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 火事からひと月ほど経ったある日、穴に柵をする相談がまとまる前に事故が起きた。
火事場見物に来ていた子供たちのひとりが穴に落ちたのだ。
ただちに地元の消防隊が呼ばれ救助活動が始められたが、穴の底にたどり着くことができず、事態は深刻になった。
レスキュー隊による捜索も失敗すると、ついには自衛隊が出動して捜索が行われたが、やはりなんの成果もあげられなかった。
問題は穴に底がないということだった。
 行方不明ということでこの事故が忘れ去られようとしていた頃、学際的な研究チームが結成され、穴について徹底的な調査が行われた。
どうやら深さ一万二千メートルのロシアのコラ半島超深度掘削坑よりも深いのではないかという噂が囁かれ始めた。
しかし、いったいこれほどの穴がいつ、どうのようにして出来上がったのか、誰も想像できず仮説すら立てられなかった。
とはいえ、それが目の前にあることを考えると、成立過程を考えるより、その利用法に目を向けるべきだという議論が交わされるようになった。
穴が核廃棄物の処理に利用できるのではないかという目論見からだった。
 やがて穴を中心に放射性廃棄物の処理施設が建設された。
処理施設といっても、実のところ日本中から運ばれてきた放射性物質をただ穴に放り込むだけである。
施設の運営は軌道に乗り、やがて世界中から核のゴミが集められてきた。
いくら放り込んでも穴はいっこうに埋まらず、いつまでたっても底が見えることはなかった。
限界集落だった村は、その地方の中心的な町となり、人が増え道路が整備され、やがて市へと昇格した。

 ある日、穴を覆った建屋の屋根で、ドスンという大きな音がした。
職員が屋根に登ってみると、どこから来たのか、ひとりの子どもが屋根を突き破って死んでいた。
職員は驚いて空を見上げたが、よく晴れた空には雲ひとつなかった。