中上健次が「文壇」の中心となれたのは、小説の良し悪しだけではなく、
酒場で出来の悪い「男」にも惜しみなく「愛」を振りまいていたからだろう
(中上本人は他人事のように「ホモ集団」と言っているが)。そして、中上から愛を振りまかれた人々は、
金井が言うように、自分だけが愛されているのだと勘違いした。
その「愛」が、普通では考えられないほど過剰なものだったから。

だが、中上の本質は博愛主義なのだ。それはまるでキリスト教のようだが、
寵愛・教えを受けた「男」たちが、教祖について積極的に語り継ぐという構図はかなり似ている。
中上の暴力が「批評」として好意的に受け止められたのも、それが「愛」の裏返しであり、
文学に真剣なるあまり殴っているのだと、みんな解釈したからだった。
金井は追悼文の中で「過剰」という表現を使っていたが、「文壇」の不在について語る人々は、
今は過剰な人間がいないのだということを言っているのだろう。

フランソワーズ・サガン(Françoise Sagan、1935年6月21日 - 2004年9月24日)
『ある微笑』Un certain sourire (en) (1956年)
朝吹登水子訳 新潮社 1956年 のち文庫