ドストエフスキーは主知主義的な信仰、つまり理神論を排した
この中にはイワンのような理知主義やその反動である不可知論も含まれる
ゾシマ長老による一種の汎神論的大地主義はこの観点から検討されるべきであり
世俗内伝道者アリョーシャの誕生が荒れ野の修行者たるイエスと重なるのもそのため
これを仏教的に理解しようとするのなら修験的な在野主義だろうね
そもそもイエスキリストの属したエッセネ派は修験道に似ているんだよ