どれだけ読めば、文学通といえるのか?
「私は文学通です」と胸を張って言えるようになるためには、文学作品をどれくらい読めばいいんだろな? 中学生までにどんな古典を読んだらいいのでしょうか?
分量もさることながら方向性もしっかりしていないと心の成長が期待できない
特に日本の精神を培うには
漢籍
古文
短歌・俳句
なども必要だし
合理的な価値判断を培うには西洋の文学を小中学生向けにしたものも必要だ
その辺の整理が文科相や出版社でついていないのにいきなり「時をかける少女」とか「図書館戦争」とか読んでも土台がついていないから崩れやすいと思う 筒井康隆を読む土台としての古典を探している、と言う事ですか? >>578
漱石「俺は本は一度しか読まない」
>>579
本なんて読んでも心の成長なんてほぼしないし
日本に暮らして中学生まで過ごせばもう日本の精神にがんじらめに育ってるよ >>576
100年ぐらい前に当時の著名な文学関係者が集まって
『読んだことのない必読書10冊』という題材で意見を募ったらあらゆる名作が挙がったらしい >>581
日教組教育でちょっと怪しい
読解力がつく過程も思索したい
夢中になって何でも読んでいたらいつの間にかついたというのでは教育論的に分からん >>583
読ませたい相手があんたの子供か生徒かは知らんが
「いつの間にか身についていた」以前にまず当人が本を読みたがってるかどうかの方が遥かに重要じゃね
小中高生が夢中で本を読んでる時点でもう逸材だからほっとけ
本なんてかったるいもん読みたくないといって友達と遊びたがっててもそれはそれで正常な子供だからOK ジェイムズならびならヘンリー・ジェイムズ
心理の推移と筋の面白さ、英文の構築の精緻さ
英文で読んでいると難しいが、分け入っていく感覚に精神が昂ぶってくる >>586
夏目漱石「こいつの文章は簡単にわかることを、分かりにくくすることを目的としてる」 たしかにね
詳細に書けばいいってものじゃないだろうと言いたくなる >>581
だから何だよ!?
おまえは「考える事」ができない、かたわの脳ミソだな(笑) ヘンリー・ミラーのセクサスとかプレクサスとか全部読んだ人いるのかな 100年後にも残って古典となる作家は
鴎外、漱石、谷崎の3人は確定。 >>592
量とか冊数の問題ではないと思いますな。 教科書に書いてあるような文学史の潮流に乗るのではなく、自分独自の文学系譜を持っている人は文学通だと思うね。 ナボコフのような大御所なら別だか、お前らがいくら多読して「通」になったところて、他人にとっては何の役にも立たんよ
例え1冊でもいい、深読みできて、他ジャンルや、政治・経済、文化史を横断して、しっかりした文章で独自の観点から論じる力量があれば、注目されるよ 「読点」を多用するバカが吠えている
他人の趣味の領域に偉そうに口出しする前にやることあるだろ 誰に対してマウント取りたいかだろ
年間10冊も読まないバカ相手だったら年間50冊も読めば通気取りができる
評論家や批評家気取りなら年間500冊程度は読まないときついだろ >>593
森鴎外なんかは有名だけど本屋で見ると4冊くらいしか並んでないんだよね、近代の作家で多いのは漱石太宰川端谷崎あたりかな 梅崎春生や太宰治の軽快なコメディ文学が好きなんですけどなんかオススメあります? 百閧ニだけ言われて「そうか!」と最初に手に取ったのが「サラサーテの盤」とかだったりしたらどーすんの 地方の大型書店の海外文学文庫コーナーに立ち寄ってみたが、ドストエフスキーの
罪と罰とカラマーゾフの兄弟がどっさり積んであった。こんな田舎でロシアのあん
な長大な小説、需要があるのか不思議に思ったけどね。他にペストとかイシグロの
作品とかが幅を利かせていた。流行と言うのはあるだろうが、あざと過ぎやしないか。 地方の書店が定番しか置かないのは当たり前だろう
世間知らずもたいがいにしろ お前みたいな田舎ものじゃないから、田舎の定番が分からなかったのさ。 ある程度の年月を生きてきて地方の書店も覗いたことがないってことは都心の貧乏人じゃん お前みたいな田舎ものよりマシ。せいぜい、田舎の定番(笑)を買ってやれ。 都心だろうと地方だろうと貧乏は嫌だなあ
>>610もいい年こいた貧乏人の発言なんでしょ?むべなるかな しかし日本はまだまだ未開というか、謎だ。
