三島由紀夫Part56
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
まあ三島の性格は女性的だよ
これは昔から言われてる すべての人間の原形質は女性的なもんよ、男は社会的に造られる
三島は典型的な「男」だ 幼児期から古典文学に造詣の深い祖母に文学的手ほどきを受けて成長した
同世代の男子とではなく妹と遊んでいた
深層にはこういう女性的なものがあり、
これに軍事教育が盛んであった当時の社会風潮が上乗せされる
この男性原理が戦後になると民主化と平和主義によって去勢され
この去勢体験が三島の戦後市民社会に対する「悪意」の原泉となる
男性として生まれたのに女性として育てられた人間が
イメージとしての男性像を社会から強いられ、
それにうまく適合しようと努力して「死」まで決心したのに
20歳を契機として他ならぬ社会から「去勢」される
で、その際には半身とも言うべき妹を病で失う
平岡青年の内面ではものすごい葛藤が生じたと推測できるのだけど
作品にそういう部分は現れてはいない
そういう葛藤が生じなかったといえばそれまでだけど
作品にあらわれないように慎重に作り上げたのだ、ともいえる 妹と遊んでいたという記述はあまり知らないな。
祖母の選んだ近所の行儀のいい女の子を遊び相手としていたというのはあったが。 >>654
言外とは妄想のことなり・・・・ かな? >>654
言外を読めって・・・君の言っていること以外を読んでいたらキリがないではないか 三島は小説家がマスコミのスターだった時代の作家だから、作品以外のインタビューや対談や演説も作品への演出的意味合いもあるだろう。
作品が外部世界との関係において成立してるのは当然のことで、作品の演劇化や戯曲の演出、映画化が時代によって激変するのを見れば分かる。
小説はそれ自体で孤立して成立しているのではない。
654の言外が何か知らないが。
三島は戦前戦中は上田秋成の愛読者だった。つまり彼は元は左翼だった。
だが、秋成みたいなゴシックの感覚を基にして長編小説を書くことは三島には無理
だったような。 言外が読めんようでは三島文学のよい読者とは云えない、これはハッキリしている 三島自体に意味があるわけじゃなくてミシマに喰いこんでいる他者がつづられているのだから、作品自体は三島とは別個のもので、作家がすごいとかそういう田舎な話ではない。他者がつづらせ他者がつづられているといってもよい。作家のアイデンティティ
をまねることでいい作家になれるわけでなく、あくまで交友関係がよいと、交友関係が成功しているわけだ。ミシマはどうあれ。 >>657
三島は日本浪漫派にかぶれてたんだよ・・・・ 「三島由紀夫の11歳の作文」をまとめサイトで見て興味持って
それから有名どころの作家読んでみた、読んだ日本の作家だと
三島>安部公房>大江健三郎>川端康成=志賀直哉で好き
三島と安部はほとんど面白かった、大江は初期の頃が好き、
川端と志賀は文章の素晴らしさはわかるけど自分のレベルでは内容を楽しめなかった。伊豆の踊子や城崎にては好き 作家好き多いね。偏屈者にならないようにね。作家が現れるのは当時の時代背景
や設定に説明がいるときなどだよ。 作家か、作品か、興味深い問題である、
正宗白鳥や小林秀雄の批評以来、作家の人物評論に偏りがちで、作品の独立性は弱い、作品分析は専門的になりがちで難しい、
作家の伝記や評論が好まれる所以だ >>664
小林秀雄の批評が作家の人物評論かねえ・・・? >>668
ドストエフスキーの「生活」、作家の「顔」、ゴッホの「手紙」、小林の関心が
作品より人物にあるのは明らか、作品より作者の方が面白いという感想もどこかにあった、批評の一つの流れは、白鳥に始まり、小林に流れ、江藤淳に終わる。
三島も作品より、人物論に流れるのは自然。 >>671
それが人物、かねえ・・・
生活の断片すら出てこない机上の人物像だよね?
江藤淳は、人物というより、その人の愛憎と生きた時代の風景だと思うけど。
三島には自然なんかどこにもないし、と君の意見の全否定になっちゃうな。 ちなみに、人物という意味では、書ききっているのは山岡荘八だとか吉川英治、現代人対象なら山崎豊子あたりじゃないのかな?
実像とまったく異なるとはしても。 >>673
スマン、山岡荘八、吉川英治、山崎豊子…読んだことがない 小説とは何か、で、小説をテレヴィに取って換わられるラジオの運命にたとえているでワロタ、
当時、最先端だったテレヴィもネットに押され気味、誰でも発信できる時代、今生きていたら、
なんて云うだろうか?電脳小説を書いてるだろうか?
来年歿後50年(大阪万博の年なんだな、95か、存命でも不思議でない) ストークスとかも見た目はもう
死んでるみたいなもんだしなw >電脳小説を書いてるだろうか?
書いてるわけないじゃん。年とったら新しいものへの敵になるつもりだって
言ってたのに。 全集で三島文学の背景っていう三好行雄との対談読んだ
・文士には会わない、自分も社会不適合者だったがそんな人が多すぎる
・三島は卒業証書をもらってない、郵送も不可だったのでもらうもんか
・鹿鳴館は対談した昭和42年には嫌いな作品、サド侯爵とわが友ヒットラーだけでいい
・自分の書いた過去の作品の話は嫌い、金閣寺も
・盾の会始めてから読者が減った
全集は対談とか面白いね、三島は他の作家よりメディアや雑誌にいっぱい出てるし >>679
新しいもの好きで好奇心旺盛だから、インスタやツイッターやりまっくてるかも >>684
作家のイメージなんか当てにならんよ、そんな単細胞じゃない
大江みたいに戦後民主主義者を頑固に守り続けるのは珍しい いま三島が生きてたら確実に政権批判してたと思うよ。単に右翼と言うだけじゃなくて三島の政治的関心がどこにあったのか考えてみればわかる。 >>687
三島というのはサービス精神の旺盛なモダニストだろうね。
ただし、自分が死ぬ口実を探し続けていたという、ロマンチックなモダニスト。 >>691
現代風の意味では、批判は非難、批評はおべんちゃら。 >>691
批評的な批判も批判的な批評もあるけど、批評=批判ではない。 >>694
三島の政治的関心がどこにあったのか知りたい >>698
お前みたいなふざけたコテの奴には教えねえ >>700
書き込んでて自分の事言ってるみたいと思わなかった? >>699
読んだ
でもこれを現実世界に照らし合わせるには難しすぎる >>704
ちょっとまったーーー
三島から政治を切り離したら、ただの三文文士だぞ? 単なる政治的な三文文士だったらビョークやデビッドボウイが感動したりしないぇしょ >>706
三文文士だからビョークやデビッドボウイが感動したんだろ?
