寺の山門をくぐるとあたりは急に薄暗くなった。樹齢数百年はあろうかと思われる大木が道に沿って整然と並んでいる。道は思っていた以上に急勾配で曲がりくねり、革靴履きの私はいくらも歩かないうちに息を切らしていた。
 来年、私は四十二の厄年を迎える。無理をすることもないと思い、立ち止まって呼吸が楽になるのを待った。老木のあいだから小さな地蔵や積み重なった石塊が見える。木製の囲いのあるものはどれもみな朽ち果て、移ろいゆく時の流れを感じさせた。
 しばらく登ると本堂が見えた。その奥には高い崖と、崖から突き出た望楼があった。細い数本の足で支えられた望楼は人が乗ればたちまち崩れ落ちてしまいそうで、私にある種の期待を抱かせた。
 本堂の手前を横切り、望楼へとつづく道を進む。本堂脇の建物はまだ新しく、造りこそ昔ながらの寺社風の建物であったが、勝手口と思しき入り口がなぜか正面に設えてあり、その脇には大きな半透明の袋が二つ転がっていた。
うち一つにはビールの空き缶がぎっしりと詰まっていた。私は足早にそこを通り抜けると、古い石段の最初の石組みに足をかけた。粘土質の茶色い土がうすく黄色く積もり、足をかけた瞬間、土埃が舞った。
私はゆっくりと石段を登った。三十段ほど登ったところで石段は途切れ、平坦な場所に出た。歴代の修行僧たちのものであろうか。石塔に刻まれた文字はどれも読めないほどに風化していた。
その独特の形から普通の墓石とも思われず、そもそもこの寺には一般の墓らしきものが少しも見あたらなかった。新聞の無縁仏供養の記事を見て訪れる気になった私は、少々拍子抜けしていた。
 すぐに望楼が見えてきた。土の道から望楼までのあいだ数メートルは木製の板が架かっていて、私は板の前で立ち止まった。幅一メートルほどの板には申し訳程度の手摺りが据え付けてあったが、手摺りの間からは本堂の屋根が丸見えで、
あまつさえ敷石の敷かれた地面まで見ることができた。私の手は汗ばみ、脇の下から冷たいものが脇腹を伝っていった。自分が高所恐怖症であることをこのときまですっかり忘れていた。
 恐る恐る足を前に出し、右手で崖の岩肌を、左手で手摺りをしっかりと握りながら、摺り足で少しずつ進んだ。ようやくのことで望楼の床に辿り着くと、中心の柱に駆け寄り、抱きついた。
 ひんやりとした風が頬をなで、額に浮き出た汗を乾かした。
 やがて、ゆっくりと身体を滑らせ、柱を右腕で捕まえながら望楼の外に目をやった。両脇からせり出した山の切れ目から遠く眼下に街が見下ろせた。
 私はただ、ひとりだった。
 柱から腕を離し、望楼の端に少しずつ近づいてゆく。手を伸ばせばその先の手摺りに触れるところまで来た。あと一歩か二歩。私は遠く街の景色だけを見ていた。
 あと一歩。さらにもう一歩。そして……。
 ふいに身体がよろけて、思わず下を向いた。本堂の屋根や敷石が目に入った。目がくらみ、慌てて後ずさった。背中を柱にぶつけ、その場にしゃがみ込み、無我夢中で腕を動かした。気が付くと私は必死にしがみついていた。目を閉じて、きつく抱きしめていた。
 郭公の声や木々のざわめきが聞こえた。あたりは静まり返っているようでいて、それでいて騒がしかった。
 私は立ち上がると一息に橋を渡った。土の感触はやわらかく、道は容易に私を迎え入れてくれた。石塔のところまで戻ると足を止め、石に刻まれた文字を一つでも多く判読しようと目を凝らした。
しかし苔むした小さな石塔の文字はついに一つも読むことができなかった。代わりに石組みの上を行進する蟻の群れを見つけた。せわしなく行き来する蟻の群れは一筋の道になって石組みの端までつづき、石組みを下り、土の通路を横切り、
倒れた木の上を通って大きな欅の根本まで達していた。太い欅の幹を見上げると、黒い一筋の線が葉の陰に隠れて見えなくなるまでつづいていた。
 私は古い石段を降り、本堂へと向かった。
 本堂脇の建物の前で、一人の老婆がビール缶の詰まったビニール袋を持ち上げようとしていた。私は駆け寄って声を掛けた。
「あの、すみません。こちらのご住職さんはどちらに……」
 老婆は手を止め、こちらを見てにっと歯を見せた。
「ここにはご住職さんなんぞという、たいそうな者はおらんよ」
 老婦は二つの袋を持ち上げるなり、缶の詰まった袋を振って、それからとことこと歩き出した。
 私はなんだか可笑しくなって、老婆の奏でる空き缶の音に耳を傾けながら、先ほどの欅の大木を見上げた。
 まあ、慌てる必要もない。いつか必ずその日は来るのだから。
 そして私も歩き出した。
 下りの道はやはり薄暗かったが、それでも登りよりはずいぶんと楽だった。山門前の駐車場の車の影を認めると、私はズボンのポケットに手を入れ、車の鍵を握りしめた。