【ばふりばふり】蓮實重彦 X+3【120度】
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>>942
おれの文章と思考が及ばないだけで、ハスミンはこんな浅いものではない そういえば田山氏の外国映画を紹介した二巻本の文庫を持ってた気がしたんだけど、この人ポルノ映画に点が甘いな、と思った記憶がある
O嬢とかあの手のやつ
もしかしたら別の人の本かも >>951
自己レス
たいていがバッド・エンドの後味悪いやつ
さすがにミリオンダラーはかすかな清涼感があったが 937ID:Qf0R6GNDの方のおっしゃったことに違いが、
大衆消費を目的として制作された複製芸術を鑑賞することが、なんらかのステイタスを形成するというようなことは、
消費社会のモノカルチャーに洗脳された結果としての錯覚でしかない、という点をおさえて話をすべきだと思う。 蓮実重彦の功のほうをいう方は多いので、あえて罪のほうを言わせていただけば、
シネフィル作家主義というものが蔓延することによって、
ただでさえ弱かった日本映画は、
いっそうの壊滅的なダメージを受けたということがあると思う。
たんじゅんにいえば、日本では、映画の体をなした、まともな映画が、ほぼつくれなくなった、ということである。
映画はべつに映画監督単独の創作物ではないにもかかわらず、
その種の幻想を、一部のファンのみならず、
映画製作関係者にも与えてしまったということの罪は大きい。
思想的には、「作者の死」(バルト)や「制作の複数性」(ドゥルーズ)
なというような考え方をよしとしていたにもかかわらず、蓮実重彦は、
こと映画に関しては、作家主義の立場を、直接、間接に、主張してきた。
なお、その種の「作家主義」というのは、
デカルトの「方法序説」の冒頭を読めばわかるように、
蓮実先生がその紹介者の一人であるところのフランス現代思想が、
もっぱら仮想的にしていたデカルト主義です。
。 955の訂正
937ID:Qf0R6GNDの方のおっしゃったことに違いが×
937ID:Qf0R6GNDの方のおっしゃったことに近いが〇 ハスミンはバルトの人にとどまっていて、デリダの人、あるいはドゥルーズの人になりきれなかったのが世代的な限界だったのかもね
最近も本屋でバルトに思いを寄せた文章を見かけて驚いた
2020年にバルトか、と ひとたび「作者」が遠ざけられると、テクストを<解読する>という意図は、まったく無用になる。あるテクストにある「作者」をあてがうことは、そのテクストに歯止めをかけることであり、ある記号内容を与えることであり、エクリチュールを閉ざすことである。このような考え方は、批評にとって実に好都合である。そこで、批評は、作品の背後に「作者」(または、それと三位一体のもの、つまり社会、歴史、心理、自由)を発見することを重要な任務としたがる。「作者」が見出されれば、テクストは<説明>され、批評家は勝ったことになるのだ。したがって、「作者」の支配する時代が、歴史的に、「批評」の支配する時代でもあったことは少しも驚くにあたらないが、しかしまた批評が(たとえ新しい批評であっても)、今日、「作者」とともにゆさぶられていても少しも驚くにあたらない。(ロラン・バルト「作者の死」、『物語の構造分析』p.87、訳文は一部修正、太字は引用者) 本当は批評というのは作品を発表する前に内輪でやるものだからな 作家主義とはトリュフォーを中心とする映画監督・批評家らがフランスですすめた映画批評の方法論で、
映画が「映画監督」という一人の個人の創造性・独創性によってつくりだされることを重視する
(Wikipedia「作家主義」から) >>960
これはもう当たり前すぎてなんの鮮度もないよね
バルトさんには悪いけど、これはもう完全な前提的な認識というか、フツーすぎることになってる
最初に唱えたのがバルトさんにせよ おしっこは尿道口から出るんです、と言われた時みたいなそんなの当たり前だろ感しかない まだフーコーの海辺に打ち寄せる波と砂がどうたら?のほうが鮮度保ってるわ オラが街にもライミの死霊のはらわた2は来たんだけども80年代はホラー映画ブームだったからこれもポスター等で怖い作品だと喧伝されてて実際見てみるとなんか違うなと思いつつ怖がらないといけないのかなと思いつつ見てたんだけどのちに見直したらやはりコメディ映画だったという
ちょっと思い出してしまったどうでもいい話 >>956
蓮實も昔から「日本におけるプロデューサーの不在」「撮影所システムの崩壊」「日本映画の
技術の衰退」について語ってはきたんだけどね。
実のところ、70年代以降〜現在迄の日本映画の衰退には幾つも理由があって。
これも書き出すと長くなってしまうのでここでは略。
例えば映画秘宝系の連中が執拗に拡散する紋切型が「TV局と芸能事務所が日本映画を
駄目にした!」だけど、「映画通」が礼賛するような「作家」的監督も結局はTV局に
出資して貰い有名事務所所属の有名タレントを使っているわけで、もうこれ自体が既に
何の根拠もない話なんだよなあ、、
