レーゼシナリオは、もう古い!?
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>>1
松本ちえこ「恋人試験」
https://www.youtube.com/watch?v=y5Lpyzb-J5c
♪零点なんかは許せない 百点取る人大嫌い♪
65点くらいが、ちょうどいいんだってさ。
新しすぎると女にモテないよ。 どうせ美香とかいうネカマが立てたスレだろうが、自分でもっと言えば良いじゃん。 映画になる現実性が高いからシナリオは書かれるんだろうが、
演劇の場合は、演じられる可能性が全然なくても戯曲は書かれることが多いのではないか?
さらに言えば、映画のシナリオの場合は撮影上、site specific(場所の固有性)に束縛
される可能性が高い一方で、演劇は演じられるたびに設定を自由に変えられるような。
シナリオ書いた経験ある奴はどんどん意見言えば良いじゃん。
書いたことない俺でもしゃべってるんだからw 映画は特定のストーリーだけだけど、
エロゲー、ギャルゲー、乙女ゲーなどは、ストーリーが選択できるところがいい。
だけど、まだ、そんなに、選択可能の面白さって、無いんじゃないの。 ゲーム原案文学というと有名な作家なら筒井康隆の
「RPG試案 夫婦遍歴」というのがあったはず。
コンピュータゲームじゃないけど、
TRPGリプレイとかいうのもゲーム文学じゃなかったっけ? >>3
小説は古すぎ
ゲーム文学は新しすぎ
レーゼシナリオがちょうどよい ゲーム原案文学ってこんな感じか?
タイトル:乙女ゲー『アイツとアタシのツンデレらぶウォーズ』
アイツ「美波?ハンカチ落としたぜ」
選択→A:「ありがとう」 B:「どういたしまして」」 Aを選択の場合
アイツ「(心の声)なんて素直なコなんだろう。胸キューン」
Bを選択の場合
アイツ「(心の声)ありがとう・・・って、お礼を言うのは俺じゃなくてお前だろ?でも、胸キューン」
(声の出演:アイツ→古谷徹、アタシ→小山茉美) >>11
美波ってのは、名前じゃなくて名字のほうがいいな。
たしか少女漫画の「エリート何とか曲」のヒロインが
美波唯
この手の作品は主人公は漫画であってもゲームであっても
ボーイッシュな名前のほうがウケる。真琴、夏生、珠緒あたりか?
美波真琴、美波夏生、美波珠緒
ゲームなんだから、お好きな名前を選択できるようにすればいい 新しすぎるのはモテないよ。
時代の半歩先を行くくらいが丁度いい。すると小説はもう古い、ゲーム文学は新しすぎる、
ちょうどいいのがレーゼシナリオという感じ ゲームに文学が引用されると他人の表情が変わってうれしいというのはあると思う。 英語のセリフのゲームを開発したけど評判はどうだろうか↗ 今週のフライデー見たら
ゲームが脳を破壊するという記事が。
やっぱり、簡単にはゲーム文学の時代は来ない。 ま、携帯の登場時はIQの低下に繋がるとか世界的な研究で言われてたわな。
今の世の中はIQや集中力が少しぐらい下がっても、同時並行的に手順的仕事をこなす
能力が重視されてるような。
行き当たりばったりの長寿継続ストーリ―漫画とか、既にゲーム文学じゃないの?
余り読まなかったがドラゴンボール、北斗の拳、蒼天の拳とか。 黒こげテレポーテーション失敗とか、ゲーム文学の意味。
脳は変容してもゲームは楽しいと思う。テレビやラジオビデオの方が
先発でセキュリティーもよくない時代もあったと思うが、日進月歩だよ。
研究して被害を減らすべきだが、ゲームで身につくものがあれば、被害も
功利的にみてみればいい。 43で思い出すのは本厄だなあ。神社の総代とか、宮司とか、現代でいうと、ゲーム世代かもね。
仕事引き継がないと。大僧正の法力も切ないし。魔界の調べなんて東京の実話だもんね。 中卒で働けるし、定年は65歳まで引き上げられてきたから、社会の主役である「社会人年齢」層
というのが、16歳から65歳まで、ということになるだろう。そのなかには、
「フィクション作品の享受の仕方」というテーマでアンケートをとっていけば
「漫画は読むけど活字本は読まない」とか「ゲームも好きだけど読書家だ」とか
「DVDで映画を観るけど、本も読まずゲームもやらない」とか、色んな人がいるだろう。
社会人年齢層のなかで、「ゲーム脳」派(ゲームしかやらない、あるいは、
他メディア作品は稀にしか享受しない)が過半数を越える、というのが
ゲーム原案文学が、19世紀〜20世紀における小説ほどに(アバンギャルドじゃなく)
スタンダードな文学形式になる、ということの一条件であると思う。 もう一つの条件は、「ゲーム原案書式が広く知られるようになること」だ。
その目安として「国語の教科書」がある。ネットの普及によって、校舎に子供を来させて知育を行う、
というやり方が変わっていく可能性はあるけど、とりあえずバーチャル学校のような形であっても
公共教育が続き「国語科」教育も残ると仮定する。戯曲は昔から国語科で教えられていたけど
映像劇のシナリオが教科書に載ったのは、
1990年代の倉本聰「北の国から」あたりからだと思う。それまでは文教政策的には戯曲とシナリオの間には
溝が設けられていて、シナリオなんてものは文学ではなく
サブカルチャー製品の設計図みたいな扱いだったと思う。
レーゼシナリオが「ポスト小説」として浮上してきた(?)のも、そのような時代が到来したからだと思う。
ゲーム原案が、1990年代における「シナリオ教科書掲載」くらいの域に達すれば、
前衛でなく標準的な文芸形式になるだろう。 1、ゲーム自体が各年齢層で「支配的な」フィクション形式になる。
2、「国語科」の教科書に、ゲーム原案書式の作品が載る。
たとえばプログラミングなども義務教育で教えるようになってきたらしいが、
