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【早稲田大学】渡部直己7【俺の女になれ】
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0001吾輩は名無しである
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2018/10/06(土) 22:29:32.51ID:b8XRXotp
前スレ
【早稲田大学】渡部直己6【俺の女になれ】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1535208158/


早大名物教授「過度な求愛」セクハラ疑惑
別の教授は「口外するな」と要望か
https://president.jp/articles/-/25434

早大セクハラ疑惑「現役女性教員」の告白
組織ぐるみで「口止め」を図ったか
https://president.jp/articles/-/25472

早大セクハラ疑惑"口止め教員"の怠慢授業
「授業の半分くらいは休講」の疑い
https://president.jp/articles/-/25520

早大セクハラ"教員32人が共同声明"の意味
被害女性は「とても心強い」と評価
https://president.jp/articles/-/25732

早大"セクハラ口止め"調査委が認めた内容
1対1の問題が、組織的隠蔽に発展
https://president.jp/articles/-/26105

早大セクハラ「退職金返還拒否」の妥当性
"非難を受け、本人も反省している"
https://president.jp/articles/-/26143
0202吾輩は名無しである
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2018/10/23(火) 22:15:15.88ID:HiYkYkMk
ゲンロン9 第I期終刊号
東 浩紀 (著, 編集), 五木 寛之 (その他), 沼野 充義 (その他), 苅部 直 (その他), 大澤 聡 (その他),
先崎 彰容 (その他), 辻田 真佐憲 (その他), 土居 伸彰 (その他), 松下 哲也 (その他), 山本 貴光 (その他),
ミハイル・バフチン (その他), 貝澤 哉 (その他), 許 U (その他), 仲山 ひふみ (その他), プラープダー・ユン (その他),
福冨 渉 (その他), 黒瀬 陽平 (その他), 速水 健朗 (その他), 渋革 まろん (その他), 佐々木 敦 (その他),
トキオ・アマサワ (その他), 大森 望 (その他), 上田 洋子 (その他), 市川 真人 (その他), 海猫沢 めろん (その他)
出版社: 株式会社ゲンロン (2018/11/8)

2018年10月16日
文学学術院事務所
【文芸・ジャーナリズム論系】 論系ゼミ1次申請状況(最終)

9 編集と批評ゼミ 市川 真人
https://www.waseda.jp/flas/cms/assets/uploads/2018/10/H04_20181016_zemi_1jijyoukyou_bunnjya.pdf
0203吾輩は名無しである
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2018/10/24(水) 01:35:11.53ID:MzPWzlPO
新しくくるやつ誰だよ?
0205吾輩は名無しである
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2018/10/25(木) 23:48:28.39ID:tAeFeFQ9
「日本近代文学」
第82集 (2010年 平成22年 5月15日発行)  
〈特集〉バブル後の文学、その地平
http://amjls.web.fc2.com/zasshi/082.pdf
ペンだこが消えたとき――一九九〇年代の笙野頼子におけるディスクールを軸にして――清水良典

それは、同時代の文学が「文芸時評」を通して定点観測されるべき
恒常的な価値体系であった時代の、緩慢ながら歴然としたある種の終焉でもあった。
同時代の小説と文芸評論との関係そのものに、決定的な変容が先立って起こっていたのである。
テクスト主義をもたらしたロラン・バルトの「作者の死」言説を発端として、八〇年代よりすでに
日本の先進的な文芸評論家のあいだで文学は死や終焉とともに語られていた。
蓮實重彦の『表層批評宣言』(七九年)『物語批判序説』(八五年)、そして時期をほぼ同じくする
柄谷行人の『日本近代文学の起源』(八〇年)から『終焉をめぐって』(九〇年)の言説のあいだで、
戦後文学の延長線上にありながら世代交代が進行していた同時代の小説は、
評価軸の抜本的な変容に晒されることになった。
たとえば蓮實と柄谷の強い影響下にあった渡部直己と絓秀実が、
九一年から九二年にかけて「すばる」誌上で相次いで採点方式の「文芸時評」を連載し、
取り上げたほとんどの作品を罵倒同然に全否定的に扱っていたことも、
その時代の文芸評論の異様な空気を物語る事実である。

いうまでもなくバルトが宣言したのは「制度としての作者」であり、
作品に対して父権を発揮する「公民的、情念的、伝記.的人格」の消滅であった。
しかし新左翼的な「制度」批判が超越的に猛威を振るい、
同時代の小説のほとんど総てを「制度」の隷属物のように否定する言説が、
あたかも先端の文学理論に保証された前衛的知見であるかのように、
当の「制度」を担う文芸雑誌からも受け入れられていたのである。

そのような時代でありながら蓮實や柄谷および二人をカリスマとする文芸評論家たちが
例外的に高く評価していた作家が、大江健三郎と中上健次だった。
0206吾輩は名無しである
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2018/10/26(金) 09:14:42.68ID:DkcNEswF
90年代は制度批判の季節じゃないかな
オリエンタリズムのようなロジックが
実際にバンバン利用されるようになって
無双感があった
0207吾輩は名無しである
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2018/10/26(金) 20:38:37.09ID:iC/SXN5B
言語文化35号 / 2018年3月
ジャック・レヴィ 小説における声と叙法との交差
https://www.meijigakuin.ac.jp/gengobunka/bulletins/archive/pdf/2018/01_levy.pdf

一方で、たとえば中上健次の『千年の愉楽や『奇蹟』がそうであるように、
冒頭の「第一次物語水準」で登場する作中人物がそのあとに続く語りの主観として紹介されていようが、
叙述の形式上、決して入れ子状のメタ物語でもなければ話者の転換も行われていない、
同じ無人格の声によって繰り広げられる虚構もある。上記の例では、
語りが他者なるオリュウノオバやトモノオジの視点を借り、渡辺直己のいう自由間接話法ならぬ
「自由伝達話法」によって、それこそテクスト前面にわたる語りと視点が「渾然一体」されている。
そこで読み手=聞き手にたいして一種の「両義性」が見せかけられているとしても、
物語形式そのものには何らの曖昧性もなく、
だれが語っているのかという問いには、「混同」を避けようというのなら、
作中人物とも作者とも異なる語りの審級によるものであると答えるほかないのだろう。

