ドストエフスキーPart46 [無断転載禁止]
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前スレ
ドストエフスキーPart45 [無断転載禁止]
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1504199868/
カラマーゾフ以外の著作でも構いません、話しあいましょう。ドストエフスキー関連何でもあり。
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1504199868/_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured 原文読める人は得だね
英語ならまだしもロシア語はなかなか縁がない 多くの人が白痴の最初のほうが面白くないと
他の人も口汚く罵っていた
これはほんとに不思議なことだ
あるひとは素晴らしいと感じ、別の人は「ひどい」とおもう。
だが、事実として、あるのだ >>106
傾向と好みの問題だからね
求めるものとは、自分に不足しているもの保管したいものと同義だから感性の問題なんだろう
白痴は世界最高峰の恋愛小説なんて言われるように恋愛の側面もある
だからこそ好き、という人もあるし、だからこそ他がいい、という人もいる
いずれにせよ白痴が好きな人は美しさが何かに興味ある人じゃないかと憶測してるよ、もちろん勝手な心理的印象だけれども たとえば埴谷雄高のように思想的側面に評価を下す人は「白痴」を好む
逆にバフチンのように構成や手法に評価軸を置く人はそれほど好まない
といってもポリフォニー小説としては不十分という独断に過ぎないんだけどね 誰でも人生にある共通のテーマを取り上げているんじゃないの。手抜きして。 共通のテーマかなるほど
しかしそれを書くのではなく、見つけるのが難しい 民衆 の 中 には 忍耐 強い 無言 の 悲しみ が ある。
それ は 自己 の 中 に 潜ん で、 じっと 押し黙っ て いる 悲しみ で ある。
ところが、 また 張り裂け て しまっ た 悲しみ が ある。 それ は いったん 涙 とともに
流れ出 てから、 もう 永久 に 経文 でも 唱える よう な 愚痴 の 形 を とる もの で ある。
こんな のは 特に 女 の 方 に 多い。 しかし、 これ とても 決して 無言 の 悲しみ より
忍び やすく は ない。 愚痴 は 自分 の 心 を 更に 毒し、 いっそう 掻きむしる こと によって、 ようやく 悲しみ を 紛らす ばかりで ある。
こうした 悲しみ は 慰藉 を 望ま ない で、 救い 難い 絶望 の 情 を 餌食 に する もの で ある。 愚痴 は ただ ひっきりなしに 傷口 を 突っつい て い たい という 要求 に すぎ ない。 スレチだけど最近の政治はオーウェルの描いた歴史修正主義を見ているようだ
無知は力なり たとえば農奴解放令(1861)、南北戦争(1861〜65)、インド大反乱(1857〜1859)
といった具合に資本制社会への本格的移行と身分制社会の崩壊が1860年前後に起っていて
日本の明治維新もその影響を受けている
この震源は?というとやはりヴィクトリア朝の覇権主義だろう
基本的に世界はつながっているので強大な軍事国家が登場と覇権拡大は
周辺諸国の再編成と軍事化を触発する
ドスト作品なら「悪霊」の時期で
国権拡大を主目的とする西欧化(自由化政策)によって
身分的制約の緩みと集中化が同時並行的に進んでいく
新知事でドイツ系のフォン・レンプケがピョートルに
政府の命令で締め付けもすれば緩めもするといっているのはそういうこと
知事夫人は新世代をコントロールできると己惚れていたけれど
これはその当時のロシア政府の考えでもあるわけだね >>117
世界歴史への巨視的な視点をありがとうございました
もっと書いてください
さらにまた作品本文への考えも書いてください 雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾 ハナク
決シテ 瞋 ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日二玄米四合ト
味噌卜少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ 萱 ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイイトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ わたしは これは アレクセイのことを言っていると思う 死んだ智恵子が造つておいた瓶の 梅 酒 は
十年の重みにどんより 澱 んで光を 葆 み、
いま 琥 珀 の杯に凝って玉のやうだ。
ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、
これをあがつてくださいと、
おのれの死後に遺していつた人を思ふ。
おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、
もうぢき駄目になると思ふ悲に
智恵子は身のまはりの始末をした。
七年の狂気は死んで終つた。
厨 に見つけたこの梅酒の 芳 りある甘さを
わたしはしづかにしづかに味はふ。
狂 瀾 怒 濤 の世界の叫も
この一瞬を犯しがたい。
あはれな一個の生命を正視する時、
世界はただこれを遠巻にする。
夜風も絶えた。 まだ読んでないが、ムイシュキンは死んでいく肺病病みの若者に対して
「どうか私達のそばを通り抜けてください。そして私達を許してください」と言うらしい。
妻を喪った高村光太郎の心情は、どんなだろうか?そして、私達がそれを体験する番になった時、私達は耐えることができるのだろうか? >>123
それはきっと世界に取り残されたような気分だろうね
その肺病の若者は、死が近いものは生者に与されたあらゆる環境とは無縁だと感じてこういう