「プログラミング科」ではなく、「国語科」で教えられるというところが、2の条件において肝要。 そして、そのような時代は今世紀の前半にはまだ来ないと思う。>>23に書いてあるように
まだ、ゲームを危険視するムキが存在するからね。
例えば、いいとこの坊ちゃん嬢ちゃんは、家庭教育によって、
ゲームをやる時間を抑制されるであろう。
1990年代に郊外型シネコンが出てくるまでは、
規制緩和によって映画館は繁華街でしか営業できなかった。
家族で見に行くような健全な娯楽作品を上映していても、「風俗営業」の扱いだった。
ゲームがいま、だいたい、国家権力からそんな扱いを受けている。 90年代以降は、映画に関しては、かなり規制緩和が進んで、
「パルプフィクション」「グッド・フェローズ」「HANA-BI」など暴力表現や麻薬表現などが
ある映画も、カンヌやベネチアで賞を取ったというような芸術的評価があれば
図書館の視聴覚コーナーで観られるようになった。
今村昌平の「うなぎ」も過激な性表現が冒頭から出てくるけど、
パルムドール受賞という裏づけがあるから、図書館に入った。
文化庁の補助金で作る映画なんかでも津川雅彦監督の『寝ずの番』なんて
獣姦やフィストファックありのシモネタのオンパレード。
やはり、表現の自由がかなりな程度保証されてないと、「文化の中心」には来れない。
ゲームはまだその意味でサブカル、アングラという位置づけだ。反逆的ではあるけど
政府からの監視もキツイ。
その情勢の中では、ゲーム原案文学とやらも、マイナーにとどまるだろう。 小説→近過去文学
ゲーム原案文学→近未来文学
そして、栄えある現代文学を担うのは・・・・レー(以下略) >>28
>レーゼシナリオが「ポスト小説」として浮上してきた
そんな事実あるのか? ポストって言っちゃいけないんだよお
殺戮と延命の両義性を持つ語だからね 小説は、花村萬月や島田雅彦など、作家自らが終わりを認めてるからね。
殺戮しなくても「すでに死んでいる」
レーゼシナリオは終わった。ポスト・レーゼシナリオ(ゲーム原案)の時代だという奴がいたら
そいつは確かに「ポストマン(やたらとポスト〜と言いたがる奴)」だ。 小説は、花村萬月や島田雅彦など、作家自らが終わりを認めてるからね。
殺戮しなくても「すでに死んでいる」
「レーゼシナリオは終わった。ポスト・レーゼシナリオ(ゲーム原案)の時代だ」という奴がいたら
そいつは確かに「ポストマン(やたらとポスト〜と言いたがる奴)」だ。 モダン(=小説)からコンテンポラリー(=レーゼシナリオ)ってことか。
ゲーム原案文学はフューチャーだな モダンの次は「ポストモダン」じゃなくて「コンテンポラリー」 「近代的なるもの」の、経済的様相が、
柄谷行人いうところの交換様式D(アソシエーションという社会構成体に対応する協同組合的transaction)で、
文学的様相がレーゼシナリオ。 「近代=モダン」の、経済的様相が、 柄谷行人いうところの
交換様式C(商業交換)で、 文学的様相が小説。
「現代=コンテンポラリー」の、経済的様相が、
交換様式D(アソシエーションという社会構成体に対応する協同組合的transaction)で、
文学的様相がレーゼシナリオ。 >>39=>>1か?
アンチ・レーゼシナリオ派が真実を攪乱しようとしている。 そら、現実に今のテレビや映画のシナリオ・ライターにレーゼシナリオは書けないよ。
そんな実力あったら、小説家や劇作家になって成功してる。 観察能力のある人はコピーライティングや
行動経済学や進化心理学にも行ってるね
未来予想のスレだからちょっとスレかりる 予言ごっこだと思って眉唾でいて欲しいんだけど
これから文壇サイドの作家で
句読点等の定量解析によってゴーストライター疑惑がでる作家が必ず出てくる
悲しいことにそこには女流作家も含まれているだろう
セクハラは愛人ビジネスにも繋がり、文芸評論の賞はもろに金だから容易にお抱え批評家を生み出しかねない
そもそも文芸作品の絶対評価なんか最初から不可能なんだからな
受験生的な傾向と対策、愚直に踏襲される成功パターン
才能ある人間の移動を語るスレにふさわしく
世は旧メディアを維持したいおじさんたちの手下であるアイドル作家芸能人作家だらけ
下地は整っている https://www.youtube.com/watch?v=PdIra3AQ4Xw
>>9
火星人ってプリンプリン物語のこれか。
「レーゼシナリオの次はゲーム原案文学だ」とか言ってる奴のテーマソングは、これだな。 >>49
♪誰にだって取り柄がある 私にだって取り柄がある 耳が回る 予感がする♪
新しすぎることを言って、着実な一歩前進を妨げる奴は
この歌で、からかってやればいいんだ。 ちなみに、「小説の時代が終わってレーゼシナリオの時代が来る」とかいってる人は
火星人ではない。地球人。
上にも柄谷とか島田とか萬月とか出てくるけど文学の専門家が
すでに「小説の終焉」宣言しちゃってるからね。 歴史もあるしね
芥川の「影」、谷崎の「月の囁き」あたりがが1921年だから
もうすぐ百年になる。
日本共産党と同じくらいの長さ。 セルバンテスがドンキホーテを書いたのが1605年で、世界最初の近代小説とされた。
『日本近代文学の起源』が英語にも中国にも訳されてるという意味で
近代文学論の世界的権威とも言える柄谷行人が
「近代文学の終り」を刊行したのが2005年。この本で、近代文学とは
小説中心主義的文学だと彼は言う。
要するに終わるまでに小説は400年の歴史があった。
一文学様式にとって、100年とは四コマ漫画の起承転結の「起」みたいなもの。
だから、レーゼシナリオは、その歴史がやっと一コマ目を終えつつあり、
起承転結の承がもうすぐ始まるという段階。
それに比べると、ゲーム原案文学は・・・・ :
::
`::.