日本における近年の小説風土で目立つのは、一人称と三人称とのあいだでの
語りの焦点の特異な移動と往復であるとする渡部直己は、それらの作品を、
保坂和志のテクストなどに見られる一人称の「三人称化」をふくめ、
一人称から三人称多元的な語りへ移る場合は.「越境系」と呼び、
三人称から一人称、あるいは、柴崎友香の『私がいなかった街』がそうであるように、
一人称の語りからその話者とは全く別の話者の一人称の語りへと移り変わるタイプの物語言説を
「狭窄系」と称している。
0208シャシャキ
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2018/10/26(金) 21:16:54.60ID:iGJhnMVB
>>207
こんなの渡部が僅かな例を取り上げて大袈裟に騒いでるだけじゃんW
たぶん、無能文学オタク渡部が細かすぎることに注目してるだけだろ。
まあ、一応レヴィさんのPDF読んでみるかW
基本、渡部直己は頭が悪過ぎるW
まあ、「俺の女になれ」じゃなくて、渡部は既に御万個してたんじゃないの?
結構、手際よさげに女さばいてそうだが。
0209吾輩は名無しである
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2018/10/26(金) 22:08:39.49ID:DkcNEswF
日本語は文末表現でこまかに語り手の語気を表現できるから
語り手が変化しているような雰囲気が自然に出るという意味では
厳格に書かないと自然に揺れているような効果が生まれるとはいえる

しかしこういうバカが多い↓

「国境追われしカール・マルクスは妻におくれて死ににけるかな」に
触れて指摘したのと同じことを指している。
ちょっとかんがえるとある歴史上の事実を客観風にのべただけのような一首が、
高速度写真的に分解して、表出としてみるとき、作者がいったんマルクスに
なりすまして国境を追われたかとおもうと、マルクスになりすました
感慨にふけり、また、作者の位置にかえってその死の意味に感情を
こめているといったような、かなり複雑な主客の転換をやって
のけていることがわかる。(吉本隆明『言語にとって美とはなにか』)
http://d.hatena.ne.jp/nakaii/20160106/1452066722

なりすましもないし死の表現に気持ちがこもるのは当たり前
複雑でもなんでもないし主客なんて言葉を使う意味もない
作者が共感をよせているだけ
こんなの細切れに追っても発想上のうまさはわからない

こういう思考の失敗を屁理屈という
0210吾輩は名無しである
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2018/10/26(金) 22:16:45.26ID:DkcNEswF
それから翻訳文学は視点の移動や揺れに気がついて
きちんと移し替えているかどうかはわからないし
その分別がそもそも作者の意図かどうかもわからない
個別の言語によっても違うから訳だけ読んで
判断するのは危険過ぎる

なのでまずは現代日本語の人口的な作例で、これが
こうこういう焦点化です、とか、モダリティを
こう変えるとこうなります、
これを積み上げるとこういう効果がうまれます、
みたいな作業で一旦定義をしないといけない

つまり、十行くらいの文章を書いて、これが完全な一人称です、
とか、こう書くとそれが崩れます、なぜかというと、こう表現を
変化させたからです、とかやらんといかん
0211吾輩は名無しである
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2018/10/26(金) 22:34:26.62ID:DkcNEswF
古池や蛙飛びこむ水の音で真似してやろう

高速度写真的に分解して、表出としてみるとき
「古池や」は作者の詠嘆です
「蛙飛びこむ」は動きの写生ですが
「飛びこむ」は動作を普遍化しています
「水の音」は作者の知覚というよりも音という存在そのものです
これは相当複雑です←バカ

この句の芸術性は既にあった「蛙は鳴くもの」という言語芸術内の常識
つまり様式化した発想から抜け出た新鮮さにある
0212シャシャキ
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2018/10/26(金) 23:08:32.78ID:iGJhnMVB
このジャック・レヴィって人は中上健次の「奇蹟」をフランス語に翻訳した人か。
俺は「奇蹟」を全く読んでないが、このスレのレヴィさんのPDFはナラトロジーを現代日本文学に適用するという、いかにも日仏翻訳者らしい態度なんだが、この人は日本の口承文芸の伝統を知らないんじゃないか?
特に「絵解き」などは非常に自由な語り方が許される訳で、それが日本文学の伝統でもあり、今の現代日本文学はその伝統に先祖返りしてるだけではないか?
そう難しく考えることでもないような。
まあ、適当に言ってみたw
0214吾輩は名無しである
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2018/10/26(金) 23:44:38.20ID:DkcNEswF
>>213
audibleを聴いていると分かるが
朗読者の語り方で単なる描写に感情が
篭ったり変化するからなw

英語のwouldみたいに語彙的指標が
あれば、そこに紐付けするという
限定的な枠組みである程度客観化できるのは
確かだが

例えばカッコつけた独白が実は内的かどうかなんて
わからないw
0215吾輩は名無しである
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2018/10/26(金) 23:46:44.52ID:rdhZaA2U
保坂和志メソッドを名付けたのが「移人称」という理解で良いのでは。
0216シャシャキ
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2018/10/26(金) 23:48:32.95ID:iGJhnMVB
まあ、細かいことで騒いでる渡部直己は馬鹿だってことw
渡部とか守中高明は細かいことしか取り柄ないからなw
0217吾輩は名無しである
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2018/10/27(土) 00:03:42.62ID:ZICCBmTB
アホな精密化はかえってガバガバが目立つからな

簡単な話、単一のサンプル文章を改変して、
お前のいっている分類を全部書き分けてみろ、でいい
できないなら口から出任せってこと
0218吾輩は名無しである
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2018/10/27(土) 19:23:14.89ID:8u4ecuIX
日本文学講読X
http://kuwabara.a.la9.jp/lectur99/jpnread99a.pdf

(「蒲団」はまさに「小説家が自分自身の体験をありのままに虚構をまじえずに小説にし
たもの」であり、それが話題になったために、それ以後の小説はすべて「蒲団」と同じ方
向をめざすことになった。
ゆえに、日本の近代の小説は狭くて一般性のないものになった。だから戦争に向う社会に
対して無力だったのであり、戦争をくい止めることができなかった。何の抵抗もできなか
った)
(これと比較して、ヨーロッパの文学・文学者の社会に対する関心の強さ・彼らの書くも
のの社会とのつながり・一般性が評価される。戦争に対する態度も日本の文学者とは違う)
(これは、かなり思いこみ、または自分の意見を述べるための極論のような所がある。)
以上が中村光夫の説の大枠
これはあくまでも中村光夫が書いたことで、彼の意見である。
しかし、これが定説として、強い力を持つことになってしまった)

