三島由紀夫Part64
990 名前:吾輩は名無しである[sage] 投稿日:2023/03/09(木) 21:45:52.01 ID:VEFITDlO
まあ行事とかは靖国神社に参拝に行けば日本人、みたいな議論であって
西部邁の表現者グループが一蹴していたけどね
伝統はそういうものではなくて再帰的に自覚して繋いでいくものだと
とは言え福田恆存が戦後に歴史的仮名遣いに拘ったように国語が日本的なものの最たるもの
その意味で西部は福田恆存の論争をやりすぎと言いつつも、そこを死守せねばならない気持ちが分かると言った
991 名前:吾輩は名無しである[sage] 投稿日:2023/03/10(金) 14:25:06.55 ID:13lZW7vj
>>990
ケチを付けるようで嫌なんだが、少し指摘しておきたい。
歴史的仮名遣いというのは、漢文読解のために、つまり中国語を日本人でも理解できるように送り仮名、振り仮名をつけたものの変形だから、日本的というには疑問がある。
武士の教養的なものに過ぎないのではないかと思う。
993 名前:吾輩は名無しである[sage] 投稿日:2023/03/12(日) 01:46:28.80 ID:aHD7t4R3
>>991
貴方が言っているのはそもそも論であって、文化と言うのは全部ルーツがあるものですよ
それがそもそもの意味を離れて文化として定着したことが大事なんであってね
ある国なり地域なりでなぜ有機的(庶民共同体で意図せず)に定着していったかということに着目すべき
グローバリズムとフェミニズムとコミュニズム(総じてポストモダニズム)は
有機性を壊していくから世界に反発されている
歴史的文脈や傾向、たとえば言語や食生活やパトスは人間の拠って立つ必要不可欠な要素だよ
小説や映画だって日本語と日本人的パトスは、好き嫌いはあろうけど未だに変わっていない
ま、三島は現代っ子であって身体性よりも言葉でそれを追求してしまった面はあるけどね
【浜崎洋介】村上春樹と三島由紀夫【グローバリズム】の虚妄
https://youtu.be/xvB5hOO3NEI
ここまで前スレからのコピペ。
前スレでのこのやり取りが面白かったので、以下で続きを書こうと思う。 >そもそもの意味を離れて文化として定着した
僕が指摘したのは定着してないということ。
武士の教養に過ぎないものを、文化として定着したとはとても言えない。
明治以降、中心的な作家たちは、慣例的な仮名遣いはともかく、文体としての漢文調を否定して、自分の感情を表しやすい文体に移っていった。
坪内逍遥が言い出して、漱石が完成させた。
鴎外は自分の感情を押し殺す必要があったので、多く漢文調を使っていた。
武士の教養としても、主流であったのは江戸時代だけといってもいい程度の歴史しかない。
歴史的仮名遣いを重く見たいというのは、たんに旧字体を使うということではあるまい。
文体としての漢文調を守りたいということであるだろう。
字体だけのことであれば、そもそも旧字体でも新字体でも、仮名遣いは音声に引きずられて時代とともに変化しているのだから。 それは、歴史的仮名遣一般ではなく、字音仮名遣に限ったことではないのか。
歴史的仮名遣は、もとは和語の表記のための規則だろう。 ≫前スレでのこのやり取りが面白かったので、以下で続きを書こうと思う。
ぜんぜん面白くないだろう。もっとちゃんとした内容の書き込みをしてちょうだい。 >>5
違うよ。
そもそも日本の文字はすべて中国語由来。
中国語とそれに対応した日本の言葉を表す漢字と異なり、仮名は表音文字として使われたから、当然話し言葉の変遷にともなって文字も変わってきた。
歴史的仮名遣いに固執するなら、発音(読み方)もまた変えなければならない。
ところが、歴仮名好きの人たちは、旧仮名を現代音で読んでしまう。
漢字であればまだ新旧で文字そのものが違うことが多いので、旧漢字を使うことに意味はあるが、それとて元の中国語から離れてしまっていることも多い。 ≫歴史的仮名遣いというのは、漢文読解のために、…武士の教養的なものに過ぎないのではないかと思う いま歴史的仮名遣といわれるものは、契沖仮名遣をもとに、
明治時代に公権力によって定められた正書法なのだから、
近代的なものであって、「武士の教養」ということはないだろう。 ≫歴史的仮名遣いに固執するなら、発音(読み方)もまた変えなければならない。
録音が残っているわけではないのだから、記紀万葉の時代の「日本語」の発音なんか正確なことがわかるものではない。
そもそも共通語があったわけでもなく、だから方言というのでもなく、
ほとんど部族語みたいなものが。各地にたくさんあったということだろう。 >>10
武士の教養という意味では、漢字のみ(白文)ということになる。
その漢文に読み方を添えるために使われたのが歴史的仮名遣い。
明治に定められたからといって、それはいきなり出てきたものではなく、それまでの慣習をまとめたということに過ぎない。 歌道をかつて家芸にしていたような旧華族や、能楽師などが歴史的に「正しい」発音をしているとも思えない。
わたしの知る限り、口伝なんてものは、実態はたいへんいい加減である。 wiki
[明治政府が仮名遣いを統一する以前は、同じ音韻に対して複数の仮名を用いることが一般的であった。例えば「折る」を「おる」とも「をる」とも書くが、それだけでなく、同じ「を」であっても複数の字体があり、「乎」を字母とする仮名も「遠」を字母とする仮名も使われた。]
江戸時代の武士は、国学系の仮名遣いを主に用いたということも特にないだろう。 >>11
全国的に下級武士以下が文字を使うようになったのは江戸時代からと言ってもいいだろう。
仮名の普及が先行していたとも思えない。
勉強として文字を学ぶときは、基本的には中央(江戸)の言葉によったと考えるのが自然だと思う。
もちろん、上流階級の教養であったときは当然京(あるいは大和)の言葉によっていただろう。 いずれにしても、歴史的仮名遣い重視の人たちは、なにか大切なことを忘れて、ただ明治的復古調を弄んでいるようにしか見えない。 ≫勉強として文字を学ぶときは、基本的には中央(江戸)の言葉によったと考えるのが自然だと思う。
その「中央の言葉」というのは、具体的に何ですか。
なにか文書を例に挙げて。 三島由紀夫の歴史的仮名遣論は、字音仮名遣を含めて、「正しい仮名遣い」とするものらしい。
ともかく、字音仮名遣いを含むとするにせよ、含まないとするにせよ、
三島由紀夫は、「葉隠」や謡曲などのもっとも古い写本の仮名遣いを「正しい」としているのではないだろう。
そもそも三島は、そんな古文書などおそらく読んだことがないだろう。
しょせん、近代の歴史的仮名遣いによった昭和の出版物を読んだだけであろう。 幕政関係・藩政関係の公的文書というのは、ほとんど漢字仮名まじりの候文で書かれていたが、
それと歴史的仮名遣いとどういう関係があるのですか。
仮名文字は、べつに公文書でのみ遣うのではないですが。 俳句と短歌を歴史的仮名遣いで書いているが普通に戦前戦後は歴史的仮名遣いだったよ
大正生まれの祖父母も今の仮名遣いに混じって昔の仮名遣いや正字で書いていることがあった 自分が売れたいとか目立ちたいとかもてたいとかそんなのはフェイクで度胸のない胎児殺しだ。目立って同性の人を消す。 日本文学を代表するノーベル賞作家の大江健三郎、老衰のため88歳で死去 三島の言葉に従えば、大江は酒を飲まないと酔えなかった、ということになるんだろうか。 【ワク接種死遺族】 『国民はモルモットじゃねぇ』
://lavender.5ch.net/test/read.cgi/live/1670114236/l50
三島は人物が伝説になって崇拝者がおおいから敬遠していたが大江よりは上
持ち上げてる連中は利用してるだけで本物の三島は立派だと思ったな
ただ近代日本最高かと言われると疑問
谷崎、漱石、志賀、菊池、周五郎、円地文子らのほうがすごい
大江健三郎、安部公房、大岡昇平、川端、武田泰淳らと同格 赤い羽根の矛盾に気が付いていた三島由紀夫
これは尤も、通るときの私の態度も悪いので、なるべく悪びれずに堂々とその前をとほるのが、よほど鉄面皮に
見えるらしい。しかし、ただ胸を張つてその前を通るだけのことで、鉄面皮に見えるなら、それだけのことが
できない人は、単なる弱気から、あるひは恥かしさから、醵金箱(きよきんばこ)に十円玉を投じてゐるものと
思はれる。一体、弱気や恥かしさからの慈善行為といふものがあるものだらうか?それなら、人に弱気や
羞恥心を起させることを、この運動が目的にしてゐると云はれても、仕方がないぢやないか?
大体、弱気や恥かしさで、醵金箱にお金を入れる人種といふものは、善良なる市民である。電車で通勤する
人たちがその大半であつて、安サラリーの上に重税で苦しめられてゐる人たちである。さういふ人たちの善良な
やさしい魂を脅迫して、お金をとつて、赤い羽根をおしつける、といふやり方は、どこかまちがつてゐる。 >>30
日本人だけなのか知らないが、この種の同調性はウクライナ戦争でも激しい。
なぜ、無関係な国同士の争いで日本政府はロシアを制裁し、ウクライナを支援するのか。
赤い羽根なら募金者にとっての損失は軽微だが、ロシア制裁・ウクライナ支援は日本人大多数の大きな貧困を招いている。 三島が谷崎に言及してるのはよくみるが、谷崎が三島に言及している文章はありまするか?
手紙は谷崎から三島へ出したというものはあるらしい
谷崎は後進の作家の文章はまずいとか関心しないとか言っていたし戦後作家で谷崎が評価してたのは誰だす? >>31敗戦国でアメリカの手下だから・・・そんなに自由じゃない日本外交 >>27
赤味噌がいいか、白味噌がいいか
こんなもんを比較しても無意味
ばかか >>34
日本人に限らず、人間(特に男)というのはランク付けや勝負が好きだからねえw
その分自由な精神が失われるのにね。 >>35ランクずけ、マウンティングは自然なことだと思う
人間っていうけどサルから進化した生き物(サルの一種)そんな上等な生き物じゃない 女同士も似たようなもんだ。女同士の苛めで結構自殺してるし教育委員会も見て見ぬふり >>38
女のことが理解できないのは、特に経験の少ない若い男の特性だ。
三島も例外ではないが、男が女を理解するには、女との関係は数ではなく内実だということすら理解してないことがほとんど。 坂本龍一死去か
戦場のメリークリスマスの原作者ヴァンデルポストは映画を観て、坂本が自分の考えるヨイノとそっくりだったのでびっくりしたとか。三島に似ているのにも驚いたとか。
三島が自決したのは「獄の影から」が上梓されてからはるか後のことだし、そして書いたときには三島を知らなかっただろうけれども。 三島と坂本は似ていない。
しかし三島とヨノイは似ている。美に対する感受性の強さ、白人に対する劣等感。 ↑の方の言う通り演じた役が似ているだけだろう。
「日本の病院で最初に診てくださった腫瘍内科の先生には、『何もしなければ余命半年ですね』と、はっきり告げられました。かつ、既に放射線治療で細胞がダメージを受けているので、もうこれ以上同じ治療はできないと。加えて彼は、『強い抗ガン剤を使い、苦しい化学療法を行っても、5年の生存率は50%です』と言います。きっとそれは、統計に基づいた客観的な数字なのでしょう。
でも、仮にエビデンスを示したとしても、患者に対しての言い方ってもんがあるだろう、と正直頭にきてしまいました。こちらに希望を与えないような悲観的な断定をされ、ショックで落ち込んでしまった。有名な先生だと聞きましたが、ぼくとは相性が悪いのかもしれないと思いました」(坂本龍一)
思想信条どおり潔くハラキリして死んでみせた人と、文化芸能商売の腐敗汁に浸かりながら生きながらえて、あるとき余命宣告をうけて「ショックで落ち込んでしまった」ような人と、
似ているはずがないのである。 >>35
争うのは好きではなくても
マウントを取りたい人が居る そんなことわかりませんよ。三島由紀夫の内心のことを詮索するつもりもない。
ただ、言行一致を貫いたことは、外面をみただけでわかる。
石原慎太郎や大江健三郎、あるいは、作家ではないが、蓮實重彦や柄谷行人、
それに坂本龍一、ほかにもいるが、こういう後の文化人や知識人は、たとえ「政治」を語っても、
しょせんは口先だけなので、
三島由紀夫は自ら死ぬというやはり最も大変なことをもって思想信条と行いとの一致を示した。
はるかはるかに、別格も別格に、三島由紀夫は立派だと思う。 ×しょせんは口先だけなので、
〇しょせんは口先だけだ。 >>49
内心がわからないなら、わからないなら、思想信条によったのかも潔かったのかもわからないだろ?
三島の自殺だって外見に過ぎないし、自殺する人は年に何万人もいる。 思想信条は三島由紀夫が言葉として表明していたのだからわかるだろう。
だから言行一致といっているわけだ。
もし何か秘めていたことがあったとしても、それは内心だけのことだから、
当然わからない。 昭和ともに歩んだ、平岡公威こと三島由紀夫さん
1925年大正15年1月14日生まれで~昭和45年11月25日腹切り死に方が激し過ぎますわ~、
間違いなくノーベル文学賞受賞出来てハッピーエンド人生だったのに訳わからん。
独逸語も英語もベラベラクラスで「博覧強記」、結構、勝負師的センスがあったのかも知れん
三島さんと親友の澁澤龍彦さんの全集は書斎に鎮座させてるけどなかなか読み出がある
三島由紀夫さんって脚本家に凄く向いていると思う 三島由紀夫全集なんて家に置いたら情念の塊が幽霊みたいに出てくるような気がして怖いわ >>54
>三島由紀夫全集なんて家に置いたら情念の塊が幽霊みたいに出てくるような気がして
>怖いわ
三島の全集はしかし見た目が綺麗なんだよね。今の新潮社版全集は2代目だけど、
本体は紺色の布製ハードカバーが艶があって豪華。薄茶色の箱に金色の文字も豪華。
装飾品としても素晴らしい。 >>52
切腹して死ぬということがなぜ思想信条になるんだよ?
ただの死に方に過ぎないんだぞ? >>52
切腹して死ぬのも練炭自殺するのも、ただの自殺の方法に過ぎない。
どこに思想信条を読み取るんだ?
痛い思いをしたがるマゾヒストも、一定数いる。 澁澤はサド公爵の生涯のあとがきにこの本が三島由紀夫のサド侯爵夫人のもとになったのを大変光栄に思っていると書いているね
ああいう人とも友人だったことが三島のすごさ。右とか左とか関係なく仲良くなってる
野間宏とか野坂昭如とか深澤七郎とか >>56
>切腹して死ぬということがなぜ思想信条になるんだよ?
>ただの死に方に過ぎないんだぞ?
三島がidentifyしたのは葉隠れにあるような武士の思想だからね。たえず己の死と
向き合って、いつ死んでも悔いのないように己の生を全うし、行動し、
また主君に仕える、という。切腹を選んだのもそこでしょう。そこは
たしかに他の自殺とは意味が違うよね。明らかに思想的な意味を与えている。
最後のバルコニーでの演説のなかでも終わり近くこう言っている。当時の『週刊現代
増刊号』掲載の資料からそのまま抜粋すると。
《憲法のために、日本の骨なしにした憲法に従ってきた、ということを知らないんだ。
諸君のなかに、一人でも俺といっしょに起つ奴はいないのか。一人もいないんだな。
(テメエ、それでも男かあ・・・とのヤジが飛び出し、ヤジに圧倒され気味)よし、
武というものはだ、刀というものはなんだ。・・・それでも男かあッそれでも
武士かあッ。それでも武士かあッ。まだ諸君は、憲法改正のために立ち上がらない
ということに、みきわめがついた。これで、俺は自衛隊にたいする夢はなくなったんだ。
(ヤジ猛然、「おりろ」「なんであんなものをのさばらせておくんだ」「おろせ
こんなもの」など。自衛隊の方で静めにかかる声も出る)それではここで、オレは、
天皇陛下万歳を叫ぶ。・・・天皇陛下、万歳》この後、三島はバルコニーから総監室へ
引っ込み、切腹・頓首に及ぶ。東部方面総監益田兼利の目の前で。
あの日の檄文や行動、演説を追えば、天皇への忠誠、現人神への復帰を狙う思想、
憲法改正、軍備容認そのためのクーデターである、という思想的背景は十分伝わる。
クーデターに失敗したという見極め、失敗した暁には死を選ぶという覚悟のとおり
に死を選んだ。彼の信条とする武士の心得に沿って。ということ。 三島由紀夫は日本における右翼革命的な政治行動は自ら死ぬことによってのみ全うされる
といいうようなことを表明していたのだから、そのとおりにしたというのは、
言行一致ということである。
三島由紀夫は楯の会の活動をみな自腹を切って賄った。
現在の話をすれば、柄谷行人は人間は本来的には「霊的な力」に強いられて「純粋贈与」をするものだ、という。
そして、バーグルエン賞の賞金100慢ドルは、どこかの「アソシエーション」に「純粋贈与」をするといっている。
どこに寄付するか現在考えているということである。
本当にそうするならば、その点に関しては、言行一致ということになるが、
考え中です、なんていいながら、一年、二年とほとぼりがさめるのを待って、結局どこにも「純粋贈与」をしないとか、
なにか利害関係のある所に打算含みで寄付するとか、そんなことならば口先だけということだろう。
わたしは、柄谷行人の場合、命どころか、たかだか金のことでさえ、その口先だけ、のほうであろうと思う。
石原慎太郎、大江健三郎、これ以降はみなその「口先だけ」の部類なのである。 >>59
基本的な素養として、武士が仕えた(忠誠を尽くそうとした)のは藩主もしくは雇い主の中上級武士に対してに対してだ。
天皇ではない。
雇用主に対する御恩と奉公(賃金に対する忠誠)であって、雇い主が変われば元の雇い主のことは忘れて、新たな雇い主に忠誠を尽くす。
つまり、たんなる処世のあり方だ。
それは葉隠を読めばよくわかる。
葉隠は、武士の雇い主に対する処世の方法について説いているだけで、特段の思想信条があるわけではない。
武士の切腹というのは、思想信条によるものではなく、残された家族や親族を守るための処世としての死の作法なのだ。
その死に方に思想信条があるとすれば、残される家族(男子)や親戚を守るという、極めて俗世間的な思想信条なのだ。 60
訂正
×100ドル
〇100万ドル
×活動
〇活動費 主従関係は、御恩奉公の双務契約的なものだ。これは騎士道でもおなじようなものである。
君臣関係は、そうではなく無私のものというところがある。
前者は、プライベートなもの、
後者は、パブリックなものといえる。
水戸学などは、後者を前者に優先すべきものだとしていたのだと思う。
三島由紀夫はそのあたりの整理がついていなかったとはいえる。
考え方としては、三島的武士道は後者に近い。 武士道について、天皇について考えることに今日どれだけの意義があるのか
疑問だね。どっちも今の時点からみれば、追求するは勝手だけども、たいした
お返しがあるとは思えない。
観光名所に堕した金閣を滅ぼすという極度な美意識からは相対性に回収されない
価値を希求するという美学が伺われるし、その問題はいまだに生き延びていると
思えるけども。
あとは経歴として三島の乳児期に生まれてすぐ実母から離されて祖母が
自室に監禁していた。
それがもとで成人してからも自家中毒が治らなかった。身体を鍛え始めて
病弱は克服はできたが。原-意識までは治しようはなく、
それが死への接近の始まりだったとする、
当人でさえ視えない経歴が最終的にあの時点での自死を決めたのだという。
そういう原-意識の問題は
三浦春馬といい上島竜兵といい竹内結子といい、原因不明な突然の自死が
目につく中で、原-意識のかかえる欠損と、+昨今の人心の荒廃が二重の
厭世観になり、自死にいたる、というのがあるとしたら、三島のかかえていた
問題とも重なると思う。 三島由紀夫は、言っていたことと行いとを一致させた、
それも自ら死ぬという普通に言って最も大変なことにおいて一致させた、
という稀有な文化人なのですよ。
石原慎太郎とか坂本龍一とか、言っていたこととやったことが逆、みたいな
卑怯未練な連中ばかりの中で、それだけでも立派なのです。 >>65
その視点から見ると、自爆テロリストがもっとも立派ということになるな。 三島由紀夫の場合は、ほぼ自己犠牲のみの行為だから、
自爆テロ犯や政治暗殺犯などよりも、
ベトナム戦争に反対の意思表示のために焼身自殺したお坊さんなどのほうに近いだろう。 >>68
言動の一致をいうなら、社会に何事かの影響を与える自爆テロの方が立派ということになる。
自分が死んだだけでは、他への影響はない。
なにより三島は社会改革のためにはテロが必要だと主張していた。
テロができなかった三島は、その分卑小な死ということになる。 言行一致というのは、言っていることとやっていることの一致のことだから。
坂本龍一のように、森林を守れ、といいながら、木を伐りまくって野立ての太陽光発電施設をばんばん立てさせて
儲けている会社のイメージキャラクターをやって大金をもらうようなのが、
言行不一致ということですよ。しかもその会社の親会社は、火力・原子力発電の設備も製造している。
三島由紀夫は、金のためにそこまで汚らしい振る舞いはしなかっただろう。 公益財団法人 日本野鳥の会
メガソーラーが自然環境に与える影響としては@景観破壊A森林伐採B森林伐採による土砂災害の発生C土地利用の変化による動植物の生息地破壊等があります。一番の問題は、こうした影響が想定されるにもかかわらず、法的な規制がほとんどないことです。 ↑のようなことは、坂本龍一がソーラーのCМに出まくっていた時から、
心ある人たちは言っていたのですよ。
ところが、所轄官庁に対して、何を言っても駄目だったのだ。
役所の職員は、おっしゃる通りですが…、なにしろ国策ですから…、みたいな対応だった。
ようするに、利権を持っている連中が、ちゃんと法整備をして、定めた法令通りやってください、
みたいな意見を言う人たちの邪魔をしたわけだ。 原発や自動車利権の人はなんでも利用する。
ソーラー発電に限らず、再エネのほとんどを自然の破壊だと主張したりする。
三島は自民党との関係を絶てと他人には言いながら、自身は中曽根や自民党の支配下にある自衛隊との関係を深めていた。
芸術志向を標榜しながら、非芸術の局地ともいえるマスコミに登場するのも大好きだった。
言行一致とはなに?w >>70
三島は金のためか心地良さのためか、自民党や芸能界の人間と交流するのが好きだった。
天皇崇拝を標榜しながら、実際に昭和天皇を崇拝していたわけでもない。
金のためであろうと心地良さを求めてであろうと、どこも変わらない。
自分で死ねばすべての自分の言動が美しくなるわけではもちろんない。 日本野鳥の会は、再エネそれ自体には賛成なのだ。
だから、法整備をちゃんとしてくれ、といっていたのです。
ただ、野鳥の会の認識が甘いのは、いくらしっかり法整備をしても、すぐザル法になるのが、
わが日本国だというのが、いまいちわかっていないことだろう。
坂本龍一は、エクソルが森林を伐採して自社のメガソーラー発電所をつくった時期に、
金をもらってCМにでていた。そして他方では「森林を守れ」とかいっていた。
三島由紀夫は、そういうペテン師みたいなことはしませんでした。 NHK紅白に野鳥の会出てたけど。。。此奴らも胡散臭いと思ってしまう 今日では「法の支配」というべきものであったイソノミアを
無専制支配の意味である「ノー・ルール・無支配」ではなく、
デモクラシーと対立するような「無支配」であるかのように訳の分からないインチキなことを述べる
柄谷行人が最高の知識人として扱われるわが国のことだから、
「法の支配」が骨抜きになるのも仕方ないのである。 口先では立派なことを言いながら、腐敗しきったオリンピック、それにかかわる利権にぶらさがり、環境利権にぶらさがり、等々の意地汚いことを、
三島由紀夫はやっていない。
坂本龍一のファンだとか、その音楽をイージーリスニングの一種として愛好するとか、
そういうのは好き好きだから、どうでもいいが、
坂本氏の政治的倫理性のようなものを賞賛する人は、根本的にどうかしているであろう。
かたや、三島由紀夫の政治的倫理性を賞賛するというのは、たとえその信条に反対であったとしても、
べつにおかしくはない。 行動では政治家や軍人に勝てない
文学では谷崎や漱石に及ばない >>77
法の支配とは、支配者への服従のこと。
三島はそれを嫌ってたんだと思うよ?