:::.
:::.∧_∧_∧
::(∀・( ´Д`)
r-( ( O┳O
.:i⌒<< ) 冊冊〉
:ヽ_ノUU(_)llJ
ヽ_ノノ
「まだ
始まっちゃいないYO」 × 英語にも中国にも訳されてる
○ 英語にも中国語にも訳されてる × 要するに終わるまでに小説は400年の歴史があった。
○ 要するに小説は終わるまでに400年の歴史があった。 新しいメディアが出てきたから古いメディアが消滅するということにはならない
テレビ普及後もラジオはあった。
最近「君の名は。」が興行成績の四位かなんかを更新したけど
ビデオどころか映画館で映画を見る人も依然として多いということの証左。
タイタニックとか「千と千尋」とか「アナと女王」とか上位を占めているのは
ネットやネトゲはともかくファミコンのようなインタラクティブなメディアも
十分に普及した後の製作だろう。 ファミコンはメディアとはあんまり言わないか。
ともかく、コンテンツを表現する機器の話。 興行成績は興行収入で計るケースが多いね。物価水準が考慮されてない。
でも、動員数で計っても、
東京オリンピックみたいなオバケ映画(ホラーという意味ではないw)を除いて
ファミコン普及後のものが多い。
wikiの観客動員数を見ればわかる。アドレスは長すぎて貼れなかったorz wiki 日本歴代観客動員数ランキング
で、ググれ レーゼシナリオは映画が発明されてから四半世紀ほどで
書かれ始めたようだが
ビデオの普及のように、映像劇が個人向け仕様になった後じゃないと
メジャーな表現ではありえない。
でも、日本では漫画という個人向け映像劇がビデオ以前から普及してた。 69ゲットしそこなった
くやしい
レーゼシナリオ最高!というほどでもない
普通! アマゾンで中古でも買えん
図書館の相互貸借しか手がないか 北川冬彦が伊丹万作を絶賛
その婿が大江健三郎
レーゼシナリオとノーベル賞は関係ありすぎ 大江の「厳粛な綱渡り」
ボールドウィンとノーマン・メイラー
レーゼシナリオ関係者の名が出てくる。前者は、ホントは普通のシナリオだけどね
芥川と谷崎も出てたか。佐藤春夫はどうだったかな?
芥川賞に反対側したから無視したかも 谷崎や芥川の名は、
文学的エッセイの厚い本だったら
一回も登場しないってのは逆に難しいだろう。
万作の息子の十三は晩年はシナリオの重要さを訴えて
三谷幸喜に接近したりしてたな。
また、レーゼシナリオがノーベル文学賞に近づいてしまった(十三代目ゴエモン風に)
十三つながり? 大江健三郎にもシナリオ草稿「革命女性(レボリューショナリー・ウーマン)」が
あるとか。 >>71
朔太郎のシネポエム「蟲」と「貸家札」らしい とくに、後者のほうが、「シナリオ研究」に掲載されたという意味で
ドンピシャリ 蟲のほうは、読んだら、違うみたい。
>>84のリンク先でも、「この前と同じく」という表現から誤解したが
「同じ」なのは、無意識を題材としたシュルレアリスムという点だけみたい。
シナリオ的ではなかった。 中上健次にも「南回帰線」という漫画原作の書籍化本があって
シナリオと小説の中間のような形式だとか。
しかし、中古品も高いね 春樹にもアフターダークがあり
大江にも革命女性がある
川端も映画製作に関与したこともあるというから
ノーベル賞受賞者や候補者は
レーゼシナリオに限りなく近い? 「狂った一頁」か。
地獄門でカンヌグランプリ取った衣笠監督の作品で
川端は脚本書いてるね.
柄谷と村上龍の対談でも話題になってたな 大江の革命女性、半分ちょっと読んだところだけど
そうとう面白い 大江はやっぱり怪物だな。
レーゼシナリオの開花は
ホームシアター(個人が見たいペースで映像劇を見られる環境)
の普及にあると思ってたが、レンタルビデオがやっと普及し始めた80年代後半
(前半もあったけどまだユーザーフレンドリーじゃなかった)に、「革命女性」みたいなのを
書いたのだから。 ナムジュンパイクのアートみたいにテレビが大量に並んだ壁が出てくるとか
軽薄なリポーターが出てくるあたりは
内田裕也主演の映画「コミック雑誌なんかいらない!」の影響があるかも。
あれもビートたけしがフライデー事件起こした頃にテレビ放映してたから
1986年あたりの公開か。
んで、「革命女性」というタイトルは、
冒頭に出てくるシーラ・フガードの本のタイトルそのままで
まあ、軽いノリの試作品だから、そういう適当な題なんだろうが
「宮沢賢治はまだ必要」なんていう風に改題してほしいな。
映画「コミック雑誌〜」のもじりというのと、
作品の内容(ヒロインによる賢治の一節の暗誦の映像を残すか否かで一悶着ある)との
ダブルミーニング。 「コミック雑誌なんかいらない!」1986年2月公開
「革命女性」同年12月雑誌公開。
やっぱり可能性あるな。
あの映画、「いいとも」の横澤彪プロデューサーが出てた記憶があるけど
横澤さんと大江さんはほぼ同時期に東大文学部にいたから友人である可能性がある。
そのよしみで大江さんがあの映画を観たのかも。
「雨の木〜」も有名人友達自慢が「いいとも」に似てると思ったが、これは小説のほうが先。
でも「いいとも」が「雨の木」の真似をしたのかも。 >>90
君が注意を促すのは良いが柄谷が蘇ってはいけないと思うけどね。 蘇る?別に廃れてないと思うけどな。>>97
