>>24

16です。

自分として、不快な思いは感じておりません。むしろ、キツい批評をしたこちらこそイラッとさせたかと思います。
自分も、好きなキャラに対して度の過ぎた暴言を放つせいで魅力がないと言われた経験があります

そのため、大切にしているキャラを批判される辛さはわかります。また、好感のあるキャラに見せたい気持ちも非常にわかります。

自分がこの作品のほとりを通して感じたことを正直に書かせていただきます。


ルックス自体がほとりの評価を下げているわけではありません。
ほとりが超絶美少女だから歩の危機感や不安感を煽ることはありません。ほとりが「無知で独り立ちをしていない」からです。
超絶美少女の設定自体も、今作で表現できているのは男が犯したいルックスであり、ミロのビーナスが嫉妬するルックスではありません。単純な隙がある幼馴染み程度と感じました。
歩はほとりの内面に惚れているように見受けられたので、容姿の設定はイベントを起こすために作られています。

ほとりの評価を下げているのは、超絶無知と取り巻く環境の二つです。

超絶無知では、歩がほとりに対して、美少女と褒めるながら、徹底的に情弱となじっています。
文章内の検索結果で「美」は17件、「情弱」は22件(9割が主人公の心の声)ありました。そのせいで、ほとりは情弱な幼馴染みと認識してしまいます。
無知という単語は8件出ていますが、そのうち5件は情弱とともに出ています。主人公は情弱無知と悪意ではなく本当に心配していますが、情弱は大抵が馬鹿にする言葉、無知も褒め言葉ではないので自分は登場人物がほとりを馬鹿にしていると捉えてしまいました。
また、超絶無知だけにとどまらず、歩が察しないと何を言ったか読者が分からないほど言葉足らずで、自分から意志を示さず、着替えを覗かれると恥ずかしいのような一般的な恥じらいもなく、人を疑わない。
この設定の裏打ちとして、貧乏のせいで無知、さらに父親の死で心に傷を負ったぐらいしか書かれておらず、全く納得がいきませんでした。
特に無知に関しては、高校生として突如生まれてきた存在か、記憶喪失したか、オオカミに育てられたか、それぐらい分かりやすく俗世から乖離して初めて納得できます。

取り巻く環境では、歩、茅野、牧浦の全員が家庭環境特殊であり、ほとりの両親に関する重い設定が被っており、特別さを感じません。さらにほとりが茅野や牧浦とどうやって出会ったのか。登場人物同士の接点が友達という以外がよくわかりません。
これは、個々の設定の深さもさることながら、キャラ同士が噛み合っておらず、ほとりの魅力を引き出せる人物が不在となっています。良識を持った大人など、対比できる存在がほしいです。

現状では、ほとりはキャラとして生きていません。なぜなら、尿意すら察知できるのに、歩の十日の余命を不審がりませんでした。仮に不審がっていたとしても、読者に伝わる形でほとりが考えることがほとんどありません。
生きていないのは歩も茅野も同じです。牧浦だけがかろうじてキャラとして成り立っているのではないかと思います。

だからもし、ほとりと牧浦という人物を魅力的に、かつ余命が十日というのを上手く使うなら、
登場人物を歩とほとりと牧浦の三人に絞り、歩はほとりに救われ、牧浦は茅野に救われたが、その茅野はいじめで命を失った過去がある。
牧浦が歩とほとりの関係性を見て、自分の過去の境遇と似たものを感じ、興味を持ち、接点が生まれる。そこで歩の仮の死が起こり、残った余命の十日でほとりの自立を促さなければならない問題が生じる。
歩が単独で自立のために支援を行ってから数日後、牧浦は歩の不審な態度に気付き、問い詰めることで、歩が残り七日の命と言うことを知る。牧浦は残された者の辛さを知っているので、死を前提とした自立ではなく、歩の死そのものを回避させる術を模索する。
残り三日、残り二日、改善しないまま日にちが経ち、最終日となる。牧浦の提案で、歩はほとりと最後のデートを行うことになる。後数時間で歩は死ぬ。その間際、ほとりは歩のここ最近の不自然な行動を聞き、事実を知る。
といったように時間ごとにきちんと印象に残るイベントを行い、タイムリミットを意識させる山場を作ることで緊張感とメリハリ、そしてキャラの魅力を引き出すことができるはずです。