最近の本の中で、この中村光夫の説にふれているもの
渡部直己『本気で作家になりたければ漱石に学べ』
(一年生の文芸創作論の教材)
小説家奥泉光との対談
(読む)
わりと中村光夫の話を鵜呑みにしている。
この本自体、また、この対談自体、漱石を持ち上げる、高く評価するという方向で書かれ
ているために、一番典型的な非漱石的なるものとして田山花袋をあげており、一番わかり
やすい中村光夫の説をあげている。
(実はこの部分にはちょっとした間違いがあって、渡部が「寂しき人々」というハウプト
マンの戯曲を実際に読まずに書いている、ということは一目瞭然なのだが、そのあたりは
別の機会について述べる)(弁護しておく)
(さて、それでは、実際に中村光夫はどういうことを語っているか、見ていこう。)
先程渡部が鵜呑みにしている、という言い方をしているのからわかるかもしれないが、実
は中村光夫の言うことには間違いがある。間違いなのか、または自分の主張を通すために
あえてウソを書いているのかもしれない。そのくらい、明白な間違いだ。
0219吾輩は名無しである
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2018/10/27(土) 20:38:08.21ID:HC4t0pW5
社会全体を描くという構想が育つ前に
マルクス主義の社会観が流入したんだろうね
簡単な話そうだろう
戦争に抵抗云々は関係ないな

欧州の事情は各国民が行き来して
交流してきた歴史と
そのなかでインターナショナルな
大きいな知識人階層が形成されていたことにある
こうこうこういう小説書けば抵抗できたなんて
アホの発想
0220吾輩は名無しである
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2018/10/28(日) 00:01:20.24ID:/ryG2SlK
その見立てはマルクスをわりと簡単に片付けられると思っている書き方だが、どうなん
0221吾輩は名無しである
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2018/10/28(日) 00:42:01.12ID:cYueHAE7
わりともくそも
社会を総合的にみるという視点がほとんど
マルクス主義の物の見方として入ってきてた

これは想像だが、おそらくは社会を描けていない
という問題軸自体もそもそもこの状況から生まれている
んだろうな
0222吾輩は名無しである
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2018/10/29(月) 13:32:41.54ID:vT8YlY3E
渡部直己の自由間接話法といい、國分功一朗の中動態といい、要は
ナラティヴにおける主体性の揺らぎだろ。
元々が近代以後の日本、韓国、中国人にはパースペクティヴは殆ど
消失していたが、それは東洋が西洋に負けたからで、東洋人には「現在」しか
無くなっていたのが、ポストモダン以降に東洋人が主体性を回復したこととも
関係あるだろう。
だが、こんなのヨーロッパじゃホーマーの時代からずっとあちこちで現れてる訳で、
フローベール、ジョイス、フラナリー・オコナ―その他など有名だが。
渡部や國分が最近の日本での僅かな例を挙げて、「これからはこれに注目ですよ!」と、
小賢し気にちょこまか動くのがいじまし過ぎる。
日本という極小さな、しかも後進的文学市場で起きた僅かの現象を大げさに
取り上げることの愚劣さ。
欧米の学者たちは、歴史上の例を挙げてるだけで、それを現代の文学者が
やるべきとか一言も言わない。
土台、渡部や國分らの阿保が流行を作り出すとか絶対に無理だから。
早稲田や慶応から本格的な文芸評論家や哲学者など絶対に出ませんから。
村上春樹のノーベル賞もいい加減で諦め宣言出した方が良い。
0223吾輩は名無しである
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2018/10/29(月) 13:48:33.76ID:wuNXBjy4
お前も5chでつまらんおべんきょの成果を述べて誰かに賛同してもらおうとするのは諦めた方がいい
0224吾輩は名無しである
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2018/10/29(月) 13:57:49.64ID:dFVkP3mZ
>>222
これ酷いね
ものすごい適当
0225吾輩は名無しである
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2018/10/29(月) 14:16:43.15ID:vT8YlY3E
>>223
お前は何も言えないだろw
0226シャシャキ
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2018/10/29(月) 14:22:57.02ID:vT8YlY3E
>>224
お前は倉本さおりか。
223の佐々木敦と一緒にかかってこい。
この文学板でお前ら潰してやるよ。
0227吾輩は名無しである
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2018/10/29(月) 14:28:24.44ID:dFVkP3mZ
>>226
コテなんで隠してたん
ロクでもない大雑把な話して
0228吾輩は名無しである
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2018/10/29(月) 14:33:25.18ID:vT8YlY3E
>>227
コテと言うほどのもんじゃない。
一々,署名しなきゃならんのを忘れるだけだ。

大雑把でも有効なんだよ。
お前が佐々木敦でないならどいてろ。
0229吾輩は名無しである
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2018/10/29(月) 14:44:59.43ID:dFVkP3mZ
>>228
主体性の揺らぎなるもので文章を対象にかたるなら
試しに揺らいでいる文章を書いてみ

揺らいでない既存の文章を引いて改変して
ビフォアアフターしてみてもらってもよい

壮大なこと言う前にやってみろ
0230吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/29(月) 14:48:45.69ID:vT8YlY3E
>>229
うるさい。
0231吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/29(月) 15:15:27.83ID:dFVkP3mZ
例えば一人称の文章書いてみ
で書けなかったらそいつは
一人称の文章をなにか決めていないか
理解していない
フワッと勝負w

それなのに近代とか誰々がとか
言い出したら只のアホだろ
そういう遊びかもしれんが
0232吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/29(月) 15:32:33.40ID:K1OF1Bbm
>>231
人との距離感読めなさそうな人だな...
0233吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/29(月) 16:14:41.72ID:wuNXBjy4
そうか?
そいつが投げかけてるのは素朴な疑問じゃん
いきなり出てきた池沼にコミュニケーションについての個人的な見解をぶつけられる筋合いはないだろうな
0234吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/30(火) 00:49:48.06ID:RhHXWACj
2010年09月11日 
批評の場 再構築へ 揺らぐ時代に“不良”指南 渡部直己さん(文芸評論家) - 東京新聞

「今の若者は読み物と文学の区別がついていない。読み物は読んだ後も自分自身が何ら変わらず、
単なる消費財でしかない。文学とは、それと出会ったがゆえに自らが変わるもの。つまり、事件や愛なのです」

文芸評論家で早稲田大文学学術院教授の渡部直己さん(58)はこう断じる。
研究室の左右の壁沿いの本棚は、日本文学全集やフランス現代思想の本が埋める。
ただし左右の両端、最上段付近は、主(あるじ)の特別な思いを示すように、
中上健次、金井美恵子両氏の本が占める。