だから、民主主義はテロがなければ腐敗する、と広言していた。 三島由紀夫は「法の支配」を尊重していただろう。
だから憲法改正すべしという主張をした。
それは「法の支配」に反する違憲状態を良しとしていなかったからである。
「法の支配」を軽視していたのならば、違憲状態がどうこうなどという議論は
無視すれば済む事であった。
また、「法の支配」を尊重していたからこそ、法を破った行動については、
その主体は、自ら死ぬことによって罪責を濯ぎ、行動の本義を浄化すべきである、
という考え方をとったのだろう。 >>78
「三島由紀夫の政治的倫理性」とはどういうものだと思ってるの?
たとえば、左翼が主流だったから自分は右翼になった、というようなことが政治的倫理性? >>81
少なくとも、自衛隊員の監禁は、法の支配とは無縁だよ? 三島由紀夫の場合、言行一致、私利私欲のなさ(無私であること)、これが倫理的だと思う。 見栄や金銭欲がなかったのは偉いね
川端が晩年は弟子に代作させてたのは有名だが、三島も書かされた可能性があるらしい
ネットでいつか読んだので本当かはしらんがそれが眠れる美女で、どっかのパーティで川端のいる前で川端さんの一番いい作品は眠れる美女といわれて川端は目を伏せたと
晩年は手紙で川端さんはもう駄目だとまで愚痴る始末
あの時代代作を拒否したのが三島と大江だったそうだ 三島由紀夫は、「法の支配」に反する行いしたから、
その罪責を清めるためにハラキリして死んだのだろう。
それは倫理的な行為なのですよ。
山口二矢についても、浅沼稲次郎を暗殺したことが立派なのではなく、
暗殺したのちに、留置所内で自ら死んだのが立派だと
三島由紀夫は言っていたのだろう。 山上徹也容疑者にしても、自ら死ねば、三島思想的な意味では、倫理的になりうるだろうが、
いまのところそれはやらなさそうだから、ただの政治暗殺犯だろう。 ≫あの時代代作を拒否したのが三島と大江だったそうだ
大江健三郎なんか見栄と欲だけで長生きしていたのだろう。川端康成のほうが、人間としてはだいぶ上等なのではないか。 なんで自殺をそんなに崇拝するのか知らないけど、くだらないね。
自爆テロリストがそんなに立派なのかね?
三島がノーベル賞欲しさにドナルド・キーンに自作の翻訳を催促しまくってたのは有名だ。
キーンから見ると、それほど優秀な作家ではなかったから、後回しにしていたようだ。 三島由紀夫は、違法な革命的な行いをしたときには、自ら死ぬ、と公言していて、
そのとおりしたから、言行一致であった。
そして、言行一致というのは、倫理の基本なのですよ。
言行不一致というのは、それだけでもはや倫理がないということなのだ。
つまり、戦後の一流文化人の中で、重大問題において、
倫理の基本だけでも守ったのは、三島由紀夫ただ一人、
ということだね。ほかの一流文化人は、倫理の基本も守っていない、卑怯未練な連中、
ということである。 >>90
三島の自殺のどこが革命的な行いなんだ?
革命的な行いとはまったく無縁の、自己顕示の自殺に過ぎないぞ?
ただの自殺を革命的とか言い募るのは、もっとも低い倫理だぞ? >>90
自殺がそんなに立派に見えるなら、生き永らえてる君は卑小で惨めな存在なんだろう。
その卑小で惨めな生を、少しでも上向かせる努力をしないでどうするんだ?
他人の自殺を誉めそやしたところで、君の生は1㎜も上昇しない。 三島由紀夫は、維新的、革命的な行為だと言っていたのだから、
その本人はそのつもりだった、と言ったとおりにとるしかないだろう。
三島は、自ら信ずる行動をし、それが「法の支配」に反する結果になるならば、
その時には死にます、と言っていて、そのとおりにしたのだから、それは言行一致なのだ。
柄谷行人は、バーグルエン賞の賞金100万ドルは全額、「アソシエーション活動」をしているグループに
純粋贈与します、といっている。本当にそうするならば、それは言行一致だ。
しかし、わたしとしては、柄谷行人は、せいぜい10万ドルくらいは、息のかかった連中の活動にたいして打算的贈与をするかもしれないが、
100万ドルまるまるを「純粋贈与」するなんてことは、決してしないと思う。
命どころか、たかが金の事でも、言行一致なんてことはないだろう。なにしろ、『倫理21』ではなく、
「倫理ゼロ」の先生のことだから。
もしこの予想がはずれたら、ごめんなさい、と謝ります。 自ら死ぬのが立派だと言っていたのは三島由紀夫であって、
私ではないのですよ。
わたしは、自己犠牲を伴うような言行一致は倫理的だといっているわけよ。
体が丈夫なうちは途上国でボランティアの井戸掘りをします、
といっていて、そのとおりしたら、その人は自己犠牲的な言行一致で倫理的だと思うね。 >>93
その三島の発言は知らないが、仮にそう言っていたとして、もしクーデターが成功していたら、三島は自殺せずに部隊の参謀となっていたはずだ。
つまり、自殺したのは法の支配に反したからではなく、法の支配に反した行為をしようとして失敗したからということになる。
失敗したら死ぬと言っていたのなら言行一致だが、法の支配に反する結果になったら死ぬと言っていたのでは、まるで一致していない。
君は柄谷や大江が名誉や金を得たことを妬んでいるようだが、三島は名誉は得られなかったかもしれないが、金はたくさん儲けたんだよ? >>94
自己犠牲と言う言葉は、自分の身を削って(損失を被ったり生命を失ったりして)他人のためになにかを行うこと、という意味で使われるのが普通だと思う。
三島の行為は、誰の利益にもなっていないから、犠牲という言葉にはふさわしくないだろう。
マスコミや出版社は儲けたとは思うが、三島がそれを目的としていたわけではないだろう。
たしかに三島のサービス精神と自己顕示欲は、遺作の最後に自殺の日の日付を書き記すという行為にもよく表れている。 ちなみに、自己犠牲という言葉は、会社のために身を粉にして何十年も働く、という多くの日本人に使うことがもっともふさわしい。 >>95
金と名誉を得た人を賞賛したいのならば、
石原慎太郎も入れたほうがいいだろう。 「私はこれまで三島さんの悪口ばかり書いてきています。」と三島の面前で言うほど
批判的立場だった古林尚でさえも死の数日前の三島との対談後半に
「三島由紀夫を思想・文学・人間
というふうに分割すれば、文学は好き。人間もまあ憎めないほう。だが、思想だけは
願い下げにしたいというのが本心です(笑)」(43:55)と白状する。
三島は「やっぱり女でも、すっかり身をまかしてしまうと飽きられて、
嫌われますからね。つまり、ぼくも一か所ぐらいトゲを残しておかないと、古林さんに
飽きられちゃいますからね。(笑)」と答えている。
古林は先輩の平野謙にからかわれて
「おい平林君よ、おまえさんは三島の悪口ばかり言ってるけど、本心は好き
なんだろう。好きなら好きだって、あっさり告白したほうがよいぜ。そのほうが
論理のツジツマが会うんじゃないかね」(『三島由紀夫全集40巻』773頁)
と言われたことがあるらしい。
三島の生涯最後の文学的仕事がこの対談で論敵古林との対談だったというのも
意味深。自分の生涯最後の自らによる総括をまとめておいてほしいという古林への
メッセージがあったのではないかと思える。
三島死後の古林回想(『週刊現代増刊三島由紀夫緊急特集』)によると、
三島はこの日、三島邸での対談を終え、古林が帰ろうとした際、
女中さんが見送ろうとしたらその女性を制して「ぼくが門まで送ります」と
奥に下がらせ、古林が門の外に出るまでわざわざ門まで見送って
「どうも、ありがとうございました」とカカトをそろえ、正視したまま
頭を下げたという。
後からおもえばもう既に死を決めていたときだったんだろう。
論敵でさえが結局人間に
惚れてしまう。やはり人を惹きつける魅力のある人だったのがわかる。↓
三島由紀夫(最後の対談)
https://www.youtube.com/watch?v=YBAzs2m41xE&t=877s 坂本龍一氏がテレビCМで宣伝していたエクソルが森林を伐採をしてメガソーラー発電所をたてたこと、
そして、坂本龍一氏が代表を務めていた森林保護を目的とする一般社団法人に協賛しているのが神宮外苑再開発を行う伊藤忠グループの会社であること、
坂本龍一というのは、ちょっと考えられないような人だとあらためて思った。
三島由紀夫は、ひじょうにクリーンだった。 三島のクーデターとかいうが、盾の会の支持者はいくらなんでも少な過ぎたろ。
三島由紀夫が幼稚すぎた。
その点ではオウムのクーデターは有り得た。 クーデターといえば、千坂恭二やスガ秀実らも、しょっちゅう話題にしてるが、年齢的に50代が限界だろ。
60以上になれば、そんな情熱は無くなり、他人を扇動することだけが生きがいになる。 三島の読者なら、どんな言動が残されていても本心ではクーデターが成功するなんて微塵も思っていなかったことはわかってるよ。 >>1
三島由紀夫の独身時代の恋人と親友の話をまとめた本、読んだ?若い頃の三島由紀夫が知れて楽しいよ。笑ったのは、デートに15分遅れた鹿島建設令嬢(美女の誉れ高い人だったらしい)に、ウエイターに頼んで「15分待ったのに御高覧の栄誉を賜らなくて誠に残念であります。臣由紀夫」てメモを渡して、これからディナーをどうぞ食事代はいただいております、て言わせた話。 いま下関駅前の百貨店で安倍晋三が持っていた蔵書の展覧をやってるんだが、その中の一冊に三島の著作があって驚いた
ただ彼が三島の思想を理解し、共感していたとは到底思えないのだが >>109
三島にしても太宰にしてもはっきり嫌いなところはそこだ
やるなら、「会」などつくらずに一人でやればよかった >>114
巻き込んだんじゃなくて、むしろ女性に引っ張られたと見る人が多い。 >>112
安倍晋三は右翼というよりむしろ左翼な気が… 癌サバイバーミュージシャン(浅井しんや)
@bF1Srfu5X2y7Zgp
みなさんはどれだけ知ってますか?
日本が世界一のもの
・国の借金
・農薬の使用量
・食品添加物使用料
・遺伝子組換え作物輸入・消費量
・ペットの殺処分量
・若者の自殺率世界一
・水道水の塩素の量
・残飯廃棄量
・子供の少なさ
・精神科の病床数
どうなってんのこの国 安倍晋三みたいな愚かな政治に身を投じた人間に三島が理解できるわけがない。
石原なんかも生前よく己の三島論をしたり顔で語っていたけど、あんなのも滑稽でしかない。彼の場合はただただ自らを肯定したいが為に、その対比として三島を冷笑的に見ているに過ぎなかった。
そもそも結局のところ、石原慎太郎は「保守政治家」として何を成し得た?
自主憲法を制定することが出来たのか?
日本が核を持ちアメリカから独立することが出来たのか?
何も出来なかったじゃないか。
安倍晋三と同じく、彼は何もなし得なかった。
でも三島は70年の時点でそれをちゃんと分かっていた。
「この国を変えることなんて出来ない」とね。
だからこそ彼はただただ腹を切るしかなかった
その自らの死を一つの呪縛として完成させ、後世に残すしかないと彼は考えた
もちろん単なる「右翼」として大衆に嘲笑とともに消化されることも当然理解した上で。
しかしその愚かな大衆の中にも三島の真意を理解できる人間がいずれ出てきて、その者たちが立ち上がるはずだと三島は期待して死んだ。
「50年100年経って、ようやくわかる人が出てくるでしょうね」という発言はつまりそういうこと。
そういう低い次元の話ではない。 >>116
アメポチ右翼だよw
人間を大切にする左翼的なところなど皆無。 人間を大切にする左翼というサヨクの自己認識には失笑せざるをえない >>120
右翼は国家という幻想を大切にして、左翼は人間という現実を大切にする。 >>121
歴史的には左翼が権力を持つと理念を振りかざして人権弾圧に走ることを繰り返してきた
スターリン、ポル・ポト、毛沢東、金日成、連合赤軍etc.
左翼は人間という現実を大切にするw 歴史知らずの寝言かな? >>121
ちなみに
「右翼と左翼の語源はフランス革命に由来する。 フランス革命期の憲法制定国民議会において、
旧秩序の維持を支持する勢力(王党派、貴族派、国教派など)が議長席から見て右側の席を占め、
左側に旧勢力の排除を主張する共和派・急進派が陣取ったことが語源となった。」
左翼に陣取った代表的集団が後に政敵をギロチンで死刑にしまくった元祖恐怖政治のジャコバン派ね >>122
歴史を見れば愛国者右翼が世界中で大虐殺を繰り広げたことがわかるだろう。
極端な例でもなく、黒人の大虐殺やユダヤ人の虐殺も右翼の所業だ。
政権内の殺し合いなどたかが知れてる。 >>123
元の意味を紐解いても意味はない。
現代的には、右翼とは愛国を標榜する人たちの総称であり、左翼とは人権と福祉を重視する立場の人たちの総称だ。 >>124
スターリンやポル・ポトが政権内の殺し合いしかしてないと思ってんのかよww
低能がアンカ打って絡んでくんなよ面倒くせえ >>125
言葉を理解するのに語源を知ることは意味があるよ
特にお前みたいに自分の思い込みで言葉の定義を決めたがるような奴にはなおさら意味がある >>127
元の意味がそのまま通用するならそれでいいが、元の意味がまったく変わっている言葉の語源を振りかざしても意味はない。
たんに政治的な意図から元の意味を振りかざすのは愚かというしかない。 >>128
アンカ打って絡んできたのはお前だな
低能くん >>104
三島さん、ゼニカネに麻原ほど関心が無かった
日本社会は、ゼニカネで動いてるから
それだけ、「純真」なところがあり、ファンはそこを高く評価します >>130
アンカー打たなければ絡んでもいいとか、あたま悪すぎじゃないかい?w >>131
さすがに愛国右翼君だけあって論理が通じない。
まさに左翼は論理、右翼は感情、だな。 >>133
貧困にあえいだ麻原と、余裕のある家の出身者の違いかもしれないね。 麻原も三島も、日本を自身の理念に基づく独裁国家に変えたかったのは同じだな。
麻原は自自分自身を神として、三島は天皇を神として。 https://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/10-1.html
あとさ~文学座の脚本家してたんだが、当時、文学座壊れてまして
その政治というか巻き込まれます >>136
「貧困にあえいだ麻原」
これは違うよ
結構、裕福でした
ただね、弱視、長男は完全に目が見えません
それは、有機水銀(メチル水銀)による神経障害
だからこそ、麻原は「サリン」という視神経を真っ先に破砕する物質開発に拘りました
「ざまーみろ」ってねw 三島はそんな小さいことで自分の理念思想を構築したのか?
まさかねw >>140
没落していく畳職人の家で子供が9人。
しかも、当時は他の兄弟を含めて障碍者に対する福祉は極めて貧弱。
もちろん、チッソなどからの補償金はない。
裕福どころか、かなりの貧困家庭といわれてるけど? >>142
馬鹿じゃないよ、説法は美味いというか眠くなる子守歌
これは教祖としてはナカナカなレベルだと思う
トップの学歴は大した事がないが周囲は宮廷高学歴を配置
あと、学歴が高く馬鹿じゃないメスを教祖に侍らせるライオン世界、最高だろ
これを愚かで愚鈍な洗脳されきったクルクルパーが支えるって、どんな罰ゲーム?