とても印象的で悲しく感じたし、共感した人もきっと多いんじゃないかな
「ああ、この蝿でさえも、自分のあるべき居所を心得、この宴のコーラスの一員であるのに、僕一人だけが除け者なのだ。」 >>124
> 「ああ、この蝿でさえも、自分のあるべき居所を心得、この宴のコーラスの一員であるのに、僕一人だけが除け者なのだ。」
どんなに不幸と自分で思えても、また実際に重い病気や障害や孤独老齢であっても
この人生を笑い飛ばしていくしかないよな! 病人 を 聖体 の 傍 へ 連れ て 行く やいなや、 今 まで 荒れ狂っ たり もがい たり
し て い た もの が、 急 に 治っ て しまう という 奇妙 な 事実 も、『 あれ は た
だ の 芝居 だ、 ことに よっ たら『 インチキ坊主 たちの 手品 かも しれ ぬ』 と
人 は いう けれど、 おそらく きわめて 自然 に 生じる ので あろ う。
----------------------------------------
つまり 病人 を聖体 の 傍 へ 連れ て いく 女 たち も また 病人 自身 も、 こうして
聖体 の 傍 へ 寄っ て 頭 を 屈め た とき、 病人 に 取り 憑 い て いる 悪霊 が、 どう
しても 踏みこたえる こと が でき ない もの と、確固とした 真理 かなんぞのように
信じ 切っ て いる。
----------------------------------------
それ ゆえ 必然的 な 治療 の 奇跡 を 期待 する 心 と、 その 奇跡 の 出現 を 信じ き
っ て いる 心 とが、聖体 の 前 に 屈ん だ 瞬間、 神経 的にそしてもちろん精神的に
も病める女の 肉体 組織 に、 非常 な 激動 を 惹き 起こす ので あろ う( い な、 惹
き 起こす べき はず で ある)。
かよう に し て 奇跡 は わずか の 間 ながら 実現 する ので あっ た。 長老 が 病人
を 袈裟 で 蔽う た とき、 ちょうど これ と 同じ こと が 生じ た ので ある。 長老
の 傍 近く 押しかけ て いる 女達 は、 その 瞬間 の 印象 に 呼び 醒さ れ た 歓喜 と
感動 の 涙 に 暮れ た。
(我)
この部分でもっとも大切なのは---------で囲ったところと思う。
ゾシマ自身も、狂い女も、病人を連れていく女たちも、一同に「確固とした 真理」として「信じ 切っ て いる。」
奇跡 は「わずか の 間」ながら 実現 する。「わずかの間」ということに注目せよ。
たとえ「わずか」であっても、女達 は、 その 瞬間 の 印象 に 呼び 醒さ れ た 歓喜 と 感動 の 涙 に 暮れる。
この場合治ることよりも重要なのは、「 歓喜 と 感動」なのである。それがあればこそ、狂い女の病をも喜んで周囲が支えいくのである。 ロシアって劇的だよね
狂気と正義が同居してるっていうか
最近の日本の内政はは平凡だけど平和に思える
ロシアや旧ソ連なら文書改竄なんて日常過ぎて目も止まらないだろうし、何が問題なのかすら覚えない
日本はかなりましなのかもとドストエフスキー読んでると思ってくる 首相の靖国神社参拝について。
https://www.youtube.com/watch?v=ynh0taw_B4Y
国内に「死を望まれている男」はいるではないか?
「謙虚であることと、言葉が明確であること」 「 民衆 の 中 には 忍耐 強い 無言 の 悲しみ が ある。」について。
母 の なげき は 大変 な もの である。ゾシマはどの よう に 励ますのか。
長い引用 になるが、母の言葉とゾシマの言葉を、ほぼ全文。
----------------------------------------------------------------
「何 を 泣い て おる の じゃ な?」 「息子 が かわいそう なので ござい ます、
長老 様、 三つ に なる 男の子 で ござい まし た。 三つ に、 たった 三月 たり
ない だけで ござい まし た。 息子 の こと を 思う て、息子 の こと を 思う て
苦しん で おる ので ござい ます。 それ も たった 一人 残っ た 子 で ござい ま
し た。 はじめ ニキートカ との 中 に 四人 子供 が あり まし た が、 どうも わ
たくし ども では 子供 が 育ち ませ ん。 どうも 長老 様、 育た ない ので ござい
ます。 上 の 三人 を 失う た とき は、 それほど かわいそう とも 思わ な ん だ
ので ござい ます が、 最後 の この 子 ばかりは、 どうにも 忘れる こと が でき
ませ ん。 まるで こう 目 の 前 に 立っ て 退か ない ので ござい ます。 もう すっ
かり わたくし の 胸 ん 中 を 日干し に し て しまい まし た。 あの 子 の 小さな
シャツ を 見 ても、 着物 を 見 ても、 靴 を 見 ても、 おいおい 泣く ので ござい
ます。 あの 子 の 後 に 残っ た もの を 一つ 一つ 広げ て み ては、 おいおい 泣く
ので ござい ます。 「何 を 泣い て おる の じゃ な?」
------------------------------------------------------------
「ああ、 あれ は 遠方 の 人 じゃ!」 決して 年取っ て いる のでは ない が、
恐ろしく 痩せ ほうけ て、 日 に 焼け た と いう より まっ黒 な 顔 を し た 女
を 指さし て、 彼 は こう 言っ た。 この 女 は 跪い て じっと 眼 を 据え た
まま、 長老 を 見つめ て い た。 その 眼 の 中 には なんとなく「気ちがいじみた 色 がひそんでいた。」(引用者カッコ付け)
(我)「何 を 泣い て おる の じゃ な?」とさり気なく訊いているように見えるが、たぶんそうではない。
ゾシマは女たちの群れから、最初からこの女房の「最愛の子供をなくし 茫 然 自 失にうちひしがれた、狂的なまでの悲しみと絶望」を見て取っていたのだ!