「文学や思想を学ぶことの最終的な意味は、一生付き合える本を何冊見つけられるか。これに尽きます」

近著『私学的、あまりに私学的な』(ひつじ書房)は「大学の講義のネタ帳」だ。
前半は古今東西の名言の現代ふう読み解きや、新聞連載のスポーツ批評に対する読者からの
苦情の分析などの軽いテーマ。だが、真ん中の村上春樹論だけ紙の色が違っている。
「この分水嶺(れい)を越えると難しくなる」と渡部さん。

後半は、谷崎潤一郎や後藤明生の小説を、広範な文学・思想的蓄積から生まれた洞察によって
読み解く本業の文芸評論が登場する。そして巻末には、小説百冊、批評七十四冊の「必読リスト」が付く。

「圧倒的に本を読まない現代の学生に、リストにあるような本をいかに手にとらせるか。
単に読めといってもダメなので、大学で日々接している僕が、 こういうネタをこう使うという実例を示し、
読む動機付けにしたかった。教室と書物を結び付ける媒介が、この本です」。
学生を甘やかすつもりは一切ない。
0235吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/30(火) 00:50:35.55ID:RhHXWACj
文学系は就職に不利とされてきたが、「法律、経済など実学系の学部は
社会の間尺に自分を合わせることを学ぶのに対し、間尺そのものを疑うのが文学や思想。
間尺が揺らいでいる現代、就職試験の面接でマニュアル通りに答える人間など求められていない。
いかに自分の言葉で他人を説得できるか。それには、よい小説や思想書を読むしかない。
今や文学を学ぶことこそ最大の就職活動です」。そんな学生の変化を反映してか、
先日、大学院の修士課程に現代文芸コースを新設すると発表したところ、説明会に七十人も集まった。

ただ、知識を得るために“優等生”であることは求めない。書名にある「私学的」には、
昔の早稲田の校風、放任主義を尊重するという含意もある。 「現在の出席率はかなり高い。
でも、作家や編集者になった連中は講義などろくに出ず、自分で勝手に勉強していたものだった。
リストを与える一方で、今の子 をどうやってそんな“不良”にするか−」

若者たちが目指す文学界の今をどう見るか。一九八〇年代はニューアカデミズムブーム、
九〇年代は『批評空間』誌が一つの軸となって批評を牽引(けんいん)し、文学作品の多様な読みが試みられた。
だが、「ゼロ年代は誰でも読める易しい作品がもてはやされ、批評は迎合の時代に陥った」。
例えば、人気の村上春樹作品についても「批判的なのは僕と小谷野敦(こやのとん)さんくらいで、
他はみんな褒める。気持ち悪くて仕方がない」と首をかしげる。

易しく軽い小説が量産される事態は、泉鏡花や中上健次の分厚い言語世界を、
知力を尽くして解き明かしてきた実績から見れば歯がゆいに違いないが、
「僕の出身母体といえる『早稲田文学』誌が、休刊などを経て頑張っていたら、
川上未映子さんのようなすごい新人がぽんと降ってきた。十年に一度くらいはいいことがある」と笑う。
「批評の力を失った空間は必ず退廃する。若者が知性の飢えを感じている今こそ、創造のチャンス。
コアとなる“場”を作り、批評性を高めていきたい」 (三沢典丈)
0236吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/30(火) 08:37:14.47ID:xYIuYr42
>>230
書けと言われて
こうこうこうなる、とプロセスが思い浮かばなければ
口だけだったということだな

言うだけならバカでもできるw
0237吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/30(火) 08:45:06.62ID:Bp4z+qrd
よい小説や思想書たくさん読んだ末に編み出された口説き文句げ「俺の女になれ」ですかw
0238吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/30(火) 08:49:37.51ID:xYIuYr42
この肩の力の入れようが全て
事件に結びつく空気w
0239吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/30(火) 12:10:35.23ID:K8hEZio7
アホども相手にしていい思いしてるうちに自分も焼きが回っちゃたな
0240シャシャキ
垢版 |
2018/10/30(火) 18:59:46.49ID:sUmcy5cY
>>233
「そいつ」と「いきなり出てきた「池沼」とは、誰誰のことか、お前の文章じゃさっぱり見当がつかないはずだが。
0241吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/30(火) 19:05:32.18ID:xYIuYr42
>>240
でお前は主体性の揺らいだ文章が
何か指摘できるの?

書名伏せてランダムに読ませたら
この部分だって発見できるの?

できないなら口だけだな
0242シャシャキ
垢版 |
2018/10/30(火) 19:30:52.65ID:sUmcy5cY
>>241
俺としてはあんまり興味ないけど、「主体性の揺らぎ」というと、安藤礼二が折口信夫論で述べたような男色関係のオカマ掘る方を主体、掘られる方を客体とする場合の
両者の間での揺らぎみたいなものもその例だと思う。折口の場合、「揺らぎ」が当てはまると安藤は見てたのでは?
実際に、欧米の文学における自由間接話法の論議ではそういう話がポコポコ出てるようだ。
俺は「絵解き」の話を最初にしたが、世界最古の「絵解き」をしたのはアタルガティス信仰の去勢され、中性化されたpriest(一応、僧侶としとく)達だった。
また、口承文芸に携わる者達は世界的にメクラが圧倒的に多いが、彼等は女を目で犯すことが出来ない者達。疑似的去勢者だ。
まあ、中動態の話も似たようなもんではw
0243吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/30(火) 19:37:34.41ID:xYIuYr42
>>242
いや読みかじった知識はどうでもいいんだわ

お前が西洋では結構あって東アジアには
ポモまでないという主体性の揺らぎの
文学とはどういう文章を指しているの?