Fラン馬鹿どもはソルジャー用途、これって当時も今も同じ構造です
馬鹿は、いつの時代でも「生贄」要員として始末されるのが定石w 麻原さんは焦りすぎた。反対派の暗殺とか脱会者の強引な引き留め、強引なお布施
などに関わらなければよかったのに甘かった。まあ法や国家というものを
舐めてるところもあったんだろう。その辺をちゃんと心得て、行儀よくしておけば
まだ存続できていたかもしれないのに。
彼の説法を読めば勉強もヨーガ修行もそれなりにやっていた。弟子を作り
他人を引っ張るくらいにはやっていたとわかる。
まあ自分を教団をもっと大事にするべきだった。才能はあったのに余計なことを
やりすぎて墓穴を掘った。
三島の死には2023年日本社会に蔓延する厭世に一脈通ずるものもある。物欲に
加速する日本人の姿など耐えられなかっただろう。彼の思想が今でも生きている
のは現代日本社会の恥知らずな自己中や貧乏性への嫌悪が三島のなかの美や思想
に回答を見出せる気がするから。
〈物欲に加速する日本人の姿〉というところでオウムの思想的端緒となる風景と
三島の思想的端緒となる風景は似ているかもしれない。 麻原の場合、相当初期に人を殺してるでしょ。
だからそういう人というか集団だったのだと思うよ。
反対する人も、とにかく最初に殺そうとして、
失敗したら法的に訴えるという、そういう本質。 愛情より増悪の方が人を動かす。芸術はどこか復讐の香りがする
三島は鋭い >>147
少なくとも三島はテロ容認だよね。最後の行動でも総監室で総監を椅子に縛り付け、
猿ぐつわ噛ませ、
騒ぎを知って駆け付けた人間を部屋に入らせまいとして日本刀を振り回し
たしか入ろうとした一人の片腕を切り落としてるでしょう。ああいうのも最後の
演説によれば「仕方なかったんだ」ということだろうけど。
あと東大全共闘との対話でも冒頭の講演のなかで「先日政府高官から“「暴力に
反対する決議」を提案するから署名してくれないか”と言われましたが私は
生まれてから一度も暴力に反対したことがない。なのでお断りしました」と
喋ってる。
悪かろうが悪くはなかろうが「やるべき時が来たらやる。テロでもなんでも」がまあ
三島のスタンスだし、そう考えている政治家や思想家はいるでしょう。 めっちゃ読みてえ
けどちょっぴり高い
けど仕事量考えたら安いよな(笑)
どれだけ本読んで、あーでもない、こーでもないと、悩んだのだろうってね
これが一冊あれば部屋中に文学の香りが充満すること間違いなし >>148
片腕を切り落としてなどいないだろ
斬りつけてはいるけど
斬りつけられた隊員は後遺症で手が閉じられなくなったとか 226の青年将校に取り憑かれたような三島(別の本で美輪明宏は磯部浅一が、と書いてたな)の言ってみれば浪漫主義と
大物右翼田中正弦のリアリズムの対比が面白い 平野が三島由紀夫論出したみたいだね
まだ読んでないけど 平野さんより若い世代からはまだまともな三島論はでていないだろうな 橋本治みたいなサブカル系文化人だと馬鹿にされてた人が案外一番いい評論を書いたりする
三島由紀夫論も見事だし小林秀雄論も名著
山本七平の小林秀雄の流儀も傑作
平野はどうせ浅い道徳論で作家をがんじがらめにする 平野さんがテレビか何かでいっていたが、
三島は自分の同世代が戦争で戦って死んだのに自分は生きていることをずっと気にしていて、
戦後もずっと空虚感を抱えていたんだな。全く同感。
本人もどこかで書いているが、真面目すぎるのが長所であり短所である。
それを文学に昇華しているのはいい。
古典文学の教養も含めて天才的だ。
ところが、「会」については田中清玄がいっている通りだな。 田中清玄は盾の会と三島をそんなに都合よく分けて捉えてはいない >>162
三島が真面目だったら、楯の会みたいなお遊び団体は作らないよ。
構成員たちが真剣であればあるほど、三島の遊び心との違いが大きくなっていた。 森田氏はどういう思いで死んでいったのだろうか?
それがわからない。 旧版全集買うなら、やはり1000部限定の特装版ですか? >>164
遊びっていうか隊員が自分たちなりに国のことを
真面目に考えていたのに対して、三島は
自分が劇的に死ぬということだけを真剣に考えていた
田中 清玄の評価もここらを感じたからでは 自死するには45歳は最後の年齢と決めていただろう。その年齢までに様々な関係を統一するほどの力量はなかったし指摘しても仕方ない。
本当は20歳までに死ぬのが理想だっただろうけど流石にそこまでの天才ではなかった。 >>169
20歳以前に自死したら単なる無名人の自殺で
親族ぐらいしか騒がない
世間を劇場化してその主役として伝説になるのが目標だから 仮面の告白を読めば三島が同性愛やマゾヒズムなどへの屈折した止み難い欲求を抱えていたことが察せられる
伝説になるのが目標だからとか
目標にしたらできるもんなんすかね?ww 仮面の告白を読めば三島が同性愛やマゾヒズムなどへの屈折した止み難い欲求を抱えていたことが察せられる
伝説になるのが目標だからとか
目標にしたらできるもんなんすかね?ww ジル・ドゥルーズは『マゾッホとサド』(蓮實重彦訳)で、
サディズムとマゾヒズムの根本的同一性にもとづく対称関係というフロイトの理論からくる通説を覆し、
これらは本質的に異なるものだとした。
しかし、三島由紀夫をみると、やはり元のフロイトの説の方が正しかったように思われる。 平野啓一郎の『三島由紀夫論』随分高額設定だな
装丁は三島のかつての新潮文庫そのままじゃないか
どうせ数年後新潮文庫になるんでしょ
今は買わない >>165
三島は何度も思い留めるように言ったか゛
森田はぜひ尊敬する三島先生とともに死ぬと言ってきかなかったんじゃなかったっけ >>175
そういう話が伝わってるね。
なぜ森田氏は死にたかったんだろう? 森田は悲しかっただろう。
三島が自分の想いを理解してくれなくて。
『昭和残侠伝・死んで貰います』の高倉健と池部良のように、無言でわかり合える関係を望んでいたのではないだろうか?
(この映画は事件の2か月前に公開されている) >>177
森田氏はなにを三島に理解してほしいと思っていたと思う? >>179
心中したいほど三島を愛していた、と?
ではなぜ、三島の自殺を止めなかったんだ?
話としては、死ぬのに積極的だったのは、三島より森田氏だともいわれているが、生きて二人の愛をはぐくむことに絶望していたということか? そう言えば盾の会初代学生長だった持丸博の息子は杉並区議会選挙で落選したね。
誰かが、楯の会は学生長が常識人である持丸から非常識人である森田に変わっておかしな方向に進んだ、と言っていた。 >>180
以下は私の勝手な想像。三島の研究者でもないし、文学の専門家でもない一市井の人間の想像です。
おそらく森田は三島を失うことを恐れていたのだと思います。
三島は世界的な有名人、自分は一介の学生。大プロデューサーと新人女優以上の格差がある。
いつ捨てられてもおかしくない。
今、心中すれば永遠に三島を自分のものにできるじゃありませんか。
私はあなたのレスを読んで初めて、森田の方が死に積極的だったと知ったのですが、なるほどと思いましたね。 [主人公の実存を、生得の本質から説明することがこの小説の目的であり、結論を先回りするならば、彼が、時間経過によっては、決して変化し得なかったことこそが最大の強調点である。従って、結果は原因であり、原因が結果なのである。]
(平野啓一郎『三島由紀夫論』「仮面の告白」論から)
何を言っているのかわからない。誰か解説してください。 たぶん、蓮實重彦、柄谷行人、浅田彰、平野啓一郎と親しいらしい大澤真幸、
國分巧一郎、千葉雅也、この誰が読んでも、実存とか本質とか、あるいは、原因とか結果とか、
そんな言葉をつかっているな、ということくらいしかわからないだろう。
それどころか、ハイデガーやドゥルーズが、もし日本語ができても、たぶんわからないだろう。 >>183
わかるとかわからないとか、そんな小さいことを気にしちゃだめだよ。
読んで、そうなのか、という気分になればそれでいい。 三島の作品には生臭いものが多いんだよ。
潮騒、豊饒の海、弱法師など、中上健次よりもよっぽど生臭いんだよ。前者二つは潮風の生臭さ、弱法師は
ライ病の膿の臭いだ。 >>183
蓮實スレで説明したが、あれで分ったろ。 ≫読んで、そうなのか、という気分になればそれでいい。
それは無理じゃないの。「そうなのか」も、こうなのかもないだろうな。 >>188
無理というのはですね、嘘吐きの言葉なんです。
途中で止めてしまうから無理になるんですよ。 >>188
ごめんね。
冗談が過ぎたかもしれない。 ジャネットは勘が鈍いから、分らんことも多いだろう。
俺みたいに鋭敏じゃないから。 ↓か。
742吾輩は名無しである2023/05/03(水) 23:49:20.73ID:ipYEtQuJ
平野は三島自身が自分の出自に拘り続けたことを暗に言ってるんだろう。蓮實がどうとかより、ジャネットが先ず評するべきだろ。
蓮實に評する義務はないw
そういうとこがジャネットの耄碌なんだよ 柄谷や蓮實は毎日良いものを食って、ビリーバー達におだてられてるからか、頭が比較的若いわな。 >>183
その前の文章のリフレインですよ。
>彼が、時間経過によっては、決して変化し得なかった
てあるでしょう。それを言い直しただけです。
原因A→結果B。がまあ因果関係てことだけど、もしも原因A→結果A(=原因B)
→結果B(=原因C)→結果C ならば、A=B=C=・・・以下延々続く・・・
というふうに同義反復になるということ。
さらにいえばその前の「生得の本質」ってことでもありますね。そこも
変わらなかったと。 >>194
そうだ。
だが、愚鈍な人には限界がある。 [主人公の実存を、生得の本質から説明することがこの小説の目的であり、結論を先回りするならば、彼が、時間経過によっては、決して変化し得なかったことこそが最大の強調点である。従って、結果は原因であり、原因が結果なのである。]
(平野啓一郎『三島由紀夫論』「仮面の告白」論から)
なるほど、
≫平野は三島自身が自分の出自に拘り続けたことを暗に言ってるんだろう
そういうことですか。
それゆえ、『仮面の告白』という作品においては、実存は生得的な本質を以て説明すべき事であり、しかるに、時間とともに変化することもなく、
因果関係が逆転している、という結論に到達しうるわけだ。 ≫その前の文章のリフレインですよ。
≫>彼が、時間経過によっては、決して変化し得なかった
≫てあるでしょう。それを言い直しただけです
文学用語のリフレインというのは、同じ句を繰り返して用いることだから、
言い直したら、リフレインにならないのだが、平野スレッドでは、そういうことであっても、
「そうなのか」ということになるのだろうな。 >>199
さらにこれは、「出自的には私も三島さんと同じですよ」という告白でもある訳だ。 平野自身の芥川賞受賞作「日蝕」の結末の美しい?場面はフタナリのペニスから発射された精液を、隣のヴァギナが受け止め、金が生成されるところだろう。
穢れ同士の結合から金が産まれる話は、良いか悪いかは別にして、「俺は永遠に穢れでしかない」という三島の発想とは随分と違うわな。 >>202
平野が「日蝕」で扱った両性具有者は、穢れの不純impurityであるという意味では穢れの典型とも
言えるだろ。 「現象はまず差し当たって、実存の中にあるところの本質である。即ち本質は実存の中に直接的に現存している。実存
が直接的な実存として存在せず、反省した実存であるということ、このことが実存の中にあるところの本質の契機が形成する。言い換えると、本質的な実
存としての実存が現象である。」(ヘーゲル『大論理学』) ジャネットには文学も哲学も分からんということだろ。
まあ、ジャネットは耄碌し始めてるからしょうがないw 柄谷行人のテキトー理論が、文壇の腐敗の象徴だとして批判するような人が、
箸にも棒にもかかわらない、高校の文集にさえ載せるのがはずかしいようなものを
他人を誹謗中傷してまで擁護するというのがおかしいのではないの。
柄谷行人の本とは違って、どうせまともな知性の人は読まないものだから、どうでもいいじゃないの、というなら、
そのように真意を言うべきだろう。 また、ジャネットの耄碌が継続中だ。
何故、ジャネットは俺の真似をしてくどいくらいに明解な文章を書こうとしないのかwww
206を分かる人はそう多くはないwww リフレインとは、歌や詩、文章などで同一句による繰り返し表現。特に節の最後に句を繰り返すこと。
≫その前の文章のリフレインですよ。
≫>彼が、時間経過によっては、決して変化し得なかったてあるでしょう。
≫それを言い直しただけです
「リフレインですよ…言い直しただけです」こういう書き込みをして平気なスレッドだから、
分かる人がそう多くなくても、しょうがないな。 横だけど、人は変化しなければ死を選ぶこともない。
なぜなら、それまで生き続けていたのだから。 上で引用した平野啓一郎の文章を真面目に読むのがそもそもおかしい。
ただ、実存とか本質とか、時間経過だとか、原因とか結果とか、
そういう言葉を並べただけです。
自分の読者間か、どうせバカだから、滅茶苦茶書いてもわからないだろう。
付き合いのある何人かの批評家や文学研究者などは、どんなにめちゃくちゃでも、
いちおう褒めてくれるし、
その他のめちゃくちゃなのがすぐ分かるような人の大半は、わざわざ指摘するような面倒なことをせず、
はなから無視するだろうから、気にしなくてよい。
こういう営業方針があってのことでしょう。 いちおう、生得的な気質が、主人公の存在を規定しているので、
歳を重ねてもその人物の在り方は変わらない、というくらいの意味はあるだろう。
それがなんで、結果が原因で、原因が結果、だということなのかは、
意味不明である。
きっと、その手の言葉をつかうだけで、「そうなのか!」なんて
感心してくれる読者がいるのを経験上知っているのだろう。 古い喩えで申し訳ないが、
タモリのインチキ外国語みたいなものですよ。
フランス語や中国語がわからない人は、それっぽい発音なので、
おなじような感じを受ける、というのと似たことである。 >>211
ちょっとケチをつけさせてもらうと、生得的な気質とは、遺伝によるもの、乳幼児期の成育環境によるもの、小児から思春期までの成育環境によるもの、といった分け方ができると思うけど、どれを指しているの?
吉本隆明なんかは、乳幼児期の成育環境が最大の要素という考え方を持ってるみたいだけど。 平野啓一郎が、「生得的な本質」といったのが、
生まれつきの気質くらいのことだろう、といっただけのことだよ。
だいたい、引用したのは、笑える文章なんで、「なにこれ…、ふふふ」みたいなことで
済まないもんかね。、 >>214
「なにこれ…、ふふふ」は同意。
読んでないけど。
ただ、多くの人が生まれつき見たいな言い方を簡単に使ってるから茶々を入れたくなっただけ。 なんでわたしが茶々入れられるわけよ。
「生得的な本質」なんて書いてあるから、生まれつきの気質くらいのことだろう、
と言い換えただけだろう。
で、「生得的な本質」を、意味が通じるようにするために、
どう言い換えれば,茶々を入れられないわけですか。 >>209
この書き込みをした人だろう。
こういうのが「なにこれ…ふふふ」では済まないで、
何やら真に受けている、というのだ・ >>216
ごめんね。
他意はない。
生得的な本質でも生まれつきの気質でも、まるで意味のない概念だって言ってるだけ。
爺さん婆さんが、新聞に出てくるおれおれ詐欺の犯人の話しをしてる程度のレベルだなと思ってさ。 >>217
気にするなよ。
君も人間を見るようになれば意味が分かるようになるだろう。
人間を見るということは、自分を見るということと同義だけど。 >>220
なんだ、仏教を信じてない僧侶君か。
どうりで日本語が通じないと思ったw 三島はジャネットのように頭がボケるまで生きていなかったが、ボケたジャネットには自分の頭の変化は分からない。
日本語の哲学書ばかり読んでると、元の西洋言語の意味をずらす融通が利かなくなるんだよ。だから、読解が不自由になる。
千坂恭二やジャネットがそれに該当する。彼等の場合は読書全般に読解力の不自由をきたす。彼等は致命的に本が読めない。 おまえは英語すらできないじゃないの。なにをいっているのでしょう。 >>222
たとえば、問題の文章を、ラテン語に訳せばどうなるの。 幕末で云うと、井伊大老が水戸藩士に桜田門外の変で暗殺
井伊大老は開国派で今で云うと左翼か
水戸藩士は尊王攘夷派で右翼か
井伊さんは安政の大獄とか恨みを買うのがお好き?
そりゃ殺されます
他人の気持ちが分からなかったんだろうか?
筋を100%通せば恨みを買う場面が多い
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」
これマンマでしたw >>104
893の若頭以上は賢いのが多いが
それ以下は娑婆では使えないクズが多い
オウムってさ、毛沢東と彼を支えた重鎮みたいです
現役の893さんが、是非、我が組もあそこまで優秀な人材をオルグしたいと
死すら恐れず、華美にも関心示さず
ただ只管(ひたすら)宗旨に基づいた弘道を保持する
だけどさ~こんな純真な人材って最後は利用され尽くされるだけだ
自分の人生をすべて他者に100%委ねる姿勢に問題がある
おまえのロボタンじゃないんだよ、って文句云いたい気分
新聞を読んでたら、中学生の投書があって
内申書の内容が酷いレベル
あれはひどい、まさにロボタン生産校庭そのものや >>136
麻原は、やたらに日本国政府の行政システムを名前だけでも真似ました
兄貴の眼が完全失明、俺の目が弱視になったのは「日本窒素」が排出し続けたメチル水銀だ
だから、彼は視覚を真っ先に潰すサリンに拘ったのです
彼はゼニ儲けかもしれないけど、根底には言い知れぬ「怒り」を政府当局に秘めてました
死刑が一斉に13人を2日に分けて執行
札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、広島、福岡
死刑台、7台しかないもん
オウム死刑囚の13人ってこれのアナロジー?
どんな穴掘ったの? ああ~穴が開いて地獄一直線でした
レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐「基督と12人の弟子」 三島先生は、1970年11月25日に市ヶ谷基地で基地外を演じ割腹自殺
あそこまで狂いを演じるのは、さすが「文武両道」を地で逝きました
文武砂像か文武差道です
この2つの世界は交わることも融合することも御座いません ここは三島先生の場ですが、三島が怒った事象と麻原が怒った事は繋がってると思う
高度経済成長のためには弱者がどれだけ出ようとも関係ない
「切って捨てろ」
そんなことしても精神はマスマス空虚になるだけで充実なんかしません
あるのは毎年何パーセントの経済成長って事
その犠牲者が麻原であり、かれはそれ故にゼニカネに異常な執着をします
だって1995年5月でしたっけ、上九一色村のサティアンの警視庁機動隊が突入
教祖がいません、中二階に変な作りがあって破砕したら麻原が1000万円の束を幾つか侍らせて発見
逮捕されるっ瞬間がコレですよw
普通だとポリ公が入ったところでダイナマイとで全員殺す、もちろん教祖も心中か~
講堂で弟子たちに説法中に逮捕状執行だ
ゼニに囲まれて逃げるこの醜い姿、最低でした
教祖としてのプライド無いのか? バカヤロー
この程度の出来の悪い狂祖に簡単に籠絡される弟子の筋の悪さも何と云えません 偏差値が高いだけの受験エリートって実体験が殆どない架空の世界のエリート
今の霞が関が混乱してるのは、これが大元の原因
お勉強ができる人は利得と損失を常に比較考量
バカはまーしませんわ、起業家で成功した人の多くがある部分非常識なバカ
ただし、そういう事が好き、たったこれだけの違いです
孔子さん、狂人を高く評価してました
まさに獣の王様で基地外だけど勢いがある
初っ端はコレで良いが、どっかで転轍しないとアカン
切り替えの時期と場所、これが分からん >>142
父は、警察官出身
全盲な長男は、手先が非常に器用で八代市ナンバー1の鍼灸マッサージ師
全盲になったお陰で年収が兄弟1でした
動物全般に云える事だが、五感の何かを失うとそれを補完します
人間が外界の情報を何処から得るかと云えば、それは「視覚」
これが「視覚優位」性ということ
眼は貪欲だが、いい加減
耳は沈思だが、割とエエ
モノを沈思黙考するとき、眼を瞑る
それは大脳皮質じゃんなくてその奥庭
TVよりもラジオの方がモノを考えさせてくれる可能性は高い >>232
俺、1987年、1年間ソウルな厭世大で修行
1回、イムジン河(ほゞ38度線)に行ったんだ
「自由の橋」という木橋が臨津江に架橋されてました
入口は、鉄格子と鉄条網で電圧加圧されてました
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E6%9D%A1%E7%B6%B2
落ちてた木の枝を接触させたら燃えました
何VA掛けてるんだよ~?
