(3)まもなく佐々木茂策(作家)が購入。
(4)"青山が、どうしてあのときあんな間違いをしたか、いまだにわからない。"
(1)(2)は偽物を示し、(3)(4)は本物であることを示しているように思います。 >>150
レトリックに過ぎない文章を最初に批判したのが坂口安吾だな
王様は裸だと 俺は安吾のぶっきらぼうな単刀直入な思想のほうが好きなんだが通ぶりたい研究者はみんな小林を褒めるよね
教祖の文学で実朝の和歌なんて俺には全然おもしろくねえ、宮沢賢治のこの詩のほうが俺は感動する、と平易な言葉で書かれた詩を引用していた >>178
そのエッセイわかりにくいですよね。美術館巡りを趣味として20年の私なりの解釈です。
もちろん呉須赤絵の皿もよく知っています。
(記号を書き直し)
小林秀雄「真贋」についてお尋ねします。彼が買った呉須赤絵の皿は結局、本物なのでしょうか?
(1)青山ニ郎に偽物と断定される。←青山二郎は実物を見もせずに偽物だと断定している。なのでこの時点で青山の間違い。
(2)壺中居の主人が小僧にその皿を見せて「これイケないんだから見とけ」と言う。←小僧は修行中の身分、壷中居の主人は本物をあえて「偽物だ」と言って見せることで小僧に勉強させようとした。
(3)まもなく佐々木茂策(作家)が購入。←佐々木茂策氏はもちろん本物だと知って購入。
(4)"青山が、どうしてあのときあんな間違いをしたか、いまだにわからない。"←実物を見ずに小林の話だけで偽物だと早計に断定してしまったから。
ゆえに呉須赤絵の皿は本物です。小林秀雄は自分と同じレヴェルの頭と知識の持ち主と会話するように文章を書くので、その知識を共有していないと
文章がわかりにくいことこのうえないんですよ。 小林以降、重要な批評家といえば柄谷か
でも柄谷は今、文学とかかわってないからなぁ >>183
重要なのは吉本隆明だろ。
吉本と比べれば、柄谷はその他大勢のひとり。 小林とか吉本って外国で知られてる?
柄谷が引用されてるのは見たことがあるけど
よう知らんけど >>185
外国で知られることが内容の評価になる? >>183
そういやフランス語は小林秀雄より坂口安吾の方が上だろうと柄谷行人が言ってたな >>188
いや、それが評価のすべて、という考え方なら、それはそれでいい。
僕とは無縁の人だ。 日本の文芸批評って独特の性質があるからなぁ
外国だとそれに近い言論は「理論」と呼ばれるんだろうけど、厳密にはそれともかなり違う 歴史の無限旋律は、統失の人が新しいタイプのをつくって、後は発展という名のパクリ。そしてまた統失。 小林秀雄は数学とか物理は、大に苦手だったでしょうね
ま、掛け算、割り算ぐらいは出来たでしょう。
物理學はダメでしょうね。 >>194
小林直系の批評家と言えば、吉本隆明だろ? ぼくは正直 どれも数冊読んだだけなので・・・・
が どの人も評価すべき人ではある気がします。 >>197
江藤と吉本では文体がまったく違う。
小林の文体そのままなのが吉本。 >>199
思想的には真逆じゃん
小林〜江藤は保守反動
吉本はバリバリの左翼 >>200
吉本隆明というのは、左翼のようでいて、実は天皇崇拝の右翼。
ジェンダーフリー、自然保護などの左派的政策を強く批判し、旧ソ連、中国、そして日本の共産党に対して徹底して敵対していた。
元左翼の小林とも通じるところがある。 >>201
現代における吉本隆明は、
そうなると東浩紀あたりになるだろうか
茂木健一郎も近い気がするが(笑) >>202
東浩紀と似ているのは、糸井重里じゃないかな。
吉本の右翼志向は、戦前に天皇の姿を遠くから見たことによるようだ。
戦後は左翼に転向したかに見えたが、結局は右翼のままで、時代に合わせていただけ。
裏返して近いのは三島由紀夫だね。 天皇制は異常に強いからね。
あの辺見庸でさえ上皇をパレードで見かけた時に思わず手を振ってしまったことがある
ぐらい 小林秀雄が戦争について述べている文章のまともさに、
左翼史観で戦争を反省することが常に正しいと思っていた昔は気が付けなかった。 ゴッホの手紙の結論が読んでみなけりゃわからいって描いてあったからな
本居宣長は本居宣長の研究は今後の若手教育に期待と結論してたかな
最初から批評家は無視して原典をあたる大切さは学んだわ 『江藤淳文学集成〔新編〕』第2巻 小林秀雄論集 河出書房新社
I 小林秀雄‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 7→『小林秀雄』
第一部‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 9
第二部‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 134
参考書目‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 253
II 評論・エッセイ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 257
サルディスの壷‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 259→江藤淳『犬と私』
「作家の顔」‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 260→小林秀雄『作家の顔』(新潮文庫)解説
「Xへの手紙・私小説論」 ‥‥‥‥‥ 264→小林秀雄『Xへの手紙・私小説論』(新潮文庫)解説
「ドストエフスキイの生活」‥‥‥‥ 268→小林秀雄『ドストエフスキイの生活』(新潮文庫)解説
「無常といふ事・モオツァルト」‥‥ 272→小林秀雄『無常といふ事・モオツァルト』(新潮文庫)解説
「私の人生観」‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 279→第四次小林秀雄全集『第九巻 私の人生観』解説
「ドストエフスキイの作品」‥‥‥‥ 286→第四次小林秀雄全集『第六巻 ドストエフスキイの作品』解説
「考へるヒント」‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 293→小林秀雄『考へるヒント』(文春文庫)解説
「考へるヒント」2 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 297→小林秀雄『考へるヒント2』(文春文庫)解説
「考へるヒント」3 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 301→小林秀雄『考へるヒント3』(文春文庫)解説
小林秀雄氏の「本居宣長」‥‥‥‥‥ 304→『小林秀雄 江藤淳 全対話』 (中公文庫)
言葉と小林秀雄‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 307→江藤淳『批評と私』、『小林秀雄 江藤淳 全対話』 (中公文庫)
III 小林秀雄との対談・講演‥‥‥‥‥ 317
美について‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 319→『小林秀雄 江藤淳 全対話』 (中公文庫)
孤独を競う才能‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 329→『小林秀雄 江藤淳 全対話』 (中公文庫)
歴史と文学‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 331→『小林秀雄 江藤淳 全対話』 (中公文庫)
歴史について―現代人が見失ったもの‥‥ 349→『小林秀雄 江藤淳 全対話』 (中公文庫)
「本居宣長」をめぐって‥‥‥‥‥‥ 388→『小林秀雄 江藤淳 全対話』 (中公文庫)
小林秀雄と私‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 401→江藤淳『批評と私』
*著者のノート‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 420 創価学会のルノワール事件にも通じる話。絵画や骨董といった美術品の場合、譲渡や相続の税金はどうなるんだろう? 価値(金額)を決めるのは鑑定士でしょ? なら、そいつに裏金を支払ったら?
本物を偽物だってことにしてしまえば、譲渡税、相続税が大幅に浮く。そういう商売をしていたのが小林秀雄