論壇で主張の正当性が競われ淘汰され社会的合意が形成されていく(論壇が全てとは言わないが)
誰でもそこに参加し自己の主張を述べることができる(多くは思想家・著述家だが)
その手続きが保証されて初めて主張は社会的合意になり得る

これは「差別」と自信が有っても議論しなければ分からないではないか
小川の「性的嗜好」を朝日新聞は「ここが間違っている」と断言し御高説を述べる
でも、この歴史を研究し直したらしいゲイの松浦大悟は
「当事者が生き残るために、運動の戦略として指向と嗜好を分けた経緯を若い人たちは知ら」
ないのだと言っている
松浦が正しいと言っているのではない議論しなければ分からない

反論を許さない「差別反対」を掲げ版権を盾に
言論の場である言論誌を潰し反対論者を黙らせる

このようにして議論もなしに「社会的合意」が強制されていく
朝日新聞がやっているように
ファッショでなくて何なのか?