大衆が感動するためには知性を失っていないといけない。 >>707
三文文士なのか三文文士じゃないのかあなたの意見は? >>709
三文文士だと思うな。
人間の洞察が浅い、大衆作家。 >>710
ビョークやデビッドボウイは「大衆」なのか? >>710
>人間の洞察が浅い、大衆作家
?
人間洞察が浅いと大衆受けするわけ?
大衆ほど自分たちの隣人のえげつない本性を
本能的に察知していると思うけどね
洞察力が低いのは知性の欠如という論立てはまあ良いとして
三島の場合は非知の部分を理知で割り切ろうとしたので
大衆の理知外の部分にはあえて目をつぶった
それゆえに例えば深沢七郎のような作家には脅威を感じる
ということは三島の理知は大衆の愚劣さにたいして盲目では無かったということで
単に倫理的なだけだったと思うけどね
それは賢さはもちろん育ちの良さもあるでしょう
それが文学的にいいかどうかは別としてね >>704
三島由紀夫のファンであって君のファンではないから行かないよ しかし失礼な言い方のレスの中に貼ってるリンクなんて行く奴いるの? まあ5ちゃんのレスなんて半分以上自慰だしい
三島がミスター自慰なのは文句なし
カメコクは自慰をテーマにした小説だし
結局実際の死に方も自慰だったと思う
他者つか「現実世界」があのときの市谷にはなかった。
野次られ倒されたことがそれを証明している 生存のために他者と共有する認識のことさ。
吉本隆明や岸田秀を出すまでもなく、それもまた幻想と言えばそうかもしれないが
三島事件などは楯の会の5人が共有しているだけのものにしかすぎなかった。
だから大勢には野次られた。「何言ってんだよおまえ」って。 そんなもん共有してる前提でなんか行ってるわけないじゃん
三島の見ている世界は豊饒の海の最後の場面のようなもんだろう >>714
>三島の理知は大衆の愚劣さにたいして盲目では無かった
檄文もそうだが、盾の会の行動そのものが大衆的な美意識による愛国心からできていた。
愚劣さを愛したのではなく、死の渇望によるニヒリズムの迷宮にとらわれていたといった方が近いだろう。
三島に倫理性はまったくなかった。 大衆の愚劣さ とか 大衆的 とかいう言い方でマウントとれる構造自体がいわば「大衆的」なことだよな
自分もその円環の中にいるのに、それと気付かないままに誰でもそういうことは言えてしまう
で、三島がいたのはその円環の外側だ >>724
大衆性とは生活のこと。
誰であれ生活はしている。
大衆の愚劣さとは、自身が生活から得た知識を知的水準の高いものだと思い込むこと。
芸人や企業の経営者などによくみられる。
三島は大衆の愚劣さの上澄みである大衆的な美意識の依拠し、それを天皇や国家に結び付けた。
たしかに円環の外側には違いない。 >大衆の愚劣さとは、自身が生活から得た知識を知的水準の高いものだと思い込むこと。 芸人や企業の経営者などによくみられる。
それはここの書き込みにもよくあるな、 生活から得た知恵を、そのゲーム内で有効なものとして語ることには何も問題を感じないというか、ほっといたらいいじゃんという感想しかないんですが
それにたいしてわざわざ愚劣だなんて呼び名を与えて自らそのパワーゲーム内に入って自らの優位性を誇示しようとするのは、飛んで火にいる夏の虫というか
いうなれば人間の愚劣さじゃないんでしょうかね 大衆の愚劣さとはたくさん読書をすれば
人は賢くなれると思うこと
高等教育から排除された労働者に多い >>732
学歴とは関係なく、読書をしても知識人になれるとは限らない。
学歴とは関係なく、読書をしなければ知識人にはなれない。
こういうことだよ。 一般に大衆とは愚かなものだ。
特に日本では、戦争期の例をあげるまでもなく、支配者の描いた構図通りに動く。
欧米では日本よりはいくらか賢いが、五十歩百歩程度だ。 大衆の愚劣さとは官僚や経営者を小馬鹿にして
フワフワと知識人に憧れること >>735
官僚や経営者もまた、愚劣な大衆の一員だよw 口だけマルクス主義に逃避しながら東京に家を買う
これが支配者の望む大衆
単なる生真面目な働き者だが自分では覚醒した人間のつもりw >>736
知識人もまたしかり
だから三島は大正教養主義流れ知識人の鼻を叩きわったとして、その部分では東大全共闘を評価していた >>737
逃避していると東京に家は買えないよw
資本主義社会の支配者は、マルクス主義を徹底的に消し去ろうとしてる。 愚劣な大衆とは半世紀マルクス主義者を自認して
ドイツ語を学ぶ気の起きなかった労働者
自分が知らないことがなんであるかを知らない人 思想に逃避しながら必死で
資本主義の歯車として兵隊になる
安全地帯の内面化の代償 >>738
その三島自身が、例えば全共闘の批判のターゲットでもあった丸山以下の知識性しかもっていなかった。
あったのは自身を消滅させたいというニヒリズムからくる大衆的美意識の鎧。
全共闘の学生たちも、もちろん丸山に遥かに及ばなかったが、それに彼らが気が付いたのは、吉本隆明が天皇礼賛、資本主義礼賛を明確にしだしてからだろう。 >>740
>>730のレスがその「ゲーム」の定義で通じると思うのか?