大雑把は話で満足するなよゴミムシ
0244吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/30(火) 19:38:17.07ID:xYIuYr42
典型的なアタマデッカチだな
コイツはw
0245吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/30(火) 19:58:33.65ID:sUmcy5cY
>>243
お前らが逆立ちしても無理な良い話を聞かせてやったのに、調子に乗るな。
文学板の目ぼしいネタの90%以上を俺一人で供給してやってるのに、佐々木敦や大森望や
お前らに何が出来るんだよw

東アジア人の頭には過去ー現在ー未来というパースペクティヴは概ね無かったのは
日本、韓国、中国の新聞を長い間見てきたら、そういう感想を持つものだが、近年は
そうでもなくなったというのも大方の読者の見方だろう。
0246吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/30(火) 20:13:45.51ID:xYIuYr42
>>245
でたらめな思想地図だけ書いているバカw
パースペクティブ?も意味不明
ないわけないじゃない
過去現在未来という言葉も古くからあるぞ

なんだか分からない言葉を重ねるって
苦しいだろ?
読んだことだけ繋げるとそうなるわな
知識でも最も低次元の知識な
0247吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/30(火) 20:15:40.89ID:xYIuYr42
言葉遣いで文学ムラのモグリだとわかるな
コイツはww

パースペクティブ!
揺らぎ!
宙吊り!
俺アタマいい!
0248吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/30(火) 20:16:08.27ID:xYIuYr42
ゲラゲラ
0249吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/30(火) 22:19:23.21ID:q0VuLdtd
昔からだけどこの板がどこよりも糖質率が高いね
利用者数が少ないからかもしれんけど
たまに明らかに優秀な人もいるから見に来るけど、ほとんどが病人を見るだけ見てそっ閉じのパターン
0250吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/30(火) 22:42:39.60ID:4tlwWBg3
哲学板よりはマシ
0251吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/31(水) 06:46:10.45ID:+1TzsRWX
スレを追い、書き込みをすればするほど、精神は高次元へと高まる。
それが原点ではなかったか。うおおおおおおおおお。
0252シャシャキ
垢版 |
2018/10/31(水) 18:23:29.99ID:OGgomErs
>>249
明らかに優秀な人って俺しかいないはずだが。
お前のようなはっきりと言わない中途半端なのが一番始末が悪い。
246,247,248は進歩の見込みのないの知恵遅れ。
0253吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/31(水) 20:51:50.80ID:6Mgmppn8
『細雪』『卍』『痴人の愛』に紡がれる女性のライフイベントとライフスタイル
――その社会批評性を中心に――
黄 嘉麗
http://repository.hyogo-u.ac.jp/dspace/bitstream/10132/15886/1/M13162K-1.pdf

『細雪』の研究の主流となっているのは作品の語り論、主人公論 、あるいは『源氏物語』
との比較論などである。作品の主人公論の中では雪子の永遠美を論じるのが代表的である。近年では『細雪』の
社会性について指摘されるようになった。『細雪』の「反時代」性について最初に明確に指摘した論考として挙げられ
るのは、渡辺直己の『「細雪』と八月十五日」である。

渡辺は敗戦の歴史的な事象が比喩として作品に流入しているという点に着目し、一九四五年八月十五日の敗戦を迎
えた時点で、谷崎が執筆していたであろう箇所を探り、「それが下巻の「五」節冒頭から、「七」節末尾のどこか」で
あると限定している。この部分は雪子が大垣の富豪沢崎と見合いをし、先方から断られて、縁談が不成立に至ったと
ころである。これまでの縁談は全部蒔岡家の側から断っていたのに、初めての屈辱を受けたわけである。渡辺は「雪
子はつまりここで、これ以上なく露骨に、無条件降伏を強いられてあることになるだろう」と、同時代の歴史との照
応を読み取っている。

さらに、渡辺は六節の後半、一人東京に向かう列車の中での雪子の描写に着目した。たった一人の雪子の姿が、他
の誰の視線も介さず、作者によってじかに描写されている」と言う。作中では、幸子を語り手とするのが一貫した書
き方であるが、例外中の例外として、はじめて雪子の内面を描いた。対応関係を考えると、天皇体系の歴史上、例外
中の例外として、昭和天皇の玉音がはじめて「公然と晒け出された」。

渡辺は谷崎の仕掛けた雪子をめぐる二重の例外は歴史の事象と照応して、天皇が愛惜すべき日本を決定的な破壊に
導いたまま、「あの声を境にさっさと別のものにすがたを変えてしまった存在にたいする、いわば無意識の不敬罪に似
た何か」と結論付けた。

渡辺直己「『細雪』と八月十五日」(『新潮』第八六巻第一号一九八九年一月)
0254吾輩は名無しである
垢版 |
2018/10/31(水) 21:02:21.56ID:T6Vo1WRj
考えすぎじゃないですかね
0255学術
垢版 |
2018/11/01(木) 00:23:11.69ID:SZHQMU2e
シャシャキは低学歴過ぎる。

自意識過剰なところはリアル気違いっぽい。

低知能のバカだし、死んだ方がよいよ。
0256吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/01(木) 19:18:01.29ID:AnmrlwKY
大江健三郎論――生まれ替わりと想像力の観点からみる大江健三郎の小説の方法
薄田直人

渡部直己はこの、小説における「二人組」の伝統を、「二」の強さとして要約している。

「二」であることの要は、たんなる「一」にはうがちえない空隙のうちに明度に充ち
た強さを通すことにかかっている。すなわち、「一」+「一」がただの「二」ではなく、
何者かの二乗として、四囲にきびきびとした惑乱を導き入れること。191

191「それでも小説はここがイケてる 第一回――「馬鹿」の二人ずれ」、『早稲田文学』、2004.07、
51 頁。

                           79

このようにいいながら、「父よあなたはどこへ行くのか?」や『新しい人よ眼ざめよ』か
ら父子の二人組を取り出して論じる渡部は、しかし別の文章で、蓮實重彦が大江の小説に
「氾濫する数字としての三」を指摘したことを暗に引き継いで、『取り替え子』における「三」
という数の重要性を論じてもいる192。そのような分析は、物語、あるいは頁の上に浮上す
る数字をつなぎあわせたときに生じるものと、長江古義人、大江健三郎とがどのように関
係しているのかを見ないことによって成立する。しかし渡部は、『取り替え子』における右
翼集団の襲撃が、「文字どおり三度目の正直として出来する潜在的な危険性」を、「「古義人」
ではなく大江健三郎その人が、ここでそう弁じているとみなければならない」という193。
その前の二度の襲撃が読み手に明らかな「虚構」として書かれているのに、なぜ三度目に
は現実の「大江健三郎」にとっての「危険性」としてあらわれるのか、それはまさしく「文
字どおり」に諺を用いることで、「虚構」と「現実」を強引に入れ替えるという、小説の論
理とは別の操作によって、かろうじて主張されることができているような論法によって可
能となっている。

192 蓮實重彦『大江健三郎論』、220‐225 頁。渡部直己、『早稲田文学』、2001.03、71‐72 頁。
193 渡部、「文芸(時)評 2001 ストレッチD ノーベル賞作家の「アレ」が二重橋作家の「何か」
を下回るとき――大江健三郎『取り替え子』を読む」、同書、72 頁。
0257吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/01(木) 20:37:57.39ID:2sk/YKHe
蓮實や柄谷にゴマ擦りの一方で若い女には「俺の女にしてやる」なんて
カッコ良すぎます渡部さんw
0258吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/01(木) 22:57:06.34ID:eR0DSgaQ
それを聖別するある終極点
                  に停止するまえに
             全思考は出発する俺の女になれと
0260吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/02(金) 19:35:05.16ID:l89j06TK
一連の“『新潮45』問題”、『新潮』始め各文芸誌での反応
[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)