当然と言えば当然であるが、のべ何万人の民衆の告解を聞いてきた彼にとっては、瞬時にその魂の状態を見抜くのである。(このことはカラマーゾフ本文にドストが解説している)
そして想像するに、たとえ聖人ゾシマたりとも、この種の絶望と悲しみを癒やすのは、
容易な技ではないのである。しかしまた、それこそが『天が彼に与えたもう所の使命』なのだ。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) キリスト教は「生まれたての子供が死んだら地獄に落ちる」のはずだが
ドストは真っ向から否定してるみたいだな >生まれたての子供が死んだら地獄に落ちる
ひどい話だな 142 名前:本当にあった怖い名無し [sage] :2018/03/18(日) 01:22:18.62
キチガイRAPTが信仰してる相手
https://i.imgur.com/
O8jlwaL.jpg
バチカンが悪魔崇拝組織である事は明白な事実です
キリストも悪魔の子です
世の中すべて悪魔崇拝だらけです
イルミナティのマークだらけです >>127
> ロシアって劇的だよね
> 狂気と正義が同居してるっていうか
ぼくは日本人ももちろん、人間生命のドラマそれ自体が劇的だと思う。
それを活写する筆致がドストにはあり、そして彼はロシア人で、それゆえに
知る人にとってはロシア人の文化レベルの高さが世界的に尊敬されるのだと思う。
知らぬ人にとっては単なる「ろすけ」ということになると思う。
たった一人のドストなり、トルストイなり、チャイコフスキーの存在が、全国民の名誉となりうる。
このことは、韓国にも当てはまる。かの国民の一人が「いかに人知れず努力し、生命の犠牲も厭わぬほど他人に尽くしている」といったような人物がいることをしれば
自然とバカげた差別はなくなる。
... またその一方で いわゆるネトウヨ的言辞というのはひとつの「プロ野球のひいきのチームみたいなもん」とも考えられる。
そういう気分は『誰でも少しはある』神経質になる必要はないとも言える。 急激な西欧化によって
西欧化の進んだ貴族層では旧世代
そして民衆との乖離が生じ
やがて若者を中心に虚無感が蔓延し
社会の不安定会につながる
19世紀ロシア文学はだいたいこのパターン
日中韓の近代文学にも似たような問題意識は見られるが
ロシア文学ほどの緊張感は生じない
とくに日本の場合はロシアはもちろん
中韓よりも土俗的なものに対するこだわりはない
それがアジアの土候国でありながら近代化に成功した最大の理由であるが
西欧文化の深奥(というほどのものでもないのだが)を理解できない理由でもある
たとえば契約や信義則というのは宗教起源の倫理的なものなのだけど
それがよく理解できないので日常生活レベルでもすぐに化けの皮が剥がれる
契約はたとえ口約束であっても契約であり、
たとえ書式を介さずとも厳守すべき事項であり
主体の一貫性と人格のの正しさの裏付けでもある
そういう事すら理解していない
日本人全体がその程度のものだから現在国会で演じられているような醜態も
基本的に茶番に過ぎない
糾弾している側も大した倫理感は持ち合わせていないからね 685 吾輩は名無しである[] 2018/01/03(水) 03:07:29.28 ID:uXdoiOv+
彼女は何故あの時、モロにパンチラしたのか?
それも純白
https://i.imgur.com/XySaAyM.jpg
686 吾輩は名無しである[] 2018/01/03(水) 03:08:51.29 ID:uXdoiOv+
貴重な証拠写真です
故に、残念ながら純白パンティは、お見せできません
悪しからず
687 吾輩は名無しである[] 2018/01/03(水) 03:18:36.24 ID:uXdoiOv+
その通りです
作家にも色気(パンチラ)は必要です
https://i.imgur.com/PZpZTCK.jpg
↑抜けるわ アニメ。
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2018/03/post-0321.html
アニメの主人公は常に「イエスキリストの息子」である。
息子は「おじいさんのための聖戦」を行い、生まれながらの東大生である。
天使たちが取り巻いても父に潰され、母に甘えるのが下手でも父に潰される。
問題は「どれほど多くの時間が与えられるのか?」という問題だ。
神は死んだか?そうだ、未開の地では死んでいるのだ。 >>138
> 急激な西欧化によって
> 西欧化の進んだ貴族層では旧世代
> そして民衆との乖離が生じ
> やがて若者を中心に虚無感が蔓延し
> 社会の不安定化につながる
> 19世紀ロシア文学はだいたいこのパターン(ミスタイプと思われる修正)
----------------------------------------------------------------
自分が熱中して読んだカラマーゾフ・罪と罰・白痴の一部、そのほか少々から
考えて首肯できます。
民衆との乖離が生じれば、当然の結果として、若者に虚無感が蔓延することでしょう。
これはそのまま今時の日本社会に当てはまりはしないか?不安定化というよりも「無気力化」として。
> とくに日本の場合はロシアはもちろん
> 中韓よりも土俗的なものに対するこだわりはない
「土俗的なものに対するこだわり」とはなんでしょうか?ドスト作品でいえば
たとえばどういうこと?
> 西欧文化の深奥(というほどのものでもないのだが)を理解できない理由でもある
> たとえば契約や信義則というのは宗教起源の倫理的なものなのだけど
キリスト教由来の独特なものであることはわかります。しかし見方を変えると
むしろ唯一神信仰的なものこそ劣ったものであるという考えもあり得ると。
キリスト教伝来時の日本人や明治のひとは「西欧近代文明は凄い」のに
「キリスト教は子供だましのお伽話」との印象を持った、と聞いたことがあります。
「この乖離はどこから来るのか」と。
> 契約はたとえ口約束であっても契約であり、
> たとえ書式を介さずとも厳守すべき事項であり
> 主体の一貫性と人格のの正しさの裏付けでもある
これはまさに宗教的なものが日常的なものの根幹にあるということですね。 >>138
たしかにヨーロッパや古代ギリシャなんかは歴史をたどると、国会を運営する政府または王は神の代理という考えがあるね
王権神授説によって国会の行為はすべて正当化される
