スタンフォード監獄実験とか、ドイツで行われた電流実験とかが証明したけど、
少なくない人間は「本人が正当だと信じるに足る理由」があれば、
普段なら目を背けるような残虐なことを平気でしてしまう。

ただそれは別の言い方をすると「自分の行いを客観視できてない場合に」とも言えて、
監獄実験で看守役をした学生たちは、実験中は積極的に拷問を行い、終了が告知されたときも
継続を望むほどだったけど、日常生活に戻り客観的に自己を振り返ってから
激しい後悔に襲われ、何人かは精神を病んだらしい。

ドキュメンタリー映画『アクトオブキリング』ではインドネシアで未だにクーデターてるの虐殺者達が
英雄と讃えられ、その当時の行いを酒のみ話で語るほど他国から見れば異常な状態なのだけど、
映画撮影を通じて虐殺被害者の遺族たちと向き合い客観視するようになったことで、
一人の虐殺者が後悔と自責の念を覚えるようになる様が描き出された。

多分だからリアルなことを言うと、人を殺した直後やその行為の正当性を信じられている間は
平然としてても、自己を省みる余裕が出来たときが一番精神的に来るんだろうね。
『ヴィンランドサガ』のトルフィンみたいに。
んで、永遠に自己を客観視できてない輩が、平然と暴力を振るえるDV犯や粗暴犯になる。
あ、サイコテロリストなナローシュとその錯者&毒者とかもまさにそれだね。