「文芸」と言えば世間では、「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」と
打(ぶ)った特集で大炎上し休刊した『新潮45』と、
LGBTを「性的嗜好」と言い放ち「痴漢症候群の男」と並べて火元となった
文藝評論家・小川榮太郎の話題で持ちきりだ。

同版元の『新潮』11月号は高橋源一郎による
「『文藝評論家』小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた」を「緊急掲載」し、
編集長・矢野優が編集後記で小川の記事を「認識不足としか言いようのない差別的表現」だと断じて、
「小誌寄稿者」たちも非難の声を上げたことを受け「他人事ではありません」と「傷つかれた方々」に謝罪した。

まずは主にTwitterでなされた自身への批判に対し、小川はFacebookで「暴言」「恫喝」だと言い、
「『きちんとした文章』で反論してください」と批判者を列挙した。
名を挙げられた武田砂鉄が『文學界』11月号の連載「時事殺し」で「きちんとした文章」で応答している。
『すばる』11月号には詩人の榎本櫻湖が「それでも杉田水脈はわたしを差別していないと言い張るのだろうか」
を寄せている。『新潮45』が自爆するそもそもの発端となった「論文」への批判である。
榎本は渡部直己と早稲田大学大学院現代文芸コースのセクハラ事件にも言及している。

矢野が言うとおり、『新潮45』および小川の事件には文芸関係者も多く批判を表明した。
小川の原稿とそれを載せた『新潮45』は論外で糾弾されて当然とはいえ、
渡部の事件には無言を貫いた方々がここぞと声を荒げている、その対照が訝しい。
小川榮太郎は存分に叩いてOKな安パイと見なされたということなのだろう。

10月号も小説は少なかった。完成度では小山田浩子「ヒヨドリ」(群像)が抜けていたが、
日常に潜む不穏さを炙り出す手法に、小山田に限らないルーチンを感じる。
坂上秋成「私のたしかな娘」(文學界)は叙述的仕掛けが面白いものの見え透いてしまっていた。
週刊新潮2018年10月25日号
0261吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/03(土) 02:07:52.38ID:APY7Nx2N
このスレ的にはこれに尽きるのう

>矢野が言うとおり、『新潮45』および小川の事件には文芸関係者も多く批判を表明した。
>小川の原稿とそれを載せた『新潮45』は論外で糾弾されて当然とはいえ、
>渡部の事件には無言を貫いた方々がここぞと声を荒げている、その対照が訝しい。
>小川榮太郎は存分に叩いてOKな安パイと見なされたということなのだろう。
0262吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/03(土) 06:07:05.34ID:uP+QL4zL
栗原って馬鹿じゃないか

渡邉のセクハラは個人的な問題
せいぜい早稲田文学界隈の問題

小川榮太郎はもっと社会的な問題
多くの発言者がいるのは当然
0264吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/03(土) 11:19:42.02ID:jp95+gKE
まあ政治問題ではないからな
積極的な思想の表明ではない

プチ独裁者の老人が見境なしに
暴走しただけではある
0265学術
垢版 |
2018/11/03(土) 11:29:04.77ID:m+M8QaVa
大江じゃ東京専門学校にはつぶれるだろうな。三郎といっても三も早稲田が上
三文つくろうよ。深夜から早朝。
0266吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/03(土) 15:48:19.15ID:z5EphID9
>>262
metoo運動を見ると個人的とは思えんが
0267吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/03(土) 18:03:25.05ID:TQYDHYRf
>>260
>10月号も小説は少なかった。
>完成度では小山田浩子「ヒヨドリ」(群像)が抜けていたが


「抜けていた」か…
「一頭地を抜く」か「抜きん出ていた」くらいの意味なんだろうな
栗原のように「間」が「抜けていた」わけでもないだろうし
文脈から察するに誉めていることは一目瞭然だから
0268シャシャキ
垢版 |
2018/11/03(土) 18:46:40.03ID:5usXWev1
「新潮45」の問題は新潮社自身の問題だぜ。
それなのに、「新潮」の矢野優は「新潮45」をトカゲの尻尾として切り落とした。
毒にも薬にもならん栗原の記事は週刊新潮掲載w
新潮社−矢野優をばっさり切れる批評家がいないとしょうがない訳だよ。
同じ事が渡部ー早稲田にも言えて、渡部直己と早稲田をバッサリ切れる批評がないと。
もうね、今は東京のメリットがないのと同様に、サロンとしての文壇のメリット全く
無いんだよ。
文壇無くてもokの時代になってるの。
文芸誌の対談や座談会見れば、インテリのサロンなんて文壇や東京に存在してないんだよ。
20年以上前の批評空間の時代にはあったかもしれないけど、今は無いんだよ。
だから新潮社も早稲田文学部も潰れるか、どん底に落ちても全然構わないんだよ。
0269吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/03(土) 19:08:46.50ID:uP+QL4zL
新潮は文芸部門と週刊誌部門は建物も違うし文化も体質も違う
0270吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/03(土) 19:26:51.27ID:h7vkgvWz
シャシャキって批評同人「大失敗」のガキみたいなこと言ってるな
0271吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/03(土) 20:09:57.37ID:XRRwiktn
すばる2018年12月号
出版社: 集英社 (2018/11/6)
【小説】
温又柔「誇り」

【連載第3回】
島田雅彦「君が異端だった頃」

金原ひとみ「アタラクシア」
綿矢りさ「オーラの発表会」

【評論】
佐々木敦「地理的身体たちの演劇 岡田利規『プラータナー:憑依のポートレート』観劇記」

【文芸漫談】
奥泉光+いとうせいこう「フローベール『ボヴァリー夫人』を読む」

【すばるeye】
モブ・ノリオ「渡部直己はただ一匹か数千万匹か?」

【インタビュー】
ミレーナ=美智子・フラッシャール
https://pbs.twimg.com/media/DrEm2xSUUAAmuRt.jpg
0273吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/03(土) 20:19:02.17ID:jp95+gKE
虫かよ
0275吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/04(日) 21:39:07.73ID:p4RzBCIG
じゃがいも倉庫武蔵野別棟
2018-01-20
知らずにいること、盲目であること