今ある社会は最善の神の意志による状態なんていってもいい(この辺はちょっと前にあった最善論とかも思わせれるw)
でも、日本はそもそも神の概念がない
いったいなんの根拠を持って倫理と議会の正当性を謳っているのか疑問でもある
>糾弾している側も大した倫理感は持ち合わせていないからね
ここはすごく分かる
お互いの正しさは何なのかがお互いに不明
正しさは強者の利益なんていう輩は家畜の心理みたいといったソクラテスの皮肉に共感する 日本は天皇は天から下った人間だし中国の天子の意味もそうだろう 信仰を皆で共感したり共有したりする作業は楽しいものだ。
なぜかロシアのキリスト信仰も日本人も理解共感ができることに
喜びを覚えずにはいられない。神に感謝。 特に意図はないんだけど、正しさと力の定義について思い出した言葉があるので勝手にコピペしてみるよ
「正しいものに従うのは、正しいことであり、最も強いものに従うのは、必然のことである。
力のない正義は無力であり、正義のない力は圧制的である。
力のない正義は反対される。なぜなら、悪いやつがいつもいるからである。正義のない力は 非難される。したがって、正義と力とをいっしょにおかなければならない。そのためには、正しいものが 強いか、強いものが正しくなければならない。
正義は論議の種になる。力は非常にはっきりしていて、論議無用である。そのために、人は正義に力を与えることができなかった。なぜなら、力が正義に反対して、それは正しくなく、正しいのは自分だ と言ったからである。
このようにして人は、正しいものを強くできなかったので、強いものを正しいとしたのである。」
パスカル、パンセより
強いものの為ではなくて、原理的に必要を求めている弱者に正義が向けられるような平和な世界になるといいね、現実的には難しいことだけども >>147
呉音読みでアクリョウと思います、たぶん。 正義と力。
ゾシマに当てはめて考えてみる。僧院内において強い権力と名声を持つ。
正しいから信じられているのか、最強の権力だから従うのか。
民衆はどうなのか。僧院の権力は、民衆にはおよばない。
哲学的な言葉とちがい、ゾシマがそこにあるかのように、僕には感じられる。
これこそドストやトルストイやダンテの文豪の力だ。
頭フラフラだァ。寝る直前に書いた。変だけど許せ! フョードル「ミーチャなぞわしの一物で毎晩ヒィヒィ言っておるわ」 >>149
正しいから従うのではなくて強いから従う、これはこの世の自然摂理なのかもしれないね
アリョーシャですらゾシマの権威や神秘に魅了されていた部分もあるだろう
サド伯爵は、正義とは強い者の利益であると言った
白痴のムイシュキンはこの定説に従えず、自分の美意識(正しさ)に従ったためにこの世で破滅したとも読める
一方で、罪と罰のラスコリニコフは強者の摂理のもを求めて破滅した
ようはバランスの問題なのかもしれないとも思えるね サドはマルキつまり侯爵だよ
ニワカ知識で知ったかぶるから こんな恥ずかしい間違いを犯すんだよ 241 名前:本当にあった怖い名無し :2018/03/21(水) 12:12:37.02 ID:tAyAvKji0
これ↓気になるね。
チャンネルくらら
https://youtu.be/N3kLPCSWhmQ
25分以降に注目。
・森友問題が(本当に)まさかの展開になる。衝撃の一打があの方から
・衝撃は最速で明後日(文春や新潮の早刷りとか全く関係なし)。遅くて3月25日。
・“NIの会でなくOIの会です”との事。やっとわかってくれた。安倍辞めろデモはもうやらない方がいい。
・一年前に業者の方がお亡くなりになった時、先日の近畿財務局の方の時、私が誰よりも早く報告した。その私が言っているのだから間違いはない。野党も市民運動家も間違えるな。 安倍首相も昭恵夫人も“全く”悪い事はしていない。 デモなどやめた方がいい。 >>152
> アリョーシャですらゾシマの権威や神秘に魅了されていた部分もあるだろう
それは違う。アリョーシャはゾシマの権威に従わないことができた。完全に自由だった。
ゾシマを取り巻く崇拝と尊敬、それに加えて「見せかけの権威と神秘ではない」ことを
自分で体感して知ったがゆえに、長老こそ「究極の理想」にして「最高の正義」と覚知した!
そして「愛に燃えた」
彼の下へ集う民衆も同じである。僧院内の他の僧侶もいっしょである。
強さで従わさせのではない。ゾシマは知力で押さえつけたのではない。パワハラでコントロールしたのでもない。
たとえば、カラマーゾフ本文中に「長老とはなんぞや?」という章がある。あとで引用して
説明させてくれたまえ! この 制度 が 私達 の 町 の 郊外 に ある 僧院 で、 いつ 誰 によって 始め られ た
かは、 確言 する こと が でき ない。 しかし ここ の 長老 は もはや 三代 も つづい
て、 ゾシマ は その 最後 の もの で ある。 しかるに この 人 が 老衰 と 病気 の ため、
ほとんど 死に なん なんと し て いる にも かかわら ず、 誰 を 後継者 と し たら い
い か わから なかっ た。 これ は 僧院 にとって 重大 な 問題 で あっ た。 なぜなら、
この 僧院 には これ まで 何 ひとつ 有名 な もの が なかっ た。 聖僧 の 遺骨 も なけ
れ ば、 霊験 あらたか な 聖像 も なく、 国史 に 縁 の ある おもしろい 伝説 も なけれ
ば、 歴史的 勲功 とか 国家 に対する 忠勤 とかいう もの も ない。 それ にも かかわら
ず、 この 僧院 が 隆盛 を きたし て、 ロシア 全国 に 名 を 響かし た のは、 取り も
直さ ず この 長老 の お陰 で あっ た。 彼ら を 見 たり 聞い たり する ため に、 ロシア
の 全土 から 多く の 巡礼 者 が、 千里 を 遠し と せ ず、 群 を なし て この 町 へ 集ま
っ て 来る ので あっ た。
-------------------
冗長な引用になるが、上のような状況だ。ではなぜ、「ロシア全土 から 多く の 巡礼 者 が、 千里 を 遠し と せ ず、 群 を なし て この 町 へ 集まっ て 来る のか」 > ところで、 長老 とは 何 かと いう に、 これ は 人 の 霊魂 と 意志 を 取っ て、 自分 の 霊魂 と 意志 に 同化 さ せる もの で ある。
人 の 「霊魂 と 意志」を 取っ て、 自分 の 霊魂 と 意志 に「 同化さ せる」
何のために?
