>>181
>悪を憎み、被害を恐れ、被害を受ければ復讐したいのは、
>とうぜんの生命の法則性である。


それは科学主義に基づく自然の法則と
ジュネーブ思想と名付けられた市民社会の名誉意識が複合したもので
ゾシマの思想はそういうものではない
仏教思想の時事無碍法界相のようにすべてが連続的であり
それ故に「愛」に基づく融和が生じるといった発想で
「神」というのはこの連続性の最終審級くらいの意味ですね

たとえば検事イポリートによるミーチャの論告求刑は前者の見方で
精神分析や論理学で法としての罪を構築していくが
これは冤罪に過ぎない、しかしこの社会的制裁、つまり「罰」を
あえて汚名とともに引き受けることによって贖罪と自他の救済が生じる
作品の冒頭に記された聖書からのエピグラムである
一粒の麦〜というのはそういう事でしょう

ドストエフスキーはいちおうキリスト教世界にとどまるのだけど
ローマカソリックやプロテスタントと違った独自の境地にいる