>>56
エクリチュールを受動的とするならば、作家の目的とは、
作家の意思を加えた能動的エクリチュール、エクリチュールそのものになることではないだろうか?
作品とは、書く主体の意思と書かれた物エクリチュールが縺れ合った
能動と受動の織り成すタペストリーである。
その目的はエクリチュールそのものと、文体のもたらす快楽である。

ま、今んとこの俺の結論はこれだ。
正しいかどうかは知らん「俺の考える文学とはなにか」だからな。
ま、狭義の文学、いわゆる純文学的なものということだが。
広義の文学は人間の言語活動全てが含まれるからな。