晩御飯を食べたのはいつだったかな、と思いながら、
僕は今ベンチに腰を下ろしている。
随分と傷んだベンチだが、産まれた時からこの形だったのだろう。
だから大した問題ではない。何より僕よりも確実に若いからね。
原木が縄文杉でない限りは。僕はこの若い彼に背を預けて、風の声に
耳を澄ましている。彼方で生まれて、いくつもの声を溶かしながら僕の
元に届いたこの声を聴いていたら、直子、君に手紙を書くべきだと思ったんだ。
これは運命的な啓示と言える。なんせ僕は長い事君に
傷ついているふりをして、実のところ忘れていたんだからね。
正直君におっぱいがあったことさえ定かではない位、
君の存在は僕の中で忘れられていた。革命を夢見ていた60年代の若者たちが
今は年金の支給額に一喜一憂をするみたいなものだ。
でも直子。君の事は忘れても、君が好きだった曲は覚えているんだ。
ふとした合間に僕に語りかけるこの曲は最近とみにうるさい。
葵に無理やり入れられた監獄の日々も、これの前には連続性を喪う。
僕は 昭和43年の街角にいるような気分になる。実際にスリップしているのかも
知れない。僕は大学生に戻っている。
君も喪っていない。致命的に憂いを抱えた瞳と女神的で完全な
眉の形もそのままだ。 あの時代はそういう風に、なにもかにもが
不完全で完璧だった。
僕はゲバ棒とヘルメットを被っていた連中と同じ位崇高な気持ちで
君を想い、マスターベーションをしていた。
我々の時代だ。熱気と狂乱、けれどとても平和で豊かな、古い
機械のような時代だった。
 今はどうだろう? 
 誰も彼もが現実逃避をしたがっていて、それがかえって現実的な悲惨を
浮き彫りにしている。社会は老いてしまった。
1991年にソ連倒れた。
信じられるかい?あの二足歩行するマンモス象みたいなあの国が
崩壊したんだ。
まあ、君を喪った事に比べれば大した事ではない。
親切な漁師の母が死んだとかそんなレベルだ。でも50年は50年だ。
君はいつまでも二十歳の眠り姫だけどね。
僕の髪はこの50年のせいで真っ白になるどころか、ごま塩の
広告会社からお呼びがかかる位になってしまった。
もちろん断るさ。断る練習はちゃんとしているし、電話に待機して
いるんだけど、一向にかかってこない。
これはどういったことだろうね。
君が僕を見たらどう思うかな。いや、この仮定は意味をなさない。
僕はカツラを被るからね。産まれたときから生えていたみたいな、ふさふさの
やつをさ。それこそマンモス象の毛皮としても遜色はないくらいのね。
君は僕に言うんだ。
「ワタベ君、お爺さんだね。でもよく似合うわ! 素敵なカツラね」
 ってね。僕は途方にくれて、やれやれと肩をすくめる。
それからこれまでの経緯を説明するだろう。
 僕は大学を卒業すると葵と結婚した。
 直子が療養しているときに話したことがあったね、葵のこと。
彼女は話した通りの女性だ。エキセントリックで、ちょっと
物忘れが激しくなっただけの僕を監獄にぶちこむ位、色々と
思いきりが良すぎる。
根は悪くないんだけどね。歳をとったことに参っているのかもしれない。

 ここまで手帳にしたためたとき、僕の携帯電話が鳴った。 
 携帯に出ると葵の声がする。
「ねえ、あなた今、どこにいるの?」
どこだろう。ここはどこなのだろう。
以前もこんな事があった気がする。
僕はあのときと同じように、電話という機械を握りしめていた。