この木橋の幅が、米軍のもっとも大きな戦車の幅よりは大きく架橋されてました
橋脚は、コンクリ製、橋げたが木製でー「C4」がしべて設定済
だってさ~、導火線が垂れてましたw
あのキンチョールな蚊どころか重装備の戦車を落下させます~ん 江頭豊
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E9%A0%AD%E8%B1%8A
これが現「皇后」雅子の母方の祖父
チッソの癌でした、悪は必ず長生きします
そして、その悪行をどっかに飛ばします
これも因果応報です、w この江頭が指揮した株総映像がお笑いレヴェル
恨みを相当買いまして、雅子が鬱病、当然な報いでした
個人的には雅子さんには「可哀そう」なバーカですか?、って聴きたい。 >>227
この2日に分けて絞首刑した光陰が、どういう形で顕現されるか定か成らず >>234
一般に伝わっていることとはずいぶん差があるね。
父親は畳職人といわれてる。
畳の需要が少なくなり、貧困家庭になったと言われている。
以上、wikiからだが、君の情報源はなに? ホモは絶対に地獄に落ちる教教祖ムハンマド
vs
ホモ以外は全員地獄に落ちる教教祖三島由紀夫 低身長と戦地未経験…天才たらしめた2つのコンプレックス >>248
丸山明宏のこと?
丸山は三島の誘いを断ったと言っている。
でも三島は丸山主演の黒蜥蜴を許可しているね。 誘いを断った?ww
誘うわけないじゃん
三島文学館にソレが展示されてたことがあるんだけど
今は国立図書館でも見られるっての聞いた
是非! >>252
「楡家の人びと」と「豊饒の海」ではどっちがすぐれた作品だと思う? 坂口安吾
芥川賞が(戦後)復活時に、三島君まではすでに認めて授賞しないというのが方針であったが、田宮君授賞となると、梅崎君も武田君もっと古狸の檀君でも候補にいれなければならないし、かく云う私も入れてもらわなければならない。 ジュネの「泥棒日記」が日本で知られるようになった背景について訳者の朝吹三吉さんが新潮文庫の解説に書いている。
戦後すぐにその存在を日本に紹介したのは石川淳だった。(早い!)それより前に朝吹三吉さんは訳し始めていたが出版されたのはその後だった。それを激賞したのは三島だった。
そのころの雰囲気がわかって面白い。 三島ニワカだけど金閣寺、午後の曳航が好きなんだけど他に似たような作品ある? >>36
自分が貴殿よりも上だと主張したい生き物なんだろうね? >>259
それは人間に備わった本能ではないんだろうか?
自分を認めてほしい、自分が最高の人間だと思ってほしい。
それが愛と呼ばれるものではないのだろうか? >>261猿と人間、本性は同じ
猿はボス猿中心
人間はリーダー中心
自由、平等なんて嘘 >>263
猿に近い人間はそうなんだろうな。
人間らしい人間、つまり、関係の上下などという本能的な衝動から自由な人間もいる。 >>264お上品なお方なんですね
旭川苛め事件・・・隠匿
NHK・・・天下り、金儲け、不倫、セクハラ隠匿
慶応・・・レイプ隠匿
怪しいNPOウジャウジャ・・・見て見ぬふりの役所 修飾過多気味のうねったような文体はカミュの書きかたに似てると思った 三島由紀夫フランス文学講座でカミユについて解説してる >>266
人間の本能がそうした事件に向かわせるというなら、人類はすでに滅びているんじゃないかな?
揺れ動いてはいるが、長い歴史の中では人間は優しく穏やかになっている。
三島の自殺テロの評価もまた、現代の価値観の中で小さくなっていく。 >>269
三島の本棚は知らないが、読んだ本を想像するのは楽しい。
古今東西の名作、問題作、駄作を縦横無尽に読んでいたに違いない。 >>271ブラック企業放置、いじめ放置、大人社会のパワハラ放置、労働基準監督署放置
NPOで税金食い物
今の世界は綺麗事で騙す世界 >>273
わずかこの数十年を見ても、一般企業のブラック度は激減してる。
週5日勤務制が普通になったのも、そんなに昔のことではない。
標準勤務時間が、労基法をはるかに超える50時間以上という企業だって珍しくはなかった。
まして、パワハラセクハラなど、訴える労働者すらまずいなかったし、訴えてもまったく取り上げられることはなかった。 >>273
マルクスなどが児童労働の制限を訴えていたのは、わずか百数十年前の先進国ヨーロッパでのことだ。 >まして、パワハラセクハラなど、訴える労働者すらまずいなかったし、訴えてもまったく取り上げられることはなかった。
だから現在も放置してるだろ
世間知らずだね あんまり読み過ぎると三島のように才能から遠のかれてしまうのかも
ショーペンハウアーの言ってたことは真理かな 地球の自転という事実が、決して五感ではそれと知られず。科学的理性を媒介として辛うじて認識されつように、輪廻転生も亦、日常の感覚や知性だけではつかまえられず、何か確かな、きわめて正確で体系的でもあり直感的でもあるような、そういう超理性を以てして、はじめて認識されるのではなかろうか───暁の寺より
以前にも書いたんだが、この一節は、暗に地峡の公転をも人間社会の、憂わざる、外形的で表面的でしかない、履き違えた全体主義思考に対する、人間にこそ備わっているであろう個たる才力の髄を照明したいという、三島ならではの表現ではなかろうか。
故に、彼が最期にした自刃という、禍々しく潔い行為も、其処に端を発した、亜流を嫌い、亦好んでもいたという、深奥にして浅薄でもあるような所詮、人間の非力を、甘んじて演じた舞台の幕引きではあるまいか...。 ≫決して五感ではそれと知られず。科学的理性を媒介として辛うじて認識されつように
≫きわめて正確で体系的でもあり直感的でもあるような、そういう超理性を以てして、はじめて認識される
「五換では知られずに科学的理性を媒介としてしか認識されない」ものと、
「体系的でもあり直感的でもある…超理性を以てしてはじめて認識される」のでは、
まるで違うだろう。それがなんで「ように」なわけですか。
だいたい、媒介されないから直感的なのだ。
不得手なのに、哲学思想っぽくしようとするから、こういうデタラメなことを書くことになるのだ。
三島由紀夫は得意の軽妙な風俗物に力を入れていればよかったのである。 直感】 《名・ス他》
理性を働かすというより、感覚的にただちにとらえること。 >>276
セクハラの告発で、あの芸能会有数のプロダクションジャニーズ事務所でさえ存亡の危機に陥ってるんだけど、知らなかった?
パワハラセクハラで解雇、逮捕されたスポーツ幹部など枚挙にいとまがないよ? 三島文学は、三島哲学と置き換える事もで出来るよね
彼が文学者であると共に、哲学者であった事も今更言うまでもなかろう
暁の寺では、他にも仏教的な描写が多く散見されたが、正に三島ならではの表現で、あれには空海は疎か、釈迦でさえも感服せざるをえまい >>281バカはバカ
枕営業なんて他でもやってるだろ
権力闘争に負けたから叩かれてんだろアホ
慶応レイプ事件隠匿は?NPOの金の流れは?
バカはバカ >>283
現代社会の風潮がまったく見えないんだな。
正当性、優しさ、意志の尊重ということが非常に重要な要素として見られているのが現代社会。
各種の隠蔽でも、昔なら、そもそも隠蔽されてること自体が表に出てこなかった。
NPOの金の流れというのは、課税回避のことかと思うが、昔はそもそも特別な団体など作らずに課税回避の方法はいくらでもあった。
昔の中小企業は公私混同の経費計上で、税金を払う方が珍しかった。
良くも悪くもという面があるにしても、昔よりはるかに厳しく正当性が問われているのが現代社会だ。 >>284君の頭の中ではね
>使途不明金を課税回避のことかと思うが
使途不明金って理解できないんだ >>285
NPOというのは、基本的に課税の公益法人として扱われる。
まず、そのくらいの基礎知識は持っていてもらいたい。
次に使途不明金というのは、なにか公表すべき経費の使い方に対しての使途が不明ということであり、政治資金や上場企業などの公表するべき経費の内容について指摘される。
あなたが言っているのは、東京都の補助金を使った女性救済NPOのことだろうが、それについてはすでに公的助成についての使途不明金はないという最終監査報告が出ている。
いずれにしても、使途が問われるのは公的資金や税務関係の内容であって、個人企業よりNPOに対する調査の方が厳しい。
基本的な知識がないと、偏ったネット情報で小さな正義感を煽られてしまう。
広告代理店の思惑にまんまと嵌っていくのがそうした人たちだ。
ちなみに、僕は「使途不明金を課税回避のことかと思うが」などと書いていない。
「NPOの金の流れというのは、課税回避のことかと思うが」と書いた。
普通の日本語を捻じ曲げずに普通に理解したうえでレスしてほしい。 >>286
× 課税の公益法人
○ 非課税の公益法人 >>287国から補助金貰って使途不明金ばかり、これ自体異常だと分からない
で慶応レイプ隠匿と東大レイプ隠匿、NHKセクハラ隠匿、旭川苛め隠匿
隠匿とっ屁理屈だらけなんですね
https://www.youtube.com/watch?v=Uw-Z_6vSjXM
太陽発電も役に立たないのに推進・・・税金は政治家と癒着してる企業が食い物に
ここは文学スレだからな >>288
繰り返しておくけど、そうした隠蔽が明るみに出るのが現代だと言っている。
昔は、文字通り闇に葬られていた。
ちなみに、あなたが紹介してるyoutubeは、上念さんという人の反共思想に基づくチャンネルのようだし、出演している鈴木さんという人は、江東区議会選挙に立候補した人かな?
政治的な意図が見え隠れしている。
内容は、すでに解決済みの話でもあるようだが、裁判が続いているなら、正否の判断はその人ではなく裁判所が判断することになる。
太陽光は蓄電池との併用でこれからの主流の発電方法になりそうだ。
東京都では、ほとんどの公的建築物に設置されているし、新築戸建てなどにも設置が義務付けられた。 >繰り返しておくけど、そうした隠蔽が明るみに出るのが現代だと言っている。
隠匿した後処分してないだろ薄らバカ
>太陽光は蓄電池との併用でこれからの主流の発電方法になりそうだ。
雨や雪で役に立たないのに主流になるわけないだろ 三菱や三井が再生可能エネルギーの次のエネルギー源の本命として狙ってるのがsmr(small modular reactor)小型モジュラー原子炉だろ。小型モジュラー原子炉はまだまだ、コスト的に勝負になる程の安さではないらしいが。 坂本龍一も昔は三菱電機のcmに出ていた。
三菱なんて大企業はエネルギー関連は全部網羅してるから、脱炭素でエネルギー転換の議論が出て来れば、儲かるチャンスでしかないんだよ。 それはアメリカのGEやエネルギー関連の世界のエクソン・モービル、シェルその他も同じ。太陽光であれ、風力であれ、ミニ原子炉であれ、
大企業が儲かる仕組みになっている。
このミニ原子炉の世界のトップ企業Babcock & Wilcox Companyには日立、三菱、三井が資本参加している。韓国の現代グループも本腰を入れ出したが、韓国がやり始めたというのが、日本の経済界の事業開始の口実化してる。
k-popや新大久保でお馴染み。 再生可能エネルギーへの転換によって世界的に資本の集中が加速するだろう。
この脱炭素化を強制する国連を始めとする世界の傾向に疑問を呈したのが、つい最近の
シンガポールの巨大物流企業のBWグループのAndreas Sohmen-paoの発言だが、これは
一つの転換点になり得るかも。 海運を取って見ても、脱炭素化で船価や燃料費は急上昇し、個人船主や零細オペレーターはきつくなるが、一方で中国、四国の銀行は造船業界向け貸出残高の急上昇を目標に掲げている。
最近の世界で話題になった金融の分散化と逆行。 文学、特に純文学とは所詮己が精神性の発露であって、有形無形に存する自然の情火ではなかろうか
然るに、それを物理的に合理的に解釈する事など無理に等しく、まして己が主観を以て論ずるなどナンセンスの極みであるとも
要約するならば、三島文学と彼の生き様に対する、清純なる敬虔。そして言葉だけでは言い尽くせぬ情理。
美なる芸術とは、このようにして生まれ得るものではなかろうか... >>281
三島も丸山明宏とかホモ関係の噂があったが、
ジャニーみたいな軟派ホモではなかったイメージだが、
共通点は下半身に筋肉を付けないようにしてたことだろう。
そういうとこが三島の芸能との接点だと思う。
下半身を鍛えないと上半身にも分厚い筋肉は付かない。
下半身を鍛えることで男性ホルモンが盛んに分泌され、毛は薄くなるが。 >>290
隠蔽されたものはそれが明るみに出るだけでペナルティとなる。
法的な処罰は裁判所が決定する。
蓄電池を知らない人もいるのかと驚いた。
日本では一年中雨や雪である地域は非常に少ない。
事実、九州地区ではすでに電力の過半が太陽光によるものだ。
一般家庭であれば、太陽光発電と蓄電池で自家の電力をすべて賄っている家も珍しくない。
揚水発電の電源を原子力から昼間の太陽光発電の余剰分に求めるのも現実的だ。
あなたもマスコミ程度の知識は持っていた方がいい。 >>296
三島がゲイであったのかどうかは知らない。
子供がいる以上、少なくとも異性との性交はしている。
三島がゲイであるという根拠は、噂以外にはまったく出てきていない。 >>291
核廃棄物の処分方法はいまだに確立されていない。
処分方法が確立されていないということは、コストの計算もできないということになる。
原発や原発燃料の製造企業が核燃料の廃棄の責任を持つことになれば、企業として成り立つかどうかは非常に疑問だ。 >>299
現在のコスト算定では、現実的な価格より4−5倍は高いと言われる場合もある。
船舶を規制できるのはその船の船籍のある国だから、世界的にミニ原子炉を搭載した商船が流行すれば、日本で
どうこう言っても、止めようが無いかもしれない。 >>300
実質的に日本の船主で日本のオペレーターであっても、日本の商船の殆どは外国籍。 >>298
仮面の告白で男性に性的魅力を感じると告白してなかったかな >>302
仮面の告白が私小説のようにありのままを書いたものとは思えない。
体験した事実に対して、その時の心を丁寧に創り上げたものだと思う。
つまり、書かれていることは事実だが、その気持は全く事実ではない、という奇妙な作品だと思う。
やっぱり三島の性的嗜好はわからない。 歴史の古いレズに対抗して精神性がレアな女子より高い男性天才世界を築けるかどうか。
女性は不潔だし。集団で行動して貞操や高潔を守れない限界も全体を見渡すとある。
ゲイは成功すると繁殖で有利だよな。継承など。
女性の本質というのは弱点や習慣から利用されているからゲイが世を正すとかは
たとえばゼウスのバッカスとかより精神分析分野などでたまにある面白い話だ。 三島は肉体に執着してゲイにあこがれているだけじゃないか。 男の子 女の子 とかささやく幻聴があるが同性愛についても人間の心理真理の限界まで
利用して人間を高めたり罰したりする高級神のような知性が三島にあるか。 だけど女性はレズでも繁殖できるけど卵子を男性が持たないというのが悲劇的。 そういう意味でゲイというのは特別。女性に経験できない世界。 女性に経験できない下の世界が可逆的に高く女性に嫉妬されるという。 で三島に同性愛的性的能力がないことが判別できないか。 例えば確かにプラトンはゲイかもしれないがソクラテスは異性愛で・・・・。 だから女性にない男性にない能力や仕切りをその逆の異性が持つことが大事という。 そういう意味では男性は性別として絶滅しないんだという。 一つ 女性 多数 男性 異性がね、 そんなことも不思議な因果だ。 しかしプラトンが天才的精神異常の暗殺のゲイかというと。まあ大したことないんじゃ。
だから市井の人が大事で学問の府ばかりにいてはいけない。 どうしても子供ができないのに男女 女男とで男性同士が恋情をかわしあって
意味ないナンセンスだ。ていうのは女性にもない永遠の処女性の高雅な精神性の逆転の
高雅な世界だってことの矛盾があるわけだ。ゲイ同士で精神覚醒したりするとな。 レズにももともも覚醒があるけども男性同士だとエム極とエム極 女性だと低能な暴力性
SSという精神性じゃない世界も包含する訳。だから一番人気の男性のゲイは女性より
能力才覚に秀でていて人気が割れる女性の比ではない男の子が欲しいとかなんとか。 >>207隠匿・・・匿名だろ
で雪国でどうやって冬発電するんだよ
蓄電池・・お前の家に太陽光発電付けろよ
100万払って・・・10年したら、また100万円 >>320
雪国でも冬晴れている日は多い。
高さや角度を調整して、さらに余剰電力による除雪用の微熱ヒーターなどをつければそれなりの発電量は確保できるだろう。
風力や地熱などその土地に合わせた再生エネルギーでもいいに決まっているが、全国的には太陽光が中心となるだろう。
たとえば300万でパネルと蓄電池を設置したとする。
自分の場合は年40万ぐらいの電気代(値上げ前)だから、10年で十分元が取れる。
蓄電池の寿命も長く、パネルの効率もよくなっていくから、一般家庭でもさらに設置が進むだろう。 阿頼耶識にまではっきりと言及した暁の寺こそが、三島文学の真骨頂にして真髄だろうな
これを稚拙と捉える方にこそ傲りが有るのは、今更言うまでもなかろう 暁の寺院 は よいけど 法学部じゃないか。
早稲田二文かなんかで文学続けないと。法文書のような感はぬぐえない。 真夏の死・・・・なんとなく良かった
しかし花火は怖い話だと解説してあったが、理解できなった 三島の最後の長編小説は「豊饒の海」だが、近年の沿岸漁業の不漁を見れば、三島が何を感じたか。
三島がエコ・ナショナリズムの先鋒に立ってたかも。三島の作品は多分、在日には読みづらいかもな。
日本の歴史に興味が無い者を作品が拒否する。 >>328
お前自身が釣りだろ。
すっと言いたいことを言わん奴は駆け引きをやっているが、それは
釣りの極意。 三島は生まれつきの骨細というだけでなく、体質的に時間を詰めたハードトレーニングのできない
虚弱体質だった。昔のことだから、虚弱な人に容赦しないような社会だったんだろう。それが三島の
プライドを傷つけた。 インフルエンザが季節外れの流行、コロナ禍で免疫低下か…10年ぶりに流行継続 [ぐれ★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1686143563/
記事にはワクチンのワの字もないのに、
ワクチンの話題ばっかりwwww 三島が今の存在だったらひょっこりブレイキングダウンに出てきてボコボコにされて笑ってそう 三島と芥川のレベルの差異を考えながら、今夜の食を蕎麦にするかカレーにするか迷っている、優柔不断な某にj、アドバイスする事は無いであろうか?
たとえ四分六でもその感覚的意識は、カレーの方へと傾いているのだが... >>336
カレー蕎麦にすればいいと思う。
おいしいよ。 『音楽』に出てくる麗子の幼少期・・・
西洋鋏にハサ美ちゃんという名前を付けて毎日何かを切って遊んでいた。
「ハサ美ちゃん、ちょきんちょきん。今日は何を切るのかしら?お父様のおちんちん?」 >>335安倍譲二がボクシング禁止したから出場しないだろ ひょろひょろの青年があそこまでムキムキになったんだから認めてやれよ 三島が運動苦手だったみたいなことをバカにするみたいなのよくありすぎる風景だけど、それ言ってる本人はどんなもんなんだということは思ったりする >>343
知識人の大半は運動音痴を自慢してるような気がする。 三島が憧れる古代ギリシャだが、敢えて三島的に想像すれば、古代の武道は現代の格闘技ほどにはディフェンスに重きを置いておらず、少しでも速く、相手に打撃を与えることに主眼が置かれていたのではないか?
