林先生曰く、嫌う人が多い「ら抜き言葉」について、
言語学者は「若者言葉『ら抜き』に問題はない」と許容しているとのこと。
 
例えば、「行ける(ikeru)」は室町時代から使われているが、正しくは「行かれる(ikareru)」であり、
「食べられる(taberareru)」が「食べれる(tabereru)」に変化するのと同じであり、「ら抜き言葉」は日本語の変化の一つである
「ikareru」から「ar」を抜けば「ikeru」になり、「taberareru」から「ar」を抜けば「tabereru」になるのであり、
実は「ら抜き」でなく「ar抜き」なのである
 
室町時代に「行かれる(ikareru)」から「行ける(ikeru)」に変化したのは問題なしとされるのに、
今の時代に「食べられる(taberareru)」から「食べれる(tabereru)」に変化するのは間違いとされるのはおかしなことで、
両方とも「ar」を抜いているのであり、言語学的には同じ変化であるとのこと。

また、受身の「食べられる」なのか、可能の「食べられる」なのかの混乱が、
ら抜き言葉を使用することで、スッキリするのでメリットも大いにあるのである