ああ、確かに、交換様式論やり始めてからは「文学の人」としては廃れてるか。
だけど、この前の「文學界」でも、「文学という妖怪」がまた徘徊し始める時が来る
とも、言ってたよ。その妖怪がレーゼシナリオであることを祈るね。
実際、アンサイクロペディアでは、レーゼシナリオを鼻行類に喩えてるし
アイダホ大学助教授が書いた、ジェームス・ボールドウィンのレーゼシナリオ論でも
closet screenplay=レーゼシナリオを「odd thing(変なもの)」と呼んでる。
小説は浸透しすぎて妖怪ではなくなったから、次はレーゼシナリオが・・・ レーゼシナリオがノーベル賞に近づくどころか
ノーベル賞作家がホントにレーゼシナリオ書いてたってことになったな。>革命女性
>>94
「ミヤザワケンジはまだ必要」という風にカタカナにしたほうがいいかも。
「ミヤモトケンジ」と混同するような感じが、面白い。
あと「ミヤザワケンジがまだ必要」という風に助詞を「が」にしたほうがいいかもな。
主人公がもう三十代半ばなのに「娘」という役名になってるあたりからも、
そのほうがいい。大人になってもまだ童話が必要なのよ、みたいな。 あるいは義兄の伊丹十三の映画風に
「マル革の女」なんていうのもいいかも。
革マルじゃなくてマル革www キャスティングとしては、日本人のイメージとしては
娘=松たか子
灰色の服の男=石丸謙二郎
だな。もちろん約の設定に適齢期の頃の。
ハリウッドなら、娘=アマンダ・プラマー、灰色男=チャールズ・グローディン 灰色の服の男→灰色服の男
石丸さんはよく意地悪な役人を演じる人で
園子温のハザードのラストで税関はハマリ役だった。
三谷の「竜馬におまかせ!」でも、役人というのとちょっと違うかも、だが
アメリカ文化にアンビバレントな感情を抱き、バカ殿様を操って、
日本にジャズが入ってこないようにする家臣の役をやってた。
ところが、私生活では初代ストリーキングの実践者だという
奔放なお方。この二面性が灰色服の男にピッタリ。
松たか子は、こういうの好きそうでしょ。 >>101
もちろん、ハリウッドのほうも
役の設定に適齢期の頃の話。 >松たか子は、こういうの好きそうでしょ。
ブレヒトの「セチュアンの善人」を主演したり
エミール・クストリッツァ監督の「アンダーグラウンド」が好きだというからね。 >>94
>シーラ・フガード
アカデミー外国語賞を取った「ツォツィ」の原作を書いた作家の妻らしい。 「革命女性」
立教大学映像身体学科で上演
なんかファックポーズを撮られた香山リカ同科教授が
主演してるのかって感じw アマンダ・プラマー → 「ホテルニューハンプシャー」のミス流産
チャールズ・グローディ →「ミッドナイトラン」の会計士
>>101 wikiな
尾崎のところ、「にかかわらず→にもかかわらず」
に、直せ。
あと、羽鳥の「激レア」発言は書いといたほうがいいな。
あと羽鳥の記事も作っとこう。 あと「河馬に噛まれる」の記事は既存だから
リンク可能 「河馬に嚙まれる」にも「革命女性」を
あと「噛まれる」から転送 劇団ハーベストの「ゴーイングマイウェイ」っていう芝居
これが革命女性とキサラギを合成したような作品だとか
https://www.rocket-exp.com/s/R/item/detail/2981830136 川畑のTwitter見たら
大学生だとか。
立教大なら、羽鳥ゼミか?
あそこで、革命女性やったからね 川畑→川端→ノーベル賞
光瑠→光→ノーベル賞作家の息子
レーゼシナリオとノーベル賞が関係ありすぎて困る!wwwwwww
反権威主義的でありたいのに
勝手に向こうから追っかけてくるwwwwww助けて!wwwwwww 文芸誌での、蓮實重彦と筒井康隆の、大江健三郎についての対談で
セブンティーンについて、筒井が
バロウズ、セリーヌ、ノーマン・メイラーの影響がありそうだなどと言っていた。
三人ともレーゼシナリオ書いた作家だよな。大江もノーベル賞、
蓮實と筒井もフランスの芸術文化勲章もらっている。
権威のほうからレーゼシナリオに擦り寄ってきて困っちゃう!wwwwww 「猿とエッセンス」のハクスレーは「知覚の扉」という著作もあり
題はウィリアム・ブレイクの詩から取った。
「革命女性」の大江の好きな詩人もブレイクで
「個人的な体験」でも彼の詩や絵画についての言及がある。
レーゼシナリオ書いた作家たち、関係ありすぎ、つながりすぎ!
恥ずかC! シネポエム「貸家札」の朔太郎と
レーゼシナリオ「黄昏の殺人」とシネポエム「春風馬堤図譜」の佐藤春夫も
後者と同郷の西村伊作が主宰した文化学院とか
佐藤が谷崎から譲渡された妻が朔太郎の同郷だとかの縁で
交流があったとか。 レーゼシナリオといえば北川冬彦
北川が訳したのはダンテの神曲
神曲→ディバイン・コメディ→神聖喜劇→荒井晴彦
神曲→懐かしい年への手紙by大江→革命女性
また、つながりを見つけてしまった 来年は、谷崎が「月の囁き」
芥川が「影」を書いてから100周年
あと半年
「マジでKOIする5秒前」をもじって言えば、
日本人が「マジでレーゼシナリオにKYOUMIもつ半年前」!?wwwwwwww スレタイに沿って考えると
日本人が「majiでゲーム原案文学にkyoumi持つ何分前」?