アキレスとヘクトールの戦いもそうだったろう。要はスピードが第一に重要であり、それに比べてディフェンスの重要性はかなり低く、
ましてやフェイントやそれへの対応などは大して重要ではなかったから、運動神経は古代では余り問題とされなかったろう。
形態的にはkourosコウロスのような肉体や無邪気な表情を理想としたと思う。 筋肉はついても運動神経的なものはつかなかったみたいだ
それはボクシングでも空手でも、彼の稽古の姿を見れば一目瞭然
それは単なる事実でしかないのだが、
問題は、多分それらの指導者が、三島の名声に遠慮する形で
おそらく褒めちぎったであろうことで、
それにより彼が大いなる勘違いを増大させたことにあるだろう
少し本気を出してぶん殴ってやれば、彼の妄想も現実に引き戻されたかも 三島は剣道の継足が出来なかったらしいが、継足の合理性をちゃんと教えてやる先生がいなかったんだろう。
継足を覚えないと、第一歩目のスピードが身に付かない。
階段をステップを叩きながら降りて来る継足は音楽でもある。 >>345
武道と武術をごっちゃにしていると思う。
実際の戦闘では武道は役に立たないだろう。
武道はむしろ太平の世に精神鍛錬で発達したもの。
石川淳は三島がいくら剣道をやっていても実践ではないと看破していた。
「道」なんて無意味だとさ。
実践といえるのは神田のお神輿体験であって、こっちの方が本物だと。 >>348
武術と武道の混同の指摘サンクス。
訂正 古代の武道→古代の武術 >>345
アキレウスの踵やトロイアの木馬の話は? >>349
このスレで武術論を戦わしてるようなもんかな? >>349
石川淳の現代語訳・上田秋成雨月物語所収の短編「菊花の契り」の最後の丈部左門が単身、義兄の仇の陣内に入って、
かたき討ちの口上を述べ終わる寸前、仇の赤穴丹治に抜き打ちに切りつけ、をただ一刀にたおし、騒ぎになる暇に逃れ出るところの
石川の文が良いんだよ。この良さが分からない人はしょうがないが、石川は相当剣術を研究してる。 >>356
最初にレスしたのはお前だ。
何も言わず黙ってろ馬鹿阿保カス。 >>357
その程度のレスしかできないのが、お前の知的レベル。 剣道が無意味だと言っていて剣術を相当研究しているということは、実際の斬り合いをやったか見たか以外にはないということだよね?
文章で読んで分かった気になるなんて実践以前の問題だし 三島さんは日本人が絶対者を求める民族だと言って天皇を担ぎ上げたけど今はアイドルとかvtuberとかアニメのキャラクターがその絶対者の役割をしてる部分もあるね そういうところはあんなに文才のあった人なのに単純な世代論で切れてしまうのでつまらない >>362
それは特殊な趣味の極少数、ほんの数パーセントの人達だけの話だな。 >>362
日本人に限らないよね。
世界でも絶対者を求めない人間の方が少ないだろ。 相当剣術を研究した石川でも三島のように自分の腹は切れねえんじゃねーのwwwwwwwwwwwwww 勝手な思い込みで論を進めている人が多いのは今さらだけれども・・・
三島と石川は三島の晩年に2回対談している。
石川は三島に剣道は無意味、剣術というべきといっている。
そういわれて、別に三島はそれを否定しなかった。
それとこれは石川の慧眼だが、今後、三島君は変わるだろうと石川は言った。
ただ、さすがの石川も役人のたむろするところで派手な演説をしてハラキリをするとは思っていなかっただろうね。 喧嘩さえしたことない動画見てるだけの格闘技オタクが、実戦ではこうやりゃ勝てるんだと言ってるのと何が違うんだ >>369
正にそれについて、三島と石川は話しているよ お前らとは違うって何だ
この前自衛隊で銃をぶっぱなした奴でも書き込んでんのか >>372
明治維新にまつわるテロはどう考えてたの?
反政権側の実力行使はみんなテロだよね?
逆に政権側の違法な実力行使はテロではないのかな? 剣道でも格闘技でも、カジった奴の御託はみっともないよね。
自分で理論を突き詰めたわけでもなく、”師”からの話だったり、だれかの本の受け売りだったりだからね。
ただの格闘技愛好家である自分の場合、一番納得した武術論は大山倍達だったな。
極意は極めて単純に、パワーとスピード。
剣術の伝説でも、宮本武蔵は巨漢でパワーとスピードがもの凄いから勝てたと言われている。
いろいろな武術の極意とはどんなものなんだろう? >>374
対談を読みたかったら「夷斎座談」(中公文庫)の上下巻を古本で見つけたらいい。
因みにテロリストのモラルはその場で死ぬことだとご両人とも同意している。死ぬ覚悟でやるんじゃない。はじめから死ぬのを決めてやるのだと。テロリストが生き延びるなんて考えられないとさ。 >>376
そんなくだらないこと言ってるの?w
二人とも相当なバカだな。
もっとも、天寿を全うした衒学作家と死にたいだけの作家では、その中身はだいぶ違ってたんだろう。
どちらにしても、その話にもっとも欠けてるのは坂口安吾のリアリティだな。 >>378
自他ともに認める大ボラ吹きだけど、強かったことだけは間違いない。 >>380
ヤクザではないが、日本での南北朝鮮人の争いに勝ち抜いたことは確かだ。 実戦経験の有無さえ取り沙汰されるくらい虚実入り乱れた伝説みたいな話ばっかだと思うんだけど、「確かだ」というのは何をもってして「確かだ」と言えるんだろう >>382
ドキュメンタリーとして書かれた『大山倍達正伝』という本によれば、アメリカでのポスター、複数の朝鮮人の証言、大山の親族の証言、当時の新聞などの各種資料があるそうだ。
この著者である二人の編集者が嘘を書いてるなら、自分には確認する術はない。 長渕剛
「今の日本はアメリカかぶれが酷くてやたら横文字を使ったりする。
英霊が護った美しき国土と文化を破壊する行為。
60年前の戦いに殉じた日本の男たちに対する鎮魂歌
『クローズ・ユア・アイズ』。聴いてくれ」 仮に本当に大山がリングにあがっていたとしてもプロレスのリングだろ
プロレスはプロレスだぞ >>385
大山はアメリカでプロレスやサーカスの余興として出ている。
自分のこぶしを見物人にハンマーで殴らせるという荒業の見せ物だったそうだ。
プロレスの試合をしたかどうかは知らない。 >>384
それしかネタないの?
みんなとっくの昔に飽きとうし、だいたい長渕はそんな事言ってもないし 三島だって似たような事をいっていながら、西洋風の家の庭にアポロの模造を置いて住んでいた。 細かいことにこだわるなよ。
右翼というのは変幻自在。
豊饒の海のラストシーンを思い出さないと。 で
石川は自分の腹は切ったのかwwwwwwwwwwww机上理論なら俺でも言えるわwwwwwwwwwwwwwwwwww >>384
いつの頃からか、長渕さんは戦争に行った兵士の死を美化することに傾倒するようになった。で、実際に
あの戦争でどんなことがあったか、総体は見ない或いは見たくないのかもしれないが。美談しか視ない
で戦争を語りつくすことは不可能。あのclose your eyesはその美談の典型。だからたしかに美しい歌だが
根本から言えば戦争については美談でしか歌わない欠損を持ってる。その欠けたものが何か、今の彼は
見えないのか見たくないのかどっちにしろ認識上の欠陥をそのまま歌ってるだからイマイチ説得力がない。
YouTubeに、彼が自衛隊の所有だろう戦艦のうえでこの歌を歌ってる動画がUPされてる。こういうことを
やってる彼には戦争の総体を知ってくださいと言うしかない。イタイですはっきり。ついでに言えば
あのCLOSE YOUR EYESて歌。彼の1989年代のアルバム『LICENSE』収録の「何の矛盾もない」に
曲調やメロディがそっくり。つまり自己模倣してる。しかしわかりやすさでいうと「何の矛盾もない」のほうが単純な
恋歌で国家も時代もないのではるかにわかりやすい。もっといえばああいう自己模倣をやらなきゃいけない
背景に、歌うモチーフの稀薄化があると思います。稀薄化とともにメロディが湧かなくなってるんじゃないか。
2000年頃から彼は、かつてのように歌うことでしか自己を救えなかった、
そこから変貌して、何を歌えばいいのかはっきりしなくなってきたんじゃないかと思う。
なんではっきりしなくなってきたのか。知らないが、かつてのような社会の底辺からの視点で歌を書くことを
しなくなってきた。まあ単純にリッチになって高級なジムにも通えるようになったし、筋肉もついたし(笑)
病弱コンプレックスもなくなったし、昔みたいにウジウジ悩まなくても良くなった。でしかし歌は書けなくなった。
そこから国家や民族や戦争の装飾に傾倒するようになったみたいでイタイし筋肉とは比例して
精神が硬直化、視野が狭まり、今みたいに首をかしげる歴史の装飾の後ろ盾がないと歌えないという事態になってる。
誰かが教えてやったほうがいい。誰も言わないんだろうが実はイタイと思われてるんだって。
長渕剛 - CLOSE YOUR EYES
https://www.youtube.com/watch?v=pN0yRYR929E&t=7s
長渕剛 何の矛盾もない
https://www.youtube.com/watch?v=hIxzvWnG-RA >>392
失礼。
>彼の1989年代のアルバム『LICENSE』
ではなくて1980年代のアルバムですね。正確には1987年のようですね。 三島のスレで長渕の話が持ち上がってしまうのも、所詮は同質と思われる二者の心意気に感化された、観衆の概念的な情動に因るものか。
ま、何れにしても、三島の哲学論は、不変の原理を以て、何れはこの緩み切った日本に、鞭なる刺激を与えてくれるであろう >>394
緩んでいるのは悪いことなの?
WW2の緊張した時間が必要で、大量殺人を犯すことが良いことなの? >>395
是非、可否、正邪という二元論に終始している時点で、論駁する価値にも値しないとは思う所であるが、
緩んだ時流の、負の産物の典型例は、すしペロにこそ在ると思うけどな
あの事件から学ぶ点など皆無だろうに。この衰退途上と謳われる、憂わざるを得ない日本経済も然る事ながら。 >>396
それで、なにが言いたいの?
大量殺人はどう思うの?
”すしペロ”は殺人以上の悪なの?
逃げずに考えてごらん。 >>397
何? その大量殺人て?
現代日本社会が緩いと言っただけで、誰もそんな事には一切触れてないけど?
極論に逃げてるのはお前さんだろうに(憫笑) >>398
触れてないのは想像力の不足。
とても三島を語る資格はないよw
いまでも世界中で戦争があり非常に多くの人が死んでいる。 >>399
そんな事今更言うまでもないし、上から目線で講釈垂れられる筋合いもない
何様のつもりか知らないが、お前さんは人のレスに文つけなければ気が済まない、単なるレスコジキみたいだな
そんな奴には三島どころか、何を論じる資格も無いだろう(憫笑) >>400
そのレスに象徴されるように、僕が上から目線なんじゃなくて、君が下過ぎるんだよ。
人を殺すことの是非も問えないなら、社会のことはもちろん、三島の死に関してもなにも主張する資格はない。
社会が緩いだの平和ボケ(言ってなかったっけ?w)だのと能書きを垂れる君のレベルはそんな程度。 私の父親は戦争中だかその合間だか、サイパン島に行っていたらしい。で現地人に農業を教えて楽しかった
、と私に話したことがある。現地人は喜んでいるし自分は戦争責任はないかのように。しかし父親は一方
満州で戦車にも乗っていたらしい。そこでまさに殺し合いに従事していたわけだ。殺し合いを経験したこと
が誇りだったのかどうかは知らない。また、軍隊で先輩にいじめられてキレて銃剣を突き付けたことがある
とも言っていた。ようするに戦争といっても何に重点をおくかで語ることは違うってことでしょう。
それが総体をみるということである。しかし、そういった何層もの重層的な視点をもって、なおかつ
その後に戦争を語ることは可能だと思います。三島さんは実際には従軍してはいない。或いは行っても彼なら
最高司令部に陣取って前線には行かずに済んだかもしれない。ようするに理想化しているところが多々あった
に違いない。実際に従軍したらうちの父親と一緒でいじめられて厭になったかもしれないですよ。ひ弱だった
わけだから。或いはそれこそキレて先輩を殺してしまったり。自衛隊経験といってもそもそも三島先生だから。
手加減されたに決まってる。言われなくても分かり切ってる(笑)或いは三島さんの理想化する通りの
イメージしか視えないようにしただろう。最後の日には現実を彼は知ったわけだけど。野次り倒されて。
自衛隊の実際の意識がいかばかりのものか。いかに自分が勝手な理想化しかしてなかったか。 それと最近あった銃乱射事件で分かるように、自衛隊員といっても色々千差万別。私の昔遇った元自衛隊員でも
「僕はけっこう優秀だと言われてましたよ。銃の扱いが上手いって」と言ってる若者がいた。彼には日本に
ついての深い洞察もなにもない人です。現代っ子でね。女性を買うのが好きでね。三島さんの話が実際の
自衛隊には掠ってないってことは当時から自衛隊員には分かっていたでしょう。それでも三島さんに語って
もらえることで大変な宣伝にはなるから。面と向かっては何も言わずにいたんでしょう最後の日までは。
そこを考えればかつての三島さん今の長渕さん・・・自衛隊が特別な場所だとか、日本人の心の砦だとかね。
そもそも軍隊が特別な場所だとか、魂のありかだとか。そもそも自衛隊だろうが現代日本の一部。インターネットが
遮断されてるわけじゃなし。聖域扱いするのは無理だと思いますよ。 >>401
はいはい、マウント取りたくて仕方がないみたいだね
お前さんのレスは、俺という個人の存在に拘わらず、常に高慢なんだよ
だいたい誰が三島の死について論じた? 誰が戦争について?
緩いと謳った俺の発言に、そういう二元論、或いは飛躍した反論しか出来ていない時点で、お前さんのレベルもたかが知れてるよ
↓
はい屁理屈マウントどうぞ(冷笑) >>404
これに懲りたら、二度とくだらないことに三島を引き合いに出すなよw
>三島の哲学論は、不変の原理を以て、何れはこの緩み切った日本に、鞭なる刺激を与えてくれるであろう >>405
ウレシ-何でも嬉しがる、目出度い性格を有した人物
ヨッテシ-直ぐに寄って入ろうとする短慮な人物
何方ももはや死語になって久しく、実社会で口にする者など殆ど見かけないが、憂わざるを得ない現代日本人を象徴するような語でもあり、所詮はお前さんも之に類する人物であった事は否めない
これに懲りたら、誰彼構わず手あたり次第にレスを付け、屁理屈論を命令口調で言い表すような莫迦な真似はやめたまえよ^^ >>406
君は日本語が不自由みたいだから、丁寧に繰り返しておくけど、君は現代の日本人のどういうところが気に入らないの?
もちろん、君が気にいるとか気にいらないとかいうことは、君以外にはなんの価値もないのに、そんなことを他人に押し付けようとしたがるのはなぜ? >>408
だから、何でお前さんは、何故、そうまでして他者に干渉するの?
俺はただ意見を述べてるだけ、想いを叙しているだけで、それを他者に強要した事など一度もない。押しつけてるのはお前さんだろうに
お前さん少々文学に精通しているかもしれないが、一人間としては、かなり欠陥のある人物みたいだな >>409
>三島の哲学論は、不変の原理を以て、何れはこの緩み切った日本に、鞭なる刺激を与えてくれるであろう
そうだな、カッコつけたいだけ、マウント取りたいだけの愚にもつかない与太話を相手にしてもしょうがないな。 相変わらずの過疎ぶりだから、敢えてレスしたい所なんだが、
緩いか硬いかという、個人的な好みでしかない二元論に、己が主観を以てマウントを取ろうとする、自称文学精通者か
やはり人という、憂わざるを得ない生命は、贋作とも言える、救い難い衆生だったんだな
そんな生命に生まれた俺も、所詮は、同類か
やれやれ... 三島さんの作品は一文一文が本気で書かれてる感じがして好きだ。ふとした文章に学ばされる。 >>414
そうやって一々優位に立とうとしている時点で、確かにお前さんなどとは同類ではないかもな
そして未だして、自他不二の精神すら持ち合わせていない、相変わらず目出度い性格のお前さんとはな
俺はそういう人間という、遍く衆生の中で最も滑稽で稚拙な生命が嫌いなだけ。俺とかお前さんといった、個人の存在などはどうでも良い >>415
くだらないこと書いてないで勉強しろよ。 やはり、そのドタマでは理解出来なかったかぁ~... >>417
繰り返しておくけど、日本語を勉強しろよ。 読解力ない奴が口にする常套句だな
日本語すら読めないとは。気の毒な事よ >>331
三島由紀夫は作家としては強靭な肉体の持ち主を目指していたのだろうが
平岡公威さんという存在としては
虚弱体質だったと思う >>422
作家として、つまり芸人としての強靭な肉体を目指していたのだろう。
芸人は上半身は鍛えても良いが、下半身は絶対に太かったり、ごつかったりしてはいけない。昔の歌舞伎役者の太い脚が見えたので、観客の総スカンを食らった話もある。
下半身を鍛えないと上半身に分厚い筋肉はつかないんだが。
下半身ががっしり安定すると芸が重くなってしまうような。
三島由紀夫には歌舞伎役者のような気構えがあったのかも。
昔、西川きよしが後輩の脚のごついのを「芸人がこんなゴツイ脚はいかんw」
筋肉の仮面で虚弱な体質を隠すのも芸人魂。 人間はものごとを理解するときに頭の中で物語の形にして認識する
だから何かが起こった時にそれに対する理解の仕方というのは人によって違ってくる
それを利用して言葉だけで擬似的に世界を構築するのが小説や落語や物語 8日早朝、佐賀市の道路脇で遺体で見つかった女性は福岡県内の高校生と分かりました。警察は自殺とみています。
午前6時ごろ、佐賀市鍋島町森田で「女性が倒れている」と近くの男性から110番通報がありました。
女性はその場で死亡が確認され、腹部に刺し傷があり、現場から刃物が見つかりました。
その後、所持品などから福岡県内に住む高校生と確認されました。現場の状況などから、警察は事件性はなく自殺とみています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7d6a4871c17d45881c2fbc3315ca489068dad430
天晴れ、腹切り娘
介錯無し、三島を越えた 発見者が刺して通報したってオチだったりしてなwwwwwwwwパパ活していた高校生から別れを切り出されカッと……以下略wwwwwwww 三島と川端に秘められし真実とは
運命の物語の内容は真実なのか?
無論見てはないのだが >>426
三島信者(一水会とか特に)は、なぜ後追いしない?
「自民党政治に抗議して腹切りするニダ~」
と、やってみやがれ! 『仮面の告白』初めて読んでるけど。なんかあの最期に至るすべてがここにある、
という感想を前半で早くも抱いてしまう。この小説読んで晩年のあの思想を真に
受けるのも言ってみれば、有り得ないようにも思えてくる。ていうか、この1作
だけでもうこの人は分かった、という感じもしますね。初めから最期迄。吉本
隆明があの最期の後に「三島氏にたいして、私はいつもどこまで本気なのか?と
いう疑念があった。そして今こうなって、やはり本気かね?という疑いが消えない
」といった発言をしていた記憶がある。あの『仮面の告白』を読んでると、もう
分かったという感想が序盤で出てくるし、となると、この後のこの作家の作品は
いったい何だったのか、という疑念も出てくる。誰だったか「壮大な無駄」とか
言ってたような。まったく不思議な人だったというのはあるけども。 言ってみれば確信犯的に、作家生活の初めから終わりまで、突っ走った。すべて
が予定調和だったような。『仮面の告白』を辿れば。何かすべてが見通されてい
たかのような。なんだ、最初に全部さらけ出しておいて、あとはそこを変奏しな
がら辿っただけ。という既視感がある。 予めこの時点で既に予定された自殺であり、その自殺が美(意識)の完成であっ
たことまで素描されてる。となると用意周到に自殺の準備を整えて、決行しまし
た。成功しました。てことになる。 しかし現に彼は民間防衛組織まで組織して、男の涙迄共有して、あれは何ですか?
