表面的にはプロティノスとグノーシスはすごく良く似ていて、プロティノス自身、彼らはプラトンの魂はあらゆる物体的なものに勝る、ということを学んだ、と言う
その上で、似ているからこそグノーシスを批判しなくてはならない
問題は、それがどう伝えられたかであって、アリストテレスの神学を含む偽書は多大な影響をイスラム哲学に、ひいてはヨーロッパ・スコラ哲学に及ぼした
ガザーリーのカラーム(神学)からのファルサファ(哲学)批判はそもそもプロティノスがアリストテレスと思われて受容されたことを考慮すると非常に面白くなる

1→英知→魂というプロティノスの三一構造は1が全く動かず、観照によってのみ英知を生み出すとすると世界の創造者は英知になってしまい、1なるものは何の意思もないことになってしまう
この1に慈悲や意志という属性を付与させようとするものは折衷主義になってしまう
1は世界を終わらせる意思ももたないから、世界は永遠になるし、1は個物を知ることはないような世界に関わることのないもの

アリストテレスとプラトンを総合しようとする試みが「クレージーな試み」(アリストテレス全集翻訳者)なのと同様、クルアーンとプロティノスを総合する試みもクレージーな試み
だからこそ、なのか特殊なアイディアが生まれて、むしろそれが後世に伝わってしまうことがある
ガザーリーの哲学者批判や、プロティノスのグノーシス批判は必ずしも批判されるものが言っていたことではなく、歪曲も多いと思う