言語ゲームの概念を使いたいなら、ウィトゲンシュタインぐらいは読んでからにしてくれ。 ほとんどの大衆はそんな美意識関心ないよ
アホだなあ
お前の趣味がマルクス主義や近代文学なだけ
そういう勘違いするのが愚かな大衆 愚かな大衆とは「性」をつければなんでも
アタマ良さそうに見えると勘違いする高卒だよ 知識を積み重ねたピラミッドの頂点に立つものが世界を支配する
みたいな「大衆」的価値観の幻の中で私は生きてますみたいなことを言ってんのかな
そんなもんあなたが批判してる「愚劣な大衆」の経済やら何やらを知に置き換えただけの世界でしかないんだけど 愚かな大衆とは
マス大山最強説を信じている連中のこと
つまり共産主義同様、扇動されやすい 愚かな大衆の愚かな大衆についてのカキコを愚かな大衆が読んでいます、
愚かな大衆、バンザイ まあ「愚かな大衆」ていう言葉の裏には「賢い少数者」って概念があるわな。
すなわち「オレ」と。
しかし「愚かな大衆」なんて概念古草杉ね? 高卒がマルクス読むだけで知識人になった
気になれた幸せな時代の産物だね
経営者も官僚も憎い
でもこんなに頭のいい俺がなんで理解されないんだ
って何十年も不平を言いながら
日本株式会社の兵隊やってる
まさに自民党の好きな日本 >>756
でもその時代の人ってもう定年になってね? おそらくなってるね
元共産党員で吉本愛読
古典の教養ゼロ
美濃部都政絶賛
これ団塊だわな しかしマルクス主義はソ連の崩壊で共倒れになったって印象なんだけどね。
なのにネットじゃネトウヨが今だ「パヨク」だのご丁寧に名前を献上し続けてるのも妙な気がしますわ。
こちらもこちらで化石化してねえかとしか思えないのだが。 現代世界の批判としては今後も利用されるけど
仏教とかキリスト教とか
アナキズム、ヤマギシズムと同じで
変革の主体としては十分な成果を挙げて
そして終わったね
冷戦崩壊で幻想が壊れちゃった
で愚かな大衆はみんな西側に殺到ww
で原始マルクス主義を座学している院生が
団塊左翼にドイツ語訓詁をブツブツ言うだけ 読みもしないでマルクスを否定し資本主義政権を礼賛する。
そうして自分で自分の首を絞めて貧しくなり、社会福祉からも見放されていく。
三島にそんな愚かさはなかったのは確かだが・・・・ >>760
「現代世界の批判として今後も利用される」というよりは、なんだか自民党の主敵として
今も当の自民党によって持ち上げられているって印象なんだけどね。ネット見ていると。
そんなことをするのは、実は自民党の真の敵はマルクス主義にあるんじゃなくて
別のところにあり、その真の敵の存在を知らしめないようにするためもはや弱体化した共産を
あえて仇敵として標榜しまわっているのではないかという気がする。
それとも団塊世代の人にとっては、やっぱり保守の敵はマルクス主義ってのが
固定観念になっているのかな。それならもう隠居してくださいとしか言いようがない。
マルクス主義者のほうも隠居か形骸化してるんですから。 >>761
それでは中ソの社会福祉政策を見てみましょう しかし三島自身は反共を否定してなかったようだよ。
自分は日本のことしか言ってない。自衛隊は日本の軍隊に戻れ、それしか言ってないって。
しかし三島の政治傾倒も、日本についても晩年に言い出したことでどこまで本気だったかきわめて怪しい。
あの死に方からしたら、切腹自殺の理論武装として政治(と日本)を担ぎ出して来たとしか思えない。
『憂国』の将校のように切腹する理由がちゃんとあればいいけどさ。 マルクス主義を否定しないのは
仏教を否定しないのと同じことだよ
お爺ちゃん
現代社会での居場所はある >>763
ソ連の社会福祉は当時としては最高だったよw
中国は社会全体が貧しかったから、かなロ見劣りしていた。 >>765
マルクス主義を否定した君に、どんな居場所があるの? マルクス主義に社会の居場所があるということだよ
政党活動も結構
つまり歴史的に使命を終えた思想はいっぱいあって
それらも活きる局面はいっぱいある
難しい話じゃない 個人名冠した思想を偏愛する人には
辛い現実かもしれない 全部読もうと思ったけど「マルクス主義者」という言葉を多用するところが香ばしすぎて無理だった。 >>768
活きる局面はいっぱいある、なら、歴史的な使命は終えていないということだよw
アンタの社会的な使命、存在価値はもともとないのかもしれないが。 >>770
君はマルクスが、嫌い、関心がない、好き、のどれ? >>774
バカバカしいから頭悪そうな質問に答えたくない。 マルクス主義者じゃないゴリゴリの左翼が
言葉を用意していないの図ww
寛容に思われたい思われたい
立ち入らない
なら黙っとけよコーゾークンww >>779
「マルクス主義」の使い方。あと「マルクス」ね。キモいわ >>778
団塊左翼はお前に「ヒップホップに
金つぎ込むくらいなら寄生せずに家を出ろ」
と言っているのかも 実家を出る勇気を持とうよ
思想的自立はそれからだ! >>784
やって欲しい事があるんだって。パソコンとかスマホとか使い方わからないから聞きたいんだと。お前にとやかく言われるようなことか?発想のセンスがダセエんだわ。 >>787
なぜ、という意味での、どこ、なんだがw >>788
もう「その言葉を使うな」とは言わない。純粋に面白いと感じれるように努力するよ。 やっぱり、医者が最強の職業なんだよな
五流底辺大医学部出ようが、医師免許があるってだけで皆から尊敬される
もちろん高収入で、食いっぱぐれることなんてない
その分、激務じゃないか?って意見もあるが、それは勤務医だけ
経験積んで開業したら、夢のような世界が待ってるぞ
近くの診療所を例に採れば、
平日は10:00-12:00、13:00−18:00の最大7時間労働
木曜日は午前中のみ
土日祝はもちろん休み
面倒臭い雑用は看護士に押し付けられる
JK.JCにはセクハラ触診しまくり
乳がんの検診があった日には、胸揉みまくり
こんなふざけた勤務体系で、年収2〜3000万くらい稼げるんだぜ?