なんだけど。彼を信じた人間はバカだったんですか?と。そこまでは断定はしな
いけども。彼の本質をここで言ってしまうと。彼の真実とは、簡潔にいえば、
すべては両義的。すべては両義的である。矛盾してある。矛盾した形容とか
美とかがあることは彼の美でも文学でも言われてるけど、彼にとっての真実の
概念がそもそもいつでも反対の意味を湛えたものだった。虚としての実。
真としての偽。それは意味としてはあり得ないけども。意味としてはありえ
ないのにある。不思議なことに。生存としてはある。或いは意識としてはある。
或いは有るとしては有る。二重性としてはある。そこが彼だったんだと思います。 三島がこういう批評家的見方にたいして実は、とうに見通して、回答もしていたの
ではないか、という気もする。どっかで答えていたのではなかろうか。
「私はね、私の文学的出発点とかを引っ張り出して、そら三島はあの作品で、
すでに後年の彼の思想的進化をすでに予言していたのですと。言い張る人もいる
かもしれません。しかし、なんと言われても私はもう気にはしません。ああ、そう
見えますか。そうかもしれない。そう言うだけですよ。つまり他人が私のことを
どう云ったとしても別に構わない。好きなように評伝でも書いてください。分析
してみてください。大いに結構だと思います。但し私には私の使命があるので、
そういう分析に関わっている暇はない。どうぞ好きなように分析でも何でもして
みてください。私が言うにはそれだけですね。どうぞ好きなように書いてください
。」どっかでこういう発言を、していたのではないか。それも十分ありうる話だ
と思います。 >>438
>他人に理解できるように書いて欲しい
がどういうのかよく分からないけど、他のスレでも私と全く同じではないが
よく似た意見になってる人がいたのでコピーしておきます。ちなみにこの人の
意見を参考にして私は書いてはいませんでした。
スレッド名:【日本的スノビズムの】蓮實重彦7【法王】
0920田中淳 ◆ANNA//s1pY
2023/07/13(木) 03:19:21.08ID:2BugC029
三島は『仮面の告白』だけでいいよw
あれは本当に凄い
あとは要らないw
最初の一作で燃え尽きちゃった感じだな
0921田中淳 ◆ANNA//s1pY
2023/07/13(木) 09:00:03.56ID:rdZigRdw
『仮面の告白』だけエクリテュールの質が異質なのよ
あとは駄文の山
残念ながら?私と同じように読む人はけっこういると言うことかもしれません。 >三島は『仮面の告白』だけでいいよ
これって松浦寿輝がとっくの昔に言ってますよ
同じことを 人の意見などどうでも良い
三島文学に外れ無し
俺としては、仏教唯識論、阿頼耶識にまで言及した暁の寺が、最高峰かな 〈既有的に将来する〉=既に有ったものが生長し現れていく。自分では意識せざる
うちに、耳を澄ますように、本来性を奪取せよという命令に従う。これは
ハイデッガーの根本命題だが、三島は彼自身がどこまで意識したか知らないが、
この命題にまっすぐ導かれるように突き進んだかにみえる。最後の対談でも、
自己の10代に帰郷することしか誠実さは考えられないと言ってる。彼は自分の
変貌をそうとらえていたが、しかし実はこのことは彼が考えていた以上に根が
深く、根が深いというのは評伝でしばしば指摘される祖母による実の母親からの
引き離し。監禁だけど。その時期の、地層で言えば最古期の層に他の乳児にはな
いものが刷り込まれていったことが、彼の根本感性につながっていると思える。
だから自分では最後の対談のように、10代に回帰したと思ていたようだが、
単なる10代回帰ではない。単なる10代回帰ならもっとことは簡単で、
あれほどの感性は生まれてはなかった。彼の悲劇を解読するならそういう話になる
。その悲劇と引き換えに優れた芸術作品を次々創作したわけだけど。いまだに
「三島の作品ではコレ」と論議されるような。 三島は仮面の告白だけとか言ってる奴は、総じてアホ(憫笑) >>444
どういうところに、どういう意味で衝撃を受けたのか、教えてくれるだろうか?
私もそれを二回ほど読んだけど、そこまで大きな衝撃は感じなかった。
まあ、正直に自分のことを描き出してるんだろうなとは思って、それが
素晴らしいことだとは思ったけど。
三島の生きざまとその文学については、これからも詳しく見ていきたいと
私は思っている。 >>445
極々簡単に言えば個人的な嗜好(性的なものがメインだが)が一般的なものにまで敷衍され文学にまで昇華されているところ。もちろん書かれてある事全部が事実とは思ってないしそこにこの作家独特の文学的何創作もあると思う。大江の『個人的な体験』にも同じ事を感じる。ちなみに三島は作家としてはあまり好きな方ではないし、他の作品は上手だなと思う程度で(短編は除く)感銘は受けない。三島の政治的な信条な行動、生き様にはあまり関心がない >>446
なるほど。ありがとう。私もこの作品を、折に触れてまた何度も繰り返して読んでみたいと思っている。
私の場合は、彼の文学よりもむしろ彼自身の人生とか考え方に興味がある。だからと言って彼の
生き方をそのまま真似たいとかいう意味じゃないけど。
いろんな文学者の評伝とか友人たちによるコメントとか、作家自身によるエッセイなどを通して、
そしてもちろんその文学作品を通して、それぞれの作家が何をどう考えたり感じたりしたのか、
どのように生きたのか、なぜそんな生き方をせざるをえなったのかを知りたいと思っている。 >>447
そう言う意味では自分は昔流行ったテクスト論の読み方に近いかも知れない。ただ三島に関しては映画『憂国』は観てみたいと思っている。三島と思しき人物をモデルにしたゲイムービーもあるが『巨根伝説 美しき謎』(大杉蓮が主演)や『愛の処刑』があるがこちらは今のところ鑑賞予定はない 追記だが三島が別名で発表した映画『愛の処刑』の原作小説は読んでみたいと思っている >>449
ほう、「愛の処刑」も読む価値があるとどこかに書いてあったし、
文庫本に換算すればほんの30ページほどの短いものだから、
私は「決定版・三島全集」の補巻の中に入っているからそれを
1年くらい前に読んだ。
この作品の中の人物たちとか三島自身や、彼と一緒に自決した
男性などと同じことを今の私は実行しようとは思わないけど、
若い時にはああいうことをしてしまうことになってもおかしくないような
タイプの人間だったので、この小説の中で描かれている人物たちや、
三島とか盾の会の人たちの気持ちや考え方は、よくわかるような気がする。
ともかく、「愛の処刑」も、実に興味深い作品だと思う。三島の作品すべてとか
三島の実人生をすべて知っているわけではないけど、おそらくこの「愛の処刑」は
三島らしい作品なんだろうなと私は思っている。 なお、「愛の処刑」の映画版があるとは知らなかった。
いずれ見てみようと思う。 金閣ってその後の天皇制との関係を暗示してるね。戦前の神々しい美ー金閣ーが
戦後、観光名所となることによって神性を失った。その神性をいかにして復活
させるかが小説の肝になってる。
小説では金閣を焼失させることでモノ化した金閣を焼失させ、すなわち物象と
化した金閣を焼失させ、それによって価値も無効化するというメカニズム。そこで
超絶性は空として、死として蘇生する。モノ化への反命題という箇所で、
当時の左翼とも通じている。ただ共通するのはそこだけだけど。
現実には人間宣言で神性を失い、流通の一部と化した天皇制に神性を復活させ、
自衛隊を国軍化し、欧米の消費文化を排斥し、日本の文化を死守することを最後に
彼は訴えた。それは結局日米戦争の再開にしかならないし、結果も分かっている。
失われていく日本の美とともに滅びていくことを、彼は夢見ていたと思う。
元々、超絶的美とともに滅びていくことが戦争の唯一の夢だった。敗戦でそれは
不可能になったときに、小説『金閣寺』のモチーフは始まっていたわけで、
押し寄せる消費文明からいかにして超絶性を死守するか。
彼の小説というのは、不具や吃音の障害、裏切り、自慰、男色、嗜虐性、背徳、
性的サディズム、といった市民社会の外部、裏面の夢によって裏側からモノの
社会による抑圧・水平化を暴き立てるのを本領としていた。それら、外部と超絶性
が死に向かって邁進する夢が小説になってる。切腹、頓首、葉隠れ、は外部の隠蔽
であり、三島の好きな嗜好が歴史に現れていた証拠であるとともに、自己の
晩年の思想が日本古来のものであるかに偽装するトリックでもあったと思う。実は
それらは西欧合理主義にたいする反命題を形成するために歴史から拾われてきた
だけだった。問題はただ、水平化・相対化されない存在、をいかにして現出させる
かという1点にあったのだろう。 なので、三島の死について、共同体的死あるいは思想的死あるいは政治的効果を
狙う死あるいは文学的衰えを示す死・・・とか多様に言われたけれども、実は
実存的死という比重が最も大きいんではないか。すなわち何にも交換不可能な
実存を示すための死。最もここで妥当な語彙を用いるならば小林秀雄が「様々
なる意匠」で提出した、「傑作の豊富性の底を流れる作者の宿命の主調低音」
という語彙が妥当なのではないか。三島が様々に集結させた古今の諸概念は、
彼のそういう実存が集結させた。とみればよいので、それ以外ではない。というの
が私の視方。実存的死、というのはたぶん誰か言っているはずだとは思うが
三島がハイデッガー有論的であることは疑いない。実存が物事を集める。その
集大成が彼の文学であり思想だったと思う。三島の死について語られたなかでは
当時語られた小林秀雄の「感想」が最も秀逸だと思う。というのは三島自身にも
見えてはいなかった自己について言及していたのはそこだけだったように思えた
から。 三島の自刃の本質などは、実に単純明快で、論ずるにも値しないよな
確かに一つは自国への哀憐だろう
もう一つは、人間としてこの世に産み落とされた、現実への悲観
最期に、滅びの美学への執着と
小説は極めて高尚だったが、死への欲求は通俗に過ぎたな
整合性の取れた落とし所(オチ)とも言えるか... 死んだ理由は単純明快、
老いていくのが嫌だっただけですよ。
そこへ自衛隊だの226事件、天皇制、楯の会等々で
壮大な舞台装置を作り上げて三島戯曲の主人公を自分で演じて死んだ。 三島は経済的には成功したが文化的にはつまらない極東の島国になるという旨を書いていたが、今や経済的にも落ちぶれた国になっちまったねえ
しかしサブカルチャー的な分野では小さな国にしては世界中に影響力があるな 経済的な発展といっても、反動的な戦後の高度経済成長とバブル期と、不謹慎ながらも災害復興という、一時的で刹那的な盛況に過ぎず、
栄枯盛衰にも及ばない、その場限りの虚構でしかないよな
現代日本社会はもはや、軍事的にも経済的にも精神的にも道徳的にも、ありとあらゆる面で堕落し、
総体的な地位、力量、豊さなどに於いても、世界最弱小国と断言出来るだろう(憫笑) 死にたい人間に理由はない体質だ
理由は後からつければいい 理由自体しらんしな
生きたくないから死んだだけだろ >>455
老いへの嫌悪感は自決の大きな理由のひとつだと私も思います。 三島の署名本って神田古本屋界隈ではAランクで高価ですけど、
あれ書のうまい人が100かいくらい練習すれば書けるんじゃない
ですか 三島は、小説は言うに及ばず、喋り方にも独自性があるよな
あの、如何にも全てを知悉したような、己が世界観に浸り切ったような、落ち着いた物言い
その存在自体が、正に、美なる芸術といった所か 反権威のつもりだけどものすごく権威に弱いし気にする
東大卒
賞レース
映画
極めつけは天皇制
やっぱ時代に抑圧されたマゾなんだろうな 三島にしろ大江健三郎にしろ日本の純文学という体制がガンだったんじゃないか
物語性のある読者向けの物語を書いたら通俗とバカにしてきたため
つまらない話を書くことになってしまい現代では読まれない。
大江健三郎に比べたら三島は読めるものは多いと思うけどエネルギーの向け方が間違っていたんじゃないか 今三島由紀夫のように自衛隊駐屯地で檄文唱えて自決しても、マスコミが自宅に駆けつけて張り込んで近所の人に
インタビューしまくって、同窓生にインタビューして、卒アルが流出して、あらゆる個人情報がさらされて
まとめサイトに載って、2か月後にはみんな忘れさってしまうんだろうな。
突飛な行動とれば瞬間的に世間のおもちゃにされてすぐに飽きられて捨てられる世の中。 好き勝手演説して自殺する盛大なオナニーが目的だから自衛官に感銘与えようとか思ってないよな
その通りだ!なんて言われたら逆に困りそう 生首並べられてたが自殺じゃなくて殺されたんじゃね? 思想的にも作品傾向的にもトーマス・マンの影響を感じる マンや鴎外の影響は三島が後年意図的に付け加えたもの 国立劇場で三島の助手をしていた人によると、例のパレードでは、階下の舞台照明がズレて困ったそうだw死の間際で聞いた貯金は3000万だそうな ウルトラマンが怪獣にボコボコにやられて苦しみ悶える姿にドキドキしてしまう三島先生 天皇を神と考えようとしていたのに、自分を神とするなら逆賊だな 三島を始めとする文豪たるお歴々は、詰まるところは、厭世主義に傾倒していたような気がするのだが、如何に
無論それは、俺みたいな名もない人間も同じで、そういう思想なくしては、もはや生きて行く力すら無いに等しく、いっそ無に帰依した方が良いのではとさえ考えてはいるが、
未だその逡巡解けず、こうして生き恥を晒すに終始する、不甲斐ない有り様と嘆息せし候
然るに、人間としてこの世に生を授かってしまった不運を嘆くものなりと 美輪明宏にヒョロヒョロと馬鹿にされ筋トレに目覚める
病弱で徴兵検査に落ちたことがトラウマで愛国心に目覚める
この男の書く小説が面白いわけだよ 愛国心といっても昭和一桁の軍国少年世代限定の愛国心だな
神風や回天みたいのをみて狂ってると思うほうが正常な精神だろうが、三島はそうではなかった 金閣寺で主人公の母親が「こんなどもりが兵隊に取られたら日本もおしまいやな」って
言ってたがあれは著者の自虐的な意味もあったのだろうか 三島は絵がへただった。字も下手だった。詩も善く書かなかった。
その分散文というか地頭の良さからくる論理的な文章と構成はなかなかだね
それでも本当の上品さは谷崎や秋声のほうが上だと思うが
宮沢賢治もかなりキレイな日本語だね 字は下手ではないような
youtubeの動画にある原稿の文字は下手ではなかった
普通に達筆だった 三島の文章は、不意に論文調になる事が、結構あるよな
個人的にはそれが好きなんだが 「君のせいでもう間に合わなくなった!」三島が自決2日前に託した未完の遺作 平野が明かす、三島への共感 「虚無から美を創造することに自らをかけた」 まあ法文書のような仕事には向くかもしれないが文壇ではこれからだ有紀子は。 暁の寺院とかは地が法学部だなあ。さっくり。転科とかも時間と労力がかかる。 やっぱりカリキュラムとかの影響を受けるから学習院や東大と過度につるまない方がいいね。 刑務所に詳しいというわけではないんだろう。文法でも刑務所扱えるんだよ。 自分のバックグラウンドが才を限定してしまうなら、まだ学問を続けるべきだろう。遅咲きと編集力。 金閣寺に立てこもって焼死したなら文学美学になるが。 >>495
三島由紀夫自身金閣寺は、当時付き合ってた最愛の恋人だこさん連れで見学したくらいだからね。 >>498
三島由紀夫は、お祖母さんはどっかの藩主の娘なんだよね。 >>493
三島由紀夫は、少ない年金暮らしの親がいたからね。お金稼がないといけなかったんだよ。 >>490
年金暮らしの親を支えるためには、三島由紀夫は小説でも文学でも、とにかく稼がないといけなかったんだよ。 三島由紀夫の父親は、高等文官試験首席だったにもかかわらず、局長どまりという出世から見放された人ではあったが、
それでも、いろんな会社に天下りして、高給を貰い、退職金もあちこちから沢山もらっていた。
年金暮らしの老人などではない。 やっぱり血統ってかぎりなく人間にあらわれるだよなあ
おそらく田吾作出身のごみみたいな俺の血、両親共に中卒のゴミどもの子である俺は三島の文章よんでも何書いてあるか意味わからねえ だとしたら、両親ともに中卒で、母親はことに、ほとんど文盲にちかいという
中上健次はどうなるの。中上の文章には、三島由紀夫の文章よりも難しげなところも多いが。 中上健次って別に評価されてないよ
ニューアカブームで柄谷がおだてたから今に残ってるだけで別に作家としてみたら・・・
野間宏とかのほうがすごいよ 中上健次が、小説家としてどうかということとはまた別に、
柄谷行人、浅田彰からの受け売りを書くだけでも、三島由紀夫の書いたことよりは、
とりあえず「難しく」はなるだろう。 >>505
おいおい、自分の好みを一般化するなよ
野間宏こそ今では読まれてない作家だよ
中上健次は最近岩波文庫から短篇集が出たし、
代表作もほとんど文庫が刊行されている 中上健次も小学館文庫ででていたが全部絶版
批評空間グループがやたらと押していたけどファンは少ないだろう
大江も中上もフォークナーめいた作品を書いていたけどフォークナー自体アメリカでも読まれなくなった作家で
さほど面白くもない
どっちも村上龍以下だと思う >>508
お前ごときの評価なんて誰も気にしない
お前は東野圭吾でも面白がっていればいいよ 中上健次は今でも河出文庫と講談社文芸文庫、文春文庫が刊行されている 話の発端は、中上健次の作品が良いか悪いかではなく、
中上の文章が小難しいかどうかということだった。
わたしは、両親とも低学歴でことに母親は文盲にちかかった中上の文章のほうが、
祖父、父がキャリア官僚だった三島由紀夫の文章よりも、小難しいところが多かっただろう、
ということを述べた。 ちなみに、柄谷行人の父親にしても旧制中学卒だが、柄谷の文章は、三島由紀夫のものよりも小難しいのではないか。 柄谷の文章が難しいってのは内容が難しい。
単純な構造の文でも、抽象的な単語の具体的な知識がこちらにないと理解できない。
小説家の文の難しさってのは、概念の難しさではなく、
作家が思考、描写を自分にしっくりくる手触りを感じるように並べている難しさで、
逆にいうとその手触りが伝わってきたら非常に心地よい文章に感じられる。 文学者の文章と親の学歴を関連させようとするのがアホらしい 今本読む人少なくなってるし、大半が積読状態だろうし、文章自体も平易な文になってるから、三島由紀夫を5冊くらい何往復も真剣に読み込めばかなりの日本語力がついて、差異化できる 問題は集中力が続かないこと。
10分読んで1時間ネットサーフィンしての繰り返しになることが多い。
スマホを別の部屋に置かないと意識が分散されてしまう 藤島泰輔
ジャニーズ事務所元社長のジュリーの父親(メリーの夫)
初等科から大学まで学習院に学ぶ。
上皇明仁の学友の一人。
1956年(昭和31年)、学習院高等科時代の上皇明仁(当時は皇太子)と「ご学友」たちを題材にした小説『孤獨の人』で作家デビュー。
三島由紀夫が序文を寄せ、「うますぎて心配なほど」と評価している[3][4]。
前妻は高浜虚子の孫娘。
三島由紀夫とは学習院の先輩後輩で親しくしていた。
三島からは「君は皇太子の友達なんだから直接意見してきたらどうか」
と度々からかわれていたという。
三島の自決後は、憂国忌の代表発起人となった。 久々に「不道徳人間講座」を再読したら「〜だわねぇ。」ってのがあって
ちょっと笑った。三島先生はカマっぽい喋り方もするのか 三島由紀夫のアポロの杯と豊饒の海4部作は旧版表紙ってあるの?
