ぼくは何としても「ここにドストエフスキーの思考の秘密」というか「何かある」というか、そう感じるんだ。だからしつこく引用するんだ。

俺は丸ひと月も歯が痛んでいたんだ。だから、快楽があるのは知っているのさ。(快楽?)

この場合は、もちろん、黙ったまま腹を立てているわけじゃない。うめき声をあげるのだ。ただしこのうめ
き声は、あからさまなうめきではない。これは悪意のこもったうめき声なのだ。(悪意のこもった?)

この悪意がある点こそが肝腎だ。こういううめき声には、苦しむ者の快楽がにじんでいるものだ。
そこに(快楽を感じなければ、人はうめき声を出したりはしない。)(??)

<(自分の考え)以下の叙述はその通りその通りと。自分も無意識でこんな風に感じてるが、こんな文章化できない。
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これは君たち、いい例だから少し発展させよう。このうめき声には、まず第一に、俺たちの意識に
とって実に屈辱的なこの痛みの無意味さがにじんでいる。

つまり、自然法則という奴は、もちろんこちらはそんなものを気にしちゃいないのだが、それでも
やっぱりその自然法則ゆえに苦しめられているというのに、向こうはまるきり平気ときている。

うめき声にあらわれているのは、闘うべき敵の姿は見えないのに、痛みはある、という意識だ。

いかに優秀な歯科医のワゲンハイム先生が何人かかっても、自分は完全に歯の奴隷だという意識、
誰かがその気になれば、こちらの歯の痛みは止まるのだが、その気にならなければこのままさらに
三ヶ月も痛み続けるだろうという意識だ。

そして最後に、それでもなお承服しないで抵抗するのなら、後は自分の慰めのために己が身を殴り
つけるか、さもなければいやというほど拳骨で壁をぶっ叩くしかない、他には文字通り何一つすべ
きことがないのだという意識である。

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