サラリーマンの仕事なんかやってられるかよ 昔、2chに自称医者を名乗る奴の書き込みがあって、
中学・高校の内科検診時には、
・適当な理由つけて、上半身裸下半身パンツ1枚のみにして検診スタート
・見せても良い下着にさせないため、適当な理由で日程変更し、ある日突然内科検診、抜き打ちパンツチェック
・時間が勿体ないので、ブス・デブは数秒触って終わり
・可愛い子は、全身を舐めるように眺めまわしながら、乳首コリコリして、長時間揉みしだく
と言ってたけど、本当かな? >>794
昔、以上に多くの小説が生み出されてるけどね?
漫画まで文学に入れるかどうかは議論があるだろうが、もし漫画を含めれば、創作される文学作品は昔の比ではない。 まあ文学という意味での「小説」は三島が言ったように
ラジオと同じとまでは言わないけど、端っこに追いやられたな。
芥川賞みたいにあの手この手で話題づくりしようとしてるけど。
著作権が70年に伸びなかったら、商業の手を離れることによって
もっと衰退に拍車がかかっただろう。 >>797
その意味では、もともと文学は商業になじまないだろ。
推理物や時事的なベストセラー作家を除けば、少数のマニア的編集者がかろうじて文学を支えているのは、今も昔も同じ。 >>798
ゲームもアニメも同じ漫画系統だから、漫画はよく売れてるといえる。 ゲームやアニメが売れてるから文学は死んでない
どうだ愚劣な大衆どもめ〜(^o^) >>801
ゲーム、アニメ、漫画、文学は、さて、どこが違うのだろう? 漫画まで文学に含めたらさすがに意味が通らなくなるだろ。
言いたいことは分かるが、また漫画の隆盛は日本だけの現象だしね。 わりと最近知ったんだが、文学にはラノベという分野がある。
ラノベというのは、ただ内容がラブストーリーみたいなものかと思ってたら、そうじゃなかった。
場面やせりふによって、文字を大きくしたり行間を開けたりと、視覚的な効果を狙ってもいる。
絵のない漫画といってもいいかもしれない。 子供の頃学校で先生が「漫画は読書のうちに入りません」ってよく言ったもんだよ >>807
そりゃそうだよ。三島が言ったように小説は徹頭徹尾素材は『言葉』だけのもの。
漫画も『言葉』は使っているけど『絵』のほうがずっと大きいウェイト占めてる。
やはり読書ではないだろう。 >>808
ラノベは読んだことが無いから何とも言えないw >>809
その通りですね。
ちなみに漫画をバカにする気はありません。
『会長 島耕作』と『空母いぶき』読んでます。 >>811
今じゃ高校国語便覧にも漫画が紹介されてるようだけど・・・w
でも文学の「読まれ度」がせばまる一方だから、仕方なしに漫画も取り入れた感が強い。
「漫画も文学の一種だ!」という信念はほとんど感じられませんね。 >>812
まじですか、今そんなことになってんだ・・・ 高校で源氏物語も枕の草子も徒然草もマンガで習った、古文はマンガの説明程度、
完全にマンガが主、だから古文は全然知らない、(知る必要もないが) 日本語文学は日本美術と視覚文化からみたら
屁みたいなもんだからね 漫画は漫画であって文学でも美術でもないのかもしれないけど
どっちかつうと文学よりは美術だね。
実際、最新の小学館の日本美術全集にも漫画が取り込まれているけど、
正直、高校国語便覧よりはこっちに載せたほうがまだしっくりしている印象。 漫画でもどの程度のものを評価対象とするのか
たしかに中間小説程度の文学作品なら漫画で代替可能だけど
それはあくまで小説を基軸とした評価に過ぎない
たとえば萩尾望都や高橋留美子、吾妻ひでお、あだち充、鳥山明
などの作品を内容や作風を踏まえてきちんと評価できるとは思えない
たいした見識もないのに有名どころをとりあえずいれるだけだったらお話にならない
現代小説でもSFやミステリーの評価すらきちんとできないのに まあ確かに今申し上げた「最新の小学館の美術全集」に漫画を取り込むことについても、
妥協つか媚びつかそういうものがあることは感じられる。
話変えるけど、つか元に戻すけど
三島は漫画大好きだったらしいね。
ただ白戸三平は嫌いだったらしい。
分かる。
カムイなんて「悪いがおいらは死にたくない」で戦っているもの。
三島さんほど「おいらは死にたい」な人いなかったからねw 三島が凝ったといわれる自作品の装丁とは、挿絵の一種ともいえるんじゃないだろうか?