白地に朱色の字だけのやつ >>520
ダムの話ですね。ヒロインが、三島由紀夫が当時付き合ってただこさんにそっくり。だこさんは独身だったけどね。着物とかは、だこさんが着てた着物を聞いて、そのまま書いてる。 https://i.imgur.com/Un8TRvX.jpg
更に友人等などに教えて、更に\4000×人数をゲット可能
tk..tk [あぼーん用] 新潮新人賞、最年少17歳で受賞「とにかく三島が好き」 個人的に三島と言えば戯曲。
黒蜥蜴以外に江戸川の原作を戯曲化して欲しかった。
黄金仮面とか。 >>535
同じく女性が活躍する作品の
鏡子の家 はどうかな。
映画化もされてるし。 >>536
『鏡子の家』は失敗作
ヒロインに接する青年たちがみな三島の分身でつまらない
『宴のあと』はいいね
プライバシー侵害でモデルから三島が訴えられたが、
政治と恋愛の関係をよく描けている >>537
やはり三島は自身の内省や体験より
実際にあった事件を元にした執筆が上手いのかも。
個人的には一番独創的な小説だと思う
『美しい星 』はモデルになった
家庭とか人物はあるのかな。 大江健三郎の新潮文庫はいずれ全部絶版になりそうだけど
三島は生き残るだろうな 福田和也も三島の戯曲は完璧といっている。
それでも近代1とは見てない。
福田和也的には真山青果、宇野信夫らしい。このふたりは新歌舞伎の作者でもある
時代考証が完璧で、言葉の説得力が違う。作者の想像ではあるがその人物が実際に言ったとしか思われないくらいまで調べ上げる。 福田和也の鑑識眼をまるっきり信用していないのでどうでもいいが、
『鹿鳴館』を映画化した市川崑監督作品はとてもよかった
演出がオーバーだと批判が多かった映画だが、
自分にはドストエフスキーのようにダイナミックで面白かった
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近いうちに行く予定。
川端の記念館も行ってみたい。 新潮文庫のアポロの杯、絹と明察、三島由紀夫 十代書簡集あたりは全く見かけない 外国の批評家が「切腹」からギリシア悲劇を連想したことは、興味深い。
作家が意図した否定とは逆に、形骸化したとはいえ一民族の一時代のモラルを宿命と見て、肯定した批評であった。因みにギリシア悲劇が、死の場面を決して舞台に出さなかったことはよく知られている。
かくして、知性と感性の両刃の剣を持った作品であった。相反する方向へ向いながら、異様な均衡を保ちえた作品であった。
ただ、作者が残酷場面を主題強調のために必要だったとしているのは疑問のある点で、残酷美に高めたものはむしろ感性的側面の力であり、又、一見知的に見える構成と場面設定の単純性は、実は伝習の形式美と不可分であることを言ひたかったのである。
そして観客がつとに、無意識の裡に感じとっていたことである。 板垣退助も刺された時、痛みでうーうー言ってただけというし
三島先生も同様だったのかもしれん 三島のことになると天皇とか政治の話題になって嫌だな 愛の渇きはあんま感心しないな。
悦子の気持ち、行動が全然共感しないし、
最後の殺人が唐突すぎてな。 >>556
午後の曳航もな
三島の小説は不自然極まりない
人間的にはすきだが小説はかなり駄作おおいよ その不自然な所が良いんだよ
理路整然とした内容に相対性を見出す、現代日本人の感覚の方がおかしい
芸術とは奇にして優なる情景の中にこそ生まれるもの 防衛省の警備員に刃物を突き付けたとして、新宿区の居酒屋経営者(45)を逮捕した。
タクシーで乗り付けており、運転手に「俺は三島先生が大好きだ。頑張れって言ってやりたいんだよ、岸田」などと話していたという。 『美徳のよろめき』『午後の曳航』は三島の観念のみでこしらえた空疎な駄作だが、『愛の渇き』はモーリアックの『テレーズ・デスケルー』を換骨奪胎し、三島の感覚で戦後日本に蘇らせた傑作 こんな天才、二度と出てこないだろう。
三島の藤原定家、読みたかったなぁ。
「紅旗征戎我が事にあらず」 東大全共闘の映画を見たが、サルトルと他者の話とか全くわからんが、東大生が静かに聞いていて、笑いのツボがあるのがわかるのが驚いた。昔の学生はアタマが良かったろうな。 >>570
同じく読みたかった
年重ねてからの作品も読んでみたかったなあ
今「サド侯爵夫人」の舞台動画見つけて視聴中 錦の御旗を掲げて辺境の蛮族を征伐する事は自分の仕事では無いと若き日に誓った藤原定家。
歌道に身を捧げた定家に、同じく若くして文学に生きた者として共感や憧れを抱いていたと思う。
しかしながら三島は皮肉にも己の美学、芸術の着地点として錦の御旗を掲げて殉じた。
昭和の激動の中、体制や思想がぐらぐらと揺れ動く中で経済だけが成長し、実の無い日本に落胆して行き、封建時代の様な忠誠や自己犠牲の美しさ、強がろうとする矜持に針は触れて行った。鋭敏過ぎる感性は自身の文学に現行一致を求め留まる事を許さなかった。
自身の文学に男性的な作家特有の息の短さを悟っていた三島には必然だったと思う。
死の数日前のインタビューで三島文学の今後を聞かれ「自分は古代の日本語に通じた最後のジェネレーション」「さぁ次は無いかもね、もうくたびれました、、」と笑うのは印象的。 定家 とか ラップの 身体境界魔界和歌とかドラム脚でできないけど。
三島の首領有紀子の胸に期待。 世上乱逆追討雖満耳不注之 紅旗征戎非吾事
白楽天(白居易)「紅旗破賊非吾事」
これからきている。
この言に関する「芸術至上主義」の宣言だとかいうよくある理解は、ただの俗説だと思う。
じつのところ、戦争については日記には書きません、というだけのことだったのではないか。
藤原定家は、宮廷政治に参与することに生涯を通じて熱心だった。
ようするに、わりと俗物だったでしょう。
俗物でないのは、西行でしょう。女院に恋慕したあげく出家したり、諸国を修行したり、
最後には仏陀の入滅に日に、自分の詠んだ歌の通りに自殺したようだし。
吉本隆明は、『西行論』で、方下の禅師の類だと言っていたと思う。
三島由紀夫の思想と行動は、むしろ西行の系統だろう。
藤原の定家の系統は、しいていえば、かっこよさげなことを言いながら、
それなりに世俗の垢にまみれながら出世した蓮實重彦みたいなものだ。 新古今集の技法について、三島由紀夫は、当時の通説どおりに象徴主義的だと理解していた。
これは間違いとは言わないが、少々単純な理解だと思う。
三島由紀夫は、本歌取りについては、よくわかっていたわけだから(漢詩取りについては、三島が何か書いていたという記憶がない)、
その「象徴性」が、今風に言えばエクリチュールの操作にもとづくもので、むしろ脱象徴主義的なのだ、ということに感づいていたのであるが、
当時の通説的な思い込みが強かったせいで、知的にわかることがなかった。
三島由紀夫は、日本のポストモダン文学の先駆者なので、創作技法上は、よくよくそれについて(いわば体で)わかっていたと思う。 もっと長く生きて欲しかったけど、今にしてみれば、あの時点であの様に死ぬからこその三島である気もする。昭和と共に生きた作家。
リルケや上田秋成、葉隠を愛し、戦争を経験し、死があってこそ、しかも身近にある時に生が一番輝く事を知り、それに取り憑かれて行った。一時は時代の寵児となり、新古典主義、芸術至上主義にも向かったけれども結局地金は隠せなかった。
「人は自分の為だけに生きるほど強くはない」
それまでの価値観はどこ吹く風、経済大国に成長して矜持が捨てられて行く日本の中では、三島の美意識は空虚さに耐えられなかったのだと思う。天才の鋭敏な目には先が見え過ぎていた。
金閣寺が燃えて消失する様に、観念と現実、作品と作家が収斂して行き一つになってしまった。
痛々しいほど純粋な人であった。 >>569
愛の渇きはよんだことないが他は同意だ
午後の曳航とちがっておもしろいなら読んで見るか ≫金閣寺が燃えて消失する様に、観念と現実、作品と作家が収斂して行き一つになってしまった。
昭和四十年代の頭悪い人むけの文芸評論みたいだな。 一部で新古今集の象徴主義といわれたようなものは、
じつのところ、たいてい縁語、掛詞の類で、ダジャレや言葉遊びに近いものである。
三島由紀夫は、「鰯売恋曳網」みたいな御伽草子丸写しのような翻案歌舞伎狂言も書いているくらいなので、
創作技法上は、よくよくわかっているはずなのだが、ところが、いざ和歌を論じるとなると、
それこそ『金閣寺』の中高生向け「観念論」みたいな大げさで幼稚なことを書く。
このズレは、最後まで修正されなかった。 後鳥羽院の西行評
こころ殊にふかし
定家評
定家は生得の上手にてこそ
こころなにとなけれども
美しくいひつづけたれば殊勝のものにてあれ
「こころ」というのは、歌意のことだろう。
こういうクールなのが、かしこきところの批評なわけで、三島由紀夫みたいな下々とはちがうわけね。 三島曰く
「残虐さは人間の女性的な一面から来る」
「女々しさは人間の男性的な一面から来る」
本当にその通りだと思う。
三島の嫌いだった太宰は実の所、正直な程、男性的な作家だったのであり、才能は認めていたが、同族嫌悪から来る軽蔑を感じていた。
「太宰を好きになってしまえば自分も太宰の様になりはしないか?」と述べている様に意識的に距離を置いていたが、皮肉な事に共に自死してしまった。どちらも扱い方、向き合い方は異なるが死を利用していた作家。 >>583
男の残虐さは
心で泣いている部分があるけど
女の残虐さは全く意に介していないところなんじゃないのかな。
それが心にある男もいる。 宴の後、読んでる。政界の裏話かと思ったら恋愛の話みたいだ 『宴のあと』は傑作
恋愛と政治の関係がよく描けている >>584
女性的な残虐さは、女らしい情念の深さから来る、強さ、純粋さの様にも思えるね。
夾雑物が無いから強い。女性は恋愛が好きだし、日本では古来から掛け軸の幽霊画になってサマになるのは女だ。お岩さんも女だから絵になる。
三島の好きな雨月物語の「菊花の契り」にも、約束を果たす為に幽霊になって恩人に会いに来る男がいるが、「これは同性愛(恋愛)の話」と看破している。 三島由紀夫は石川淳と座談会を含めて3回も話してる。
石川に親しみを覚えたのは石川が雨月物語の愛読者であり、
優れた新釈・雨月物語の訳者でもあったからだろう。
三島は戦時中、雨月物語を座右の書にしていた。その中の短編でも
「菊花の契り」を殊の外愛読していたようだが、石川の「ただ、一刀の下にたおした」の表現は余りにも美しいが、三島の最後はそうではなかった。 三島由紀夫の最後が大量の血と腹から出た内蔵にまみれていたことは、
「仮面の告白」に登場する汚わい屋との関連を思わずにいられないが、
これは今の若手作家らの強い関心を呼ぶことのような気がするのだが。 >>588
崇徳院のドロドロとした怨念と情念が燃え上がる「白峯」も好きだったみたいだね。
三島は人間の持つ純粋志向、言行一致の美学に魅せられていて、体面の為なら狂死も是とする「葉隠」にも惹かれていた。最後まで鍋島藩の侍の手引きを手元に読み返していた。
死が身近にあってこそ生が輝く事を知っていた。
「戦争の時代、明日死ぬかもしれない世界が妙に幸福に思える時があった」と話しており、
終戦後の生への倦怠感、拍子抜けは最後まで三島の心を満たさなかった。
リルケの様に若くして純粋に美しく死にたかったけど、生き長らえ戦後の昭和を駆け抜けて美学に殉じて自死した。
女性と情死した太宰も死ぬ事を利用する作家だったが、向き合い方がまるで違う。 「天才は若くして死ななければならない」
三島少年はこの言葉に魅せられていたし、実際に純粋な天才だった。自身の作家論の中で、自分は谷崎の様な息の長い作家の部類には入っていないと思っていた為、歳を取り創作意欲、才が減じて行くのを恐れていた。焦燥感もあったと思う。
その三島が体力のある内に書きたかったのが藤原定家。歌道にその生涯を生きた古代の天才に惹かれるものがあったのだろう。
三島の面白いのは、最後の死への過程で、文も体も鍛え言行一致の境地へと若々しくなって行った所。
老いて醜く畳の上で死ぬ事など考えられなかった。 男女に新旧、洋の東西と、相変わらずの二元論に固執する現代日本人が短絡思考か
いや、それこそが、人間たる衆生の、最たる悲哀か... 三島が畏敬の念を持っていた作家はゲーテ、トーマスマン、鴎外。
「彼らは、したたかな作家」
「綺麗な、か弱い作家が苦手」
「意識的にモノを書き始める前はただ綺麗なモノを何となく書きたいと思っていたけど、次第に変わって行った」
文章は荘重かつ無駄なく骨格がしっかりとした鴎外の文を目指しており、鴎外の「寒山拾得」の中の一文、「水が来た」への感銘が慧眼。
純粋で強い感情、情念を理性の効いた文章で綴りたい気持ちがあったけど、「思春期の感情形成に受けた地金が出てしまい、統御するのは難しかった」と話していたのが印象的。 もう芸術家という概念が変わっているんだよね
三島的な芸術家像は過去のものだから、今は漫画家、映画アニメ監督、エンタメ作家が芸術家だよ
日本国内に限らず世界的に影響力があるのはエンターテイメントで、純粋芸術という歴史的な存在は意味がなくなっている >>590
白峰は西行のカッコ良さが俺の気に入ったw >>596
君の、その実に通俗的な主観などは、どうでもいいから 日本文化、日本的なモノ、日本の情緒の根源は何なのか?
玉葱の皮を剥いて行く様に辿って行くと雨月物語や源氏物語や何やらと巡って行き、古今和歌集、万葉集等に収斂されて行く。
三島由紀夫は自身を古い日本の言葉に通じた最後のジェネレーションと自負しており、一時期は新古典主義と自身を規定し古典に通暁していた。
儚さに共感し、全てを言わない、言えない、仄めかす、余白を残す文化。
日本に西洋の様な骨太の長編小説が比較的少ないのは、そもそも日本人の気質に合わないモノらしい。
口下手な民族でもあり、多くを語る事を良しとしない美徳があり、沈黙の礼節を持っていた。谷崎曰く日本語はそもそも「語彙も少なく息が続かない」言葉。故に源氏の特殊さが際立つ。
雨月物語なども各章短く簡潔単純だけど、滲み出る日本人の嫉妬や強欲、情欲、情念が鋭利な刃物の様に強烈。 13世紀を「古代」だという人が、古典文学についてあれこれいうのがすごい。 >>1
【訃報】
写真家・篠山紀信さん死去、83歳
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1704399835/
1970年には、作家・三島由紀夫さんに依頼され、自決直前の姿を撮影。
三島さんを介して出会った歌舞伎俳優・坂東玉三郎さんを写した72年の写真集「女形・玉三郎」で芸術選奨文部大臣新人賞。 地球の自転という事実が、決して五感では知られず、科学的理性を媒介として辛うじて認識されるように、輪廻転生も亦、日常の感覚や知性だけではつかまえられず、何かたしかな、きわめて正確で体系的でもあり直感的でもあるような、そういう超理性を以てして、はじめて認識されるのではなかろうか
何度も同じ事を書いて悪いが、自分としてはやはりこの一文が好きで堪らない。
此処にこそ三島の神髄が在るように思えて >>603
三島が読んでいた浜松中納言物語の世界観。
その影響を受けているのが豊穣の海だからね。
体力がある内に長い小説、、世界を包摂する小説を書こうした。 暁の寺では、阿頼耶識という言葉を使う程に、仏教に言及していたが、
三島はどのくらい仏教の勉強をしたのだろうか
彼の知能を以てすれば、何の事はないだろうが 多くの人は三島の仏教知識なんて半端だと思ってるよ
松岡正剛安岡正篤 年々、三島より太宰の方が魅力的に感じられてきて好きな順位が入れ替わってしまった
そういう人いる? 作家としては太宰のほうがいいな
実人生含めた面白さは三島 >>608
作家として太宰の方がいいというのは作風?作品全般の内容かな? 人間性はともかく、総体的なレベルは、圧倒的に三島が勝ってるからなぁ〜 駆け出しの頃の三島が太宰に会った時、直に「私はあなたの作品が嫌いです」と伝えてるのが面白い。
三島曰く太宰の文学上のモチーフは「寒風摩擦すれば治る類のもの」
ただし後年のインタビューで才能はとても優れていると認めている。
同族嫌悪があり好きになると溺れてしまう恐れがあり、作品と作家の関係性が苦手だったと話している。
「文学は薬では無いけど、書く作品からその作家が生き返らなければいけない」
三島は強がろうとする美学に年々惹かれて行って、女々しさを遠ざけようとしたので我慢ならなかった。
太宰の弱さ、女々しさを切り売りして作品を作り衰弱して行く姿は何やら凄いけど、大人になると読まなくなる人が多いのは、何かしらの男が持つ同族嫌悪の感覚があるのだろう。川端も徹底的に鼻を摘んでいた。
三島も太宰も自死するけど、切腹と情死、人生の終わり方の違い。 面白いyoutubeチャンネルを見つけた
「三島由紀夫の金閣寺を100回写経してプロ小説家になる男」だってw
これまでにすでに12回やったらしくて、ようやるわと思う
https://www.youtube.com/@user-jj8gu7jc4r/streams 日本、日本人、日本文化、、日本的なモノ(曖昧、勤勉、清潔、儚さへの共感、他への尊重謙遜etc)を知りたくなるとその要素の濃い、昔の作家を読みたくなる。SNSで世界が繋がり国際化が進む程、どの国でも自国のアイデンティティ、文化の根源を知ろうとする動きが若者の間にも出て来る傾向にあるらしい。
鴎外、谷崎、鏡花、川端、三島、、、文章にも内容にも日本的なモノが色濃く詰まってる。
行き着くと古典、和歌に辿り着く。三島由紀夫は藤原定家が好きだった。 >>611
そのエピソードの堂々とした感じは三島の主観で、
一緒にいた人の話だと小声でボソボソ言った感じで、
太宰は「そんなら来なきゃ良いじゃねえか」と言って
すぐに別のことを話し出したそうだ 大人になると太宰を読まなくなる人が多いと言われるのは何故だろうか?
社会に出ると男は取り分け、誰しもが女々しさや男の弱さを隠したり、取り繕ったりする必要性が多かれ少なかれ出てくる為か?
もしくは思春期の多感な時代に誰しもが感じた厭世観の青臭さが太宰を読むと鼻に付いて来る為か?
三島は戦前から戦後の価値観が激動する時代に生き、武士のある意味愚直な忠勤、自己犠牲の様な「強がろうとする美学」に惹かれた作家。
終生愛読していた「葉隠」も「外面の美学」であり「ダンディズム」に近いと述べている。
どちらも男臭さ、女々しさを持ってるが、作品への昇華の仕方が真逆で面白い。 子供、いや高一あたりの青少年と言われる頃か、
太宰が好きで、というより耽溺していて、そのように小説に惹かれることは
それ以前も、それ以後の長い期間にも他に一度もなかったので、
小説の内容よりも、そういう惹かれ方をした記憶で、
大人になって何度も読み返すことがあったが、
自分の場合、まず恥ずかしさとか、自己愛的なものへの嫌悪感が先にくる。
そこには太宰自体への感情よりも、
同化して読んでいた太宰との違いが明らかになった羞恥が大きいように思う。
つまり太宰は選ばれてあるものという自己認識を持ち、
今現在事実としてそれは間違ってはいないと思うが、
自分の方はまったく無能だったのであり、
そう思い知らされた自分が、正体を曝け出した恥ずかしさの方が大きいように思う。 三島と太宰は言行一致の作家。
太宰は自堕落で不摂生、精神病院にも入り、自己嫌悪、憐憫にのたうち回って作品を紡ぎ出し、玉川上水で情死、女と紐で繋がった醜い水死体となって上がった。
三島は絶対的なモノへの忠誠、自己犠牲を追い求め宛らドンキホーテの騎士道の如く、狂った様に武士道に殉じ嘲笑、罵声を浴びせられながら市ヶ谷で切腹介錯を持って生涯を閉じた。
苛烈な文学の時代があったと言えばそれまでなのかもしれないが心は揺さぶられる。
今の何事もニュートラルな時代、価値観も多種多様時代には弱さよりも強い価値観、美学に惹かれる人が多いのではないか。 三島は石川淳との対談で、亀井勝一郎のことを大嫌いだと言っていたが、その遍歴時代のエピソードの席上で太宰の隣に居たのが亀井勝一郎 三島由紀夫
「エベレストに登って落っこちそうになった。とか、そんなものばかりが体験では無い。その辺の石につまづいた時に、その石が人によっては大きな意味を持つ事になる」
「体験を体験足らしめるものを才能と言う」
「その体験を、音楽家は音で、画家は色で、文学者は言葉で表現する」
「全ては言葉に還元されるので、文学者になりたければ辞書を1ページずつ覚えて食べてしまえば良い」
「自分は日本の古い言葉、古典の言葉にまで通じる最後のジェネレーション」 三島先生はウルトラマンが怪獣にボコボコにされて最後の抵抗も虚しく
力尽きるところを鑑賞したら興奮したのだろうか >>618
今をときめく作家、九段理江は太宰治と三島由紀夫の小説を自作に取り込んでいる
女の作家は概して自分の分身を主人公にした小説ばかり書きがちだが、
この人は違うんじゃないかと思っている 結局の所、時代の試練を超えて読まれる作家は行く行くは皆、古典となって行く。
その当時は持て囃されて読まれていたが、後に忘れられる作家が大半である。
例えば芥川賞の作家達のどれ程が残り続けているか?
三島が言う様に、作家や芸術家の真価は50年、100年と行った年月を経た後に本当の意味で測られ、語られるのでは無いか?
三島は昭和と言う時代を象徴する、したたかで才能に溢れた稀有な作家。日本を遡る時、日本人を知ろうとする時には必ず現れ読まれ続けるだろう。
川端、谷崎、鴎外、、、上田秋成、紫式部、、脈々と連なってる。
さて今の村上春樹を始めとした日本の作家達は如何に、、? 全てを言わない、言えない、言う事を良しとしない民族。葉隠にもある「沈黙は金なり」。
愛惜、憧憬、抒情、、いかに言わずに伝えるかの和歌の世界。源氏物語の一見饒舌饒多だが曖昧模糊で是が非か断定せずに連綿と続く表現。
現代の日本人にも十分に受け継がれている言葉を扱う機微の匙加減と難しさ。言葉でなく空気や言外を汲み取る。
三島曰く、いかに伝えづらいものを言葉で伝えるか?