経営学書で「キャズム」ってあったけど、イノベーター、オピニオンリーダー
アーリーカマー、レイトカマー、ラガードの五段階で
まあ、オピニオンリーダーが騒ぎ出すまで、まだ四半世紀くらいあると思われ >スレタイに沿って考えると
というか、>>1に沿って考えると・・・だな イノベーター (innovators)
新しい技術が好きで、実用性よりも新技術が好きな人。オタク。
アーリー・アドプター (early adopters)
新しい技術によって、競合相手などを出し抜きたいと思っている人々。
アーリー・マジョリティー (early majority)
実用主義で役立つなら新しい技術でも取り入れたいと思っている人など。
レート・マジョリティー (late majority)
新しい技術は苦手だがみんなが使っているなら自分も使わなければと思う人たち。
ラガード (laggards)
新しい技術を嫌い、最後まで取り入れない人々。 二番目にナウい人たちが
「レーゼシナリオはもう古い!これからはゲーム原案文学の時代だ!」と騒ぐまで
あと25年くらいってこと レーゼシナリオはもうすぐ
アーリーアドプターから
アーリーマジョリティーへのキャズム(溝)を超える!?
少なくとも、
第一段階のイノベーター(実用性より技術そのものに興味ある人)だけのもの
という段階は超えてるだろう。それは20世紀の話 アーリーアドプターはやっぱりオピニオン・リーダーと言い換えても良さそうだ。
オピニオンリーダー≒イデオローグだろう。
レナリオローグとは、レーゼシナリオが革新的に現れて(第一段階)から
「多数派の進んでるほう」に受容される(第三段階)まで
の溝を埋めるオピニオン(意見)を言う人。 >>50
プリンプリン物語なんてマイナーだから
スティクスの「ミスターロボット」がいいんじゃないか?
「レーゼシナリオはもう古い。これからはゲーム原案文学の時代だ。キリッ」
「♪ドモアリガットミスターロボットドモドモ♪」 学校教育のことも無視できないな。
シナリオは平成以降は義務教育でも「北の国から」が国語の教材に使われた。
戯曲はその前から。
最近はプログラミングを義務教育で教えてるらしいが、そのなかで
「ゲームを作ってみよう」なんていうのもあるだろう。三つ並べゲームを作るとか。
それを作る前に「ゲームシナリオ」みたいのを書かされるとすれば
その形式を借りた文学なんてのもありうるかもね? 「君の名は。」初日の入りが
十代が半分、二十代が3割半
ビデオどころか映画館ですら観客動員が記録更新されて、
なおかつ中心層は若者だというんだから
インタラクティブ以前の、一方通行的コンテンツは、まだ廃れてないといえる
故に、ゲーム原案文学の時代はまだ遠い アドルノの「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」をもじるなら
「レンタルビデオ普及した平成以後、レーゼシナリオに興味を持たないことは愚鈍である」? レーゼシナリオ、レーゼドラマ、戯曲 → 「内展」文学(または文芸)
ゲーム原案 → 「外展」文学(同上)
なんていう名前はどうだ?
前者は自己完結した仮想現実の内部展開
後者は開かれた(インタラクティブかつネットワーク的)仮想現実の外部との
様々な接触に応じた展開 >>146
両者は「仮想文学」だな。
小説は実は仮想的ではない。
フィクションだとしても「脚色文学」という感じか 北川冬彦は
娯楽小説はシナリオ文学だと
「シナリオ詮議」というエッセイの中で
言ってたな
可能な限りの具象的描写
心理描写より行動の描写
地の文より台詞で進行する
あわただしい場面展開
以上の四つが娯楽小説の特徴
山本有三「真実一路」などが具体例 四番目の
あわただしい場面転換
を抜けばレーゼドラマになる? 2004年
今世紀最初の閏年だが
綿谷&金原の芥川賞受賞(阿部和重がグランドフィナーレで
意図したのはこれの風刺だろう)
北野武の東京芸大院映像学科就任が報じられ
春樹のシナリオ形式ノベル「アフターダーク」を書いた。 小説と映画の価値がほぼ逆転したんじゃないか。この年。
アフターダークがシナリオ形式であることに注目した人は当時あまり
いなかったんじゃないかな。珍しく忙しかったから、文芸批評とか見る暇なかったが
映画好きでもあろう福田和也の批評でも、特に触れてなかった記憶がある。 × 春樹のシナリオ形式ノベル
〇 春樹がシナリオ形式ノベル しかし、受け手にとって価値が逆転しても
作り手に取って(金で示される)価値は
いぜんとして小説は低コスト
映画は金かかる
だからこそ
レーゼシナリオ >>154
風刺?辻加護にハマってた頃だろ?
ちょっと調べれば分かることをねじ曲げるなよ >>158
グランドフィナーレっていうタイトルはやっぱり
ギャル二人の受賞が
純文学のグランドフィナーレっていう意味が含まれてれるだろう。
友人の中原昌也が島田雅彦に茶化されたとき
「課長・島雅彦」っていうのを書いたのと同じような感じだろう 井土紀州と澤井信一郎の対談で
荒井のあれはレーゼシナリオと
2005年2月に言ってたのが
ページが消えてる 宇戸清治の論文「レーゼシナリオとしてのロムロン」も2005年 ブライマン・ノーマンの
ジェームズ・ボールドウィンについての論文も
2005年 「鬼滅の刃」そうとう客入ってるようだな。
記録更新するかも。千と千尋〜を超えるか?
すると、テレビやビデオやDVDやVODどころか
最古の映像劇鑑賞形態である映画館ですら、まだ映像劇を観ている人が沢山いる。
つまり、ゲーム原案文学は新しすぎて、レーゼシナリオがちょうどよい
ということになる 「鬼滅の刃」そうとう客入ってるようだな。
記録更新するかも。千と千尋〜を超えるか?