絵本や漫画に通じる、文学の非文学化ではないのかな? まあ教養ないと>>820みたいなこと
垂れ流しちゃう 半世紀前、前世紀の終わりに、三島は小説をテレヴィに追いやられるラヂオにたとえたが、ラジオが細々と生きながらえているように、小説もしぶとく生き残っている、
スマホも小説にとってかわることはできない、そういえば、三島も他のメディアでは
置き換えられないところに小説の本質・生命を見ていたのだ、
よって、「文学は技術に駆逐された」とゆうのは、皮相な見解である、 小説なくなったら自分で書けばいいんだから
大したことない
電気なくても書けるし
それできないアートはかなりある 挿絵とか絵本とか黄表紙って、文学にとってどういう位置づけだと思う? >>824
電気がないと、筆記用具もなくなるかもねw
まあ、江戸時代に戻ったと思えば、書けないことはないが。 文学は言葉が素材だけど、言葉というのは『何か』を表すもの。
小説の場合その『何か』とは三島の言葉を借りれば『人生』なんだろうけど、
『人生』を表現しているのは漫画も映画も同じだ。
だから『人生』を表現するという意味でくくって、漫画や映画も文学だと言い出す人もいるし、
「文学は漫画や映画に駆逐された」とか「文学はもうオワコン」とかいう人も出てくるのだろう。 「文学オタク」なんてくくりで呼ばれる時代が来るかもしれない >>827
三島が、文学は人生をあらわすものだと言ってるのはどこで見れますか
あまりにも馬鹿っぽすぎるんですが 文学青年という言い方は昔からあるな。
文学オタクより、少し知的な雰囲気になるかな?w 人間は生活が豊かで便利に成れば成る程に深く思索することが無くなる
すなわち貧しく不遇で不幸な時代にこそ文学の芽はある 消防のときは「悪魔がこりて笛を吹く」だとばかり思ってたよ。
懲りちゃうんなんて人がいい悪魔だなあておもてたw 三島は文学青年なんて呼ばれかたは嫌うだろうな
むしろオタクの方が受け入れやすいかも
UFO研究会みたいなのやってたくらいだし いや、「オタク」って言葉の現在のニュアンス知ったらやっぱりイヤがると思うよw 三島が鏡花や足穂や百間について語ってるの見るとオタク感ぽい雰囲気出てる 確かに三島はオタクの一種かもしれないけど、
オタクのまま死ぬ覚悟はなかったところが普通のオタクと大きく違う気がする。
つまりなんとしてもリア充になりたかった。あの死に方がそれ証明している。 好きな対象と同一化するために行動するタイプのオタク 午後の曳航のガキなんて小説内の人物造形としては完璧かもしれないけど現実にはいない。
二次元美少女の可愛さと通じるものがあるw 三島の作品にこんな奴リアルじゃいねーよキャラが多いのは事実だね
筆頭は禁色の南悠一かな レター教室読んだ 最高!
こういうので良いんだよ
早速人妻に貸してやろう、いや、お手紙書いちゃおう 豊饒の海を幻想小説と呼んだのはこないだ死んだ橋本さんだっけか 妄想の中で一片の真実を突きつけるのが、
小説だろう、それが天人五衰の怖さだ、現代は
ノーテンキな小説ばかりだ >>851
ヒトから聞いて、ハイ、そうですか、とゆうもんでもない、
血を流して自分で探せ >>852
あなたの真実が妄想ということで、FAQw JKガイドは予定時間の初めと終わりに嬢が店に連絡するシステムだから、オテルはほぼ無理。
ただ、ガイド中にガイド料金そのまま嬢に渡すから、絶対店にバレないように個別でパパ活しようって持ちかけたら3人中3人ホテル行けた。
後の値段はプレイ内容によって嬢との交渉次第。ショーケースに入った女を抱けた興奮は凄かったよ。
でも結局、同じ値段払うなら吉原のソープ行く方が顔面レベルもサービスも圧倒的にいいからバカバカしくてやめたけどね。
どうしても気になってる嬢がいるなら、交渉だけしてみると後悔ないかも。所詮お金のためにやってることだから、条件が合えば飲んでくれるよ。
初回だけでいいからケチらないことがコツやで! 豊穣の海に一カケラの真実も感じない輩は、無理に読むことはない、
レベルにあった本は五万とあるんだから、万人むきの小説はない SFにもオカルトにも真実
フランケンシュタインにもドラキュラにもエクソシストにもガンダムにもウルトラマンにもスター・ウォーズにも・・・・ ふむふむ
なるほどね 柳田国男の『遠野物語』の中に出てくる、幽霊の着物の裾が丸い炭取に触れることによってその炭取がくるくると回転する場面に三島は、小説の秘密というか真実というか、これこそが小説だというのをみたというようなことを書いているね そこで幽霊の存在が現実のものになると
文字だけの表現で >>858
それこそ文学の極意だよ、炭取りの回らない小説がいかに多いことか >>859
小説というのは、一般にすべて文字だけの表現だよ? >>860
君が文学の初心者だということはわかる。 あなやと思う間もなく、二人の女の坐れる炉の脇を通り行くとて、裾にて炭取にさわりしに、丸き炭取なればくるくるとまわりたり。
(柳田国男『遠野物語』)
ふと顔をあげると、すぐ眼のまえの小道を、簡単服を着た清潔な姿が、さっさっと飛ぶようにして歩いていった。白いパラソルをくるくるっとまわした。
(太宰治「満願」)
三島は太宰に傾倒していた。
しかし、太宰に学んだことは表には出したくなかった。 三島の太宰への感情というのは面白いっちゃ面白いけど
その簡単服を着た人は幽霊なんですかね
生きてる人がパラソルをまわすのは普通のことなんだけど >>865
補足すると、幽霊がなにかを動かすのも「普通」のこと。 青空文庫で読んでみたけど、パラソルをまわしているのは小学校の先生の奥さんで、三年禁じられていたアレを許されて、その喜びでパラソルをまわしているんですよね
超現実が現実とクロスした、幽霊が炭取をまわしたのとは全然違うのでは >>868
