>>391
日本語がちゃんと出来ないと、結局自分の伝えたいことを正しく伝えられない。

諸行無常という言葉を知らなくて、
「どんな人間でも必ず死ぬ」……A
と言い換えたとする。これは正しいか。ちょっと考えてみろ。

この場合間違っている。
なぜなら、
「驕れる者も久しからず」

つまり、
「世間で幅を利かせてデカい顔をしている人間でも、老衰や病気で死ぬ時は、貧乏人や無名の人と同じように死んでしまうものだ」
これが正しい意味だからだ。
寿命が来たら人間は死ぬが、Aの表現では、金さん銀さんのように長生きした人間も死ぬんだ、
という意味、つまり
「寿命の長短に関わらず永遠には生きない」という意味にも取れる。
寿命の長短じゃないだろ。社会的なステータスの有無、驕っているかどうか、ここが肝心。
つまり意味がズレているんだ。

語彙が乏しいのは16色で絵を描いてるようなもの。
トゥルーカラーで描いてる奴には勝てない。

それにな、そういう台詞は相当レベルが高い奴にこそ相応しいのに、いいわけに使ったら滑稽だ。

>表現なんて表現者の自由

これも言いすぎだ。
誰にも伝わらない表現なら日本語ではなくなるが、勿論駄目というわけではない。
だけど、全部がそれで埋まってどこも理解できなければ、その表現には意味などない。
全く新しい言語を作る場合以外はな。

日本語とそうでないもののちゃんぽんにすればいいではないか、という人もいるかもしれない。
でもそういうのはやっぱり格好悪いだろ?
格好悪い上に、上に述べたような間違った伝わり方が頻繁に起きて読みにくいんだから、
やっぱり評価は低くなる。

とにかく、まずは応用よりも基本だ。日本語が完璧になってから応用して変な表現を作れ。
そうでなく、勝手に間違ってるのを正しいとこじつけても、キチガイのたわ言に過ぎん。