>>187
>これはゾシマの腐臭に通じている。ゾシマの死臭により、その生涯は汚点をもって解釈されるのか?

この物語は匂いがあるから意味があったのです
罪をあえて引き受ける、というのは本当に難しい
匂い(ゾシマの腐臭もソーニャのまっすぐな目も)とは存在である
多くの人は精神的に何が正しくて何が正しくないのかを頭では理解しているし、人類を愛してさえいる
でもダメなんだ
自分の正しさを「今は」表に出さずにはいられない
匂う相手が現在の目の前に現れると法則も同時に姿を見せて、その姿に圧倒される
人類(匂わない)を愛する事は出来るが姿(匂う)を見せないこと、とイワンは言ったけどね
ドストエフスキーの言う法則を超えられない、というのは個我を消すのがどれほど不可能な事のか、という命題でもあると思う
この匂いに圧倒されて感情をその場で発散させる、が、後で良心に思い合わせて言った事を後悔する
この人間的な矛盾に神秘がある、とドストエフスキーは肯定的にも否定的にもなれないイワンに似ている作家と思うのです