どちらも架空の話。
人間の女として描かれようと、幽霊の老女として描かれようと、同じこと。
現実的ではないほど芸術性が高い、というのでは、『ドラキュラ』の方が『罪と罰』より価値が高いというようなもの。 三島の言うのは、小説の神髄は、小説という現実でないものが現実を揺るがすところに
あるってことだから、やっぱ満願の話は別だろう。 >>870
話が同じとかいうことではなく、小説というのは対象が現実でも架空でも、その情景にまつわる人間の心をどう描くかということ。
幽霊が現実を揺るがして、人間が現実を揺るがさないということもない。
三島は能楽好きだし現実回避の強い欲求を持っていたから、SF的な情景や幽霊の話も好んだのだろう。 >>871
いや>>864であなたが言っていることは、
「三島は太宰の満願の回るパラソルに学んだのに、太宰に学んだなんて言いたくなかったから
遠野物語に置き換えた」ってことでしょ? そうじゃないでしょって話。 >>872
短文だから省略した書き方になる。
三島は太宰の「満願」を間違いなく読んでいる。
そのパラソルのイメージと「遠野物語」の裾のイメージを重ねている。
置き換えたなどと言っているわけではない。 >>873
いやまあ読んではいるだろうけどね。
でも遠野物語のほうは幽霊、つまり実体のないものが現実の物体である炭取りを
回してしまうということで、これが小説という(現実でないもの)の力だと三島は言っているわけで、
満願の登場人物の喜びの表現としてパラソルをくるくる回すこととは全然別でしょう。 >>874
繰り返すが、どちらも架空の話。
>>871をもう一度読んでみて。 小説なんて架空の話だらけじゃん
何このバカみたいな展開 岩波文庫から順次出版されるのかと思ってたらまだ2冊のままか。まだ小説は早いのかな 百閧ェ「この本のお話には、教訓はなんにも含まれて居りませんから、皆さんは安心して読んでください。
どのお話も、ただ読んだ通りに受け取つて下さればよろしいのです。
それがまた文章の正しい読み方なのです。」
ということを書いてたりするけど、教訓や登場人物の心情を読み取るのが一番大事だと信じこんでる小学校の道徳教育の弊害みたいな人って結構いるんだろうな >>881
百閧ヘ漱石オタクだから、ほんとうは「F+f」の信奉者じゃないかな? F+fは作品が持つもので読者がむりやり作り上げるものではないから、百閧フ言は百閧ェF+f信望者であったとしても矛盾するものではないね >>883
念のために聞くけど、「f」ってなんだかわかってる? >>884
先の柳田国男の例でいうなら、幽霊の着物の裾が炭取をまわした時にその語り手の受けた衝撃のことでしょ
読者は語り手と同一化しているから炭取がまわるのを目撃してしまう
そこで幽霊の心理なんてムリヤリ考えることではない >>885
「f」というのは、まさに「登場人物の心情」のこと。
緻密に描き込むこともあれば、読者に委ねることもある。 >>886
登場人物の心情に限定したら狭すぎじゃないですかね >>889
普通は、ある事柄に他の事柄を足せば、それを広がったというねw
自分の好みで言葉の意味を変えるのも自由と言えば自由だが、小説を語るには不向きだ。 それにしても、ここは漱石スレではないので、これ以上は遠慮しとく。 百間が教訓を伝えるために小説を書いてるなんてありえんだろ てか>>881の書き込みがスレチな上に唐突すぎね? NHK「クローズアップ現代+」三島×川端ノーベル賞の光と影
アカデミーが当時の選考過程を公開、三島は「今後の成長によって再検討も」とされていたのだ。しかし、その2年後に割腹自殺さらにその2年後、川端はガス自殺。二人はなぜ死を選んだのか?宮本亜門さんをナビゲーターに大胆に読み解く。 >>894
特に新しい話はないんだね。
テレビではこのくらいが限度かな? 俺も見なかった。この手のことでの新しい発見はまずテレビの一番組には出ないからな。 遠縁ならノーベル トールオーディンも価値や賞金がおいしいよ。 三島の魅力は、良くも悪くも豪奢なあの文体であって作中の登場人物の心情についてはかなり
俗っぽいことをワザと勿体ぶって書いてる。
小説らしさを抜きにするなら
戦後の昭和の時事風俗を盛り込んだ短編が一番興味深くて面白いと思う。新潮文庫から何冊も出てる。 三島由紀夫の短編
煙草、復讐、花火、雛の宿、女神、美神、怪物
雨のなかの噴水、新聞紙ぐらい 『ボヘミアンラプソディ』祝大ヒット。三島とフレディは気が合いそうである。
いかにもその手の男らしい(必要以上な感じもする)ゴージャス趣味。奇妙に人工的な感じのする作風。
「ボヘミアンラプソディ」って曲はまさにそれ。
詞の内容は何だかみじめったらしいのにオペラ的なコーラス入り。「必要なのか、それ?」と思う。 『ボヘミアンラプソディ』なにもフレディが出っ歯なのまで復元せんでも 『ボヘミアンラプソディ』なにもフレディが出っ歯なのまで復元せんでも >>902
おーっ
新聞紙が入ってる
これシンブンシじゃなくてシンブンガミって読むんだよな
これ古本屋でボロボロの戦後すぐの文芸誌を見つけて
中見たらこれや、他にも泰淳やら有名なのがいくつもあって買った
それでこれ読んだらスッと何か分かって
それまで文体の抵抗感が強くてまったく読めなかった三島作品が
嘘のように普通に読めるようになった >>905
これ、意外性だけが魅力でそこまで面白くないやろ。 スポーツやんないオタク標準大学の戦争も大負けしてるのを読みつなぐのもなあ。 ×「スター」→○「スタア」訂正
こうゆうことは拘りそうだから訂正しておく 戦時下のレポートもろくに書けんのだろう。軍事ジャーナリストも無理だし。 三島の戯曲「熱帯樹」が17日から、シアタートラム(世田谷区)で上演される。