言葉は連ね重ねる程、真意は遠ざかって行く事が多い。
三島は簡潔簡逕の鴎外の文章が好きで一時期目指しながら文体を作り上げた一方で、
太宰の自分だけに囁きかける様な文章は多感な時期の若者に好まれた。
流麗、変幻自在、小説における日本語の文章の極致は谷崎潤一郎だと思う。 志賀直哉『暗夜行路』の文体は誰にも真似できない名人芸
夏目漱石も芥川龍之介にああいう文は書けないと言った 五木寛之はイケメン作家、って言ってた人がいて他には
三島由紀夫もイケメン!かっこいい!
私が「身長低いですよね?」「低いけど筋肉質で素敵」
私が「仮面の告白」読んだことありますか?(暗にゲイですよね?っていうつもり)
って聞いたら、とぼけられた爆
三島由紀夫のことが好きだったらゲイであるっていう事実も
受け入れてあげてほしいなーって思った。
三島の文体はどうしても苦手だけど(だから「金閣寺」と「仮面の告白」しか
読んだことがない)ひとつの作品としての物語というか構成というかは
凄いなあって思ってる。
もう本当に読むのがしんどかったけど代表作くらいは読んでおかないとなあって。 ごめん、場違いだった
3年ぶりに5ちゃんに書き込めるようになってたから嬉しくて嬉しくて。
しばらくはROMってカキコの復習します。 『仮面の告白』は贋の自伝小説
あれで三島がホモだと思い込むヤツは低能
文学に向かないから読まない方がよい >>621
楯の会は科学特捜隊から着想得てると思う
もちろん三島にとってウルトラマンは日本軍でるべきであって米軍であるべきではないと思ってただろうが 衆道の話なら三島が愛読していた雨月物語の一編「菊花の契り」がお勧め。 >>632
それも演じてただけだよ
三島を舐めすぎ 最初に人生があってそれに創作を合わせていく太宰治を批判して、自分は先に創作があってそれに人生を合わせていくんだってどっかで言ってたし
仮面の告白が念頭にあったのは間違いない どっかで言ってたし
あやふやな根拠だな(笑)それで間違いなしと、おい、大丈夫か >>636
こんな有名な話をしらないニワカがここにいることが不思議だな 別にゲイでもバイでも良いでしょ。
芸術家は多い。ミケランジェロ、ダヴィンチ、オスカーワイルド、、評論家のドナルド・キーンも然り。
独特の美意識、視点がなせる作品ってのがある。 >>635
それができなかったって後年発言してるだろ
村松剛の伝記には最晩年の酒の席で「それじゃ太宰と同じじゃないか」「俺は太宰と同じだ」と発言してたというし 小説(芸術)が先か?人生が先か?
どんなに理性で統御して純粋な創作を試みても、何かしらその人の自分の価値観、美意識、倫理、理想、性的嗜好、生きた時代と社会、家庭環境、すなわち人生が出て来てしまうものでしょう。
三島自身、ある所まで自分を理性で統御し新古典主義、芸術至上主義で貫き通せると思ってたが、歳を重ねるに連れて多感な10代の頃に受けた感情教育の影響が湧き出して来て、地金の様なものが出て来てしまった。と述べている。
そして生まれた時から実験室の様な所で育った人間には小説家にはなれない。とも。
AIには本当の意味での芸術作品は作れない由縁である。 三島も太宰も好きだけど太宰はもう読んでない。
読まない理由は 太宰は短編小説しかない。研究材料に乏しい。
死んだ年齢が若すぎてとっくに追い越してしまった。
単純に読む時間が無い。 >>642
バカ丸出し
三島自身が否定してんのに
古典的作家になれると錯覚起こしてたとまで言ってるのに
創作に人生を合わせる?w無理無理 >>644
文脈が理解できないバカ
このレベルが文学板にいるとはな >>643
作家の「体力」と言う問題がありますね。
地の体力があり、息が長く続く作家は長編が得意。
西洋の作家に多い。日本人は饒舌を嫌い言葉足らずな気質の面もあるが比較的、短編、中編の名手が多い。
病弱、神経質な芥川、太宰のような作家は短いものが多い典型。
三島が死の間際に体力のある内に、うんと長い小説、世界を包摂する様な小説を書きたいと言って完成させたのが豊穣の海。
面白い事にマラソンもして健康的な村上春樹は西洋人みたいな長い小説を書く。
谷崎の細雪も長い。古典の歴史の中で異質に輝く源氏物語の影響もある。 >>642
どうしてそんなに攻撃的なんだ?
対面にも君と同じく人がいる事を自覚して 禁色を再再読してるけど
檜俊輔は川端康成のイメージなんだけど
これは多くの人の共通認識? すみません、
ポプコーン心霊術の様な
芸術作品(美術・音楽・映像)の評論を読みたいのですが
手に入る文献での評論集を知ってたら教えて下さい。
黒澤明氏の映画を
中学生並のヒューマニズムと
評していた話は知ってます。 ハサ美ちゃん。今日もお元気?
今日は何をはさむのかしら。何を切るのかしら
お父様のおちんちん? >>654
そうなんだ、安部工房読んでみようかな。
安部工房が急逝していなければ絶対に安部工房が
ノーベル文学賞だった。 三島由紀夫て、嘘か本当か知らんが、5年位前から自殺の準備していたらしいとか見たが
自殺の少し前に東武百貨店で三島の展覧会があった、それに行った、土日でなかったからか人はまばらだった
真っ暗の上下左右の壁紙か?トンネル中のような異様な暗さの会場に、子供の時の作文や賞をもらったものや、腹に矢が刺さった等身大写真や色々あり、まあ面白かった、白黒写真のパンフレットも買った
小説やエッセイも面白く読んだが
自殺願望が先にあり、それに政治をこじつけたのか、よく分からない
展覧会見て暫くして、ニュースにぎょっとしたが
死ななくても良かったのに、理解不能 井伏が太宰の死について同じことを言ってたな
なぜ死ぬ必要があったのか訳がわからない、みたいな
太宰と三島の共通点といえば自己愛の強い目立ちたがりということかな
その意味では選んだ死に方も似てるな 三島の心に長らくあった藤原定家を題材にした作品も読んでみたかったが、年老いた三島由紀夫の姿も見たくない気がする。今の日本と日本人を見たら、どう思うのか?
戦前戦後の価値観の激しく変動する中で強烈かつ鮮烈な感性を持った作家だった。
この様な作家はもう出て来ないでしょう。 三島の晩年は、ボデイービル、楯の会、演劇、著名人と対談、東大全共闘演説で目立って
作家らしくない行動が、何なのあの作家て
不信感とか奇異な行動に見えて、著作はベストセラーでも無いし、そんな読まれて無かった
一部の純文学オタクは読んでも、殆どの人は名前は知っていても、本は精々1冊読んでるかどうかだった
あの事件で一気に研究や解説が出てきただけ >>665
お前は三島が死んだ後に生まれた世代だな
三島の存命時代を知りはしない
三島作品がどれだけ売れまくっていたことか
なぜお前のような低能が文学に関心があるのか
AVでも見ていりゃいいのに ベストセラー小説の題名から流行語になったのは
斜陽族、よろめき、太陽族、なんかがある >>665
そもそも作家らしい行動って何ぞや?
坂口安吾みたいに反故にした原稿に埋もれて頭掻きむしりながら呻吟して作品を書くとか??
しかしながら、大抵の作家、芸術家はどこか奇抜で特異なモノや慧眼を持っていて、社会と摩擦を来しかねない変人が多い。そのズレを作品に昇華している。
村上春樹みたいに規則正しい生活をしてマラソンをするのもいるし、太宰の様に女と情死するのもいるし、、
ドストエフスキーなんてギャンブル依存症。
三島由紀夫は若くして天才と称され、メディアの水にも合い、激動の昭和を象徴する様な鮮烈なスター作家だった。
今はもう本を読む人自体少ないし、文学なんて必要とされなくなってる時代。色々な意味でこんな人はもう出て来ない。 三島が存命中にどれほど売れてたか知らない世代を憐れむことも必要だろ。
今は文学統制供給時代なんだ。文芸誌は談合して、発行部数を極低レベルに
調整し、広告をほぼゼロにすることを実行し、
書き手の原稿料を低めに設定することによって作家を締め付けて、
書き手を奴隷化させる。
元気な小説家など殆どいない。批評家は大学勤務者が多いから、
収入は安定してるが、官僚化してやはり元気も活気も無い。
文芸誌の発行部数が余りにも少ないので、
近所の古本屋で最近の過去の号を買うことも出来なくなった。つまらんわな。 今どき文芸誌は読まんわな
刊行された小説本から良さげだけ買って読む
書評はどれも褒めるばかりだし、文学賞は数が多く、
受賞作でもつまらんものがほとんどだから、当てにならん
玉石混交から数少ない玉を見つけるのが面白い 価値観も娯楽も多様化が進み、人それぞれ好きな事に簡単に没頭出来る時代。文芸誌どころか本を読み終える経験自体、少なくなっている印象。
映画も野球もサッカーも最初から最後まで観られる人達も少ない様に、何でも簡潔に分かりやすさが求められる。
文学なんて学生の課題以外には、物好きにしか相手にされない。
答えの無い、人間、人生、世界の追求なんぞ仰々しくて小難しくて。
せめて鏡花や谷崎やG・マルケスみたいな、筋が面白い作家ぐらいは読んで見てほしいけどね。 そのようにして劣化しゆく人間の歴史に迎合するだけの、人もどきで溢れた現代社会か
それも一興、これも一興と (冷笑) スマホひとつで簡単に手早く情報や答えの様なモノが出て来る時代と、新聞やテレビ、ラジオしか無く、本など数少ない媒体からモノを知って行った時代では人間の感性も確かに変わっていると思う。
集中力の持続性も無くなっている気はする。映画館で2時間座って観る事すら苦痛の人も多い。
ただネットで世界との繋がりも簡単になった時代だからこそ、自国のルーツや日本的なモノを知る時には昔の作家や古典を読むのは良いと思う。
三島や川端、谷崎辺りまでが日本の古い言葉にも通じていた最後のジェネレーションでは無いか?
三島本人が晩年のインタビューで自身をその様に自負していた。 三島も長生きしてたらとんねるずとモジモジ君とかやってくれそう。 三島の父親と澁澤龍彦の父親が中学の同級生だったのがわかったんだね
卒業写真で隣同士だったから仲が良かったんじゃないかと推測されている 年老いた白髪頭の三島由紀夫は想像できない。
美麗、絢爛、重厚な文体の作品を残して、強烈かつ情熱的に死んで行ったから永遠に若い。
芥川も太宰も若くして死んで行ったけど病的な暗さがある。三島の最後は鬱勃とした情念が爆発して花火みたいに命を昇華させた。己の美学に殉じた死狂い。 三島先生は当時「最近の青年は外見も内面もなよなよ(女性化)していてけしからん」と嘆いていたという 所謂エリートと言われる知性を持った人達が文学をやらなくなったと思う。
森鴎外や三島みたいなゴリゴリの秀才が今の時代、文学などやらない。
もっとお金になる事をやってるのだろうか。
と言うか作家になろうとしてる人も減ってる様な気はする。 三島事件の時に学生だった、昼休みが終わり、午後の授業が始まって学生が教室に集まってきた
いつもと違い、三島が、、三島が、、とざわざわとして
事件を知らなかったが、昼にニュースを見た学生でざわついていた
そのうち自衛隊どうのと事件が分かった
下宿に夕方帰る三島の話題で持ち切りで、驚愕していた
でも、その前あたりの行動が,楯の会とか異様だったから
ふーーん、さもありなんと、少しは思った
色々と不思議な行動が多かったから ボディービルで鍛えるのは作家でも別に良いけど
憂国の日本刀持った写真やセバスチャンを真似た写真や
自己顕示にしても少し異様に感じていた
ミリタリールックの制服で楯の会を作った時は、何?
ミニ軍隊? この作家は何を目指いる?
作家活動はエッセイ書いたり対談や普通にしていたけど
ちょと異様なものを感じていた 言行一致を純粋に目指していた。
書く。言う。述べる。だけでは無く行動を持って体現する。三島文学の一つにある自己犠牲の美学。戦争を経験した或人に「文士も体を張るもんだな」と言われて、殊の外喜んだ逸話がある。
戦後は余生の様な感覚が常にあると述べていた三島。高度経済成長で突き進む社会に浮かれて軽薄に生きて行くのは耐えられなかったと思う。
日本人のお家芸、極端に変わり身の早い民族の姿は軽佻浮薄で我慢ならなかったはず。 戯曲「わが友ヒットラー」の自作解説で、何事も無計画的、行きあたりばったりな日本
と三島は書いている。
三島が嘆息したように、日本人の浅薄さは戦前からの伝統だな。 人生の老後の趣味として三島研究をやってるけど
もう一人作家の研究したいと思ったけど、
川端は読んでもなにも残らない。谷崎はブルジョワで熱いものが無い。
漱石は研究されつくしてる。荷風は孤独感や厭世観は面白いけど作品の幅が狭い。 >>687
鷗外、秋声、藤村、埴谷、安部、大江あたりは? 漱石だけ読んでりゃいい
三島は当たり外れが多すぎる
ハズレでも読ませる文章力はすごいがはずれをひいたときの虚無感がやばい >>687
饒舌を嫌う、息が続かない民族性なのか、どっしりとした長編が不得手で短編、中編が多い日本。日本人作家の宿命みたいなものを感じる。
芥川も長編どころか中編作品にも四苦八苦していた。
源氏物語などは異質な立ち位置にある。
辿れば古今、新古今和歌にあるのか、全てを言う、連綿とつづる事が体質的に向いてない気質が関係していると思う。
喋りまくり、ある意味美文とは言えないドストエフスキーの様な異様な迫力のある作品は日本の土壌には無理だと感じる。
比較的、異質なのは谷崎。戦争、政治運動、、激動の社会の影響など作品にはさほど感じさせず、飄々と職人みたいにお話を創作して長生きして、したたかに書き続けた。
本人も好きだった「少将滋幹の母」は文章、構成も傑作。 三島は高尚すぎるんだよな
あれだけ多様な作品を極めて知的に生産できたのに
今影響力のある作品が意外とない
美と知はあるかもしれないが、本当に共感して読みたいと思う作品がない
まあ最後の豊饒の海は人生の総決算として読み解く面白さはあるのかもしれないが三島に興味がなければ
スルーしても大丈夫だし 日本人の情念や怨みつらみのぎっしり凝縮されていて読後感に強烈に何かが残るのは上田秋成の雨月物語と春雨物語。三島もドロドロした世界観が好きでずっと手元に置いて読んでいた。
浅茅が宿や白峯の怨恨、死首の笑顔の振り切れた残虐さは苛烈。下手な中編、長編より濃い。
三島作品、理知的で時に無機質に感じる事が多いが、情念のドロドロしたものも根っこに通底していた。
それが垣間見れる作品は滅茶苦茶面白い。人気作家であり多作なので軽く洒脱に書いて、所謂、薄い作品も多いが、、
最後は何だかんだで、その美学や情念が爆発した。
「金閣寺」、「潮騒」、「豊穣の海」etc
日本文学史に残る作品なのは確か。 迫真とか真実とか、それまでの日本文学には無かったものを志向して一時期台頭したのが赤裸々に語る自然主義文学だったと思うけど、やっぱり日本人の肌には合わなかった。
いわゆる鴎外や鏡花、谷崎、川端、三島らが未だに読まれ続ける由縁でもあると思う。
通じる話で、ベトナム戦争から帰還した人が作家になったケースが両国であったけど、赤裸々に戦場の経験を書いても伝えたい事が伝わらない。伝えられない。と言う作家が多かった。実話をベースに話を創作した方が根っこの部分を伝えられるのだと。 文庫の末尾についてる解説は
意味ないアホみたいなのあるけど
三島の文庫はみんなちゃんとしてるな。
川端康成の少年という文庫の解説は
ぶっ飛ばしたくなる。 >>696
解説っていらんよな。妙に小難しく高尚にして作品よりも解説者自身の衒学趣味が往々に跋扈してる。
志賀、谷崎なんかも評論家を嫌悪して不要論唱えていた。
谷崎「どうにも肯綮に当たらない感がある」云々。
村上春樹も文芸評論家、解説者を毛嫌いしていて絶対に載せない。ミチコカクタニなんかを酷評してる。
曰く、文学者になりたかったけど才能がなく成れなかった人が、上から語るのが多いのだとか。
三島は相手が高校生でも書評が優れていたらお礼の手紙を書くぐらいの素直な人。 大江と並行して読んでいこう。
政治的には真逆だけど政治思想はあんま興味持てないからいいか。
三島に比べて大江はユーモアが足りない。
背が低いのを除けばキリッとしてる三島に比べて大江は秋元康みたいで
迫力に乏しい。 三島由紀夫の何となく心に残る問いかけ
「日本に内発的な革命が起きないのは、天皇制があるからか?もしくは内発的な革命が起きないから天皇制があるのか?」
「講堂に立て籠った学生達は、結局誰一人革命の為に死ななかった、、、明治維新の時はバタバタ人が死んでるが、あの時代の人間だって死ぬのは怖いのは同じはずだ」
「戦後アカデミズムの連中は歓喜雀躍として『暗い軍部の連中が去り、これから自分たちの時代が来るのだ。知的再建の時代が来るのだ』と言っていたが、私は疑り深い人間なので、何ら知的再建など無かったのではないか?と思っていた」
三島は自己犠牲の美学とか芸術至上主義、新古典主義の審美的な資質が多分にあるけど、晩年にかけて玉ねぎの皮を剥く様に日本人の内面に向かって行った。遡って昔の日本人像と照らし合わせる程、戦後の経済成長に浮かれ騒ぎ、矜持を忘れて、変わり身の早い人間達の軽薄さに、我慢ならなかったと思う。
今現在も然り。腐敗した政治、教育、日和見のメディア、好き勝手にやる移民達の問題、、、右寄り左寄りの次元ですら無く何事にもニュートラルで無関心な日本人像を見たら何と思うか? 文庫の解説、自分はどうでもよくて、流し読む程度
ところが、講談社文庫が新刊をビニールで包装したら、
解説の良し悪しで買うか決めたいから、ビニールやめろという人がいる
あのビニールは汚れ防止、研磨もされない利点があるから、いいのに 午後の曳航
宴のあと
沈める滝
最近読んだ
3作とも肩の力を抜いて書いている感があって、佳作だと思った
次、絹と明察に行きます 仮面の告白、金閣寺、豊饒の海以外読む必要なし
戯曲のほうが面白い
3作も代表作があれば作家としては上々だよ 三島は45年の人生とは思えないぐらいの仕事量と私生活も濃い人生だった。
文庫本だけでも前に数えたら70冊ぐらい今でも入手出来る。 あたしも熱帯樹が1位
2位は沈める滝、3位は金閣寺 https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=8244_01
伊集院光の百年ラヂオ 三島由紀夫vs高校生 高等学校の時間・国語教育
4月7日(日)午前11:00放送
2024年4月14日(日)午前11:50配信終了
ラジオ放送が始まりまもなく100年。
NHKが保管する膨大な資料から歴史的価値のあるお宝音源を伊集院光さんと一緒に味わいましょう。
配信期間内ならこれで音源落とせます
【radiko】どがらじ Part8【Time Free】
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/software/1710679341/ 九段理江、三島について「作品ごとに文体を変え、言語世界を構築しようとしていた」 三島由紀夫は色んな奴に利用されてるが、殆ど全部はネトウヨ。
三島の再来と言われた平野が三島を批判したのは、20年ぐらい経ってからだから、
左翼でも、三島と関連付けられて悪い気のしない作家は多いんだよ。
新潮社なんかは未だに三島と小林秀雄で食ってる。だから、日本の文壇は駄目なんだ。
新潮が月に2−3000部しか刷らないんだから、文芸出版のshowcaseショーケースとして、全く不足なのは明らかで、
芥川賞作品の「東京同情塔」が2−3万部しか売れないのは当たり前なんだよ。
大手出版社の文芸誌の発行部数の最低ラインが2−3万部だよ。
そのレベルで販促しないと芥川賞が数十万部売れることは有り得ない。