二松学舎は数ヶ月で中退していて、その時期に漢籍を全て売り払って英語の勉強に移っている
この二松学舎を作ったのが三島中洲なんだけど、できてまだ数年、「むかしの寺子屋をそのまま、学校らしい処などはちっともなかった」と漱石は振り返っている

ここで漢文学で身を立てる時代ではないから漢文は独学でいいやと決心する

で、熊本赴任時代に漢文の専門家に師事して学びなおす