ギリシャ悲劇にも通じる倒錯した家族の愛憎劇を、最年少で新国立劇場の芸術監督に就任した小川絵梨子が演出。小川は「三島の影にとらわれすぎず、一つの家族の物語として、現代でも魅力あるものにしたい」と意気込む。 篠山の三島写真集になるはずだった「男の死」は、日の目を見ることなく今日に至っている。撮影から1週間後、自殺を遂げたからだ。
いま、平成も終わって新たな時代を迎えようとしている。この幻の写真集が公開されることはないのか。
「僕が生きている間はないかもしれない。三島さんがいろいろな死に様を演じて、スキャンダラスな亡くなり方をした。平然と出すことはできなかった。ご遺族のことを考えたら・・・いつかと思っているうち、こんな長い時間が経っちゃった」 三島原作、黛敏郎作曲のオペラ「金閣寺」が宮本亜門の新演出によって、東京で上演される。フランス国立歌劇場との共同制作で、ストラスブールで初演され好評を博した。 >>919
おフランスでウケたんだから凄いだろ、ってか? 外国語に翻訳して伝わるか否かってのはやっぱり大きいよ。文学として。 三島、川端の受け入れられ方は、所詮、ゲイシャ、フジヤマ、ハラキリ、
と同レベル、尤も、雪国、金閣寺(京都、芸者、お寺)じゃ無理もない、
その点、大江、安部、村上などは蝶々夫人と別路線だから、スゴイ、
しかしそろそろ三島川端のジャポニズムで売るのは止めにしてほしい、
舞子さんは祇園だけでいい 仕事を組むときに三島だけを語ってつづるな。東大は本陣系じゃない三島ダケド。 >>924
でも、それが先進世界の日本に対する見かた。
技術を見れば欧米の亜流だし、文化を見れば中国の亜流。
日本を「発見」したければ、まずそれを自覚することだ。 西洋人、日本開発のやつも自分達の真似とか思ってるからなぁ
西洋人のナチュラルな差別意識なく無意識にやってる有色人種見下しがあるからなぁ >>927
文化、経済、政治、どれを見ても欧米白人のほうが日本人より優れているとしか思えない。
自分にはこの劣等文化の居心地がいいが、海外に出た日本人は日本に帰ろうとしないことが多い。 若くないならば
まぁちょっと残念な人なのかなと思ったりするよ やっぱり三島由紀夫と政治って切り離した方がいいのかな‥ これからは三島や川端がやったような「ステレオタイプ」のイメージに
よりかかった小説はいくらなんでも無理だろう、村上春樹のような
特に「日本」を全面にださない小説が海外でも読まれるんでないか、
フンドシで日本刀を振りかざした Yukio Mishima の小説のカバーを見ると
赤面する日本人は多いだろう、 猪瀬直樹が日本文学は家長の系列(森鴎外など)と放蕩息子の系列(漱石、太宰など)に分けられると
書いているが、三島はどっちなんだろう? 漱石が放蕩息子というのはどうなのか。親に金を無心されたりしてたでしょ。 森鴎外だって放蕩息子なんじゃないかな。外国で女性に酷いことをして怒鳴り込まれた挙句に親の権力でもみ消したわけでしょ。 >>926
別に日本を発見する気なんかないんでどうでもいい >>940
繊細だと思われてるのかな?良い感じの変態だということ? >>941
変態の部分は西欧では珍しくなさすぎるから、評価の対象にならない。
日本女性の繊細な感性という、毛脛丸出し(by太宰)ともいえる日本男の幼児的な女性像が評価された。 >>942
それ本当なら単にバカにされてるだけでしょ。多くの日本人男性は実際にバカだと思うけど。 「日本人として日本の土となることが父の長年の夢でした」 そう言えば太宰は海外では
まったく評価されてないな あまり知られてないね
評価は知らない
文章のうまさでは三島と比較にならない >>929
若いといえば若い世代かな。
白人には劣等感を持ったほうがいいとは思ってる。
盲目的に日本を礼賛しても惨めになるだけ。 三島って文学者としてはたいしたことないのになんでここまで読まれるかね
戦後世代ってつまらないものでも残ってる場合多いからいいよな
佐藤春夫とか横光利一とか一般人には買えないじゃん 太宰は青春の通貨儀礼であっても、三島は青春通過儀礼にはならないな、
そもそも三島文学にに青春があったのか、
「春子」や「煙草」「岬にて」など思春期の微妙な心理を描いた作品はあるが、
なにかジジ臭い、青春文学の感じがない、 てめえの差別心を三島で満たすなよ。誰も傷つけずに堂々とオナニーしとけ。自分の部屋でな。 >>959
突然どうした?
朝鮮人に反応したのか?
それともジジ臭いに反応したのか? 三島の文章は装飾が多すぎる。自分でもスタンダールの文章を真似たかったけど簡素でありながら豪華であるような文体は真似できなかったと告白してる。天性の才だと
晩年の三島は鴎外とトーマス・マンを参考にしたようだがマシになってるの? >>960
三島に興味持ってるフリしてねーで素直にまとめサイト読んどけよネトウヨ君 >>961
外国語の文章の真似をするのはとても大変だけどね。 >>964
三島は外国語ができなかったので、翻訳文を真似したとゆうことね、
若い時、堀口大学訳のラディゲに惚れて、訳文に感染した、と書いている、
スタンダールもマンもみんな翻訳経由、だから、スタンダールやマンの文体の
影響を受けたのではなく、訳文の影響を受けた、とゆうこと。 そうだな普通に翻訳調だと分かる
というかその代表的作家
短く切らなくてもよく整理された描写はその賜物だろう
だから真似は和文と比べて簡単
文語文法警察とかいないしw >>965
三島は英語ならそのまま読めたんだろうにね。
独仏文学は翻訳頼みだったんだろうな。 まあ教えてあげると
専門家以外はけっこう英語翻訳で読んでいた
当該専門家も
で無論翻訳文体からの影響は邦訳読むしかない >>968
言葉がわかる人はそれぞれの原書を読むのが普通だと思うけど?
