これは一見、〈言葉の綾〉レベルの話とおもわれるかもしれないが、そうでもない。
結果無価値論によれば、セクハラ事態成立の認定において、「言動そのもの」の違法性の判断から、
その言動が、いかなる主体(既婚か未婚か等)により、
いかなる関係性において発せられたものであるかが、より重視される。

さらに〈セクハラの結果無価値論的解釈〉には、見逃せない利点がある。
行為無価値論によれば、行為主体は〈セクハラ〉認定後にも、
主観に基づき「あの行為はセクハラではなかった」と言い張る余地があるが、
前者によれば事態の客観的成立が問題なので、主観による抗弁はもとより無効とされるのである。

例えば、ふたたび「お前いい女だな」というセリフを例にとれば、それが男の脳裡に浮んだとき、
行為無価値論によれば、それはホメ言葉に過ぎないんだから問題ねえだろう、となるが、
結果無価値論によれば、俺は既婚で相手は未婚、年齢は親子ほども離れているとなれば、
こりゃマズイかな、となるだろう。

もちろん逆の場合もあり得よう。俺は未婚で相手も未婚、歳は離れてるといってもせいぜい一回りくらいで、
ふだんから「お前」呼ばわりしている間柄。ここらで一歩踏み込んでアプローチしてみっか、
とおもって「お前いい女だな」といったらセクハラとして抗議され認定もされちゃった、という場合である。
2018年11月30日