「事件」の続報と四方田犬彦の初小説 “ニューアカ”の終焉
[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)

渡部直己および早稲田大学大学院現代文芸コースのセクハラ事件についてはこれといった続報がない。
関係者は依然沈黙のまま、早大からの報告も、『早稲田文学』からの声明もない。
文芸各誌も事件などなかったかのようにスルーを決め込んでいる。唯一ライターの武田砂鉄が、
『文學界』の連載、『すばる』の長島有里枝との対談(ともに9月号)で言及しているが、
武田は文芸外部の人間である。部外者の批判で禊ぎに代えるというのは大手新聞などでよく見るやり口だ。
業界内の不祥事には目をつむるというのなら、
文芸誌は今後一切フェミニズムだのなんだのと口にしないでほしいものだ。
さもなければ私たちの議論しているフェミニズムは現実社会とは無関係な机上の空論ですと断りを付すべきである。

文芸誌8月号では、四方田犬彦初の小説「鳥を放つ」(新潮)が目玉か。
1972年に東都大学(明らかに東京大学がモデル)に入学した
明生(あきお)の2012年までの半生をモチーフに描かれるのは、
学生運動およびニューアカデミズムの総括である。明生の造形には作者の一面が投影されているが、
「四方田素子雄(すねお)」なる自虐戯画的な登場人物も現れる。
この二重化は物語上の仕掛けである「双子」とも呼応する。
明生に割り振られた、狂騒に対して当事者ながら醒めた傍観者でもある役柄は、
ニューアカを虚栄と突き放すラストを引き立てるが、評者は少々ずるいのではないかと思った。
四方田と渡部直己は一歳違い。ニューアカのようやくの終焉を告げる作品と事件が奇しくも並んだ印象である。