泉鏡花part4
安倍北海道震度7地震でも予定通り総裁選 石破さんは「被災地の事考え延期するべき」優しいな石破
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1536283384/
VIPQ2_EXTDAT: none:default:1000:512:----: EXT was configured 尾崎紅葉の弟子で
徳田秋声だっけ?が
紅葉はお菓子の食い過ぎで死んだと言ったら
鏡花が殴った
そして徳田秋声は泣いてしまったと
子供みたーい >>11
二人とも金沢出身。もう一人朔太郎の親友室生犀星も金沢だが
徳田秋声と室生犀星は多少は交流あったのか。秋声会に犀星が入ってたというから。鏡花と犀星は特に交流無しか? 夜叉ヶ池の舞台をテレビでやってて見ました。
ttps://www.nhk.jp/p/p-stage/ts/6G94PXJM6G/
メインの夫婦はなんで序盤で白髪のかつらをかぶってたの? 研究動向 昭和期の泉鏡花
鈴木 啓子
昭和文学研究 52 88-91 2006年3月
松本哉『芥川龍之介の顔』(昭63、三省堂)に、鏡花と芥川
の執筆量を棒グラフで比較したユニークな図が載っている。四
百字に換算した鏡花の原稿枚数は、芥川の七千五百枚に対し、
小品・随筆等を除いて約三万枚(小説285篇、戯曲21篇)。日清
戦争後の新進作家として脚光を浴びた明治二十年代後半、鷗外
をして「鏡花の時代」と言わしめた三十年代、反自然主義の旗
頭に奉じられる四十年代、戯曲にも傑作を残す大正期、震災・
改元を経て昭和十四年(満66歳)の絶筆まで、約半世紀の創作
活動を俯廠する時、芥川の死後、すなわち昭和に入り、鏡花の
筆が衰えを見せることは一目瞭然。昭和期の作品は僅か二十篇
(小説18篇、戯曲2篇)、原稿用紙で約二千五百枚にすぎない。
ただし量的衰えは必ずしも質的衰えを意味しない。
Blog鬼火〜日々の迷走
2023/05/17
下島勳著「芥川龍之介の回想」より「秋時雨
――鏡花泉先生の追憶――」
龍之介は、生前、鏡花を敬して語らずという礼法
を守り、随筆などには彼を語った物は殆んどない。しかし、以上の鏡
花作品に就いての語りを読むに、私は、芥川は直弟子を自認してい
た夏目漱石よりも、寧ろ、本邦の数少ない幻想文学の巨匠として、
遙かにその小説群を尊敬もし、また、真似出来ない名匠として捉え
ていたものと考えている。 絵本 龍潭譚 定価2,750円 国書刊行会
神秘と蠱惑の桃源魔界を描いた、天才泉鏡花の華麗なる幻想世界に、鬼才の絵師中川学が挑む!!
《昭和のはじめ、数多の鏡花本装幀に貢献した小村雪岱のそれに勝るとも劣らない、
「令和の鏡花絵師」としての中川学の真価が、
このたびの「龍潭譚」復刊によって、より多くの人々の耳目を集めるだろうことを、私は信じて疑わないのである。
》(東雅夫・解説より)