>人 は いったん ある 長老 を 選び出し たら、 全く おのれ の 欲望 を 断ち、 絶対 の 服従 を もっ て、 長老 に 自分 の 意志 を 捧げる ので ある。
これも、「何のためか?」
> 願かけを し た 人 は 長い 苦行 の 後 自己 を 征服 し、 かつ 制御 する 日 が 来る のを 楽しん で、 こうした 試練、 こうした 恐ろしい『 人生 の 学校』 を、 自ら 進ん で 双肩 に 担う ので ある。
「願かけを し た 人 」は最初は相対的幸福から「願かけ」するのであろう。たとえば、一軒家に住みたいとか、病気が治りますようにとか。
しかし、長老との「 長い 苦行 」をへて、より絶対的本質的な幸福を希求するようになるはずである。
それは「自己 を 征服 し、 かつ 制御 する 日 が 来る のを 楽しんで待つ」という希望です。
この大きな希望があるがゆえに「 自ら 進ん で」 双肩 に 担う。
強制ではないんです。この試練に負けるときもあるし、負けるプロセスがまた大事だ。
それは長老との一対一 の関係性から習得される?「なぜできなかったか?」
>この 生涯 の 服従 を通じて、 ついに は 充実 し た 生活 と 完全 な 自由、 即ち 自分自身 に対する 自由 に 到達 する。 そして 一生涯 の あいだ 自己 を 発見 する こと の でき ない 人々 と、 運命 を ともに する のを 避ける こと が できる ので ある。 >この 生涯 の 服従 を通じて、 ついに は 充実 し た 生活 と 完全 な 自由、 即ち 自分自身 に対する 自由 に 到達 する。 そして 一生涯 の あいだ 自己 を 発見 する こと の でき ない 人々 と、 運命 を ともに する のを 避ける こと が できる ので ある。
------------------
この末文は特に大事だ。
「生涯 の 服従 を通じて」はじめて「 自分自身 に対する 自由 に 到達 する」とある。
私達はすべからくこうした信仰生活へ入らなければならぬ。 三浦海岸の海開きを待て。
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2018/03/post-b7a3.html
キルケゴールは「週末に女のこと会える」から教会に行った。
しかし、カントは「地球という惑星が作り出す波の音」を作り上げ、男女の「セックスへの旅」
を作り上げた。
ニーチェのように「神は死んだ」と思うのであれば、父親も海は認めてくれるだろ。 >>159
服従や信仰や人間革命以外に
この世には たしかに 女というものがあるね
そうしてそれは 偉大な深遠なもの だね >>153
> サドはマルキつまり侯爵だよ
> ニワカ知識で知ったかぶるから こんな恥ずかしい間違いを犯すんだよ
そんな知識など必要ない。恥ずかしくもない。彼が一流の教養人で かつ善良な人間であることをよく知っているだろう?
なぜ、場違いな煽りを入れるんだ? 力が正義って凄い理屈だな内容関係ないしブラック企業とか相撲界には下の人間にはクソみたいな理屈だな >>152
> 正しいから従うのではなくて強いから従う、これはこの世の自然摂理なのかもしれないね
これを仏法では「畜生」とよび、動物界そして人間界の当然の真理というか、紛れもない一側面です。
> アリョーシャですらゾシマの権威や神秘に魅了されていた部分もあるだろう
アレクセイも人間の一部ですから、当然その通りですね。
> サド伯爵は、正義とは強い者の利益であると言った
佐渡 読んだこと無いしw 、何が含意されてるのか、この一文だけではわからない。
> 白痴のムイシュキンはこの定説に従えず、自分の美意識(正しさ)に従ったためにこの世で破滅したとも読める
そうですね!俺もそう思います
> 一方で、罪と罰のラスコリニコフは強者の摂理のもを求めて破滅した
> ようはバランスの問題なのかもしれないとも思えるね
あらためて罪と罰や白痴も精読しないと、そう感じた。 >>162
> 力が正義って凄い理屈だな内容関係ないしブラック企業とか相撲界には下の人間にはクソみたいな理屈だな
それが現実だからこそ!そうでばかりあっては僕達は不幸になるから、人間は宗教や哲学や、そのほか ありとあらゆる形而上学を生み出してきたんじゃないですかっ? 一知半解で、カキコの表面しか見えず
例えばもし俺が論理的整合してない文を書き、批判されたとして
俺が悲しむ以前にドストが悲しむぜ!
なぜなら、俺達はドスト読みだからだぜ!
ドストはナ、言葉の表面ではなく、魂の森厳を見極めたマナコを持っていたんだ
だから末弟のおれたちも、その一分を持つし、また持たねばならんのだ! >>153
訂正どうも、高位を適当に確かめず打っちゃたわ
>>161
ありがとう
>>162
そういう姿勢で力のみを否定できる人間が増えることを願うよ自分も ドストが生きてた時代って1コペイカで何が買えたのでしょうか サド/マゾといった精神分析学的類型化は亀山郁夫の得意技だけど
それで整理できるのかは疑問 >>168
> 池田大作とどっちが偉大ですか??
難しい。偉大の定義による。文豪という点ではもちろんドストだ。しかし、大衆指導者として
膨大な数の創価学会員の精神生活に多大な影響を与えているというこの事実は否定しようもない。 >>167
> ドストが生きてた時代って1コペイカで何が買えたのでしょうか
これは僕も前から気になってました、疑問でした。1ルーブリっていくらなんかな?って
主要作品を丹念に読んでいって比較類推していけばいいんじゃねぇ? >>169
> サド/マゾといった精神分析学的類型化は亀山郁夫の得意技だけど
> それで整理できるのかは疑問
本家のジグムント・フロイトの著作ちょっと目を通したけど、あれだってドストの真実を捉え切れてるとはおもえない。天才ですらそうなのに凡才は当たり前田のクラッカー!!w 俺は早くID:RkJo2X+9のカキコが見たい
早くしてくれ!! 地下室の手記 第一部 フョードル・ドストエフスキー
第四章
『は−は−は!さあこうなっては君は歯痛にも快楽を見出すぞ!』と君は笑って叫ぶ。
−だから何?歯痛にも快楽はある、と僕は答える。僕にはまる一月歯が痛かったこと
がある。だから僕はあるって知っている。もちろんその時は黙って腹を立てるのでは
なくうめき声をあげる。
ところがこのうめきは素直ではなく、このうめきは悪意を伴い、そしてその悪意が重
要なところでもある。このうめき声にこそ苦しむことの快楽も表現される。
そこに快楽を感じないならうめくことにもなるまい。これはよい例なので諸君、僕は
これを発展させよう。このうめき声の中には、まず第一に、この意識にとって屈辱的
な君らの痛みに目的など存在しないということが丸ごと表現されている。
すなわち丸ごと自然法則が。もちろん君らはそんなものにはつばをかけるだろうが、