「成るべく苦痛の少い手軽な方法で盲目になろうと思い試みに針を以て左の黒眼を突いてみた
黒眼を狙って突き入れるのはむずかしいようだけれども白眼の所は堅くて針が這入らないが
黒眼は柔かい二三度突くと巧い工合にずぶと二分程這入ったと思ったら
忽ち眼球が一面に白濁し視力が失せて行くのが分った」。

谷崎潤一郎による『春琴抄』の一節だ。『春琴抄』は、
美しいが驕慢な盲目の三味線師春琴とその奉公人佐助の生涯を描いた物語で、
特に佐助が春琴の家に仕え始めたころから、彼が自ら目を突き盲目となるまでの十年程度がその中心となる。
ただしこの物語は『鵙屋春琴伝』なる書物を読んだ「私」による一人称小説である点が特徴的で、
物語は「私」の語りと偽書の記述の間を幾度も往復しつつ、その核心を迂回し続ける。
カギ括弧や句読点を用いずに様々な形の語りを経由し、
最後には冒頭の有無をも言わせぬ明晰な描写に至る文章はまさに神業と言って良いのではないかと思う。
盲目というテーマ、あるいは迂回する文体はドゥルーズの言うマゾヒズムの形態学的な特徴とも一致し、
また迂回を経たクライマックスの明晰性は探偵小説(谷崎の場合は『犯罪小説集』だが)にも通ずるので、
作家論を語る上でも重要な作品と言えるだろう。

作家論と言えば、渡部直巳氏がこの小説について面白いことを書いていた。
春琴たちが暮らしていた時代を計算し、場所と併せて考えると、
彼らは大塩平八郎の乱のただ中にいたはずだというのである。
大塩の乱は幕府を揺るがす反乱だっただけでなく大坂の問屋が大きな被害を受けた事件なのだが、
春琴抄はその渦中に舞台を設定しながら事件について何も触れず美や悪やマゾヒズムやらを語り続ける訳で、
ここから考えるに「自ら目を突く」とは、谷崎の芸術至上宣言、社会にたいする盲目の宣言なのではないか、
と渡部氏は主張する。春琴抄が発表された1933年は日本が国際連盟を脱退した年でもあり、
その時代性を考えても渡部氏の考えには説得力があると僕は考えている。
0276吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/05(月) 05:50:37.51ID:YBj3B6s+
早稲田の春樹アーカイブの資料整理係はどうかな
批判のネタ見つかるかもしれないよ
0277吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/05(月) 09:43:56.63ID:aVbiAv55
渡部の「功績」は形式化できてしまえそうな気がする。
あとはその形式に則って色々な小説を読めばいいのではないか。
そうすれば彼の固有性が消える。
0278吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/05(月) 11:11:05.15ID:gB/LvJOD
久々に見たらこのスレまだ延々やってるんか。
ここ文学オタのスレ?
渡部直己の「俺の女」からズレまくりw

>>35 とか >>37とか >>41 
あたりの女子院生と不倫先生の話題のほうが
興味そそられるわ
乞う 続編wwwww
0280吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/05(月) 19:15:49.14ID:DnPKZDfL
渡部チェンチェイも早稲田に生原稿や資料を罪滅ぼしに寄贈すればいいじゃん

後世の渡部直己研究者のために
0281吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/05(月) 22:48:31.55ID:uxscBYoI
上野千鶴子
『すばる』12月号のモブ・ノリオ「渡部直己はただ1匹か数千万匹か?」が正直でおもしろい。
上野のお墨付きなどがあると、モブさんにはご迷惑だろうが。「直男癌」という用語を初めて知った。
2018年11月4日

すばる編集部
すばるeye/モブ・ノリオ「渡部直己はただ一匹か数千万匹か?
〜《直男癌=Straight Man Cancer》の自己診断と根治の模索〜」。
この夏、文芸批評家の渡部直己がセクハラを行ったことが発覚。これを知った“筆者の自然な反応”とは? 
そして渡部が過去に書いたある言葉に注目すると……。#すばる12月号
2018年11月5日

調査対象の中国人男性4割「直男癌」 女性の気持ち分からず
人民網日本語版 2016年03月11日

ネット用語が増加するにつれ、男性も「ジャンル分け」されるようになり、
「男神」、「暖男(やさしい男性)」、「直男癌」などのレッテルが登場している。
国際女性デーだった8日に、Q&Aサイト・百度知道はビッグデータを基に、
テストを実施し、参加した男性ユーザー約2万人のうち、
「暖男」が最多の57.1%。以下、「直男癌」38.2%、「男神」4.7%と続いた。南方網が報じた。

「直男癌」とは、ナルシストで自分本位、やや亭主関白の傾向があり、
性的指向が女性という男性を皮肉るネット用語。
センスがなく、服装がダサいにもかかわらず自覚していないどころか、
センスが良く、品があると勘違いしているのもその特徴だ。
ある調査では、ネットユーザーの70%が「周囲に『直男癌』、
もしくはそうなる可能性のある男性がいる」と答えた。
0282吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/06(火) 00:34:11.90ID:M1Hr51Av
猫飛ニャン助
@suga94491396
上野千鶴子がツイッターでほめるモブ・ノリオの文章(「すばる」12月号)にあきれる。フェミニストとはチ〇ポ騎士団に守られるジャンヌ・ダルクのことなのか。
渡部は批判されるべきである。だが同時に、同じ情報に依拠するなら、モブはなぜ「友人」の市川をふるまい批判しないのか。
0283吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/06(火) 02:10:52.95ID:kBKtW81s
>>282
オメーこそがまず「友人」の渡部を批判しろと
何万回言われてんだよこの馬鹿助
0284吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/06(火) 02:23:44.42ID:xJ6a9VB+
ナオミンのせいでスガも馬脚をすっかりあらわしちゃったでござる
0285吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/06(火) 06:00:20.28ID:1z2w3gqm
上野をたたけば同調者があらわれるという前提で書いているのがすが秀実
どうしようもないバカでクズってことだな

そんなにモブをたたきたければ自分で叩けばいいのに
間接的にしかできない
0287吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/06(火) 07:52:54.64ID:LCA29bn6
>>282
これは同意できるな
0288吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/06(火) 08:25:09.28ID:NjDcWRbS
スガって「こいついじめていいぞ」ってヒットマーク出して手下に攻撃させる扇動家にすぎない
こういうやつが手下

