古代オリエントでは、巨乳がもてはやされていた。
『旧約聖書』の雅歌に
「何と美しいのか、何と快いのか、愛よ、喜悦の娘よ。君のこの立っている姿は、なつめ椰子のようだ。君の乳房は、その実の房」
とあり、君の乳房はなつめやしの実(小さな実が房状にたわわに実っていた)と言うくらいだから、相当の巨乳だったはず。
それを絶賛しているということは、この頃のイスラエルでは巨乳は価値のあるものとされていた、ということである。
BC1500年の古代クレタ文明でも、すばらしいお碗形の巨乳を誇る蛇女神の像が出土している。
こんないいオッパイの女神像をつくっておいて、巨乳を低視していたはずがない。

だが、ポリス期の古代ギリシアから少し変わりはじめる。
この頃、恋愛は男同士でするものとして同性愛が主流で、女性は産む機械としか見做されなかったことも一因かもしれない。

一方、古代エトルリアでは巨乳がもてはやされたようだが、エトルリアの遺産を受け継いだ古代ローマでは、巨乳は不格好なものとなる。
1世紀頃の古代ローマの詩人マルティアリスはこう歌っている。
「汝、胸帯(ファスキア)よ、汝の女主人の乳房が豊かにならぬように押さえよ、私の手が一掴みで乳房を覆えるように」
豊かにならぬように、というのがポイント。垂れ下がって揺れる蛮族や奴隷の乳房を、古代ローマ人は軽蔑したという。
恐らく、ゲルマン人の垂れた巨乳を軽蔑したのだろう(ガリア人は巨乳ではなかった可能性が高い。フランス人は巨乳が決して多くない)。

ただ、古代ローマ社会が巨乳を軽視していたというわけではない。
プリニウスだったか、最近の女たちが巨乳を目立たなくしようとしていると嘆いている。
巨乳を隠すことを嘆く者がいたということは、逆に巨乳の存在価値を認めていたということである。
引き締まってちゃんと整った現代風の巨乳なら、OKだったのだろう。
きっと古代ローマ人は異民族異人種の蛮族や奴隷の下垂形の乳房をいやがったに違いない。