それでも君らはそんなもののために苦しみ、一方そんなものの方は苦しみやしない。
敵が見つからないのに痛みは存在するという意識も表れている。さらに、歯医者が
総がかりになっても、君らは完全に自分の歯の奴隷であるという意識、誰やらが望
めば君らの歯痛もおさまるが、望まなければそのままさらに三ヶ月も痛むだろうと
いういう意識、そしてとどめには、君らがなおも承知せず、それでも抗議するとい
うなら、君らに残されているのは自らの慰みにただ我と我が身を鞭打つか、君らの
壁を握りこぶしで厭というほど打つことだけであり、それ以上は絶対に何もないと
いう意識だ。
そう、そこで、まさにこの血まみれに傷ついた心から、まさにこのどこからとも知
れぬ嘲弄から、ついに、時には官能の絶頂にまで達する快楽が始まるのだ。僕は君
たちにお願いするが、諸君、いつかそのうちに歯痛で苦しむ十九世紀の教養ある人
間のうめき声を注意深く聞いていただきたい。 痛くなって二日目か三日目頃がいい。そうなるともう初日とは違ううめきが始まる、
すなわち単に歯が痛むからではない。野卑な農夫なんかのようにではなく、発達と
ヨーロッパの文明の影響を受けた人間がうめくように、今日の表現で言えば『土地
と民族の原点を放棄した』人のようにうめくのだ。
そのうめき声は不快で、下劣な悪意に満ちたものになり、何昼夜も徹して続く。それ
でいてうめき声が自分に何の利益も生まないことを自分自身わかっている。いたずら
にただ自分も他人も傷つけ苛立たせていることを誰よりもよくわかっている。さらに
は彼が精一杯のところを聞かせている聴衆だって、いや彼の家族全員もすでにうんざ
りしながらそれを聞いているわけで、少しもそれを本気にせず、彼が別のやり方で、
もっと単純に、小節抜き、酔狂抜きでできるのにただ腹立ち紛れの意地悪からそんな
ふうに悪ふざけをしているのを腹のうちではお見通しなことまで、彼はわかっている。
ところが、こうした意識や恥辱すべての中にこそ官能のにおいも含まれているのだ。
曰く、『僕はおまえたちを悩まし、心をかき乱し、家中眠らせない。そうだほら眠ら
なけりゃいい、僕の歯が痛い事をおまえたちも常に感じていればいいじゃないか。
今ではもう、僕はおまえたちにとって前にそう見られるように望んでいた英雄ではなく
、単に下劣な人間、ごろつきにすぎない。なにそれで結構じゃないか!僕は大いに嬉し
い、おまえたちにばれちまって。僕の卑しいうめき声はいやな感じかい?なに不快で結
構。そら今度はもっといやな小節をつけてやる・・・』これでもわからないか、諸君?
いや、どうもこれは深く発達を遂げ、意識を掘り下げねばならないらしいぞ、この官
能の味の屈折したところをすっかり理解するには!君らは笑うのか?大いに嬉しいで
すよ。僕の冗談は諸君、もちろん、調子は悪いし、ぎくしゃくして、つじつまがあわ
ないし、自信に欠ける。だがつまるところこれは僕が自分自身を尊敬していないから
だ。いったい意識する人間がいくらかでも自分を尊敬できるものだろうか? 1ルーブルは約1000円って書いてたサイトもあったわ 1.うめき声 に あらわれ て いる のは、 闘う べき 敵 の 姿 は 見え ない のに、 痛み は ある、
という 意識 だ。
2.いかに 優秀 な 歯科医 の ワゲンハイム 先生( 3) が 何人 かかっ ても、 自分 は 完全 に
歯 の 奴隷 だ という 意識、 誰 かが その 気 に なれ ば、 こちら の 歯 の 痛み は 止まる の
だ が、 その 気 に なら なけれ ば この まま さらに 三 ヶ月 も 痛み 続ける だろ う という
意識 だ。
3, そして 最後 に、 それでも なお 承服 し ない で 抵抗 する の なら、 後 は 自分 の 慰め の
ため に 己 が 身 を 殴りつける か、 さもなければ いや と いう ほど 拳骨 で 壁 を ぶっ 叩く
しか ない、 他 には 文字通り 何 一つ す べき こと が ない の だ という 意識 で ある。
4, さて、 こうした 血みどろ の 屈辱、 誰 から 投げつけ られ て いる のか わから ない よう
な 嘲笑 ゆえ に とうとう 快楽 の 感覚 が 始まり、 それ が ときには 官能 の 絶頂 を 極める
こと さえ ある の だ。
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別翻訳で。1,2,3,はその天才的筆致でよくわかるのだが、4,がわからない。なぜこれ
が「快楽」なのか、「 官能 の 絶頂」なのか?
誰か解説してくれ。 〈 俺 は お前 たち に 気 を 揉ま せ、 心 を 責め苛ん で やる。 家中 の 者 を 寝かさ ない ぞ。
さあ、 お前 たち も 眠ら ず に 俺 の 歯 が 痛ん で いる こと を、 毎分 毎秒 感じる が いい。
俺 は 今や、 お前 たち にとって、 かつて そう 見せ たい と 思っ た 英雄 なんか じゃ ない、
単なる 鼻持ち なら ない 役立た ず の ろくでなしだ。 それなら それ で かまわ ない さ!
俺 の 正体 を 見抜い て くれ て 大いに 嬉しい よ。 俺 の 嫌 らし いう なり 声 を 聞く のが
たまらない って? それなら それ で 結構。 これから は もっと 堪ら ない わざとらしい
節回し を つけ て やる……〉 と、 こんな 調子 だ。 どう だ 君たち、 これ でも わから ない かね?
ドストエフスキー よ!わからぬ。なぜこれが、「こうした 意識 や 屈辱 の 中 に こそ 官能的 な 喜び が ある」 のだ?
これのどこが「喜び」なんだ? >>174
この地下室の快楽についての箇所は、ドストエフスキーならではの日常の普段の何ら平凡な感情に価値を見出すやり方がハッキリ出ていて、らしさを感じさせられるね
たしかラッセルが快楽については言及している
幸福論だったと覚えている(違ったら訂正よろしくw)
いわく、退屈の反対は苦痛ではなくて興奮であり、退屈さえしのぐことができるなら苦痛という快楽でも構わないと 続き
ここからは持論になるけど、もし人間にとってやりがいが人生の内に必要であるならば、ストレスもその要素に含まれる
なぜなら、やりがいとは適度なストレスに他ならないし、ストレスとは苦痛の分類に置かれるものである
そうするならば、苦痛もまた快楽に他ならない
苦痛をあらわすことは自己顕示と注目をもらえるという、自意識にとっては何よりの褒美にもなるのかもしれないね おお、速攻レス、ありがとう
今夜遅くに返信する。もし生きていたならばwwww
オレ今 地獄の亡者状態なんだ >>180
> この地下室の快楽についての箇所は、ドストエフスキーならではの日常の普段の何ら平凡な感情に価値を見出すやり方がハッキリ出ていて、らしさを感じさせられるね
ここしか読んでない。歯痛のとこ。これって「日常の普段の何ら平凡な感情」とはいえんと思う。激痛やで?