これは同意できるおじさん「これは同意できるな」
0289吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/06(火) 09:16:09.28ID:LCA29bn6
いじめと批判も区別できないアホかよ
何が手下だwwwwwばーか
0290吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/06(火) 10:08:30.82ID:FJtR81pk
絓のツイートは、このスレのたいがいも含めてチ●ポ騎士だと揶揄してるんで、
それにひっかかってアレコレ言っているのではダメっすよ。
しかも、渡部直己は批判されるべきだとも。
絓は来年5月に論考を発表するって言ってるわけだから、
それを待てずに挑発に乗ってちゃ、思う壺。
0291吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/06(火) 20:57:06.70ID:1z2w3gqm
>なぜ市川を批判しないのか


なぜすが秀実は自分で批判しないのかってのが普通の疑問だろう

誰かが批判していないって批判する前に自分が自分の責任と言葉で批判したらいい
渡部に近かったし市川も知っているはずだ
0292吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/06(火) 21:46:54.43ID:zHljm76Y
来年5月て意味不明w
0293吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/06(火) 22:27:58.13ID:kpYakPQ3
またまた、挑発にひっかかってる。
来年5月を待ちなさいよ。あわてる乞食はもらいが少ない。
0294吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/06(火) 22:56:50.97ID:9ycTxFg1
来年5月とか草どうせ大した事ないだろスガはバカだと今回の動きでよくわかる
0295吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/06(火) 23:45:37.81ID:P1nObEzP
そう言うことで、あらかじめ自己防衛しているバカかな、君は
「G-W-G」3号読んでから言えばいいだけなのに、
待てないという「急き立て」(ハイデガー)に侵されているわけか
しかし、モブの文章は、芥川賞レベルの作家が、いかにノータリンかを世に知らしめたと言える
中上健次の自筆コピーを拝めっていうのだって、ジョーク冗談以外には受け取れないわけで、
だとすると「俺の女になれ」もジョークだったんではないのかなとさえ思ってしまいますよ
モブを読むと、そうとしか思えないんだが
0296吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/06(火) 23:57:31.63ID:2nxmC8OT
R
清水博子の小説をまとめて読み返しているが意外と重要なのが『ドゥードゥル』で、
この先を越えた『亜寒帯』では文体が決定的に変質しているのでその臨界点として当然重要なんだけど、
しかし全然初読時はわからなかった。
ミワコから鉢植えを貰った後の話は、いまだにぜんぜんよくわからない。

ミワコが要求するのは自分の話を「三人称」で小説化することだが、
これについては渡部直巳が「一般に一人称より三人称のほうが小説としてはレベルが高い」
と言われたのを真に受けた清水が「三人称」で失敗し続けた経緯がある。
清水が小説を書き始めたのは20歳なので真に受けるのは仕方ない。
2018年11月3日

(TOKYO) FACTORY MAGAZINE
感銘を受けた本ベスト10
2015年1月12日

同じく去年新潮に掲載された渡部直己『今日の「純粋小説」』という長めの刺戟的な論考で、
昨今の純文学小説に頻繁にみられる傾向に「移人称」という言葉を充てた説明がなされていました。
人称を弄ったという意味です。
ここから少し複雑な話になりますが、確かに最近の文学小説には
意図的に人称が操作された作品が多く且つそれが軒並み高い評価を得ています。
今や最近の純文学のトレンドと言ってしまってもいいと思います。
上半期で芥川賞を受賞した柴崎友香の『春の庭』をここに含むのは若干酷なんですが、
あの作品も三人称で書かれた小説が最後驚くほど唐突に
それまで殆ど登場しなかった視点人物の姉の一人称が急に入ってきたり、
一昨年芥川賞を受賞した藤野可織『爪と目』も
最初は一人称か三人称で書いていたもの二人称に直したところ評価を得たと作者本人が語っていました。
渡部氏はこの論考の中で「テクストにおける話者性と描写性の関係」について言及しており、
そこから「描写の見事さにかける場にこそ、
異数な“話者”が根づくのではないか」というような仮説を導いていました。
山下澄人ってまさにそのような現象を体現した作家なんですね。
0297吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/07(水) 00:00:21.35ID:kmoBUWWk
14年はここ数年ずっと見られ特に去年「移人称」というワードとして
取り上げられたことで注目された小説たちが、
実は成熟に達したというか緩やかに減退し始めた年だったのではないかと思います。
その理由として、代表的作家である保坂さんが『朝露通信』で新たな創作の形を模索し始めたことや、
山下澄人の『ルンタ』が芥川候補から落ちたことなどが挙げられます。

そして15年、テン年代の純文学は既に新たな方向へと向き始めていて、
そこで注目されるのは今回も芥川賞候補の3作にノミネートされた「新潮新人賞」受賞作家たちの活躍です。
まず今回の芥川候補が、毎年一人しか出ない新潮新人賞受賞作家から
3人も出ているというのは極めて異例の事態です。丁度一年前に芥川賞を受賞した小山田浩子も
新潮新人賞を取っているのを考えるともはやこれは偶然としては片付けられないと思います。

では、新潮新人賞の何が凄いのか。
考えられる最大の要因としては、やはり選考委員の顔ぶれになるのでしょう。
川上未映子・桐野夏生・中村文則・福田和也・星野智幸
の5氏、こんなこと言ったら失礼なんですが正直微妙な感じもします。
ただ、桐野夏生は直木賞作家ですし、中村文則や星野智幸も非常にストーリー性の高い作家です。

この作家たちによって選び上げられる最近の新潮新人賞受賞作には、
ストーリーの明確な面白いものを丁寧な描写と
強靭な文章力によって形にしていくみたいな傾向が指摘できると思います。
人称から描写の回帰ということですかね。
これによって、読者が世界に入り込む事を移人称という形で頑なに拒んできた小説から、
割と読者を肯定的に捉えて出来るだけ広い範囲へと届くような小説へという
シフトチェンジが起こっているのではないかと思います。

今月の『ダ・ヴィンチ』では中村文則が綾野剛とかと対談してる訳です。
綾野剛超かっこいいし、それをスマートに立てる中村文則って
今まで純文学の固定観念捨てて取り敢えず全肯定宣言に成功したんですねあれは。
0298吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/07(水) 00:19:35.48ID:SUcchN/I
倉本さおりの謎が渡部直己の事件をキッカケに明かされるとはな・・・
0299吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/07(水) 18:29:23.30ID:bvTPoP83
文壇、思想界の流行語大賞は「俺の女になれ」ですかねw
0300吾輩は名無しである
垢版 |
2018/11/07(水) 19:34:52.29ID:4oJcJqdJ
ベルク出禁の人?
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