>>644
ういーその態度わかった、じゃあオレもここを去るわ
最後になるから餞別として

いずれ人に向けた言葉の矢先は自分に向かうよ
ドストエフスキーに限らず文学や、そして宗教も、自己を大きなものと同一化して強化するという意味で一定の力を持つ
自己の精神が安定するという意味で健康にもなれる
だけどある時点で反省しないと、ただの欲の強化にはまり込むだろう
そういう意味で宗教は危うい、人を選ぶ
君はどの宗教をやっても排他的なカルトになる
その宗教のせいではない、君自身のせいですべてカルトに仕立て上げてしまうだろう
崇拝とは人間に向けるものではない

ドストエフスキーは神に与えられた自由意思をどこまでも重んじた
一方で意思の自由には同じだけの責任も問われるとした
そこに神の沈黙があるとする、ただこれは恩寵でもある
だけどここにはドストエフスキーの信じた一神教としての神の位格、人でいう人格をもった神の顔がある
君はそこをそうかの汎神論(人格のない神)と同等にしてしまい、そして問題はそこことに何ら疑問すら抱いていないという最大の事実がある
ここが分からない限り、宗教が何なのかはさとれないだろう
そして君のアイデンティティもどこまでいっても築くことはできないだろうね

それでは皆様、この偉大な作家とそこに魅了されたすべての方に、神の祝福がありますことを!