いつもFICTIONSに直接関係のないブギーポップの話をしてごめんだけど、
私にブギーポップを読ませた太田さんが悪いんや。
(しかし太田さんが座談会で言及する小説って、太田さんが20代の頃に
出たやつが多いような気がしません?若い頃の思い出が忘れられない
のかな。)

ブギーポップシリーズ20作のうち18作まで読んだのだが、最近作中人物が
「残滓に過ぎない」っていうセリフを言うことが多くていろいろ勘ぐってしまう。
枯れて抜け殻のようになったアラフォーの作家さんが惰性でシリーズ書いてる
ような姿を想像してしまうよ・・・。上遠野さんのブギーポップに対する興味は
薄れてしまっているんじゃないのかな、という印象。
文庫のカバーの作者紹介のところで、もう作家なのにどうすれば小説家になれ
るかなあと考えている、っていうようなことが書いてあるし。
書いても書いても1冊600円の文庫にしかならないようなことじゃなくて、ハード
カバーで金文字で出版されることを夢見ているのかな。
(40代でも夢を見る。40にして惑う、ってやつ。)

ここ数作、誤植も多いんだよ。登場人物の名前が書き間違われたまんまだったり、
衍字(無駄な文字)があったり、「恬然」っていう言葉に「かつぜん」ってルビが振って
あったりさ(恬然の読み方は「てんぜん」だ)。校閲なにやってんだよ仕事しろ、って
感じ。
そんな扱いに嫌気がさしているんじゃなかろうかと、勘ぐってしまうよ・・・。

小説家を目指している皆さんには、私がこれにこだわる感覚も分かって頂けるかも
しれまへん。