らしさ全開だけど。
ラッセルの
> いわく、退屈の反対は苦痛ではなくて興奮であり、退屈さえしのぐことができるなら苦痛という快楽でも構わないと
苦痛をなめてる!金持ちの、健康人のたわ言の印象を受けてしまった >>181
君の持論のほうがラッセルより納得いったw また後で書く ぼくは何としても「ここにドストエフスキーの思考の秘密」というか「何かある」というか、そう感じるんだ。だからしつこく引用するんだ。
俺は丸ひと月も歯が痛んでいたんだ。だから、快楽があるのは知っているのさ。(快楽?)
この場合は、もちろん、黙ったまま腹を立てているわけじゃない。うめき声をあげるのだ。ただしこのうめ
き声は、あからさまなうめきではない。これは悪意のこもったうめき声なのだ。(悪意のこもった?)
この悪意がある点こそが肝腎だ。こういううめき声には、苦しむ者の快楽がにじんでいるものだ。
そこに(快楽を感じなければ、人はうめき声を出したりはしない。)(??)
<(自分の考え)以下の叙述はその通りその通りと。自分も無意識でこんな風に感じてるが、こんな文章化できない。
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これは君たち、いい例だから少し発展させよう。このうめき声には、まず第一に、俺たちの意識に
とって実に屈辱的なこの痛みの無意味さがにじんでいる。
つまり、自然法則という奴は、もちろんこちらはそんなものを気にしちゃいないのだが、それでも
やっぱりその自然法則ゆえに苦しめられているというのに、向こうはまるきり平気ときている。
うめき声にあらわれているのは、闘うべき敵の姿は見えないのに、痛みはある、という意識だ。
いかに優秀な歯科医のワゲンハイム先生が何人かかっても、自分は完全に歯の奴隷だという意識、
誰かがその気になれば、こちらの歯の痛みは止まるのだが、その気にならなければこのままさらに
三ヶ月も痛み続けるだろうという意識だ。
そして最後に、それでもなお承服しないで抵抗するのなら、後は自分の慰めのために己が身を殴り
つけるか、さもなければいやというほど拳骨で壁をぶっ叩くしかない、他には文字通り何一つすべ
きことがないのだという意識である。
---------------------------------------------------------------- 退屈ですることがないから死ぬ
というのがドスト的虚無の本質で
なぜすることがないのかというと
地に足がついていないインテリだから
死を覚悟した虚無だから生に固執する俗人を軽蔑し
その行動も暴走することもある
ドストの主張する土壌主義というのは
簡単言いうと地に足つけてきちんと働け!くらいの発想で
このあたりはトルストイの労働観と変わらない
ロシア人はすぐ百姓に回帰する >>185
読書していていつも思うのは、結局は自分の体験した経験と現実的に連想できる部分でしか読み取れないということ
当たり前のことだけどね
ようは自分からすると、この引用の箇所から読み取れたのは疎外感であった
不幸が起こっているもの(痛みの中にいるもの)は、幸せのなかにいるもの(苦痛の外にいるもの)の世界の環境から外されている孤独感
>>186
>死を覚悟した虚無だから生に固執する俗人を軽蔑(する)
まさにニヒリストを一言であらわしているね たとえばスタヴローギンの虚無は
ハイデガーの実存哲学にもつながる所があると思うのだけど
きちんと自殺に持って行くところが誤魔化しがなくていいね
神への信仰ということで日々の労役にいそしむ農奴も
虚無思想から自殺に向かう貴族も
自由意志の欠如という意味ではそれほど変わらない
まあ自殺が唯一の証明なのかも知れないけど
そこに善悪という価値は生じない
マトリョーシャの自殺は自発的信仰の放棄に由来する絶望であるが
こういう一般庶民の生活苦を合理化するため(つまり生につなぎとめる)
の思想すらスタヴローギンには無かったというわけで
この事実の発見こそが虚無をさらに強化する
というのは貴族的優越意識すら持てなくなるわけだから
最下層の貧民で小心かつ非力な小娘ですら「捨てる」ものがあるのに
美貌の青年貴族にはそんなものは最初からないわけです
そこで「罪」とか「人類の黄金時代」といった小癪なことを言い出すのだけど
そんなことは言い訳に過ぎない、ということが聡明な彼にはよく分かっている 肺病の私は本を読むのが好きであった。いな本だけが楽しみであった。
「良書は最良の大学のかわりをする」
この哲人エマソンの確信をオーストリアの作家ツヴァイクは若き日の向学の指針とした。
・若き日に、「青春の一書」と呼べる良書に出合えた人生は幸せである。
・薄給をやりくりして蓄えた小遣いを持って、神田の古本屋街に飛んでいき、望みの本を見つけて
は、はやる心を抑えて家路を急いだ。
寝る間も惜しんで、一ページ、また一ページと噛みしめるように読み進め、感銘する言葉を見つ
けるたびに、ワラ半紙の雑記張に書き写したことを、懐かしく思い出す。
・先人たちとの心の対話は、計り知れない魂の滋養となった。
名著を通し、先哲が遺してくれた精神の宝の遺産を受け継ぐことができる。
そこには、いかなる試練にも立ち向かう勇気が漲る。そして、あらゆる苦難に打ち勝つ智慧と力
が湧いてくる。
命を賭して綴られた文字は、不滅の命を持つ。
真剣なる人生の格闘が凝結した名著には、人類を益する力が込められている。
幾世紀の風雪を超えた書物の生命力は、試練と戦う人間を励まし、その生命力を奮い起こす。 コミュニケーション不全の社会に対話を復活させるには、まず言葉に精神性、宗教性の生気を吹
き込み、活性化させていかなければならない。
その活性化のための最良、最強の媒体となるのが、古典や名作などの良書ではないでしょうか。
・私の経験に照らしても、若いころから古典や名作に親しむ習慣をつけるということは、後々にい