すると、テレビやビデオやDVDやVODどころか
最古の映像劇鑑賞形態である映画館ですら、まだ映像劇を観ている人が沢山いる、
つまり、ゲーム原案文学は新しすぎて、レーゼシナリオがちょうどよい
ということになる プルードンだか
青年ヘーゲル派のフォイエルバッハかヘスが
今の社会の深層に「真実社会」があると言った。それがコミュニズム社会
今の文芸の深層に「真実文芸」があり、それがレーゼシナリオ⁉www 鬼滅、一ヶ月弱で200億円突破だと。
映画館がまだ健在ということの証左。
ということはゲーム文学の時代は遠い?! 小説の時代は終わったというけど
今世紀に入っても
セカチューとか1q84とか蹴背とか火花とか
ミリオンセラー出てるよね
レーゼシナリオって売れたことあるの
まあ春樹のアフターダークは、春樹だからそれなりに売れたろうけど
10万はいったろう 1991 ソ連崩壊
2001 同時多発テロ
2011 東北震災
2021 谷崎「月の囁き」、芥川「影」など文豪によるレーゼシナリオが書かれてから100年 このスレ見るたびにゼーレシナリオっていつも空見してしまうにごわす
まるでエヴァの如くったあ。 関係は無いけど
レーゼシナリオに興味ない人類から
レーゼシナリオに興味ある人類へ今変わりつつある。
エヴァは冒頭しか見てなくてエンディングがフライミートゥザムーンだったくらいしか覚えてないけど「人類補完計画」という語が出てくるのは知ってる。
まさに、人類はレーゼシナリオへの興味によって補完されつつある?ww フライミートゥザムーンと言えば
イーストウッド監督のスペースカウボーイ。
ラストに出てくる月に飛ばされたトミーリージョーンズは
アメリカのシンボル。
いわく「俺たちはもう体アカンのや。あとは頼んだぞ、ファッキングジャップ」
レーゼシナリオはそもそも日本語(和製語)だし、日本が文化の中心になる日が来る!?ww 「レーゼシナリオはもう古い」って、別にレーゼシナリオが最近まで
もてはやされたことなどなかったはずだが。
全く意図が測りかねるスレタイだ。
間が抜けているとしか言いようがない。 文末に?が付いてるでしょ。キッズリターンのラストの台詞と同じで「レーゼシナリオの時代はもう終わっちゃったのかな」「馬鹿野郎、まだ始まってもいねえよ」みたいなことを意図したと思われ。 でも>>1に書いてあることは
そういう意味ではない。 アドレスがNGになってるから貼れないけど
2ch時代の映画一般板で「どんな映画でチンポしごいたシーンある?」というスレッドで
「俺様はトゥームレイダーでアンジョリーナ・ジョリーが寝巻き姿で戦ってるとこでひたすらチンポしごいたねw」なんて自らスレタイを誤読したような1番レス書いてたスレ主がいたよ。
つか、恥ずかしいこと書かせるなよw 一種の背理法か。
スレタイは「?」が付いてる。今はレーゼシナリオの時代になりつつある、という命題の否定がスレタイで、そこからレス>>1が導き出される。しかし、鬼滅ブームなどから映画を受動的に享受する人がまだ多いことが分かり、今世紀の小説ミリオンセラーも列挙され、両者から、まだゲーム原案文芸の時代は来ない、となり、>>1と矛盾する。よって、今はレーゼシナリオの時代になりつつある。ということが証明された。QND スレタイは「?」が付いてる。
という一文は特に意味無かった。削除 一種の背理法か。
今はレーゼシナリオの時代になりつつある、という命題の否定がスレタイで、そこからレス>>1が導き出される。しかし、鬼滅ブームなどから映画を受動的に享受する人がまだ多いことが分かり、今世紀の小説ミリオンセラーも列挙され、両者から、まだゲーム原案文芸の時代は来ない、となり、>>1と矛盾する。よって、今はレーゼシナリオの時代になりつつある。ということが証明された。QED つまり>>175の訝るスレタイの「意図」とは
「レーゼシナリオの時代が来つつある」ということを
背理法的に証明するところにあったのではないか。
もうすぐ来年で、芥川の「影」とか谷崎の「月の囁き」から100周年。
「Majiでレーゼシナリオにkyoumi持つ一ヶ月弱前」ってところかな。
鬼滅が興行収入や動員数で一位になるのと同じくらいにカウントダウンが始まっている!? 「Majiでレーゼシナリオにkyoumi持つ一ヶ月弱前」の主語は日本人ね 日本人がMajiでレーゼシナリオにKyoumiもつ27日前 皆がレーゼシナリオに興味を持って
人類が補完されることを阻む存在=鬼が滅ぶことを告げる現象か?>鬼滅ブーム あの映画では、
猪みたいな奴がゲーム原案文学だな。
猪突猛進し過ぎw レンゴクさん=小説 (死に際に次世代へと望みを託す旧覇者)
猪みたいな奴=ゲーム文学 (猪突猛進タイプで先走りし過ぎw)
炭治郎=レーゼシナリオ (主役) あの映画、右寄り
鬼→排外主義
レンゴクさんに母がノブレスオブリージュを説くところ→ボナパルティズム
夢から覚醒するために自殺→特攻隊精神 トフラーの第三の波をもじって言えば
シナリオ界の第三の波。
1970〜80年代は、向田、倉本、山田太一などのシナリオライターが
花形だった。これはテレビの普及を背景にしていた。(第一の波) 1990年〜2000年代は三谷とクドカンの時代(第二の波)。このムーブメントはビデオの普及を背景にしていた。同時に、この二人は劇作家でもあり、岸田國士戯曲賞を取っている。シナリオもまた戯曲であり、戯曲は文学である。この時期に春樹のアフターダークが刊行された。 第三の波はデジタル化(DVDとビデオオンデマンド)を背景としたレーゼシナリオの時代!?ww ちなみに映画黄金期に、シナリオライターが花形だったことは無い。
