0161吾輩は名無しである
2018/08/04(土) 17:54:55.89ID:gfv9TgUUの3氏によって行われた座談会では
純文学=短篇=私小説という文壇事情の説明として
小説が長大化するとあるべき「私」の統一性や作品世界の緊密性が
損なわれるからだという共通の認識がある
何故「私」の統一性や作品世界の緊密性が重視されるのか?というと
黎明期における日本の小説結は結社的狭い世界で流通しており
物語による不特定多数の読者(大衆)の折伏ではなく
特定読者に対して向けられた「詩」あるいは「批評」的機能を
重視していたからだろう
つまり「量」よりも「質」を重視したわけであり
そしてこの伝統に即したフォーマットが知的伝統として存在する
あるいは信仰が連綿と続いているかのような錯覚がある
問題はそれだけの「質」が作者や作品はもちろん
読者にも伝統として維持されてきたのか?ということ
あるのなら「衰退」と叫ばれるわけは無いんだろうけどね
もっとも批評的機能の強い小説は今でも多いわけだけど