ペストはおらっちの定番ずら、なんて田舎じゃ言うのかね。
どこの田舎だか知らんが、あるんだろうな、
アリスもびっくりのワンダーランドが。 コロナでペストが売れたことを知らない人がいるんだな
情報を一切取り入れない人かな コロナ前から書店に置かれてたから売れたってのもあるね
カミュ、カフカ、ドストエフスキー
この辺の顔ぶれは何十年も変わらん
漱石、芥川、太宰がとりあえず置かれてるようなもん まあ、漱石とドストエフスキーは読書人の必読ではある。
コロナが収まっても、ペストは読まれ続ける。田舎でもさ(笑) 純文学400冊
ミステリー200冊
SF200冊
ファンタジー100冊
ホラー100冊
1000冊読め文学通 >>545
逆ですよ
うまくて面白いだけの作品はその時代とともに消えて
新しい時代のうまくて面白い作品に置き換えられるのがこれまでの歴史
残るのは面白くないかもしれないが代替性のないもの(歴史的意味があるとか、資料として大事とか) 幅を知っておくという限りにおいては、20代前半までに文学全集に収まってる代表作には触れとくべきだね。特に長編はそれくらいの年齢こしてくると読む体力が衰えて読み通せなくなる。そして深みを知っておくには、再読という形が1番いいだろう。 「アンラーニング」(unlearning)とは、
いったん学んだ知識や既存の価値観を批判的思考によって意識的に棄て去り、
新たに学び直すこと。
日本語では「学習棄却」「学びほぐし」などと訳されます。
個人や組織が激しい環境変化に適応して、継続的な成長を遂げるためには、
いわゆる学習(ラーニング)と学習棄却(アンラーニング)という、
2種類の一見相反する学びのプロセスのサイクルを
たえず回していくことが不可欠とされます。
(2012/11/26掲載) >>626
アンラーニングのことは初めて知ったが、具体的なアンラーニング方法は所蔵古本の売却と新しい本の買い入れか。
つまり、今みたいに全国的に古本買取価格が安過ぎる現状では、アンラーニングが進まない。 ニューヨーク日記:
図書館の音楽資源:二千枚のCDを聴いて分かったこと
2002.04.
橋本努
ほとんど毎日のようにどこかの図書館に通って、まずCDを一〇枚借りる。
最初はジャズから聴き漁りはじめて、
民族音楽、クラシック、アヴァンギャルドなど、すべての分野に触手をのばしていった。
一日に十枚を聴いて、次の日はさらに別の十枚を聴く。そして約三か月で二千枚以上のCDを聴く。
この音楽経験は、自分のアイデンティティの一部としてある音楽の次元に対して、
進化的メタモルフォーゼを働かせることになった。
現代社会においては、あるエスタブリッシュメントに対して別のエスタブリッシュメントが対抗しており、
そうした諸々のエスタブリッシュメントが拮抗する中で、そこから生じるダイナミズムをいかに理解するか、
またいかにして新興するエスタブリッシュメントを称揚していくか、という問題が、
文化のダイナミズムを促進するための中心問題となっている。
問題は、いわゆる教養としての音楽ではなく、諸文化が拮抗する中で、
意義深い文化にコミットメントしていくための道筋である。
もし自分が中国人であったら、こういう表情をしていただろうとか、
あるいは黒人であれば、こういう顔をしていただろう、という想像力を働かせてみると、
その文化に対して、一定の社会参加的なパースペクティヴをもって接することができるようになる。
こうしたパーソナリティへの想像力は、文化に内在した理解を大いに助けてくれる。
このように、他でありえた可能性を探求することは、
自分のアイデンティティの幅を「可能性(ポテンシャル)」の次元において広げてゆく。
重要なのは、「今何を聴くことが最も効用を満たすのか」について確実な効用関数を知ることではなく、
そうした効用関数がもはや分からなくなるところで、つまり大量の情報と複雑性の中で、
音楽に対する感性の襞を解放=成長させていくということではないだろうか。 CloseToTheWall
東條慎生。
2023-12-31
2023年に見ていたアニメ
週に何本見ているかを毎クール数えているけれど、冬で週に50本を超えたのは初めてだし秋に
も50を超え、週ごとアニメ視聴本数の4クール総計は187で、去年の154の二割増しでかなり増えている。