ドストエフスキースレだからドストエフスキーで説明するよ
キリスト教は集団なる宗教だから服従しろ、と言ったのは紛れもなくなく大審問官になる
その大審問官を読めば、この文がとかこの章がというのではなく、全体の中に一つの声が読める
大審問官の思想を根本から否定する声がある
パンを自分で収穫し、奇跡を必要とせず、権威溺れず、一人ただ立ち、自らの自由において信仰を勝ちとれと、荒野の悪魔の3つの誘惑に反駁していく

この辺は三位一体の考えがとてもよく入っていると思うよ
神は父と子と聖霊という位格は別だが、属性は神になる
人間もまた同じで、人はそれぞれ人格を別に持つが、属性は人間である
ゆえに、皆同じであると共に皆同じではないのだろう

だからその声も集団にまとめて降り立つのではなく、一人一人に降り立ち、一人一人に声を与えるとはならないだろうか
それが分かっていながらもその事に反抗し、ただ同じであるかように考え、集団に服従することを大審問官に述べさせ、そしてドストエフスキーは書かずに反駁した

創価がどういう考えを持って服従しろと言っているのか、集団を重視するのかは知らないけど、ドストエフスキーは多音性を重視して個別であることに重点をおいた
それが正しいのかどうかもまた知らないけどね

イワンには粘っこさがない
8歳の女の子(概念)という見えないものには哀れんで見せるが、イリューシャのようにジュウーチカ(個人)という目の前のものは哀れまない
固有名詞は嫌いなんだろうね
ハッキリいうと争いになるだろうけど、君の説明する創価という集団(ほんとの所は知らないけど)の考えはイワンのように粘っこさが見えないよ