黒澤映画の脚本家、橋本忍や菊島隆三は黒澤ほど脚光を浴びなかった。 >>194
右寄りというよりファシズムに繋がる要素に満ちてる 映画は1895年にフランスのリミュエール兄弟が発明したということに
なってるけど、「活動写真」という意味ならその一年前に
アメリカのエジソンも発明した。前者はスクリーン式、後者は覗き箱式。
前者は対集団的、後者は対個人的。テレビ→ビデオテープ→DVD→ビデオ・オン・デマンドという流れはエジソンの後を継ぐもの。
それが発展するのに対応するように、シナリオライターの在り方も変わった。 竜(幻獣)も見えるでリュミエールと覚えましょう
あとエジソンの覗き箱はリュミエールより二年前 芥川の『影』、谷崎の『月の囁き』から百年
レーゼシナリオ起承転結の起の百年 群像新人賞評論部門で、優秀作とされたことがあるミヤザワ・タカヨシは、
大江の『革命女性』論書いてるね。
朝井リョウ原作『何者』という映画で岡田将生が演じたのはミヤモト・タカヨシ。レーゼシナリオの象徴とされたキャラ。
何かの符号?w >>206
来年な。
>>207
早稲田の文化構想学部つながり。
朝井がそこ卒業してて、宮澤がそこの教員(助手)やったことある ミヤザワとミヤモト間違えるって
ハマコーみたいだなw まさか、朝井が学生時代に助手だった宮澤を見て宮本のモデルにしたってことは無いだろうな。群像評論新人賞の写真は、ちょっと似てたような。
少なくとも、眼鏡はかけてた。 眼鏡と前髪長いところは似てる
髪質は、映画の宮本はかなりパーマがかかってたが(天然パーマかも)
宮澤はどうか。直毛ではなさそう。映画ほどではないが天然パーマではないだろうか? Majiで日本人がレーゼシナリオにKyoumi持つ90分前 サルトルに
フロイトの話をシナリオ化したものが
あるとか。 ミヤザワ・タカユキという人もいる。
「帰るわ!」の人。このひとも准教授 >>206
芥川『影』のほうは1920年だったな。しかし9月だから
四捨五入でこ1921年でいいや >>216
フロイト、サルトル、シナリオと
カタカナ四文字が並んで気持ちいいな、何か 文芸評論家の町口哲生が
チャット小説はレーゼシナリオ(またはレーゼドラマまたは対話体小説)に近いと
言っていました。 サルトルシナリオフロイト買っちゃったAmazonで
80年代後半に3000円以上した本が
数百円で手に入る。こういう思想系の本では
むしろ珍しいんじゃないか 電車男とか、限界インblackなんかのスレッド本は
ヤラセだとしたら
チャット小説みたいなもんだな 鴻池瑠衣?の何とかジャップ何たらってWikipedia形式を借りた小説もあるけど
5ch(2ちゃんねる)スレッド形式小説って
上記の二つがノンフィクションだとしたら
まだ出てないんじゃないの。なぜ誰もやらんのか不思議 瑠衣じゃなくて留衣だね
Wikipedia形式の小説なんて、その手があったか!って
皆が続々と真似するかと思ったら別にそうなってない。スレッド形式も然り。
文学の保守性の表れか。
綿矢が、「(苦笑)」とやっただけで、けっこう騒ぎになったんだからな。
YOSHIのケータイ小説で「ガッシ、ボッカ!」と殴るシーンを
漫画の擬音みたいに表現したら2ちゃんねるでも
嘲笑されまくってたwこれはしょうがないか。 芥川賞受賞作のなかに
草が生えるのはいつの日か。
トンネルを抜けるとテラワロスwwwwwwww
みたいな 大江と柄谷の対談集で
大江が暗誦できるほど読んだ詩人として
中野重治、三好達治、朔太郎を挙げてた。大江は革命女性、朔太郎は貸家札 大江と柄谷の対談集で
大江が暗誦できるほど読んだ詩人として
中野重治、三好達治、朔太郎を挙げてた。
大江は革命女性、朔太郎は貸家札。
ここにもレーゼシナリオつながりが!! 表現面はやり尽くされた感あるな
ちょっと求めるものとは違うかもしれんが新潮で連載中の松家仁之というおっちゃんの
小説『天使も踏むを畏れるところ』では参考文献一覧をウェブに載っけてて
雑誌ではURLだけ貼ってたんだよね
別に大したことじゃないのかもしれないが地味に衝撃受けたワ。 推理小説でも犯人の名前をウェブに載っけて
雑誌ではURLだけ
なんていう風になるかな
タイトルは『犯人はhttp』なんてw ブラクラじゃんそれw
うっかり踏んだら料金とか請求来そう 天使もネットやるのか。
投資家のことをエンジェルというから
そういう意味かね。 大江の『革命女性』は四百字詰め原稿用紙200枚で
文庫版では120頁。
綿矢のデビュー作『インストール』単行本も(原稿用紙何枚分か知らんが)
120頁。定価1100円(初版は1000円) 革命 大江の『革命女性』は四百字詰め原稿用紙200枚で
文庫版では120頁分(『最後の小説』巻末に収録)。
綿矢のデビュー作『インストール』単行本も(原稿用紙何枚分か知らんが)
120頁。定価1100円(初版は1000円)
革命女性だけで、再出版して欲しいなあ、1000円弱の定価で。 https://aucfree.com/items/l605717876
大江が朔太郎の詩『草の茎』を書いた色紙がオークション
で売られていた。 >>161
『美は諧調にあり』だね。キャッシュも残ってなさそう。
この対談が行われたイベントに参加した人、いる? https://blog.goo.ne.jp/nyoze-en/e/2740fd196a0239abac6863bb9a6541e6
これだ。シナリオ論の要点をまとめたもの。
レーゼシナリオは検索されず。荒井のシナリオ神聖喜劇というレーゼシナリオの話題が出てきて、そこでレーゼシナリオという語を澤井監督が言ったはずなんだが。 大江の『静かな生活』のある短編にセリーヌが出てくるね。