蓮實はさすがに馬鹿ではないので前述の様なプロデューサー・撮影所の不在程度は分かっている
んだけど、それでも少し目立つ個々の作品・作家があると大袈裟に持ち上げてしまい、
そこで結果的に過剰な「作家主義」の幻想を流布してしまうんだよねえ、、
ここ30年程の日本映画をたまに観ると「ここもう少しシナリオを練ってお金を掛けて
いればなあ」「ここ無駄だから編集で切ればいいのになあ」という部分が多くてねえ、、
要するに日本映画の絶望的な予算不足とプロデューサーの不在という事だけどねえ、、 >日本では、映画の体をなした、まともな映画が、ほぼつくれなくなった
そんなの70年代には既にそうだったんですよ。要するに日活ロマンポルノに象徴される
日本映画の現場の絶望的な低予算化という事ですけど。
元五社の日活撮影所がロマンポルノと称して低予算映画の制作に堂々と乗り出した、そこで
プロデューサーたちは「日活の現場は低予算であそこまでやるんだ、おまえらも出来ない
筈はない」と監督に言ってしまえる様になった。
蓮實もバカじゃないからロマンポルノが所詮は撮影所崩壊期の仇花程度は分かっている
わけですけど、映画史家などは真顔でロマンポルノの素晴らしさなどと語ってしまう。
自分も昔はそっちの方でしたが、(もちろん個々の監督・作品は評価するにせよ)
もはやロマンポルノは日本映画低予算化のパンドラの箱を開いた諸悪の根源だったと
断じざるを得ない。
一方でたまに「大作」が作られても(特にバブル期など)出資スポンサーの前売買取に
依存した弛緩した作品だったりしたわけで(実際の劇場はガラガラでも構わない映画など
作り手の勘を鈍らせるだけだった)
あるいは「大作」と称して本来はその予算では不可能なスケールの映画を現場の無理で
強引に作ってしまう。今のナントカ剣心とかが完全にそれでしょ?
日本映画はカネがなくて地獄、たまに(日本映画としては)カネを掛けても地獄、
どん詰まりの地獄なのよ。何処にも出口なんかありはしないんだよ。 ハスミンもリドリースコットを理解できていないのが昔の人間ってカンジ リドリーは
ブレードランナーの自己解説聞いてもブレランの魅力がわかってなくて
たまたま撮れてしまった映画だったことがバレてしまったしね(加藤幹郎も言ってたけど)
リドリーはブレラン以外に見るに値する映画があったっけ?
それよりトニースコットの評価が遅かったのが昔の人って感じがした
蓮実エピゴーネンの藤井仁子の方がよほど早く反応していた 「リュミエール」みたいな季刊誌をまたやってくんないかなー。 昨日は殿譲りのマシンガントークでしゃべりすぎてしまった
お口にチャック(by さんま師匠)せねば 本当は映画は今はあまり興味ないんすよ
文学もだけど
時代が歳を取るより先に自分が歳を取り過ぎてしまった
もう疲れたねや今時映画って 本当は映画は今はあまり興味ないんすよ
文学もだけど
時代が歳を取るより先に自分が歳を取り過ぎてしまった
もう疲れたねや
今時映画って ハスミンも若い時分ほどは今は映画に対する熱情は失ってしまってると思う
誰しもが、老い、疲れる 映画というジャンルが老い過ぎてしまった
断末魔の叫びすら上げるのを通り越して
若者たちよ、老いるな、ポン・ジュノが詰まらないなどと抜かすジジイは蹴散らせ、自分たちの世代のゴダールとハスミンを見い出せ >>977
20代だけどポンジュノをおもろいと思ったことない 何を好むかと才能は関係ない。
侯孝賢はモーリスピアラを、エドワードヤンはヴェルナーヘルツォークを尊敬している。 ヘルツォークは『アギーレ 神の怒り』「だけ」はよかった
全部見てるわけじゃないけど >>960
それが行き着くところってこのスレみたいな垂れ流しでしかないよね
みんな垂れ流すようになっている現代ではもう無効でしょ
対象を肴におしゃべりしてる匿名の俺を聞いてくれこそもういらんで
どうでもいい まあそう力むなって
上に名前が出てるけど映画なんてホウ・シャオシェンとエドワード・ヤンあたりで終わってるんだから
もうこの二人よりいい映画を作るなんて無理なんだから
黒沢清でも無理だよ もう映画という表現形式はホウ・シャオシェンとエドワード・ヤンによって極限にまで到達してしまった 小説のプルーストとジョイス、哲学のデリダとドゥルーズみたいなもんだな ラップのザ・ノトーリアス・B.I.G.とジェイ‐Zとか
これはまだ進化/深化の余地あるか ホウ・シャオシェンはエドワード・ヤンと較べると二段くらい落ちるけど
エドワード・ヤンが最高だな
ゴダールを超えられたら唯一人の男だな 殿が全然盛り上がってない時に「盛り上がって参りました」って言うのを多用してた時期があってそれはシニシズムなんだろうけど悪いけど寒かった 松ちゃんの「すべらんなぁ」みたいな含羞でもあるような エドワード・ヤンは享年59か、相米慎二の53歳ほどではないものの早逝だったね
侯孝賢はまだまだここからやろ そもそもフィルムじゃなくなった時点で映画は終わってた説 このスレッドは1000を超えました。
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