>>866
>>867
真理と宗教の善悪は神の法であり、創造から既に決まっていたというのがキリスト教の一般解釈だよ
ドストエフスキーもキリスト教だから、ドストエフスキーの本で書いてある真理もそういう考え方しか、しないのではなくて出来ないんだよ

真理が変わって見えたかどうかは、それを眺める存在がなにか成長したとか不安だったとかの、見る側の印象が変わった、というだけで真理は変わっていないとするのが宗教だよ
その真理そのものを変えてくのは、もはや宗教ではなく哲学とかそーいう類のものになる、と思うよ

あと、過去や今や未来を塗り替えられる、みたいなことについては、キリスト教だと神の意志にお任せみたいな感じだから、そもそも変えられるかどうかは気にしていないと思うよ
変えられちゃうなら罰の概念も意味を失い、何より悔い改める必要のないキリスト教なんてないも同じだからねw

キリスト教では2000年前にこうあって(正確にはそれはそう決めれていてキリストが受肉して伝えた)、変わらないよ、仏教についてはは分からないけどね

『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。(マタイ 22:37-38)