「トルストイの世界は一枚岩的にモノローグ的であり、主人公の言葉は、主人公についての作者の言葉によってしっかりと枠づけられている。
主人公の最後の言葉も他者(作者)の言葉の外皮をかぶって示される。
第二の全能なる声は作者の声と並んで、トルストイの世界にはあらわれてこない。
したがって、声どうしの組み合わせの問題や、作者の視点の特殊な置き方といった問題も一切起こらない。
トルストイのモノローグ的に素朴な視点とかれの言葉は、世界の隅々、精神の隅々に浸透しており、すべてを統一している。
つまり、トルストイにあっては、一個の認識する主体があるだけで、あとの残りのものはすべて認識の客体にすぎない。
作者はそれらと語るのではなく、それらについて語る、最後の言葉は作者の言葉である。」

「意識をモノローグ的にとらえる態度は、文学だけでなく他のイデオロギー的創造物の領域でも支配的である。
意味あるもの、価値あるもののすべてが、いたるところで、ひとつの中心(担い手)のまわりに集中している。
すべてのイデオロギー的創造物は、ひとつの意識、ひとりの精神のありうべき表現として考えられ受けとめられている。
意味のあるすべてをひとつの意識のなかに集め、単一のアクセントに従わせようというわけである。」

カルト宗教などはまさに教祖のモノローグの世界である
教祖はポリフォニーを最も恐れ、他の宗派の経典を読むことを禁ずる
信者を脱会させるのが難しいのは、非難されればされるほどモノローグの中に逃げ込み脱出できないようになっているからである
池田大作の『人間革命』などは、まさにモノローグ的作品の典型と言える
だから創価信者は、ポリフォニー小説『カラマーゾフ』を読んでも、長老ゾシマのモノローグ小説としか読むことができないのである