その方が翻訳より読みやすいだろ? 真似したということね
なんてバカな文書いてる人間がよく文体批判なんか出来るな 自分が原文で読んだからと言って訳文で読んだ人より内容を深く理解しているとは限らないのに、そんな事もわかってない奴ほど原文原文言いたがるんだよな。 >>973
ちょっと誤解があるようだ。
言葉がわかるなら、「わざわざ」翻訳を読む必要はないということ。
理解の度合いを確認するとか、批評でも書くつもりなら、原書だけでは不十分だから翻訳や解説書を読むだろう。
自分で楽しむだけなら、原書のほうが読みやすいというだけで、原書を読むことが理解の近道とか言ってるわけではない。 その作者を研究してるわけじゃないんだから翻訳された文章を味わうってのもあろうが
実際に三島は堀口大学や森鴎外の翻訳文の魅力について書いている >>974
母国語じゃない言葉を「わかる」ってどれくらいのレベルを指してるの?文学の領域で母国語じゃない言葉を「わかる」人って英語に限ってもどれだけいるのよ? 声を張り上げることでもない周知の事実でマウント
だっさ 私は、堀口氏の創った日本語の芸術作品としての『ドルジェル伯の舞踏会』に、完全にイカれていた。それは正に少年時代の私の聖書であった 中村メイコは三島に飲みに誘われたが、美空ひばりとの約束があったため断ろうとすると「じゃあ僕も連れてって!ひばりを直で見たい!」と。
そして美空に「小説を書いています三島と申します。」と挨拶。それに対し、美空は「あぁそうですか・・・ねぇねぇメイコ、小説家っていうけど川口のパパと、どっちが偉いの?」と発言。
中村は慌てふためいたという。すると三島は「もちろん、川口松太郎先生は大先輩でございます!よろしくどうぞ!」と答えた。 >>976
英語の小説であれば、翻訳より原書のほうが読みやすいと思う程度の人なら、日本に数百万人はいるだろう。
ただ、その数百万人が小説好きだとは限らない、ということにはなるが、英語の小説の流通量が一つの目安だろうが、統計があるのかどうかは知らない。
自分の場合は、翻訳がなかったり訳書が高かったりすれば英文にする。
ちなみに、古典的な哲学書などの多くは英文なら無料で読める。 >>980
日本語が母国語じゃない人が日本に数百万人はいるからね。 >>981
そういう意味ではないんだけどね・・・w 日本語は、古くは漢語、近代以降は西洋語との出会いによって、それらを
日本語の中に消化する(翻訳)ことによって表現の幅、可能性を広げてきた
のだから、三島が鷗外や大学の翻訳文から学んだのは当たり前のことだ、
政治的には尊王攘夷かも知らんが、文学的には国際派だ 世界主要語を国語に移植可、逆は不可。われわれの言語はあまりに精妙自在であるがゆえ。
そのように刷り込まれてきたと思う。
わが国でまともな学者・知識人のイメージは、定評のある訳書と英独仏の綿密な注釈が書ける人でしょう。
土人語に訳しました、では地位なんて得られないからね。どうしたって国語を持ち上げる必要がある。
英語圏に対して後進国の状態を維持することで、利益を得ている人たちが多いということ。むしろ言語こそが利権の基盤と言ってもよろしい。
中央省庁、大学、産業界、マスコミ、これらすべて英語圏の文物を日本に移植・紹介することに能力の大半がかかっている。 >>984
一面の真実だな。
たしかに、官僚には必ず海外留学と数度の海外勤務が設定されている。
中年以降の海外勤務は、退職金の上乗せ的な意味があるだけではなく、再就職先でのキャリアアップにもつながる。 エロアニメが海外でhentaiで通じるのはどういう >>982
俺の質問はそういう意味にしか読めなくて、君はそれに答えてそれを書いてるんだけどね。 >>987
日本語が母国語じゃない人のことを言ってるんじゃない。
翻訳より原書のほうが読みやすいと思う程度の人は、というのは、日本に生まれ、日本で教育を受けた日本語を母国語とする人のうちの数百万人という意味だ。
だから、「日本語が母国語じゃない人が日本に数百万人はいる」という意味ではない、と指摘した。
知人を見渡せば、一人や二人は英語の文章が抵抗なく読める人がいるだろう。 >>988
母国語じゃないにも関わらず文学的ニュアンスを汲み取れるほどの英語力をもった日本人が数百万人もいるのか…いやはやすごい説だね! あ、↑の「日本人」はざっくり「日本語を母国語とする人」の意味ね。 >>989
いるだろ?
翻訳だってニュアンスは失われている。
言葉というのは、いくつもの意味や雰囲気を持っているが、訳すときには一対一の対応で言葉を選ぶしかない。
辞書を引きながらでも、原書を読んだ方が楽しめることが多い。 >>991
もしかしたら君はそうなのかも知れないが、日本に数百万人もそんな人がいるわけがないだろ。 >>992
日本人でも、5%ぐらいは普通に英語が読める人間はいるだろう。
日本では、最低でも6年間、大学に行けば計8年以上の英語教育を受ける。
それでも普通の小説程度が読めるようにならない人は確かに多い。
しかし、少しでも英米文学などに興味を持った人は、読むことができるようになる。 一応念を押しておくが、外国がができるから理解が深いとか、ましてや教養のバロメーターだとか言ってるわけではない。
普通の教育を受けていて、なにかのモチベーションがあれば、英語の小説ぐらいは原文で読めるようになると言っているだけだ。
そしてそれは翻訳を読むより、なんとなく、理解しやすい感じがするということだ。 >>993
幻想だと思うよ。大学で英語の単位を取って卒業しても英語の文学書を読めるようになんてならない。 「少しでも英米文学に興味を持つ」事が日本語ネイティブが英米文学を英語で読めるようになる事の必要条件だとしたら、「少しでも英米文学に興味を持っ」ている人は日本に数百万人もいないよ。これは断言できる。 >>997
もう少し冷静に文を読む訓練をしてほしいな。
>>980をもう一度読み直すことだ。 >>996
ちなみに、大学で英語の単位を取った人も2〜3千万人いるはずだ。
6年間の英語教育なら、1億人近いだろう。
最低でも6年以上の英語教育を受けているのに、英文の小説を読めない方がどうかしてるともいえる。 このスレッドは1000を超えました。
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