毛沢東は支那の最高権力者であった間、酒池肉林の生活を送った。

(風呂嫌いで25年間風呂に入らなかったが、)彼は中共各所に50箇所以上専用別荘を持っていた。

もっとも、これは臆病者の毛沢東が、米国やソ連による爆撃を恐れ、居場所を隠したかったからでもある。

 グルメの彼は、1000キロ離れている揚子江沿いの武漢から北京の本宅まで、せっせと新鮮な川魚を運ばせていた。

相次いで4人の妻を娶った彼は、高齢になってもなお無数の情婦や一夜妻と情交に勤しんだが、これらの妻や情婦及び自分の息子や娘に対し、一欠片の愛情も懐いていなかった。

毛沢東は、長征(Long March)の途次、生まれたばかりの彼の息子を放置して殺すように命じている