過疎ってるから久々に投下してみます

ある数秒間がある、そのときだしぬけに、完全に自分のものとなった永久調和の訪れが実感されるのだよ。
これは地上のものじゃない。
といって、なにも天上のものだというのじゃなくて、地上の姿のままの人間には耐えきれないという意味なんだ。肉体的に変化するか、でなければ死んでしまうしかない。
これは明晰で、争う余地のない感覚なんだ。ふいに全自然界が実感されて、思わず、『しかり、そは正し』と口をついて出てくる。神は、天地の創造にあたって、その創造の一日が終わるごとに、『しかり、そは正し、そは善し』と言った。
これはおのずからなる喜びなんだね。おお――それはもう愛以上だ!
何より恐ろしいのは、それがすさまじいばかり明晰で、すばらしい喜びであることなんだ。
もし、五秒以上もつづいたら――魂がもちきれなくて、消滅しなければならないだろう。
この五秒間にぼくは一つの生を生きるんだ。この五秒間のためになら、ぼくの全人生を投げ出しても惜しくはない、それだけの値打ちがあるんだよ。
十秒間もちこたえるためには、肉体的な変化が必要だ。ぼくの考えでは、人間は子供を生むことをやめるに相違ないね。目的が達せられた以上、子供が何になる、発達が何になる? 福音書にも、復活のときには子を生まず、天にある御使たちのごとし、と言われている。

ここまで生を肯定していたキリーロフが、最後は理性を失った無神論者として自殺することが意味がよくわからない、と思いました