> ここは当分お前のおるべき場所でない。

と師匠はいう。こことは「なにをさすのか?」この場合、僧院と思われる。
ではなぜ、僧院を去れといわれるのか?

>俗界で偉大な修行とは?
そしてそれを期待し祈るとは?

>お前はまだまだ長く放浪すべき運命なのじゃ。
放浪とは?

>それに妻も持たねばならぬ、きっと持たねばならぬ。
なぜ、妻をもつことが大事なのか?妻と過ごし、子を持ち、その中からなにを学び、修行するのか?

> そして、ふたたびここへ来るまでは、
ふたたび、僧院へ帰っくるという予言であるか。

>しかし、お前という者を信じて疑わぬから、それでわしはお前を俗界へ送るのじゃ。
信じて疑わぬからこそ、それゆえに取り分けてアリョーシャを
俗界へ送る、という。
>
> お前にはキリストがついておられる。気をつけてキリストを守りなさい、そうすればキリストもお前を守って下さるであろう。

「キリスト」とは信仰の対象である。師匠がそのように断言されれば、アリョーシャは「ぼくにはキリストさまがついていらっしゃる」と無意識レベルで
かんぜんに信じるのである。その報恩の気持ちから、いいつけどおり
「キリストを守ろう」となる。そしてじっさいに「守られるのである」