たるまで、計り知れない財産となっていくものです。
・今、なぜ読書なのかといえば、第一に、それは読書経験が、ある意味で人生の縮図を成している
からです。
・古典や名作は、ダイジェスト本や結論だけを要約したものを読んで事を済ますわけには、決して
いきません。
苦しく困難な登はん作業にも似た格闘を経て、初めて血肉となるのが良書です。
・ひとり机に向かっての読書もそれなりの意味をもちますが、習慣化とういう意味からも、友人や
教師と一緒に、意見を交わしながらの読書経験は、一層意義深さを増すに違いない。
・人生の達人であった恩師の言々句々から学んだことは、本との付き合い方は、人間の付き合い方
と同じことであり、良書に触れることは、良き師、良き友をもつことと変わるものではないとい
う貴重な教訓でした。
・今、なぜ読書か。
その第二の意義として、蓄えられた読書経験は、巷にあふれ返るバーチャル・リアリティー(仮
想現実)のもたらす悪影響から魂を保護するバリアー(障壁)となってくれるでしょう。
・第三の意義として、読書は青少年のみならず、大人たちにとっても、日常性に埋没せず、人生の
来し方行く末を熟慮するよいチャンスとなるでしょう。
・いくら“活字離れ”がいわれても、否“活字離れ”の時代であればあるほど、私は、時代に抗して、
古典や名作と一度も本気で格闘したことのない青春は、なんと寂しく、みすぼらしいものかと訴
えておきたいのであります。
以上、池田先生 >>186
> ドストの主張する土壌主義というのは
> 簡単言いうと地に足つけてきちんと働け!くらいの発想で
--------------
違うんじゃないかなっ!って感じちゃう
君の文は素晴らしいが、ドストはもっと際限なく深きものゆえ >>187
> 読書していていつも思うのは、結局は自分の体験した経験と現実的に連想できる部分でしか読み取れないということ
----------
君のこの文もまた重要だか、これとは別の面があるような気がしちゃう!
もっともっと もっとだ! もっと思索を深めてくれ >>188
君は悪霊を持ち出したかっ
それはまずいぞ。なぜなら俺はそれを読んでない。読んでたら批判しまくるんだがな!
ハハハ!(地下室風) 君が知識人なのは分かっている。にもかかわらず、反旗を翻すぞ
完全に納得いかないものには 1ルーブル=100コペイカでいいらしいな
死の家の記録にあった
ついでに1コペイカで玉ねぎ1個買えるみたいやね >>181
>やりがいとは適度なストレスに他ならない
そうかもしれない。その「適度」というのが また難しいね。
> そうするならば、苦痛もまた快楽に他ならない
ここでは、当てはまらないと思う。これは言葉の遊びではないか?(ごめん。ここんとこ
荒廃しててさ)
> 苦痛をあらわすことは自己顕示と注目をもらえるという、自意識にとっては何よりの褒美にもなるのかもしれないね
これは素晴らしい指摘だな。そうか、そうだったか!自己顕示と注目。。。 >>186
> 退屈ですることがないから死ぬ
こういう人物は罪と罰でいえばスヴィドリガイロフ?白痴では、該当者なし?
カラマーゾフでは、スメルジャコフかい?
> というのがドスト的虚無の本質で
> なぜすることがないのかというと
> 地に足がついていないインテリだから
> 死を覚悟した虚無だから生に固執する俗人を軽蔑し
> その行動も暴走することもある
ガイロフは暴走しまくってんな。「死を覚悟した虚無」なんて、自分には理解しがたいし、
まゆつばで、抽象的で、だから罪と罰や地下生活者より、円熟期のカラマーゾフのほうが
肯定的な、信仰的な、円満で、理想的な、小宇宙がそこにないか?息づまるような、どこまでも暗い罪と罰よりも。
> ドストの主張する土壌主義というのは
> 簡単言いうと地に足つけてきちんと働け!くらいの発想で
土壌主義これはカラマーゾフではまず前にぼくが引用したミーチャの詩を思い出す。
たしかにカラマーゾフのいたるところに頻出してたワードだと思う。
それは「地に足つけてきちんと働け!くらいの発想」なのかい?
記憶だけで書くが、「産みの大地から もぎはなされた 我が国の青年は... 」みたいなフレーズが頭のどこかに残っている。
それはもっと宗教的な意味合いを含むものと思っていた。もっとトータル的な、そして
民衆の信仰、民衆の生活 その苦悩その喜び 共同性、との分離かと。もちろん
「地に足つけてきちんと働け!」を含むだろう。
>このあたりはトルストイの労働観と変わらない
ロシア人はすぐ百姓に回帰する
うまく表現できないけど、こうしたことはロシア固有のはずがない。現代日本人だって
端的に言って、インテリ層、生活レベルの差、「民衆から切り離されている」といって過言ではないのでないか。あなたなら的確な表現で書けるはずだ。 >>196
自分の悪い傾向で、論理で詰めると言葉遊びとの境界がわからなくなる
やりがい≦快楽orやりがい≦ストレス
ストレス≦苦痛が真ならば
苦痛はやりがいの一種なので最初に戻り=快楽
上の根拠はこんな感じ
言葉遊びの域を出られないかもしれないけどw
>>188
スタヴローギンの考察は的確だね
> 最下層の貧民で小心かつ非力な小娘ですら「捨てる」ものがあるのに 美貌の青年貴族にはそんなものは最初からないわけです
これが破滅に至った本質だと同感する
貧民の少女に美貌の高級貴族が持ち得ないということ
ドストエフスキーは面白い設定とキャラクターを創り出すものだと、これが魅力でもあるよね >>195
いつのどこの玉ねぎよ?
日本のは年によって全然値段が違う >>195
1コペイカでタマネギ一個か
こういう感じでとらえるとわかりやすい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています