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「英雄」を「ヒーロー」と読ませるのはどういう狙いでしょうか。同じく、「物語」に「ドラマ」、「人物像」に「モデル」。
これらはまだしも「始(初)まる」「人(悪)」に至っては、どうしたいんだろう、何を訴えかけたいんだろうと首を傾げます。
これらは詩的だと感じる要因になります。ポエムです。描写や心情などで何かを隠したいとき、ポエム的になりがちです。

「所謂、盆地である」を、その直前で延々と説明したりしていますね。でも、物語の情報はあれこれ多いが中途半端です。
読んでいて「それは何だろう?」という興味が湧く前に説明を打ち切っている感じです。しかし、分かり切ったことはくどい。
例えば、主な舞台になるらしく匂わせている陽ノ国に政府があり、その内乱に世界政府が介入したりしている。

作品の世界観として、さっぱり分からないですよね。しかし、日付まで入ったやけに細かい年表的記述が出てきたりもする。
イライラするポエムです。ポエムをポエムとして書いたらすんなり読めます。分からなくていい、想像は自由という感じがしますから。
私なりに翻訳して、感じを伝えてみようと思います。

「あのね、ヒーロードラマがあってね、お母さんとねー、知りたい? でね、陽ノ国ってあって、内乱がねー、知りたい?
世界政府が出しゃばるの、百連隊がちょっとね、あれで、知りたい? それが3月3日なんだけどさ、知りたい?(略)」

こういう話し方をする人、現実にいたりします。自分の話が注目されて当然と思っている人に多いです。
親しい人以外、誰も耳を貸しません。もししつこく「知りたい?」と言ってきたら、「うるさい」と返すことも多いでしょう。
(親しい人とて、お義理でやむを得ず聞いていたりする。)
それが御作のプロローグです。正直申しまして、どうしてこんなバリアーを冒頭に持ってくるのかと思いました。
だって、ブラバさせるために置いてあるようなものであり、物凄く損じゃないですか。どうして目を引くイベントを最初に出さないのでしょうか。

楽しむためだけに読もうとしたらプロローグでブラバですが、感想を申し上げるには不足ですから、その先も読んでみました。
「優しい陽射しは氷を解かして。」を第一章とすると、ここからはキャラが動く物語になっていってます。
ただ、プロローグの一人称から三人称に変わった点は頂けません。作者は意図して変えられますが、読者には分からないのです。戸惑います。

句点を挟んでの倒置も読みにくい(ポエム的)。「〜焼くのだ。肉を。」「皆使い過ぎたのだ。その着火剤を。」等は何の効果を狙ったのですか?
「肉を。」はごく当たり前の事象、「その着火剤を。」はそこまでで説明済みですよね。後出し強調する意味が分かりません。
作者さん的にはぱっとイメージが浮かぶ驚きみたいな効果を狙ったのでしょうか。でも、説明下手の印象しか生じないようです。

作者さん的には、作中の状況やキャラの感情や思考がよく分かっているでしょう。でも、伝わる形では文章には現れてません。
要は、読者として話が分からないのです。プロローグより悪化しているかもしれません。なんとか定量的に申し上げてみると、八割が分からない印象です。
もし逆に、八割分かるが二割が分からないのなら、その二割を知りたくて読み進めたくなったりします。
その二割が次章で八割分かるのなら、さらに読みたくなります。でも八割がた分からないと無理です。

第二章「水面に写るあの日の記憶」を読み始めて、どうも同じ調子のようなのでギブしました(一人称に切り替わった辺り)。
何かをお伝えするための読むとしても、もう無理でした。分からないもの、不明なイメージが増える一方ですから。
(念のため申し上げると、読んで適当にイメージすることは可能ですが、そういう勝手な補完を許さない作風と感じます。)