娘さんがヴォネガット(KVさん)に会いに行く話。
セリーヌは『島の秘密』というレーゼシナリオを書いてるし
ヴォネガットのフラグメント(断章)形式は、シナリオ的。
『アフターダーク』というレーゼシナリオを書いた春樹は
ヴォネガットの影響が強いし、デビュー作の『風の‥‥』から
フラグメント形式 娘さんが領収書という語をバウチという語で表現して
ヴォネガットからすると可笑しな訳語で
バウチと書かれた紙を持った少女の絵をヴォネガットが娘にプレゼントするくだりは、実にユーモラス。ヴォネガットの絵柄はスラップスティックの墓石の絵柄なんかを見ても、春樹の『風の‥‥』のTシャツの絵柄にそっくり ともかく
フラグメント形式→レーゼシナリオ
セリーヌ→レーゼシナリオ
大江→革命女性→レーゼシナリオ
関係ありすぎて困るwww >>257
ついでに春樹も、『1973年のピンボール』→『万延元年のフットボール』→大江
アフターダーク→レーゼシナリオ
関係ありすぎて困るwww
ついでといっちゃ失礼か。しかし昔は齢七〇で寿命と言われたもんだが
七〇超えた春樹も八〇超えた大江もまだ存命、ついでに黒井千次までまだ生きてるらしい 黒井千次も小説と戯曲の関係について書いた本出してるね
レーゼシナリオも戯曲の一種だから
少しだけ関係ある
関係ありすぎなくて困らないxxx 革命女性が収録されている『最後の小説』
まだKindle化されてないな 革命女性、今なら黒木華かな?今いくつか知らんけど
三十半ばくらいで、あのヒロインできそう 朔太郎が『文学としてのシナリオ』で芥川作品と並べて評価した短編小説集が、その後、叙事詩『氾濫』になったんだよね 映画一般・8mm
1人から始める映画制作会社を起業する! シン・ゴジラ、シン・エヴァンゲリオンなど
庵野秀明が「新」を「シン」と書く(「真」という意味もあるのか)
のを流行らせてるね。
ところで、子供の頃不思議だったのは教科書に「新国語」「あたらしい国語」
などという題がついてること。
教科書もこれからは「シン・コクゴ」なんていうのはどうだ?
文学は国語およびネーションを形成するというのは、お馴染みの認識だが
シン・コクゴをつくるのは、レーゼシナリオ!? 2003年 柄谷「近代文学の終り」講演
2004年 同講演が雑誌に掲載、綿矢&金原W芥川賞、春樹『アフターダーク』刊行、荒井晴彦『シナリオ神聖喜劇』刊行、北野武東京芸大教授就任発表
2005年 澤井信一郎、井土紀州のシンポジウムで上記荒井作品をレーゼシナリオと呼ぶ。東京外語大教授が『レーゼシナリオとしてのロムロン』という論文発表。2ちゃんねる文学板にレーゼシナリオ・スレが立つ、柄谷『近代文学の終り』刊行 最後付け足し。2005年は
ブライアン・ノーマン助教授(アイダホ大学)が、ジェームズ・ボールドウィンの「クローゼット・スクリーンプレイ」についての論文を発表 https://m.youtube.com/watch?v=79tVzpuBNUU
『レーゼシナリオ』というタイトルの歌があった。
嬉しい!
Buzzpexさん、頑張って! 朔太郎の享年は1942年
語呂合わせ年号風に言うと
「朔太郎1942(逝く。死に)際の言葉はレーゼシナリオ?」
もちろん言ったわけじゃないけど
晩年興味を持ってた(1937あたり) 7月4日はアメリカ建国記念日
『あげまん』のナヨコが生まれた日
そして、レーゼシナリオ・スレが立った日 >>284
北京、ロンドン、リオデジャネイロ、そして東京なるか? 井上洋子『シナリオ「誘惑」の方法 芥川、フローベール、映画』 大石富美さんの『浅草公園』論の中に、三嶋譲さんの『影』論が引用され、
大正末期から昭和初期にかけてレーゼシナリオが大量に書かれたという意味の文が註釈に出てくる。が、レーゼシナリオという語が三嶋さんの論文の中に出てきたかは不明。 井上洋子さんのは平成七年だが、三嶋譲さんのは昭和に書かれているようだね。 大石論文が関東大震災をテーマにしていて
そこに引用された井上論文が神戸震災の頃に書かれた。 これ読むと
朔太郎は芥川の詩歌をほぼ全否定してたらしいんだが(造花だとか)
浅草公園、誘惑も
シネポエムで、いちおう「詩」なんだけど
そっちはええんか? 芥川龍之介「浅草公園」完成原稿翻刻・校異と考察 : 付〈映画と文学〉の時代のシナリオ
"Asakusakoen : a scenario" by Akutagawa Ryunosuke : Reprint and Introduction >>295
1988年!革命女性が収録された『最後の小説』(大江)が刊行された年 >>289
20世紀中に、レーゼシナリオという語を含む学術論文が書かれたということだね
宇戸論文が2005年、土井美智子さんのが2001年。ともに今世紀だったが 今日は芥川賞の発表だね
文藝春秋は昔は文字通り文芸誌だったんだろうなー
浅草公園も文藝春秋に載ったとか>大石論文 >>301
ジョン・アンダーソンのホールドオントゥーラブが流行った年だね >>306
33年後の何たら…
田中康夫ちゃんみたいだな 俺、けっこう遅くまでワープロ専用機使ってて
それでレーゼシナリオ書いてた。
https://www.value-press.com/pressrelease/28599
これがあればウィンドウズのテキスト形式に変換できたのに。
しかし、一万円から三万円もするのか。 迷惑料は不逮捕特権
懲戒不請求特権だと思って
それだけ置いて帰ってくれ
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